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crystalsugar #3
しおりを挟む……って、言ってるのに。
自宅の手前で足を止めて呟いた私を、門扉の前で待ち構えていた人影が迎える。
「遅かったな」
さっきの井澤じゃないけど、「なんっで居るのよ!」と、叫びたい。
叫ばないけどね、叫ばないけどね……!
くそ、さっきの電話はこの前ふりだったのか。
回れ右して逃走したいけれどヤツがいるのは私の家だ。
唇に無理やり笑みを作って、つっけんどんな声を出す。
「こんなところにまで来られて、何か不備でもありましたか部長」
「仕事の話じゃない」
わかっているくせに、と肩を竦めて彼が一歩こちらに近づく。自分としてはとても不本意なことに――身構えてしまった。
意識しているってバレバレじゃない。己にも彼にも腹が立つ。
「……なんのよう」
「会いに。あと、――口説きに。クリスマスだし?」
「寝言は寝て言え」
「聞いてくれるのか? 寝言」
「死ねば」
間髪入れずの私の返答に、くっとのどを震わせる。
本当に、職場結婚などするものではないと五年前の私に言い聞かせたい。
特にこじれて別れるとなれば。
ちょっとかなり年上の唇をゆがめて笑う男の色気などに、惑わされるのではないと肩を揺さぶって正気に戻したい。
現上司、元夫である男は今日も男の色気をダダ漏れさせてムカつき苛立たしいことこの上なかった。
不機嫌な印象を与える斜めに走る目じりの皺がさらなるフェロモンを発してるとか、この男たいがいおかしいし。
小娘が惑わされるのはしょうがないよね、ン年前の私も含めて。
今もおモテになってますものね。本社行くと、元夫婦だと知っている女子社員にいつも険突食わされますもの。
捨てた女房に今さら何。
ほんとうにもう、クリスマス滅べ。
無視して、横を通り過ぎて、そのまますばやく家の中に入ってしまえばいい。
だけど、凍りついたように私の足はその場に止(とど)まったまま。
どうしようもなく。
姿を見ただけで意識の全部を引っ張られる。
だから、ひとりがいいのに――
「有布子。そろそろ意地を張るのはやめにしないか」
「どの面さげて」
「この面だが」
もう一度、「死ね」という想いをこめて睨みつける。
「私と結婚している状況で他の女と寝る男なんて願い下げ、って何度も言ってる」
苦笑した元夫は、それでも懲りずにこちらに手を伸ばす。
「事象がどうであれ、俺は前も今も先もお前だけだ」
「……ほんっと死ねばいいのに……!」
なかったことにはならない裏切りを働いておいて、どうしてこの男はこうなのか。
『わたしだってあの人が好きなんです! その気持ちを素直に表すことの何が悪いんですか』
恥じることなどひとつもないと自信に満ち溢れて言った彼女は、私には理解できない生き物だった。
好きだったら、既婚者に言い寄っても許されるの?
だったら日本はとっくに多重婚が認められているでしょ。
好きで何もかも許されるなら、家庭裁判所はいらない。
そして、どんな事情があったとしても、裏切った段階で『彼』も理解できない生き物になったのだ。
彼の妻であったために嫉妬を投げつけられ、自分がどんなに彼を想っているか責めるように訴えてくる彼女が故で、一時期ノイローゼ気味になった私が悪かったの?
直属の部下と言う立場を最大限に利用して時も場もわきまえず求愛してくる彼女に自分も困っていたくせに、突き放すために、一度だけ夜を過ごしたなんて。
耳にしたときは意味が分からなかった。
『――素敵でした。約束ですから身を引きますけれど、わたしの方が、ずっと、ずっと――』
呪うような彼女からの最後の電話に、こらえきれず吐いた。
気持ち悪くて、でも好きで、信じられなくて、でも本当で、ぐちゃぐちゃになった私が突きつけた離婚届にため息を落としながら判をついたくせに。
一年かかってやっとのこと自分を立て直した私に、そろそろ籍を入れ直そうと言ってきた元夫を書類を綴じたファイルで殴りつけた私は悪くないと思う。
時間が経てば、忘れられるってものでもない。
もう、こりごりなの。
まだ、好きでも。
強情に唇を引き結ぶ私に、またひとつ彼はため息を落とす。呆れるなら諦めてもう来なければいいのに。帰ればいいのに。
そう願う私とは裏腹に、彼は再び口を開く。
――お前は聞く耳持たなかったが、と。
「あの時も言った。俺はあの女を抱いていないからな」
「……まだ言い逃れするの」
一晩過ごして、素敵でしたなんて相手に言われて、抱いてないとか。空々しいほどにもほどがある。
「俺は、好きにしろと言って人形になっていただけだ。いろいろがんばっていたようだが、薄気味悪いだけで勃たなかったし?」
「……――は?」
はっきりと耳に通すには微妙な言葉が聞こえて、私はついまじまじと彼を見返した。
「まったく反応しない俺に、最後には泣き出していたが、自分を憐れんで泣くくらいなら、なぜあそこまで自信満々に気持ちを押しつけてきたんだろうな」
いい迷惑だった、と思い返したせいか苦々しげな表情になった彼に、茫然と私は首を振る。
「まあ、俺とあの女しか本当のところはわからないわけだ。お前がそれでも信じないって言っても、しょうがない」
――今まで通り、口説き続けるだけだから。
信じられるわけがない。わけがない、けど、もうなにがなんだかわからない。
「だって、どうして、じゃあ、もっとちゃんと言い訳……!」
「他の女と一緒にいたことは事実だから。お前の俺(もの)を好きに触らせたし――この点は俺としても労わってほしいところだが」
自業自得じゃないの馬鹿じゃないの。
「ずいぶん追い詰めさせてしまったから、お前が落ち着くまで離れた方がいいと判断した」
ばっっっっっかじゃないの!
心の底から、つくづくと、吐き出した。
「ほんっとうに、マジで、ばっかじゃないの……!!?」
「しみじみ言うなよ」
重々わかってる、といい歳をしたオヤジが肩を窄める。
ぐらぐらしてきた頭を押さえて、私は「駄目だ」と溢した。
もうわけがわからないし、納得したいのか詰りたいのか突っぱねたいのか自分で自分がわからない。
「明日、仕事……とりあえずきょうはねるもうねる」
「有布子ー」
フラフラと玄関にカギを差し込む私を特に引き止めるわけでもなく眺めていた彼が、憐れっぽい声を出す。
嫌々振り返る。
「終電なくなったから、泊まらせてくれよ。すみっこでいいから。何もしないし」
今日のところは、と余計なセリフが付け足された気がするんだけど。
もう何も考えたくなかった私は、少しの――かつ深い逡巡のあと、「ソファだからね!」と叫んだ。
ニヤリと唇を歪め目を細める、心臓を落ち着かなくさせる笑みを浮かべ、歩み寄る彼に、舌打ちひとつ。扉を閉める。
起きたら自分の気持ちがどうなっているか。
来年のクリスマスが今まで通り滅びを望むもののままか、別のものに変わっているか――
明日からの私のみぞ、知る。
了.
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