聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第三部 宰相閣下の婚約者

801 膝枕とは?

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〝如何にあらむ日の時にかも声知らむ人の膝の上わが枕かむ〟


 膝枕と言っても、実際には「太腿枕」だろうに……という声も世の中にはあるようだけど、日本だとかつては太腿前面部も含めて膝と言っていたそうなので、あながち間違いではないらしい。

 英語教師が「雑談」として言っていたことを思い起こせば、英語では膝枕そのものを表現する単語がなく、太腿を表す英単語「lap」を使って、その上で眠るというニュアンスで単語を組み立てると言うものだった。

 そして日本でだけ「膝枕」がそんな独自な使われ方をしているのは、なんと万葉集に「いつの日にか私の声色を理解してくれる人の膝の上をわたしは枕にするのでしょうか」――なんて意味のこもった歌が詠まれていた影響だろうとも言っていた。

 自分はあくまで英語教師だと言いながらも、日本の文化に興味を持って留学したと言うだけあって、下手な日本人教師よりも色々と詳しかったことを覚えている。

 そう言えば「月がきれいだ」の翻訳云々について教えてくれたのも、その先生だった。
 今もそうやって、生徒に色々な知識を披露しているのだろうか――。

「……レイナ?」

 ぞわりと鼓膜をくすぐるバリトンボイスに、それまでつらつらと考えていたことが一気に吹き飛んだ。
 なんてこと。万葉集の一首が、そのまま目の前の宰相閣下に当てはまるだなんて……!

 なぜそんな小難しいことを今……と、思い返していた原因はすぐ目の前にあったのだ。

「どうした」

 自分が成人男性相手にその「膝枕」を行っているこの状況。
 しかも「どうした」と言いながら、相手の片手が自分の頬に添えられているオプション付き。

 ――完全に羞恥心が限界突破していて、小難しいことでも考えないと耐えられなかったのだ。


 そもそもが、この部屋に着いてから膝枕に至るまででもあった。
 息をするのにも困るようなキスの嵐に腰砕けになり、なだれ込むような勢いでソファに腰を下ろして……ぼんやりしている間に、膝枕の体勢が出来上がっていた。

 5分じゃ膝枕優先だな、と笑うところでしょうか宰相閣下⁉

 ぐぬぬ、と唸りそうになって、何とか気持ちを落ち着かせようとした結果の万葉集。
 そうして結局こちらを見上げるエドヴァルドの視線と、頬に添えられたままの手に、心臓は音を立てたままだ。

「こ……っ、こんな体勢、落ち着くとは思えなくてですね……っ」
「相手によると思うが? まあ、一番は寝台ベッド横になることだろうがな。何せ5分だ」
「……っ」

 やたらと5分を強調する宰相閣下。よほど、イル義父様の念押しに思うところがあったのか。
 いちいちセクハラっぽく聞こえてしまうのは、気のせいじゃないはず……。

「それ以前に、イルのアレは八つ当たりだからな……」

 口には出さなかったけれど、表情から分かったのかも知れない。
 エドヴァルドはそう言って、苦笑いを見せた。

「最も後処理に追われているのはコンティオラ公爵だが、だからといって他の公爵家に余裕があるかと言えばそんなわけもない。ダリアン侯爵とエモニエ侯爵を罰則代わりに働かせたとて全く追いついていないからな」

 自分が最愛の妻と過ごす時間を削られているのだから、他の連中だって――との思考に陥っているらしい。
 うん。だいぶヤバいです、イル義父様。

「まあ、だが、たとえ自分がちょっとの間帰りたいだけだという私欲全開の理由であっても、それでやらかした両侯爵やコンティオラ公爵、クヴィスト公爵代理らを限界までこき使うとなれば、下の人間からだって文句は出ない。エリサベト夫人不足に陥ったイルを怒らせたら、明日には執務室から机と椅子が消えて無くなっていてもおかしくはないからな」

「えぇぇ……」

 偏愛のエドヴァルドにヤンデレのイル義父様。
 果たしてどちらがその執着を向けられた時に沼が深くなるのだろう。

「もちろん、そういった理由なら私もイルを止めることはしない。それでレイナの顔を見に戻れるんだ。反対する必要はどこにもないからな」

 イル義父様を止めないのか――と、言いかけた言葉はそこで呑み込まざるをえなくなった。
 何せエドヴァルドが真顔。茶化してごまかすことすら出来ませんでした、はい。

「だがレイナ、イルが席を外した時に『ちょうどよかった』という表情かおを見せたのは、何か理由があったのではないのか? 何かあったか?」

「!」

 そんな中、いつの間に私の表情を読んでいたのだろう。
 目を丸くした私に「ずっと見ていれば分かる」などと、またしても赤面もののセリフが飛んできたのだ。

「えっと……」

「少しでも私が休めるのならと思ってくれたのかも知れないが、そもそも優先順位が高くないと貴女が判断していたのであれば、その表情にはならないだろう? だから気にせず話せばいい」

「……信用しすぎじゃないですか?」
「妻にとこいねがう女性を信じずに誰を信じるんだ」
「……っ」

 どこまでも真顔のエドヴァルドに、私は撃沈する。

 恐らく、もうあまり時間がないだろうことも鑑みて、私はひと呼吸置いて、ヤンネから手紙を預かっているのだとここで伝えることにした。

「ヤンネから? ……ああ、王都商業ギルドに行ったんだったか」
「その話は、またの機会でお願いします。裁判の見通しがたってからで大丈夫だと思うので」

 そう言って、預かっていた手紙を机の引き出しから出すのに立ち上がろうかと思ったら――そこは、不意打ちで腰に手を回してきたエドヴァルドに阻止されてしまった。

「ええっ⁉」
「内容は分かっているのだろう?」
「いや、でも……」
「正式な文面としては、宰相室に戻ってから目を通す。貴女がどう思っているのかも知れるのだから、今はこのまま、口頭で伝えてくれ」
「えぇぇ……」

 この部屋に入ってから、何度「えぇ……」と、日本語にもならない声を出しているだろう。
 そうは思っても、エドヴァルドが折れる様子がない。

「手紙の内容は?」

 重ねて問いかけてくるエドヴァルドに、身動きがとれない私としても、諦めるよりほかになさそうだった。

「この体勢でする話じゃないと思うのですが……ケスキサーリ伯爵の、訃報です」
「…………なるほど」

 そう言うと、さすがに思うところはあったのだろう。
 片手で髪をかき上げつつ、ゆっくりとエドヴァルドは身体を起こした。

「さしずめ弔意の表明と後日訪問の確約を促しているといったところか」
「あっ、はい」

 それが決して窘めているように聞こえないのは、ヤンネが言っていた通り、必ずしも礼を欠く対応だとは言えないということなんだろう。

「ケスキサーリの嫡男は、亡くなった伯爵の気質を引き継いでいるのか、現状維持以上の欲はない男だ。よほどのことがなければ爵位は問題なく継承されるとヤンネも踏んだのだろうな」

「余程のこと……」
「葬儀の場に愛人やら隠し子やらが現れるのは、決して珍しいことではないからな」

 ゴシップを軽蔑していそうなエドヴァルドですらそんな言い方なのだから、余程普段からこの手の話題は王宮内、あるいは貴族間で蔓延しているのだろう。

 エドヴァルドの口から、愛人だの隠し子だのという言葉を聞くのは違和感甚だしいのだけれど。

「…………何かあらぬ誤解をしていないか」
「⁉」

 ヒュンっ――と、間違いなく今、部屋の空気が冷えた。

「してません、してません! ただ、その手の会話に参加されるように見えなかったので意外だっただけですっ」
「ユセフではないが、司法に携わると、避けて通れる話題ではないからな。それだけのことだ」
「ですよねっ、ええ、そうでしょうともっ」

 ぶんぶんと両手を振る私に、エドヴァルドの胡乱な視線が突き刺さる。

「まあ……誤解があるのならば、落ち着いたらじっくりとすればいいだけの話ではあるがな。ああ……楽しみだな、視察旅行が」

「――っ‼」

 どうやら私は言葉の選び方を間違えたらしい……。
 これは、とっとと話題を変えてしまう方が良さそうだ。

「あ、あのっ、あれから陛下のはどうなりましたか?」
「…………」

 よほど私の言い方に違和感があったのかも知れない。
 エドヴァルドは珍しく、目を瞬かせていた。

「茶会……そうか、名目は茶会だったか……」

 確かにル〇バ風の魔道具が床を爆走して、大の大人が吹っ飛ぶお茶会なんて、前代未聞だ。名目、とエドヴァルドが言いたくなるのもさもありなんだった。

「全てを事細かに言える訳ではないが、無関係と言い切れないところもあるか……」

「もちろん無理にとは言いません! ただ、イル義父様のさっきの言い方からすれば、少しは聞けるのかな……と」

 国政の中枢に身を置く者としての守秘義務はもちろんあるだろう。
 それは理解していると仄めかせれば、エドヴァルドも納得はしたようだった。

「端的に言えば、締め出された――だな」
「え?」

「五公爵は三国会談に集中しろ、詐欺と茶葉の件は五長官で全力で裁いてやる、とな。ロイヴァスにいい笑顔で言い切られた」

「ヘルマン長官が……」

 私の脳裏にふと、笑顔のままこめかみに青筋立てているヘルマン長官の姿がよぎる。

「ロイヴァスはあくまで五長官の総意を代弁しただけだ。何を言ったかは知らんが、ナルディーニ侯爵と息子の言い分にそれぞれがキレていたらしい。だったら長官としての権限を存分に駆使して裁いてやれ――となったようだ」

 それが合法であり、でっち上げたものでないのなら、拒否する理由もない。
 三国会談の方が重要度が高いことは間違いないため、エドヴァルド以外の公爵、公爵代理らも頷くしかなかったのだ。

「あれだけキレていたら、情状酌量も何もないだろうからな。陛下も『それでいいんじゃないか?』と仰って、話は終わりだ。どちらに関わろうとも仕事が楽になるわけでもないしな。イルではないが、明日も徹夜、明後日も徹夜……だ」

「そ、そうなんですね」

 無理をするなとも、気を付けろとも今は言えない。
 無理をしないわけにはいかない状況というのは、確かに存在するからだ。

「私にも出来ることがあれば、仰って下さいね」

 だから言えるのは、それだけだ。

「……貴女らしいな」

 エドヴァルドの口元が、ちょっぴり嬉しそうに綻んだのは、気のせいじゃないはずだ。














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