3 / 3
crystalsugar #3
しおりを挟む……って、言ってるのに。
自宅の手前で足を止めて呟いた私を、門扉の前で待ち構えていた人影が迎える。
「遅かったな」
さっきの井澤じゃないけど、「なんっで居るのよ!」と、叫びたい。
叫ばないけどね、叫ばないけどね……!
くそ、さっきの電話はこの前ふりだったのか。
回れ右して逃走したいけれどヤツがいるのは私の家だ。
唇に無理やり笑みを作って、つっけんどんな声を出す。
「こんなところにまで来られて、何か不備でもありましたか部長」
「仕事の話じゃない」
わかっているくせに、と肩を竦めて彼が一歩こちらに近づく。自分としてはとても不本意なことに――身構えてしまった。
意識しているってバレバレじゃない。己にも彼にも腹が立つ。
「……なんのよう」
「会いに。あと、――口説きに。クリスマスだし?」
「寝言は寝て言え」
「聞いてくれるのか? 寝言」
「死ねば」
間髪入れずの私の返答に、くっとのどを震わせる。
本当に、職場結婚などするものではないと五年前の私に言い聞かせたい。
特にこじれて別れるとなれば。
ちょっとかなり年上の唇をゆがめて笑う男の色気などに、惑わされるのではないと肩を揺さぶって正気に戻したい。
現上司、元夫である男は今日も男の色気をダダ漏れさせてムカつき苛立たしいことこの上なかった。
不機嫌な印象を与える斜めに走る目じりの皺がさらなるフェロモンを発してるとか、この男たいがいおかしいし。
小娘が惑わされるのはしょうがないよね、ン年前の私も含めて。
今もおモテになってますものね。本社行くと、元夫婦だと知っている女子社員にいつも険突食わされますもの。
捨てた女房に今さら何。
ほんとうにもう、クリスマス滅べ。
無視して、横を通り過ぎて、そのまますばやく家の中に入ってしまえばいい。
だけど、凍りついたように私の足はその場に止(とど)まったまま。
どうしようもなく。
姿を見ただけで意識の全部を引っ張られる。
だから、ひとりがいいのに――
「有布子。そろそろ意地を張るのはやめにしないか」
「どの面さげて」
「この面だが」
もう一度、「死ね」という想いをこめて睨みつける。
「私と結婚している状況で他の女と寝る男なんて願い下げ、って何度も言ってる」
苦笑した元夫は、それでも懲りずにこちらに手を伸ばす。
「事象がどうであれ、俺は前も今も先もお前だけだ」
「……ほんっと死ねばいいのに……!」
なかったことにはならない裏切りを働いておいて、どうしてこの男はこうなのか。
『わたしだってあの人が好きなんです! その気持ちを素直に表すことの何が悪いんですか』
恥じることなどひとつもないと自信に満ち溢れて言った彼女は、私には理解できない生き物だった。
好きだったら、既婚者に言い寄っても許されるの?
だったら日本はとっくに多重婚が認められているでしょ。
好きで何もかも許されるなら、家庭裁判所はいらない。
そして、どんな事情があったとしても、裏切った段階で『彼』も理解できない生き物になったのだ。
彼の妻であったために嫉妬を投げつけられ、自分がどんなに彼を想っているか責めるように訴えてくる彼女が故で、一時期ノイローゼ気味になった私が悪かったの?
直属の部下と言う立場を最大限に利用して時も場もわきまえず求愛してくる彼女に自分も困っていたくせに、突き放すために、一度だけ夜を過ごしたなんて。
耳にしたときは意味が分からなかった。
『――素敵でした。約束ですから身を引きますけれど、わたしの方が、ずっと、ずっと――』
呪うような彼女からの最後の電話に、こらえきれず吐いた。
気持ち悪くて、でも好きで、信じられなくて、でも本当で、ぐちゃぐちゃになった私が突きつけた離婚届にため息を落としながら判をついたくせに。
一年かかってやっとのこと自分を立て直した私に、そろそろ籍を入れ直そうと言ってきた元夫を書類を綴じたファイルで殴りつけた私は悪くないと思う。
時間が経てば、忘れられるってものでもない。
もう、こりごりなの。
まだ、好きでも。
強情に唇を引き結ぶ私に、またひとつ彼はため息を落とす。呆れるなら諦めてもう来なければいいのに。帰ればいいのに。
そう願う私とは裏腹に、彼は再び口を開く。
――お前は聞く耳持たなかったが、と。
「あの時も言った。俺はあの女を抱いていないからな」
「……まだ言い逃れするの」
一晩過ごして、素敵でしたなんて相手に言われて、抱いてないとか。空々しいほどにもほどがある。
「俺は、好きにしろと言って人形になっていただけだ。いろいろがんばっていたようだが、薄気味悪いだけで勃たなかったし?」
「……――は?」
はっきりと耳に通すには微妙な言葉が聞こえて、私はついまじまじと彼を見返した。
「まったく反応しない俺に、最後には泣き出していたが、自分を憐れんで泣くくらいなら、なぜあそこまで自信満々に気持ちを押しつけてきたんだろうな」
いい迷惑だった、と思い返したせいか苦々しげな表情になった彼に、茫然と私は首を振る。
「まあ、俺とあの女しか本当のところはわからないわけだ。お前がそれでも信じないって言っても、しょうがない」
――今まで通り、口説き続けるだけだから。
信じられるわけがない。わけがない、けど、もうなにがなんだかわからない。
「だって、どうして、じゃあ、もっとちゃんと言い訳……!」
「他の女と一緒にいたことは事実だから。お前の俺(もの)を好きに触らせたし――この点は俺としても労わってほしいところだが」
自業自得じゃないの馬鹿じゃないの。
「ずいぶん追い詰めさせてしまったから、お前が落ち着くまで離れた方がいいと判断した」
ばっっっっっかじゃないの!
心の底から、つくづくと、吐き出した。
「ほんっとうに、マジで、ばっかじゃないの……!!?」
「しみじみ言うなよ」
重々わかってる、といい歳をしたオヤジが肩を窄める。
ぐらぐらしてきた頭を押さえて、私は「駄目だ」と溢した。
もうわけがわからないし、納得したいのか詰りたいのか突っぱねたいのか自分で自分がわからない。
「明日、仕事……とりあえずきょうはねるもうねる」
「有布子ー」
フラフラと玄関にカギを差し込む私を特に引き止めるわけでもなく眺めていた彼が、憐れっぽい声を出す。
嫌々振り返る。
「終電なくなったから、泊まらせてくれよ。すみっこでいいから。何もしないし」
今日のところは、と余計なセリフが付け足された気がするんだけど。
もう何も考えたくなかった私は、少しの――かつ深い逡巡のあと、「ソファだからね!」と叫んだ。
ニヤリと唇を歪め目を細める、心臓を落ち着かなくさせる笑みを浮かべ、歩み寄る彼に、舌打ちひとつ。扉を閉める。
起きたら自分の気持ちがどうなっているか。
来年のクリスマスが今まで通り滅びを望むもののままか、別のものに変わっているか――
明日からの私のみぞ、知る。
了.
0
お気に入りに追加
75
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説


愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。

好きな人がいるならちゃんと言ってよ
しがと
恋愛
高校1年生から好きだった彼に毎日のようにアピールして、2年の夏にようやく交際を始めることができた。それなのに、彼は私ではない女性が好きみたいで……。 彼目線と彼女目線の両方で話が進みます。*全4話
傷痕~想い出に変わるまで~
櫻井音衣
恋愛
あの人との未来を手放したのはもうずっと前。
私たちは確かに愛し合っていたはずなのに
いつの頃からか
視線の先にあるものが違い始めた。
だからさよなら。
私の愛した人。
今もまだ私は
あなたと過ごした幸せだった日々と
あなたを傷付け裏切られた日の
悲しみの狭間でさまよっている。
篠宮 瑞希は32歳バツイチ独身。
勝山 光との
5年間の結婚生活に終止符を打って5年。
同じくバツイチ独身の同期
門倉 凌平 32歳。
3年間の結婚生活に終止符を打って3年。
なぜ離婚したのか。
あの時どうすれば離婚を回避できたのか。
『禊』と称して
後悔と反省を繰り返す二人に
本当の幸せは訪れるのか?
~その傷痕が癒える頃には
すべてが想い出に変わっているだろう~

拝啓、大切なあなたへ
茂栖 もす
恋愛
それはある日のこと、絶望の底にいたトゥラウム宛てに一通の手紙が届いた。
差出人はエリア。突然、別れを告げた恋人だった。
そこには、衝撃的な事実が書かれていて───
手紙を受け取った瞬間から、トゥラウムとエリアの終わってしまったはずの恋が再び動き始めた。
これは、一通の手紙から始まる物語。【再会】をテーマにした短編で、5話で完結です。
※以前、別PNで、小説家になろう様に投稿したものですが、今回、アルファポリス様用に加筆修正して投稿しています。

アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
思い出さなければ良かったのに
田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。
大事なことを忘れたまま。
*本編完結済。不定期で番外編を更新中です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
客の側から見ても、薄々感じ取れているお話…。
つらつらと書かれていると、潔いと言おうかスッキリします。
リアルぅ…。でも、楽しい。