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4巻
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「……失礼する」
そこまでしてようやく、望む情報は得られそうにないということを王子も理解してくれたようだ。
もしかするとエドベリ王子、こめかみを痙攣らせるどころか、こちらを睨むくらいはしていたかもしれない。
けれどエドヴァルドを取り巻く冷ややかな空気に比べたら、なんの怖さも感じないあたりが摩訶不思議だった。
「レイナ」
「……はい」
下げたままの視界の先に「軍神の間」を出る王子の姿は見えていた。それは分かっていたものの、どうしよう、頭を上げるのがとてもとても怖い。
頭を上げるタイミングを完全に失ってしまった。
「もういいから、頭を上げるんだ」
「……はい」
言われてようやく体勢を元に戻したけれど、エドヴァルドの不機嫌さは収まっていない。
「言いたいことは分かるな」
「えっと……多分」
エドヴァルドはまだ、自国の王と隣国の王子が不謹慎とも言える「賭け」を既に始めていることを知らない。
とはいえ、ギーレン国に渡った後、オーグレーン家を継ぐことを勧められるかもしれないというのは既に仄めかされている。それに加えてエドベリ王子がシャルリーヌを連れ戻したいと思っているのは真実だと、今の王子の態度で察したはずだ。
その上で、その両方の目的を達成するための最大の障害は、実は「私」だ――と、王子が思い込むような話し方を私がしたことにも気が付いたのだ。
銀相場を揺さぶってレイフ殿下に圧力をかけて、王宮内での揉め事から遠ざけたはずの私が、別の側面から再び渦中に戻ってきていることに、多分彼は怒っている。
「私がアンジェスを空ける間に、狙われでもしたらどうするつもりなんだ……!」
まさかそうしてもらわないと、私が国王陛下に対して身動きを取れない――なんてことは言える訳がない。
「それは……」
いっそ「陛下がなんとかしてくださいます」とか、軽い調子で言ってしまえたらどれほど楽か。
いや、言ってみてもいいのだけれど、多分胡乱な目で見られるのがオチだ。
口を開けば開くほど、エドヴァルドに対してとぼけきることは難しくなる。このままいけば、あっという間に洗いざらい吐く羽目になるだろう。
「お、お戻りまで、私が公爵邸から一歩も出なければ問題ないのでは?」
そもそも今回のこととは関係なく、私が一人でウロウロすることにいい顔をしないのだから、自ら引きこもりを宣言すれば、エドヴァルドも強く出られないのでは……?
私のそんな窮余の策は、どうやら思いがけずエドヴァルドにヒットしたようだった。
目を見開いて、こちらを凝視している。
「……自重が行方不明の貴女から、そんな言葉を聞くとは思わなかった」
「そこまで言わなくても……」
「胸に手を当てて、よく考えた方がいい。だがしかし……それなら、私も許容は出来る」
セルヴァンとファルコに言っておけば、当面はなんとかなるか……? と呟いているあたり、結構本気な気がする。
え、行き過ぎて監禁エンドみたくなるのはさすがに御免被りたいのですが。
いや、エドヴァルドがギーレンに行ってしまえば後はなんとでもなるから、今は納得してもらう方が先……?
そんなことを考えていると、ふと聞き覚えのあるチャラ……ゴホン、親しみがこもった声が、こちらへとかけられた。
「いやはや、世に名だたる〝鉄壁宰相〟も、好いた女性の前では形無しかな? 妻との若い頃を見ているようだ。心配でどこにも行かせたくない。いや、青いね」
この状況下で声をかけられる胆力が凄い。
そう思いつつ声の主を探すと、少し先にあった店舗の前で、予想通りの声の主、フォルシアン公爵がヒラヒラと片手を振っていた。
「どうかなレイナ嬢、我が領のチョコレート製品を見て行かないかい?」
エドヴァルドから怒涛の反論を喰らう前に、さっさと自領製品の紹介に話をもっていくあたり、それはそれで見事な会話術だと思うし、私にとってもそこは有難かった。
「ぜひっ!」
今の話を有耶無耶にする絶好の機会だ。渡りに船とばかりに、足早に店舗へと足を向けた。
「あの、まさか普段から公爵様ご自身で営業活動を?」
エドヴァルドの舌打ちは聞かなかったことにしておく。そこはフォルシアン公爵も同じだったようで、私の方を向いたまま「いやいや」と、笑った。
「それこそ『まさか』だよ。何せ今日の『ロッピア』が突然の話だったから〝ヘンリエッタ〟の菓子職人連中と相談して、開発途中の商品を多めに持ち込ませたんだ。こういう場でなら、上位貴族から王都の一般市民に至るまでの反応が直に確かめられるだろう? 主にその確認だ。もちろん、定番チョコも持ってきてあるから、ぜひたくさん買ってもらいたいね」
そう言ってフォルシアン公爵が軽く片目を閉じるものだから、つられた周りのご婦人方が、チョコレート製品を覗きに店舗に吸い寄せられている。
さすがは、国宝級イケメンランキングにアダルト部門があれば、ぶっちぎりそうなくらいの容貌を持つ金髪碧眼の公爵閣下だ。結果的に、見事な営業をしている。
「ああ、そうだ。今あそこでイデオン公爵領下の小さな伯爵令息の、一生懸命な営業に耳を傾けているのが、ウチの娘と婚約者殿だ。茶会のこともあるし、紹介をしておこう」
ここまで、まったくエドヴァルドに文句を言わせないままスタスタと前を歩いて行くのだから、さすが五公爵の一人と言うべきか。
いつ、茶会が既定の話に……と不本意げなエドヴァルドに、私は乾いた笑いを洩らすしかない。
確かに、社交辞令として片付けられても不思議じゃなかったし、むしろエドヴァルドはそのつもりだったに違いない。
「いい器はあったかい、ユティラ?」
「お父様!」
金髪ハーフアップのロングヘアの美少女が、名前を呼ばれて振り返る。
その隣で黙礼をする茶髪の青年が、婚約者だろうか。
「あっ、レイナ様!」
それにつられるかのように、美少女と青年相手に熱心に話しこんでいたミカ君の顔が、パッと輝いた。
「こんにちは、ハルヴァラ卿。白磁器の宣伝は順調ですか?」
一応初対面の人たちを間に挟んでいるので「ミカ君」呼びは控えた。
察したミカ君も、はい! と、背筋を伸ばした。
「こちらのアムレアン侯爵令息様とフォルシアン公爵令嬢様に、色々とお話をさせていただいてました!」
「まあ、そんなにかしこまらなくていいのよ?」
「そうだね。僕たちは君と同じで、当代を名乗る者ではないからね」
ニコニコと微笑ってミカ君を見ている二人からは、悪役的なオーラは感じない。
「ユティラ、レクセル君。いい機会だから紹介しておくよ。彼女がレイナ・ソガワ嬢。当代聖女の姉君だ。異国の出で、この国での縁が薄いそうだから、ぜひ我が家の茶会にお招きして、交流を深めるのがいいだろうと、そんな話になったのは、この前話しただろう?」
「ええ、お父様。まあ、ではこちらの方がそうですのね? 初めてお目にかかりますわ。私、フォルシアン公爵が娘ユティラと申します。我が公爵家自慢のアフタヌーンティー、近々ぜひ味わいにいらしてくださいませ」
リアルお嬢様!
なんというか……トゥーラ・オルセン侯爵令嬢との格の違いを感じます、ええ。
フォルシアン公爵ゆずりと思われる金髪ではあるけれど、容貌はそっくりとまでは言えない。母親似なのかもしれない。公爵の隣に並んでも見劣りしない美魔女であるような気しかしないけれど。
そんなユティラ嬢の礼儀作法のお手本のようなカーテシーに、私も慌てて礼を返した。
「ご紹介いただきましたレイナ・ソガワです。過分なご挨拶をありがとうございます。まだこの国の作法には不慣れな部分もございますので、今しばらくはお目こぼしくださればと存じます。私のことはレイナとお呼びくださいませ。名乗れる程の家名ではないものですから」
「レイナ様ですわね。では私のこともどうかユティラと」
「もったいないお言葉です、ユティラ様」
とりあえず、お茶会前の第一歩としてはまずますだろうか。
次に青年へ目を向けると、彼も柔らかく笑みを浮かべた。
「私はアムレアン侯爵家長子レクセル、ユティラ嬢の婚約者です。フォルシアン公爵邸に行かれる機会がこの先増えるようでしたら、いずれ邸宅でお会いすることもあろうかと」
ユティラ嬢の後ろに控えるように立っていた彼は、フォルシアン公爵父娘に比べると、髪もこげ茶色といった感じで、華やかさには欠けるかもしれない。
それでも、真意の読み取れない笑顔は公爵そっくりで、さすが娘の夫として認められただけのことはありそうだった。
「レイナ・ソガワです。ご婚約中とのこと、誠におめでとうございます。ユティラ様のところでお会いしました際には、どうぞよろしくお願いいたします」
後でエドヴァルドから聞いたところによれば、アムレアン侯爵家は、フォルシアン公爵領傘下貴族の中で最大のカカオ産出量を誇り、チョコレートと言えばフォルシアンと言われるほどのクオリティを裏で支える、最大の功労者たる一族だということだった。
そこの次期侯爵の立ち位置ということは、フォルシアン公爵家にとって決して格下に嫁がせるという意味は含んでいないんだそうだ。
「それでユティラ、店に置けそうな器はあったのか?」
「ええ、お父様! こちらやこちらなんかでしたら〝ヘンリエッタ〟のホットチョコレートに特に合うのではないかと!」
そもそも〝ヘンリエッタ〟はフォルシアン公爵が、チョコレート好きの子供だったユティラ嬢のために、母親である先代公爵夫人と企画を練り、食べたい時に食べに行けるような店舗をと考えて出店したんだそうだ。
ユティラ嬢が成人して婚約者も決まったほどの年齢になってからは、カフェのメニューや内装にユティラ嬢の意見が取り入れられたりもしているらしい。
私が改めて、ホットミルクに溶かす「スティックチョコ」を称賛すると、殊のほかユティラ嬢には喜ばれ、お茶会は必ず開きますからと、決意も新たに宣言されてしまった。
「……フォルシアン公。今更茶会そのものを止めはしないが、ひと月は間を置いてもらいたい。エドベリ殿下を送り届けた後、私がしばらく公務を外れる旨、通達はあったかと思うが」
エドヴァルドの含みを持たせる声に、フォルシアン公爵もその裏にある事情を思い出したようだった。
「ああ……そうだ、そうだった。何、正式な手順に則れば、そのくらい先の予定にはなるだろう」
そのまま公爵は、ミカ君の方へと向き直る。
「ハルヴァラ伯爵家のミカ殿……だったかな? 私はフォルシアン公爵家当主イェルム。王都にあるチョコレートカフェ〝ヘンリエッタ〟の経営者でもある。娘の言うカップとソーサーを、まずは一客ずつ貰えるかな。後日〝ヘンリエッタ〟の菓子職人や従業員たちと協議して、店で使うとの結論になったらば、改めて数を含めて連絡をさせてもらおう」
「はい、ハルヴァラ伯爵家長子ミカです! 一客ずつのお求めですね、ありがとうございます! もしカフェの皆さまにもお認めいただけました際には、ご連絡お待ちしています!」
うんうん、営業は順調なんだね、ミカ君。
多分、この『ロッピア』もそうだけど、フットワーク軽く、色々とミカ君を案内しているヘンリ・リリアート伯爵令息の手助けによるところも大きいんだと思う。
カップとソーサーを購入したフォルシアン公爵父娘らが、場を離れてチョコレート売場の方に戻った後、ミカ君がほっとしたように、こちらを振り返った。
「レイナ様! フォルシアン公爵に買ってもらえたって言ったら、母上やチャペックもきっと喜んでくれるよね⁉」
他の公爵家当主と話すのも初めてだろうし、内心はかなり緊張していたんだろう。
多少の敬語の乱れは許容範囲だ。六歳というミカ君の年齢を考えれば、誰も揚げ足は取るまい。
「お疲れ様、ミカ君。リリアート卿は? さっきまで一緒じゃなかった?」
「あ、ヘンリさんは今、別のお店に売り込み中! ハルヴァラの器も一緒に持っていってくれてるよ!」
「そっかぁ……ずいぶんとリリアート卿とは仲良くなれたんだね」
「うん、そうなんだ!」
ニコニコと笑うミカ君。
彼は一人で来たなりに、領のために成果を上げて帰ろうとしているようだ。
……短期間の成長ぶりに、ちょっと複雑な気分がするくらいに。
「ねぇねぇレイナ様、キヴェカスさん家のカフェ、いつ行けそう? ヘンリさんとブレンダ様からも食事に誘われているから、お返事しないといけなくて!」
ちょっと迷って悩んでいるように小首を傾げるミカ君が可愛すぎる。
「あ、そうなんだ? そうね、じゃあ――」
「――は?」
ただ、そんな微笑ましい気持ちは、エドヴァルドの地の底まで落ちた氷点下ボイスで吹き飛んでしまった。
「レイナ……チョコレートカフェの話も有耶無耶になっていたはずだが……今度はキヴェカス家のカフェがどうしたって……?」
「……えっと」
実は既に〝カフェ・キヴェカス〟には、イデオン公爵領防衛軍のウルリック副長の付き添いで行こうと、ミカ君と話がまとまっている。
防衛軍の長たるベルセリウス将軍は、滞在中王都警備隊に稽古をつけることを頼まれているそうなので、それはむしろそっちの方がいいだろうとの話にもなっていた。
今日明日行くという訳でもないだろうから、エドヴァルドには、ギーレンから戻ってきた後で、行く当日の朝食の席ででも「今日の予定」として言っておけばいいかな……くらいに思っていたのが、どうやらまずかったらしい。
「お館様、私がちゃんと護衛の任を務めますのでご安心ください。将軍がカフェになど行ったら、ただの営業妨害ですから」
対応に困った私を見かねたのか、今回の式典にミカ君の付き添いも兼ねて来ているベルセリウス将軍とウルリック副長が、いつの間にやら私たちのすぐ近くに姿を現していた。
身長一九〇センチ越え。軍で鍛えまくったその体格もあり、毎年訓練だと言ってはイデオン公爵邸の庭を破壊しているほどの将軍と、将軍ほどではないにせよ、軍人らしく引き締まった身体と、何より軍屈指の頭脳を誇るというウルリック副長。
副長の毒舌は標準装備にしろ、結局将軍本人も、私もミカ君も、副長の発言に「そんなことはない」とは言えなかった。
単に〝カフェ・キヴェカス〟自慢のチーズケーキとアイスクリームをミカ君に食べさせてあげたいと思っただけなんだけどなぁ……?
エドヴァルドは、ウルリック副長には「護衛の任を果たすのは当然だ」とでも言うような視線を投げながらも、私には氷点下の声をぶつけてきた。
「戻ったら、じっくり説明してもらおうか」
「ははは……」
器用ですね、閣下。拒否権……なさそうですね、ええ。
エドヴァルドも、ここでこれ以上言い合っていても仕方がないとは思ったらしい。
〝カフェ・キヴェカス〟に関しては、ミカ君の他に護衛としてのウルリック副長、ヘンリ・リリアート伯爵令息にブレンダ夫人もまとめて行くのであれば――との形で、ここでは折れた。かなり不本意げな様子ではあったけれど。
カフェでは将軍が浮くだろうことは間違いないにしても、ガチガチの高位貴族オーラを振りまいているエドヴァルドも別の意味で浮く。
もしかしたら、行くのであれば自分も……くらいには思っていたのかもしれない。けれど今回は切実に、今の面子で十分だと思った。
そんなガクブル状態の私と、絶賛氷点下状態のエドヴァルドを初めて見たミカ君が、目を丸くして立ち尽くしているところに、少し離れたところでワインの仕入れの話をしていたブレンダ夫人が、こちらにやってきてくれた。
しかも扇で口元を覆い隠しつつ、今の状況を、私でもエドヴァルドでもなくミカ君からいつの間にやら聞き出したうえ、何やら残念な子を見る目になっている。
えっと……それは、誰が残念なんでしょうか、ブレンダ夫人?
そう思っている間に、ブレンダ夫人はエドヴァルドの前へとさらに歩み寄る。
「心配性の公爵閣下のために申し上げておきますけれど、元々ヘンリとミカ君と、どこかで食事をしましょうと話しておりましたのよ? そこにレイナ嬢をお招き申し上げる。その『どこか』を〝カフェ・キヴェカス〟に決めた。それでよろしいんじゃございませんこと? それ以上何かご不満でいらしたら、私がオルセン領に皆さまを招待してさしあげてもよろしくてよ?」
オルセン侯爵領への招待が嫌なら〝カフェ・キヴェカス〟で手を打て。
それをオブラートに包んだらこうなる――とでもいうような、お見事な会話術だ。
それを聞いたエドヴァルドは今度こそ、何も言わなかった。私も思わず内心で拍手を送る。
約二十年エドヴァルドが公爵家当主を務めていることを思えば、ベルセリウス将軍やブレンダ夫人にしてみれば、エドヴァルドが持つ苛烈さはある程度想定の範囲内だろうし、軍の副長であるウルリックも、エドヴァルドへの耐性はしっかりと身に付いているはずだ。
エドヴァルドも暴君という訳ではないので、キチンとした裏付けがあれば、そう文句は言わない。
ただ、彼の持つ魔力に圧倒されない胆力が必要というだけなのだ。
これまで好き勝手に諸領を周遊していたヘンリ青年が何くれとなくミカ君の面倒を見始めたことで、リリアート伯爵領の後継者としてそろそろ落ち着かせようかと、王都滞在中の今、ブレンダ夫人も加わっての実地教育が日々繰り広げられているらしい。
その一環でカフェに集まるだけだと言えば、エドヴァルドだって拒否はしづらい。
ハルヴァラ伯爵家の家令・チャペックだけでミカ君を教育するにはいずれ限界が出ただろうことを思えば、この三人が繋がったことは、確かにいい方向に向かっていると言える。
だからこそエドヴァルドもブレンダ夫人に強くは出られずにいるのだ。
エドヴァルドが黙ったのを確認して、ブレンダ夫人がさらに言葉を付け足す。
「あと、そのチョコレートカフェ、フォルシアンのチョコレートをふんだんに使用することでも有名な店舗ですわよね? レイナ嬢のことですから、ユルハ伯爵領のシーベリーや何かと組み合わせられないかと、調べに行かれたんじゃなくて?」
――ブレンダ夫人。本当に、女傑と呼ぶに相応しい御方です。拝んでもいいですか。
私はブンブンと、首を縦に振った。
そう言えば、セルヴァンもそれを前面に出しておけと力説していたことを思い出す。
「あ、あのっ、私の国では、丸く固めたチョコの中にワインの入った〝ボンボンショコラ〟っていうお菓子があったので……ワインもそうですけど、シーベリージャムもチョコに入れられるんじゃないかな……とか……思って……」
途中からエドヴァルドが、怒りの矛先を逸らされたのが見て取れた。
それに、噛み噛みで言った私の言葉には、ブレンダ夫人も「あら」と、かなり驚いたようだった。
「チョコレートの中にワインを注ぐことが出来るの?」
「ええっと、売られていたのを見たことがあるだけなので、詳しい作り方とかは知らないんです。それにチョコレートの加工自体、フォルシアン公爵領で特許権をお持ちだと聞いたので、それなら独自の特産品として考えるのは難しいなと諦めたと言いますか……」
「落としどころさえ揉めなければ、異なる公爵領同士で手を取り合うことは可能でしょうに。現にスヴァレーフなんかは、栽培法とはいえ特許権を共同名義にしているんですから」
「……そう言われれば……」
さすがブレンダ夫人、自領以外のところも基本は把握している。
が、その後の行動までは、想定外だった。
「さ、善は急げ、フォルシアン公爵閣下の所へ参りましょう」
「えっ、ええっ⁉」
いきなり腕を取られた私は思わずエドヴァルドを見た。けれど彼も唖然としていて、ブレンダ夫人を止めそびれたようだった。
ブレンダ夫人が嫣然と笑う。
「公爵様は、あちらのユルハ伯爵様をお連れくださいます? シーベリーソースは確かにこれからのお話になりますけれど、ジャムは少量生産ながら既にあると以前に伺ったことがございますわ。この際一緒に巻き込まれていただきましょう。イデオン公爵領のためになるかもしれないお話、まさか検討もせず廃してしまうようなことはなさいませんわよね?」
「――夫人」
ブレンダ夫人の声に真剣味を感じ取ったエドヴァルドも、私的感情は抑え込まざるを得なかったようだ。
まさか今別れたところで、また引き返す羽目になるとは思わなかった。
「……ちゃんと話すのは夜にしよう、レイナ。ブレンダ夫人の行動力もそうだが、貴女の無自覚の産物もとめどないな。これ以上話がまとまったら、ヤンネが過労死しそうだ」
戻ったらじっくり、が夜になった。
私の寿命は延びたのか縮まったのか……うん、今は忘れよう。
「おや、レイナ嬢。チョコレートの買い忘れでも? ――ああ、そちらオルセン侯爵夫人かな。王都に出ていらっしゃるのは、ずいぶんと久しぶりなのでは?」
あっという間にフォルシアン公爵のもとまでたどり着く。
店舗までは私を引きずる勢いだったものの、いざ、フォルシアン公爵を目の前にすると、ブレンダ夫人の礼は、さすが淑女の礼だった。
「ご無沙汰しておりましたわ、フォルシアン公爵閣下。色々と手続きや仕事の話があって、今回は息子を領地に置いてまいりましたの。閣下にもお時間を頂戴したいのですけれど、今、よろしいでしょうか?」
「今? というと、我が領の、このチョコレートに関する話で合っているかな? 申し訳ないが、それ以外の話なら、また後日としかお答えしかねるが」
「もちろん、そちらのチョコレートに関する話でございますわ。私どもからお願いをして、新たな商品の試作が可能かどうかを伺いたいと思いましたの」
「……ほう」
私から見たフォルシアン公爵の印象は、やっぱり四十代とは思えないほどにチャラい印象が先に立つ。そうはいっても決して仕事が出来ない印象はなく、むしろ見た目の下に本心を埋もれさせている感がヒシヒシとしていた。
この時も、目の奥は笑っておらず、こちらの真意を測ろうとする姿が窺い知れた。
「とりあえずこの店舗の裏側へ回ってもらおうか。概略を聞いて、可能と思えばカフェの職人に話を通したり、後日詳しい話を詰める時間を改めて設けたりすることは、やぶさかではないよ」
「ありがとうございます」
私とブレンダ夫人が、一礼してフォルシアン公爵の後に従ったところで、ユルハ伯爵を連れたエドヴァルドが追い付いてきた。
「イデオン公、そちらも試作話の関係者かな」
ああ、とシンプルに答えたエドヴァルドの隣で、小柄なオレンジ色の髪を持つ壮年の男性が慌てて礼をとった。ユルハ伯爵だ。
南天にも似た植物であるシーベリーをはじめ、ベリー系の果物を主に産出しているユルハ伯爵領は、ちょうど収穫期にあたっていたとのことで、伯爵自身も式典ぎりぎりの到着だった。
先にシーベリーだけが届いていたので、ガーデンパーティーの際にはジュースにしてみたりソースにしてみたりと、伯爵よりも先に披露する形になっていた。
その際ジュースに関しては、ブレンダ夫人のお眼鏡にも適っていたようで、パーティーの途中で「自分で味の調節を出来るようにするか、味を決めるなら顧客年齢層を絞って展開したらどうか」とアドバイスまで貰っていた。
シーベリーのジュースはそのままだと酸味が強かったので、砂糖を入れたり牛乳割りにしてみたりと、ウェルカムドリンクとして出していたのだ。
加えて南天に似た見た目をしていることを思えばシーベリーも染料になるんじゃないだろうかと、ふと思いついた。
そこまでしてようやく、望む情報は得られそうにないということを王子も理解してくれたようだ。
もしかするとエドベリ王子、こめかみを痙攣らせるどころか、こちらを睨むくらいはしていたかもしれない。
けれどエドヴァルドを取り巻く冷ややかな空気に比べたら、なんの怖さも感じないあたりが摩訶不思議だった。
「レイナ」
「……はい」
下げたままの視界の先に「軍神の間」を出る王子の姿は見えていた。それは分かっていたものの、どうしよう、頭を上げるのがとてもとても怖い。
頭を上げるタイミングを完全に失ってしまった。
「もういいから、頭を上げるんだ」
「……はい」
言われてようやく体勢を元に戻したけれど、エドヴァルドの不機嫌さは収まっていない。
「言いたいことは分かるな」
「えっと……多分」
エドヴァルドはまだ、自国の王と隣国の王子が不謹慎とも言える「賭け」を既に始めていることを知らない。
とはいえ、ギーレン国に渡った後、オーグレーン家を継ぐことを勧められるかもしれないというのは既に仄めかされている。それに加えてエドベリ王子がシャルリーヌを連れ戻したいと思っているのは真実だと、今の王子の態度で察したはずだ。
その上で、その両方の目的を達成するための最大の障害は、実は「私」だ――と、王子が思い込むような話し方を私がしたことにも気が付いたのだ。
銀相場を揺さぶってレイフ殿下に圧力をかけて、王宮内での揉め事から遠ざけたはずの私が、別の側面から再び渦中に戻ってきていることに、多分彼は怒っている。
「私がアンジェスを空ける間に、狙われでもしたらどうするつもりなんだ……!」
まさかそうしてもらわないと、私が国王陛下に対して身動きを取れない――なんてことは言える訳がない。
「それは……」
いっそ「陛下がなんとかしてくださいます」とか、軽い調子で言ってしまえたらどれほど楽か。
いや、言ってみてもいいのだけれど、多分胡乱な目で見られるのがオチだ。
口を開けば開くほど、エドヴァルドに対してとぼけきることは難しくなる。このままいけば、あっという間に洗いざらい吐く羽目になるだろう。
「お、お戻りまで、私が公爵邸から一歩も出なければ問題ないのでは?」
そもそも今回のこととは関係なく、私が一人でウロウロすることにいい顔をしないのだから、自ら引きこもりを宣言すれば、エドヴァルドも強く出られないのでは……?
私のそんな窮余の策は、どうやら思いがけずエドヴァルドにヒットしたようだった。
目を見開いて、こちらを凝視している。
「……自重が行方不明の貴女から、そんな言葉を聞くとは思わなかった」
「そこまで言わなくても……」
「胸に手を当てて、よく考えた方がいい。だがしかし……それなら、私も許容は出来る」
セルヴァンとファルコに言っておけば、当面はなんとかなるか……? と呟いているあたり、結構本気な気がする。
え、行き過ぎて監禁エンドみたくなるのはさすがに御免被りたいのですが。
いや、エドヴァルドがギーレンに行ってしまえば後はなんとでもなるから、今は納得してもらう方が先……?
そんなことを考えていると、ふと聞き覚えのあるチャラ……ゴホン、親しみがこもった声が、こちらへとかけられた。
「いやはや、世に名だたる〝鉄壁宰相〟も、好いた女性の前では形無しかな? 妻との若い頃を見ているようだ。心配でどこにも行かせたくない。いや、青いね」
この状況下で声をかけられる胆力が凄い。
そう思いつつ声の主を探すと、少し先にあった店舗の前で、予想通りの声の主、フォルシアン公爵がヒラヒラと片手を振っていた。
「どうかなレイナ嬢、我が領のチョコレート製品を見て行かないかい?」
エドヴァルドから怒涛の反論を喰らう前に、さっさと自領製品の紹介に話をもっていくあたり、それはそれで見事な会話術だと思うし、私にとってもそこは有難かった。
「ぜひっ!」
今の話を有耶無耶にする絶好の機会だ。渡りに船とばかりに、足早に店舗へと足を向けた。
「あの、まさか普段から公爵様ご自身で営業活動を?」
エドヴァルドの舌打ちは聞かなかったことにしておく。そこはフォルシアン公爵も同じだったようで、私の方を向いたまま「いやいや」と、笑った。
「それこそ『まさか』だよ。何せ今日の『ロッピア』が突然の話だったから〝ヘンリエッタ〟の菓子職人連中と相談して、開発途中の商品を多めに持ち込ませたんだ。こういう場でなら、上位貴族から王都の一般市民に至るまでの反応が直に確かめられるだろう? 主にその確認だ。もちろん、定番チョコも持ってきてあるから、ぜひたくさん買ってもらいたいね」
そう言ってフォルシアン公爵が軽く片目を閉じるものだから、つられた周りのご婦人方が、チョコレート製品を覗きに店舗に吸い寄せられている。
さすがは、国宝級イケメンランキングにアダルト部門があれば、ぶっちぎりそうなくらいの容貌を持つ金髪碧眼の公爵閣下だ。結果的に、見事な営業をしている。
「ああ、そうだ。今あそこでイデオン公爵領下の小さな伯爵令息の、一生懸命な営業に耳を傾けているのが、ウチの娘と婚約者殿だ。茶会のこともあるし、紹介をしておこう」
ここまで、まったくエドヴァルドに文句を言わせないままスタスタと前を歩いて行くのだから、さすが五公爵の一人と言うべきか。
いつ、茶会が既定の話に……と不本意げなエドヴァルドに、私は乾いた笑いを洩らすしかない。
確かに、社交辞令として片付けられても不思議じゃなかったし、むしろエドヴァルドはそのつもりだったに違いない。
「いい器はあったかい、ユティラ?」
「お父様!」
金髪ハーフアップのロングヘアの美少女が、名前を呼ばれて振り返る。
その隣で黙礼をする茶髪の青年が、婚約者だろうか。
「あっ、レイナ様!」
それにつられるかのように、美少女と青年相手に熱心に話しこんでいたミカ君の顔が、パッと輝いた。
「こんにちは、ハルヴァラ卿。白磁器の宣伝は順調ですか?」
一応初対面の人たちを間に挟んでいるので「ミカ君」呼びは控えた。
察したミカ君も、はい! と、背筋を伸ばした。
「こちらのアムレアン侯爵令息様とフォルシアン公爵令嬢様に、色々とお話をさせていただいてました!」
「まあ、そんなにかしこまらなくていいのよ?」
「そうだね。僕たちは君と同じで、当代を名乗る者ではないからね」
ニコニコと微笑ってミカ君を見ている二人からは、悪役的なオーラは感じない。
「ユティラ、レクセル君。いい機会だから紹介しておくよ。彼女がレイナ・ソガワ嬢。当代聖女の姉君だ。異国の出で、この国での縁が薄いそうだから、ぜひ我が家の茶会にお招きして、交流を深めるのがいいだろうと、そんな話になったのは、この前話しただろう?」
「ええ、お父様。まあ、ではこちらの方がそうですのね? 初めてお目にかかりますわ。私、フォルシアン公爵が娘ユティラと申します。我が公爵家自慢のアフタヌーンティー、近々ぜひ味わいにいらしてくださいませ」
リアルお嬢様!
なんというか……トゥーラ・オルセン侯爵令嬢との格の違いを感じます、ええ。
フォルシアン公爵ゆずりと思われる金髪ではあるけれど、容貌はそっくりとまでは言えない。母親似なのかもしれない。公爵の隣に並んでも見劣りしない美魔女であるような気しかしないけれど。
そんなユティラ嬢の礼儀作法のお手本のようなカーテシーに、私も慌てて礼を返した。
「ご紹介いただきましたレイナ・ソガワです。過分なご挨拶をありがとうございます。まだこの国の作法には不慣れな部分もございますので、今しばらくはお目こぼしくださればと存じます。私のことはレイナとお呼びくださいませ。名乗れる程の家名ではないものですから」
「レイナ様ですわね。では私のこともどうかユティラと」
「もったいないお言葉です、ユティラ様」
とりあえず、お茶会前の第一歩としてはまずますだろうか。
次に青年へ目を向けると、彼も柔らかく笑みを浮かべた。
「私はアムレアン侯爵家長子レクセル、ユティラ嬢の婚約者です。フォルシアン公爵邸に行かれる機会がこの先増えるようでしたら、いずれ邸宅でお会いすることもあろうかと」
ユティラ嬢の後ろに控えるように立っていた彼は、フォルシアン公爵父娘に比べると、髪もこげ茶色といった感じで、華やかさには欠けるかもしれない。
それでも、真意の読み取れない笑顔は公爵そっくりで、さすが娘の夫として認められただけのことはありそうだった。
「レイナ・ソガワです。ご婚約中とのこと、誠におめでとうございます。ユティラ様のところでお会いしました際には、どうぞよろしくお願いいたします」
後でエドヴァルドから聞いたところによれば、アムレアン侯爵家は、フォルシアン公爵領傘下貴族の中で最大のカカオ産出量を誇り、チョコレートと言えばフォルシアンと言われるほどのクオリティを裏で支える、最大の功労者たる一族だということだった。
そこの次期侯爵の立ち位置ということは、フォルシアン公爵家にとって決して格下に嫁がせるという意味は含んでいないんだそうだ。
「それでユティラ、店に置けそうな器はあったのか?」
「ええ、お父様! こちらやこちらなんかでしたら〝ヘンリエッタ〟のホットチョコレートに特に合うのではないかと!」
そもそも〝ヘンリエッタ〟はフォルシアン公爵が、チョコレート好きの子供だったユティラ嬢のために、母親である先代公爵夫人と企画を練り、食べたい時に食べに行けるような店舗をと考えて出店したんだそうだ。
ユティラ嬢が成人して婚約者も決まったほどの年齢になってからは、カフェのメニューや内装にユティラ嬢の意見が取り入れられたりもしているらしい。
私が改めて、ホットミルクに溶かす「スティックチョコ」を称賛すると、殊のほかユティラ嬢には喜ばれ、お茶会は必ず開きますからと、決意も新たに宣言されてしまった。
「……フォルシアン公。今更茶会そのものを止めはしないが、ひと月は間を置いてもらいたい。エドベリ殿下を送り届けた後、私がしばらく公務を外れる旨、通達はあったかと思うが」
エドヴァルドの含みを持たせる声に、フォルシアン公爵もその裏にある事情を思い出したようだった。
「ああ……そうだ、そうだった。何、正式な手順に則れば、そのくらい先の予定にはなるだろう」
そのまま公爵は、ミカ君の方へと向き直る。
「ハルヴァラ伯爵家のミカ殿……だったかな? 私はフォルシアン公爵家当主イェルム。王都にあるチョコレートカフェ〝ヘンリエッタ〟の経営者でもある。娘の言うカップとソーサーを、まずは一客ずつ貰えるかな。後日〝ヘンリエッタ〟の菓子職人や従業員たちと協議して、店で使うとの結論になったらば、改めて数を含めて連絡をさせてもらおう」
「はい、ハルヴァラ伯爵家長子ミカです! 一客ずつのお求めですね、ありがとうございます! もしカフェの皆さまにもお認めいただけました際には、ご連絡お待ちしています!」
うんうん、営業は順調なんだね、ミカ君。
多分、この『ロッピア』もそうだけど、フットワーク軽く、色々とミカ君を案内しているヘンリ・リリアート伯爵令息の手助けによるところも大きいんだと思う。
カップとソーサーを購入したフォルシアン公爵父娘らが、場を離れてチョコレート売場の方に戻った後、ミカ君がほっとしたように、こちらを振り返った。
「レイナ様! フォルシアン公爵に買ってもらえたって言ったら、母上やチャペックもきっと喜んでくれるよね⁉」
他の公爵家当主と話すのも初めてだろうし、内心はかなり緊張していたんだろう。
多少の敬語の乱れは許容範囲だ。六歳というミカ君の年齢を考えれば、誰も揚げ足は取るまい。
「お疲れ様、ミカ君。リリアート卿は? さっきまで一緒じゃなかった?」
「あ、ヘンリさんは今、別のお店に売り込み中! ハルヴァラの器も一緒に持っていってくれてるよ!」
「そっかぁ……ずいぶんとリリアート卿とは仲良くなれたんだね」
「うん、そうなんだ!」
ニコニコと笑うミカ君。
彼は一人で来たなりに、領のために成果を上げて帰ろうとしているようだ。
……短期間の成長ぶりに、ちょっと複雑な気分がするくらいに。
「ねぇねぇレイナ様、キヴェカスさん家のカフェ、いつ行けそう? ヘンリさんとブレンダ様からも食事に誘われているから、お返事しないといけなくて!」
ちょっと迷って悩んでいるように小首を傾げるミカ君が可愛すぎる。
「あ、そうなんだ? そうね、じゃあ――」
「――は?」
ただ、そんな微笑ましい気持ちは、エドヴァルドの地の底まで落ちた氷点下ボイスで吹き飛んでしまった。
「レイナ……チョコレートカフェの話も有耶無耶になっていたはずだが……今度はキヴェカス家のカフェがどうしたって……?」
「……えっと」
実は既に〝カフェ・キヴェカス〟には、イデオン公爵領防衛軍のウルリック副長の付き添いで行こうと、ミカ君と話がまとまっている。
防衛軍の長たるベルセリウス将軍は、滞在中王都警備隊に稽古をつけることを頼まれているそうなので、それはむしろそっちの方がいいだろうとの話にもなっていた。
今日明日行くという訳でもないだろうから、エドヴァルドには、ギーレンから戻ってきた後で、行く当日の朝食の席ででも「今日の予定」として言っておけばいいかな……くらいに思っていたのが、どうやらまずかったらしい。
「お館様、私がちゃんと護衛の任を務めますのでご安心ください。将軍がカフェになど行ったら、ただの営業妨害ですから」
対応に困った私を見かねたのか、今回の式典にミカ君の付き添いも兼ねて来ているベルセリウス将軍とウルリック副長が、いつの間にやら私たちのすぐ近くに姿を現していた。
身長一九〇センチ越え。軍で鍛えまくったその体格もあり、毎年訓練だと言ってはイデオン公爵邸の庭を破壊しているほどの将軍と、将軍ほどではないにせよ、軍人らしく引き締まった身体と、何より軍屈指の頭脳を誇るというウルリック副長。
副長の毒舌は標準装備にしろ、結局将軍本人も、私もミカ君も、副長の発言に「そんなことはない」とは言えなかった。
単に〝カフェ・キヴェカス〟自慢のチーズケーキとアイスクリームをミカ君に食べさせてあげたいと思っただけなんだけどなぁ……?
エドヴァルドは、ウルリック副長には「護衛の任を果たすのは当然だ」とでも言うような視線を投げながらも、私には氷点下の声をぶつけてきた。
「戻ったら、じっくり説明してもらおうか」
「ははは……」
器用ですね、閣下。拒否権……なさそうですね、ええ。
エドヴァルドも、ここでこれ以上言い合っていても仕方がないとは思ったらしい。
〝カフェ・キヴェカス〟に関しては、ミカ君の他に護衛としてのウルリック副長、ヘンリ・リリアート伯爵令息にブレンダ夫人もまとめて行くのであれば――との形で、ここでは折れた。かなり不本意げな様子ではあったけれど。
カフェでは将軍が浮くだろうことは間違いないにしても、ガチガチの高位貴族オーラを振りまいているエドヴァルドも別の意味で浮く。
もしかしたら、行くのであれば自分も……くらいには思っていたのかもしれない。けれど今回は切実に、今の面子で十分だと思った。
そんなガクブル状態の私と、絶賛氷点下状態のエドヴァルドを初めて見たミカ君が、目を丸くして立ち尽くしているところに、少し離れたところでワインの仕入れの話をしていたブレンダ夫人が、こちらにやってきてくれた。
しかも扇で口元を覆い隠しつつ、今の状況を、私でもエドヴァルドでもなくミカ君からいつの間にやら聞き出したうえ、何やら残念な子を見る目になっている。
えっと……それは、誰が残念なんでしょうか、ブレンダ夫人?
そう思っている間に、ブレンダ夫人はエドヴァルドの前へとさらに歩み寄る。
「心配性の公爵閣下のために申し上げておきますけれど、元々ヘンリとミカ君と、どこかで食事をしましょうと話しておりましたのよ? そこにレイナ嬢をお招き申し上げる。その『どこか』を〝カフェ・キヴェカス〟に決めた。それでよろしいんじゃございませんこと? それ以上何かご不満でいらしたら、私がオルセン領に皆さまを招待してさしあげてもよろしくてよ?」
オルセン侯爵領への招待が嫌なら〝カフェ・キヴェカス〟で手を打て。
それをオブラートに包んだらこうなる――とでもいうような、お見事な会話術だ。
それを聞いたエドヴァルドは今度こそ、何も言わなかった。私も思わず内心で拍手を送る。
約二十年エドヴァルドが公爵家当主を務めていることを思えば、ベルセリウス将軍やブレンダ夫人にしてみれば、エドヴァルドが持つ苛烈さはある程度想定の範囲内だろうし、軍の副長であるウルリックも、エドヴァルドへの耐性はしっかりと身に付いているはずだ。
エドヴァルドも暴君という訳ではないので、キチンとした裏付けがあれば、そう文句は言わない。
ただ、彼の持つ魔力に圧倒されない胆力が必要というだけなのだ。
これまで好き勝手に諸領を周遊していたヘンリ青年が何くれとなくミカ君の面倒を見始めたことで、リリアート伯爵領の後継者としてそろそろ落ち着かせようかと、王都滞在中の今、ブレンダ夫人も加わっての実地教育が日々繰り広げられているらしい。
その一環でカフェに集まるだけだと言えば、エドヴァルドだって拒否はしづらい。
ハルヴァラ伯爵家の家令・チャペックだけでミカ君を教育するにはいずれ限界が出ただろうことを思えば、この三人が繋がったことは、確かにいい方向に向かっていると言える。
だからこそエドヴァルドもブレンダ夫人に強くは出られずにいるのだ。
エドヴァルドが黙ったのを確認して、ブレンダ夫人がさらに言葉を付け足す。
「あと、そのチョコレートカフェ、フォルシアンのチョコレートをふんだんに使用することでも有名な店舗ですわよね? レイナ嬢のことですから、ユルハ伯爵領のシーベリーや何かと組み合わせられないかと、調べに行かれたんじゃなくて?」
――ブレンダ夫人。本当に、女傑と呼ぶに相応しい御方です。拝んでもいいですか。
私はブンブンと、首を縦に振った。
そう言えば、セルヴァンもそれを前面に出しておけと力説していたことを思い出す。
「あ、あのっ、私の国では、丸く固めたチョコの中にワインの入った〝ボンボンショコラ〟っていうお菓子があったので……ワインもそうですけど、シーベリージャムもチョコに入れられるんじゃないかな……とか……思って……」
途中からエドヴァルドが、怒りの矛先を逸らされたのが見て取れた。
それに、噛み噛みで言った私の言葉には、ブレンダ夫人も「あら」と、かなり驚いたようだった。
「チョコレートの中にワインを注ぐことが出来るの?」
「ええっと、売られていたのを見たことがあるだけなので、詳しい作り方とかは知らないんです。それにチョコレートの加工自体、フォルシアン公爵領で特許権をお持ちだと聞いたので、それなら独自の特産品として考えるのは難しいなと諦めたと言いますか……」
「落としどころさえ揉めなければ、異なる公爵領同士で手を取り合うことは可能でしょうに。現にスヴァレーフなんかは、栽培法とはいえ特許権を共同名義にしているんですから」
「……そう言われれば……」
さすがブレンダ夫人、自領以外のところも基本は把握している。
が、その後の行動までは、想定外だった。
「さ、善は急げ、フォルシアン公爵閣下の所へ参りましょう」
「えっ、ええっ⁉」
いきなり腕を取られた私は思わずエドヴァルドを見た。けれど彼も唖然としていて、ブレンダ夫人を止めそびれたようだった。
ブレンダ夫人が嫣然と笑う。
「公爵様は、あちらのユルハ伯爵様をお連れくださいます? シーベリーソースは確かにこれからのお話になりますけれど、ジャムは少量生産ながら既にあると以前に伺ったことがございますわ。この際一緒に巻き込まれていただきましょう。イデオン公爵領のためになるかもしれないお話、まさか検討もせず廃してしまうようなことはなさいませんわよね?」
「――夫人」
ブレンダ夫人の声に真剣味を感じ取ったエドヴァルドも、私的感情は抑え込まざるを得なかったようだ。
まさか今別れたところで、また引き返す羽目になるとは思わなかった。
「……ちゃんと話すのは夜にしよう、レイナ。ブレンダ夫人の行動力もそうだが、貴女の無自覚の産物もとめどないな。これ以上話がまとまったら、ヤンネが過労死しそうだ」
戻ったらじっくり、が夜になった。
私の寿命は延びたのか縮まったのか……うん、今は忘れよう。
「おや、レイナ嬢。チョコレートの買い忘れでも? ――ああ、そちらオルセン侯爵夫人かな。王都に出ていらっしゃるのは、ずいぶんと久しぶりなのでは?」
あっという間にフォルシアン公爵のもとまでたどり着く。
店舗までは私を引きずる勢いだったものの、いざ、フォルシアン公爵を目の前にすると、ブレンダ夫人の礼は、さすが淑女の礼だった。
「ご無沙汰しておりましたわ、フォルシアン公爵閣下。色々と手続きや仕事の話があって、今回は息子を領地に置いてまいりましたの。閣下にもお時間を頂戴したいのですけれど、今、よろしいでしょうか?」
「今? というと、我が領の、このチョコレートに関する話で合っているかな? 申し訳ないが、それ以外の話なら、また後日としかお答えしかねるが」
「もちろん、そちらのチョコレートに関する話でございますわ。私どもからお願いをして、新たな商品の試作が可能かどうかを伺いたいと思いましたの」
「……ほう」
私から見たフォルシアン公爵の印象は、やっぱり四十代とは思えないほどにチャラい印象が先に立つ。そうはいっても決して仕事が出来ない印象はなく、むしろ見た目の下に本心を埋もれさせている感がヒシヒシとしていた。
この時も、目の奥は笑っておらず、こちらの真意を測ろうとする姿が窺い知れた。
「とりあえずこの店舗の裏側へ回ってもらおうか。概略を聞いて、可能と思えばカフェの職人に話を通したり、後日詳しい話を詰める時間を改めて設けたりすることは、やぶさかではないよ」
「ありがとうございます」
私とブレンダ夫人が、一礼してフォルシアン公爵の後に従ったところで、ユルハ伯爵を連れたエドヴァルドが追い付いてきた。
「イデオン公、そちらも試作話の関係者かな」
ああ、とシンプルに答えたエドヴァルドの隣で、小柄なオレンジ色の髪を持つ壮年の男性が慌てて礼をとった。ユルハ伯爵だ。
南天にも似た植物であるシーベリーをはじめ、ベリー系の果物を主に産出しているユルハ伯爵領は、ちょうど収穫期にあたっていたとのことで、伯爵自身も式典ぎりぎりの到着だった。
先にシーベリーだけが届いていたので、ガーデンパーティーの際にはジュースにしてみたりソースにしてみたりと、伯爵よりも先に披露する形になっていた。
その際ジュースに関しては、ブレンダ夫人のお眼鏡にも適っていたようで、パーティーの途中で「自分で味の調節を出来るようにするか、味を決めるなら顧客年齢層を絞って展開したらどうか」とアドバイスまで貰っていた。
シーベリーのジュースはそのままだと酸味が強かったので、砂糖を入れたり牛乳割りにしてみたりと、ウェルカムドリンクとして出していたのだ。
加えて南天に似た見た目をしていることを思えばシーベリーも染料になるんじゃないだろうかと、ふと思いついた。
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