聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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4巻

4-2

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 そんなこんなで、出来る限り遠ざかっておきたい心理が働いて、ベアトップのロングドレス、胸元から二の腕までをカバーするレース素材のボレロにいたるまでが青一色となったドレスを受け入れた――訳なんだけど!
 たまたま入口でばったりと会った、コンティオラ公爵一家、主に奥様とお嬢様の愕然とした眼差しに、さすがの私も色々と察してしまった。
 紹介された訳でも立ち話をした訳でもなかったけれど、コンティオラ公爵に関しては、先だってイデオン公爵邸でポテチ――もといスヴァレーフの素揚げを振る舞った際に顔を合わせていたので、すぐに分かった。
 今すぐ倒れても、誰も驚かないであろう目の下の濃すぎるほど濃いクマが特徴的な人なのだ。
 サンテリ領の領主と共に、パリパリと異世界版ポテトチップスを食べている姿は相当にシュールだった。
 イデオン公爵領下のエッカランタ伯爵領と協力体制をとって、ブランドジャガイモによるポテトチップスを地域の名産にしようという話になっていたのも記憶に新しい。
 たかがポテチ、されどポテチ。コンティオラ公爵なんかはちょっとくらいふくよかになってもいいと思うけど、エッカランタ伯爵やサンテリ伯爵は、逆に食べ過ぎ注意だ。
 何せそれくらいの食べっぷりだった。
 とりあえず今回の『ロッピア』にはポテチは登場しないので、エドヴァルドも軽く片手を上げただけだし、コンティオラ公爵も目礼を返すだけだ。
 ただそんな中でも奥様と娘さんの視線が痛いんですが、閣下。そうですか、無視ですか。

「……弾除けがここでも必要だったのなら、あらかじめ仰ってくださいませんか」

 歩きながら、私がちょっと恨めしげにエドヴァルドを見ると、わずかに口元をほころばせた……と言うよりは、だいぶ黒い微笑みを返されてしまった。

「そろそろ、青のドレスを着ることが周囲にどういった印象を与えるか、貴女なら理解出来ただろう」
「心構えの問題です」
「なるほど」
「それで、コンティオラ公爵家のご令嬢以外にも睨んできそうな方っていらっしゃるんですか?」
「……アルノシュト伯爵夫人が過去に持ってきた釣書など見てもいないから、なんとも言えないな」

 言葉だけを聞いていると、まるで女性の敵みたいな酷い話とも受け取れる。
 私が苦笑していると、一応「知らん」で済ませるのもあんまりだと思ったのか、エドヴァルドが思い返すように宙に視線を投げた。

「他の四公爵家の中では、コンティオラ家の令嬢以外、相手が決まっている。それ以外に何かを言い始める家があれば、すぐさま公爵家に対しての不敬罪となって我が身に跳ね返るから、誰であれ遠巻きに眺めているしかないはずだが」
「……そういうのは、お花を摘みに行った時とか、意図的にお互いに話しかけられて引き離されるとか、裏で仕掛けられるのがお約束だと思うんですけど」

 まさかホイホイとこの広間の外におびき出されたりはしないけれど、お手洗いで婚活中の意地悪令嬢数名に取り囲まれるなんていうのは、物語のお約束だ。
 誰か親しい令嬢でもいればエドヴァルドが離れた時でも安心なのだろうけど、今のところ私には、シャルリーヌ・ボードリエ伯爵令嬢くらいしか思い浮かばない。

「……もしもの時は、ブレンダ夫人に頼もう」

 困惑交じりにエドヴァルドが呟いたところを見ると、多分、肉食令嬢がたの執念をちょっと甘く見ていたんだろうなと思う。
 ぜひ、と私は答えてそのまま「軍神テュールの間」へと歩いた。

「うわぁ……」

 広間の中は、既に喧騒に包まれていた。
 やはり青空市場というよりはヨーロッパで見かけるのみいちあるいはマルシェに近い雰囲気がある。
 雑貨に布地に日用品……取り扱われていないのは、生の食料品くらいじゃないだろうか。

「これが月に一度開かれているんですか?」
「ああ。興味があるなら、また来ても構わないが」
「そうですね、楽しそうです」


 キョロキョロと広間を見渡す私を見るエドヴァルドの目は、ちょっと意外そうだった。

「何か欲しい物があるなら、公爵邸に商人を呼べばいい」
「いえ、今すぐ何か欲しいかと言われても困るんですよね。公爵邸って大抵のものがありますから。そういうことじゃなくて、変わったデザインだなぁ……とか、見たことない物があるなぁ……とか、視覚でも楽しみたいって感じですかね。買うかどうかは二の次です」
「視覚で楽しむ?」
「視察とか見学とかって言い換えた方がいいですか? でもそれってだいぶ堅苦しいじゃないですか」

 そこまで言えば、どうやらうっすらとだけれど、に落ちたらしい。
 うん、ウィンドウショッピングが女子の楽しみなんて、言ったって一生分からないだろうしね。

「なら、今日は何も買わないのか?」
「それは何とも。品物の方から『私を買って』って主張があるかもしれませんし」
「なんだそれは」
「一目惚れする品物があるかもしれないってコトですよ」
「それも貴女の国の言い回しか? ……面白いな」

 多分、エドヴァルドが珍しく微笑わらったんだろう。
 私の目はその時雑貨を向いていたんだけど、周囲の驚愕の空気で、なんとなく分かった。
 一挙一動が人の目を惹く人だな、と思いながら私はエドヴァルドを見上げる。

「ちなみに何か買った時の支払いって……」
「基本的に『ロッピア』の中で現金のやりとりはない。店側は、売れた品物の帳簿を王宮の経理に出して、そこでまとめて売り上げを受け取るんだ。王宮勤めならば次の給金から差し引かれるし、王宮外の貴族であれば、後日請求書が王宮から送られて、その場で使者に手渡す手筈だ。使者が盗めば投獄では済まされないし、渡したフリをして使者を害しても家単位で厳しく罰せられるから、今のところはその回収方法で上手く回っている。店側も、王宮の出入り時それぞれに手持ちの品を確認されるから、売り上げの虚偽申告も出来ない」

 王族の我儘に耐えて『ロッピア』を開かせただけではなく、長期的にそれが成り立つような仕組みを合わせて作った、先代宰相の優秀さが窺い知れる。
 というかアンジェス国って代々、宰相の肩にかかる比重が相当大きいんじゃなかろうか。

「へえ……」
「そんな訳だから、気に入った物があれば店主に告げるだけでいい。請求は後から公爵家に届く。無理に王宮に引っ張り出したのは私だ。特別手当と思って、気にせず買ってくれて構わない」

 実際、公爵邸に商人を呼ぶことに比べれば、こちらの値段は遥かにリーズナブルなはずだ。
 とりあえず「はい、もしあれば」と私も微笑んで答えておいた。
 そうやって中を歩いていたら、視線の先に見覚えのある姿が見えてきた。
 共にイデオン公爵領下、ハルヴァラ伯爵領の次期領主となるミカ君と、リリアート伯爵領の次期領主となるヘンリ青年だ。
 一軒のお店の前で何人かのご令嬢やご婦人がたを前に、あれこれと品物をアピールしているように見える。
 特に一生懸命、白磁器を手に何か話しているミカ君を見つめる皆さんの目が、とっても微笑ましい。
 気持ちが分かります、ええ、とっても! 
 どうせなら話しかけに行こうかなと、足を向けかけたその時、エスコートをしていたエドヴァルドの手に不意に指ごと絡ませられて「レイナ」と低い声で呼びかけられてしまった。
 相変わらず、心臓に悪いバリトンボイスだ。

「はいっ⁉」
「――エドベリ殿下がこの『軍神テュールの間』に入られた。すぐにこちらに来るぞ」

 私もハッと、意識をそちらに切り替えた。
 すぐにこちらに来ると言われてしまえば、目の前の手作り石鹸を見てはいても、気がそぞろになる。
 オークやブナの木灰、オリーブ油に雨水あまみずを使うという石鹸の話は、とても興味深いのに。
 最初は銀細工でも見ていた方がいいかと思ったら、エドヴァルドに「今以上、無闇に刺激をするな」と止められたのだ。
 そういえば、銀相場に関してはエドヴァルドが陰から何やら動いて相場を揺さぶったと聞いたような……そのせいでレイフ殿下の手元の資金がほぼ枯渇して、クーデターを起こせなくなったと。
 それはそうだ。お金がなければ配下の兵士だって養えない。殿下の持っていた特殊部隊は事実上の解散状態になったらしいし、だからこそトーカレヴァ・サタノフは王宮護衛騎士として再就職していたのだから。
 そんな相場が不安定な状態の銀を扱うお店の前での立ち話は、確かに各方面を煽っていると受け取られても不思議じゃない。
 国王陛下が「宰相が無断でオモチャを取り上げた」などと拗ねていたくらいなのだから、尚更だ。
 そしてゲーム〝蘇芳戦記〟のシナリオを思えば、恐らくエドベリ王子暗殺からの流れによる処刑バッドエンドルートは、特殊部隊の解散と共に消滅している。
 その点は喜ぶべきことだ。けれどそのせいでエドヴァルドが、亡命ではないにせよ聖女と共にギーレンに渡航するルートが開かれてしまった。他ならぬ陛下の「賭け」によって。
 これで帰国出来ないとなれば、出国の経緯はどうであれ、亡命エンドをなぞるようなものだ。
 ゲーム上の亡命エンドは、エドヴァルドがギーレンで権力を持つことを嫌った勢力による暗殺に繋がる完全なバッドエンドだ。そしてアンジェスルートのヒロインである「聖女」もそこに思い切り巻き込まれる。
 やっぱりゲームの強制力が働こうとしているのだろうか……?
 今の聖女である舞菜とエドヴァルドが手に手を取って国を出ることは有り得ないと思ったからこそ、私がなんとかしなければと、イデオン公爵領各領主との横の連携をはかって亡命から暗殺への流れを潰そうとしたのに。
 亡命ではないけれど、明日、エドヴァルドは舞菜と国を出る。
 その理由が〝転移扉〟の視察で、短期間のこととされていようとも、国を出るという事実に変わりはない。
 ――今更ギーレン行きは止められない。だったらエドヴァルドがギーレンでの地位を望んでいないことを周知させて、帰国させる方法を考えないと。
 たかが一泊、などと油断してはいけない。相手は王族。帰国を足止めさせる方法なんていくらだってあるだろうから。
 石鹸を見ながら、そんなことをつらつらと考えていた時だった。

「……こちらの石鹸は、デザイン性に富んだ物が多いようだ。とても興味深い」

 昨日真横で聞いたテノールボイスが再び近くに聞こえてくる。
 私は無言で、貴人に対し場所を譲るのだと、周囲にも分かるよう一歩引いてカーテシーを見せた。
 気のせいじゃなく、お店の周りにいた人たちも遠まきになっている。
 ――うん、思い切り営業妨害ですね、ごめんなさい。
 内心で呟きながらも、表面的にはうやうやしく頭を下げていると、さらに白々しい声がかけられる。

「これはこれは……聖女の姉殿では?」
「……っ」

 そもそもくだんのお相手は、私との会話をお望みなのだ。結果、さも「今誰だか気が付いた」みたいにこちらに声をかけてくることになる。
 猿芝居。あるいは茶番ともいう。
 初めから騒ぎになるだろうことは想定していて、偶然の出会いに際して銀細工の店は避けた。
 ただよく考えれば石鹸も、クヴィスト公爵領下で作られている物が最も有名だと聞いた気はした。
 過去、キヴェカス伯爵家と乳製品の産地偽装問題で裁判沙汰になったのは、クヴィスト公爵領下の伯爵家。そちらは既に取り潰しになっており、それ以降はクヴィスト公爵家自体とあまり昵懇じっこんではないとも聞き及んでいる。その辺りの深ーい事情も絡んでの今、この場所なんだろうけれど、よくよく考えてみれば、石鹸屋さん自体に罪はない。
 あとでいくつか買ってあげよう。そうしよう。

「昨晩は妹君と一曲踊らせてもらったが、その際に貴女のことを聞いたのだ。妹思いの素敵な姉だと」
「――――」

 返事をする前に、全身に鳥肌がたってしまったのは勘弁してほしい。
 妹思いの素敵な姉!
 そう見えるよう自分で誘導したにしろ、いざ面と向かって言われると、有り得なさすぎて寒気が走った。
 私は何とか顔が痙攣ひきつるのを悟られないようにと、なるべく深々と頭を下げて、再びカーテシーの姿勢をとった。

「昨晩は夜会に不慣れな妹にご厚情を賜り、感謝に堪えません。仰る通りわたくしが当代〝扉の守護者ゲートキーパー〟マナ・ソガワの姉、レイナにございます。妹が明日、貴国に伺わせていただくのを楽しみにしておりました。どうぞよろしくお願いいたします」

 一見丁寧な礼をとっているようで、実際には、妹の名をたてに自分の名前以上の情報を一切渡していない。

「……本当に、妹思いの姉殿だ」

 恐らくは、それと察したエドベリ王子の表情は、笑顔の裏で歪んでいるような気がした。
 目は口程に物を言うとは、よく言ったものだと思う。

「少し聞きたいことがあるのだが」
「では、広間の中を歩きながらでもよろしいですか? これ以上はお店の方のご迷惑かと」

 表面上はにこやかなままの私にエドベリ王子も周囲の目も加わって強く出られなかったのだろう。
 お店の店主に「大変失礼した」と声をかけて、他のお店を見て回る風を装って、歩き始めた。
 エドヴァルドは、王子の護衛と同じように、私の少し後ろに付いてくれている。

「……昨晩、聖女たる妹君から、貴女がシャルリーヌ嬢と個人的に親しいようだと聞いた」

 歩きだしてそれほど経たないうちに、前を向いたまま、エドベリ王子の方からそんな風に話を振ってきた。
 私は昨晩の聖女とは違うのだと印象づけるため、こちらはマナーを守っています、身分差のある相手にこちらからは先に口を開きません、と無言アピールをしていたのに耐えられなくなったに違いない。それだけシャルリーヌの情報を欲しているのだということが透けて見えた。
 どうやらシャルリーヌに関してだけは、上手い駆け引きが出来ないようだ。
 待ての出来ない犬ですか、王子。
 ――まあ、第一王子との婚約中から美人局つつもたせをけしかけたり、有能な側近を自分の方に引き込んだり、裏工作のつもりであからさまに足を引っぱったりしていたらしいし。
 ギーレンサイドのヒロインであるシャルリーヌは、そもそも第一王子による婚約破棄と断罪の可能性を分かっていて、自らシナリオ回避に動いていたと言っていた。多分その過程で、エドベリ王子の動きにも気付いていたんだろう。
 フラグ折りをことごとく邪魔された末に「私を選べば王妃教育も無駄にならない」では、それは激怒もするだろう。どうやら、ゲームをやっていた時点でもエドベリ王子推しじゃなかったというから、それでは顔とシチュエーションに流されることもない。
 挙句『粘着質王子』のレッテルを張り付けての国外逃亡。
 この時点で、私はエドベリ王子がシャルリーヌを連れて帰国するという、ギーレンルートでのハッピーエンドを諦めた。
 二人で手に手を取って帰国してくれれば「賭け」もなく、エドヴァルドと舞菜がギーレンに行かずに済む可能性もあったのだけれど、今となってはシャルリーヌは友達だ。無理やりギーレンに帰国させるなんてことはしたくない。
 エドヴァルドの亡命暗殺エンドルートが思わぬ形で開いたかもしれない。けれど結果論だ。
 帰国しないシャルリーヌを連れ戻したいエドベリ王子が、どうせならと一挙何得も狙い、それを阻止しようとアンジェス国の国王が腰を上げたのだ。
 その結果が〝転移扉〟の視察を絡めての「賭け」だ。
 舞菜がアンジェスではなくギーレンの聖女となるか。
 エドヴァルドがギーレン国の令嬢と結婚して、ギーレンで実父の家であるオーグレーン家を再興するか。
 それが「賭け」の中身。アンジェス国王フィルバートと、ギーレン王位継承者エドベリとの賭け。
 フィルバートがこの賭けに負ければ、エドヴァルドが戻らないことはもちろん、シャルリーヌがギーレンに連れ戻されたり、私がレイフ殿下の養女になって王宮に入ったりと、それもそれでバッドエンドともいえる道がその先に続いている。
 だから私は「賭け」が優位になるように立ち回らなくてはならない。
 もともとフィルバートが、エドベリ王子に情報の全てを明かさずにアドバンテージを握っているのだとしても、だ。
 何せ倫理が行方不明のサイコパス国王。腰を上げたといえど、途中経過を楽しむためにわざとギリギリまで動かない可能性が大。何よりあの王サマは、私が動くことまでを計算の内に入れて、事態を楽しんでいるに違いなかった。
 私も「賭け」のことは知りません、と顔に書いて話し続けなくてはならない。これは結構な苦痛だ。
 あくまで「私は、聞かれていない以上のことは話しませんよ?」という立ち位置のみを明確にして王子と相対しなくてはいけない。
 舞菜せいじょはチョロい、怜菜あねは手ごわい。昨日と今日は別人。その印象づけも大事なのだから。

「……そうですね、お茶会にお招きする程度には」

 とはいえどう考えても、シャルリーヌを諦めていないのは王子だけ。
 国王やその周辺の官吏は、恐らく「彼女の替えは利く」くらいにしか思ってはいないはず。今はギーレンには聖女ならぬ聖者がいるというし、王太子妃としても、有力貴族の令嬢は他にもいるだろうから。
 情報をかなり制限しての、明らかにアンジェスに有利となっている「賭け」。その辺り、突ける隙はあるはずだ。
 危うくため息を零しかけたところで、エドベリ王子の声にハッと我に返った。

「彼女からギーレン国の話は何か聞いたりしているのだろうか」

 エドベリ王子もどうやら「賭け」のことが頭にあるせいか、ある程度踏み込んだ話が必要と思っている風に見える。
 私は慌てて思考を目の前のやりとりに引き戻した。

「そうですね……彼女が今、男性不信に陥っているという程度には聞き及んでいます」

 パトリック元第一王子の婚約破棄騒動含め、その男性不信には貴方も入ってますよー……とほのめかせてみれば、ピクリと王子のこめかみが痙攣ひきつった。

「彼女は後ろにおられる宰相閣下との縁談があったと聞いたが……男性不信という話とは、それでは一致しないな」

 まさか、自分のことは嫌われていないとでも思っていたのだろうか。
 パトリックの失脚に裏から手を回して「私を選べば王妃教育も無駄にならない」とのたまった挙句、ドン引きしたシャルリーヌにギーレン国から出て行かれてしまったのは、彼の中では都合よく忘れ去られているのだろうか。

「国も変われば男性の考え方も変わるかもしれないと、一縷いちるの望みを抱いて出奔しゅっぽんしたのかもしれませんね」

 とりあえず、チクリと釘を刺しておこう。

「貴女が嫉妬心から縁談を潰したのではないと?」
「たかが聖女の姉に、それほどの権限はございません。恐れながら殿下におかれましては、わたくしをかなり買い被っていらっしゃるかと」

 エドベリ王子、まずはシャルリーヌに嫌われていると理解するところから始めた方がいいです。
 そんな気持ちで言うと、広間を歩き続けていたエドベリ王子の足がふと止まった。

「いや、悪気はないんだ。そうであったなら、宰相閣下のことは諦めてギーレンに戻るよう、改めて口添え願えないかと思っただけだ」

 ……それは充分悪気じゃないかと思ったのは、私だけだろうか。

「ふふ……いえ、大変失礼いたしました。もちろん、それで大切な親友が幸せになれると確実にお示しくださるのであれば、宰相閣下とのことがなくとも、喜んで口添えさせていただきます」

 エドベリ王子の表情が強張り、後ろの護衛がギョッとした表情を見せた。

「……まるで彼女がギーレンに戻っても、幸せになれないかのように聞こえる」
「まさか、とんでもございません! それだけ今、彼女が傷付いているのだとお分かりいただきたかっただけですわ。分不相応なことを申し上げました。この通りお詫び申し上げます」

 頭を下げた私の視界には、ギリリと握りしめられたエドベリ王子の拳が見えた。
 慇懃無礼? ええ、気のせいです。

「……殿下。これ以上はいらぬ噂の元となりますので、お控え願いたい。こと彼女に関しては、私の器もそれほど大きなものではないので」

 けれどエドベリ王子が何かを言う前に、私の視界にはエドヴァルドの後ろ姿が割って入ってきた。
 一応、まだ頭を上げていいとエドベリ王子からは言われていない以上、私はそのままの姿勢を保っておく。

「いらぬ噂?」
「彼女が殿下に無礼を働いて頭を下げたというだけであればともかく、その理由が、殿下が彼女を口説こうとして、彼女が拒絶をした――などと邪推されでもしたら、困るのは殿下かと」
「――――」

 エドベリ王子が息を呑んだのが、私にも伝わってきた。
 それはそうだ。
 事実はどうであれ、シャルリーヌが誤解した時点でエドベリ王子がフィルバートと交わした「賭け」そのものが台無しになりかねない。
 アンジェスの残虐王――フィルバートの魔の手から救い出す白馬の王子を気取りたいエドベリ王子に、そんな噂は致命的だ。
「賭け」を知らないはずのエドヴァルド。さすがというか、絶妙に嫌なところを突いていた。

「もっとも、そんな噂は私も許容出来ないので、ここはお互い様として収めてもらえれば僥倖ぎょうこうなのだが」
「「……っ」」

 いやいやいや! それだとこの青のドレスとの相乗効果で、タダの弾除けどころの話じゃなくなります! せっかく、いい感じの流れになっていたのに!
 ……なんてことを頭を下げた体勢で言えない私と、そう受け取った――受け取るよう誘導された――エドベリ王子それぞれが、同時に言葉に詰まってしまった。

「それと殿下、縁談は私自身が全て拒否をしていると、昨日も言ったかと」

 ブリザード! ブリザードは抑えてください⁉
 内心で冷や汗ダラダラな私に気付いた様子もなく、王子と宰相の肩書を持つ二人は、どうやらしばらく睨み合っていたようだった。

「……陛下が仰っていた通り、随分と肩入れをされておいでのようだ。姉殿も、聖女殿と共にギーレンにお誘いすることも考えたが、今回は聖女殿だけとする方がいいらしい」

 そんなに仲がいいなら、私込みでシャルリーヌを釣り上げようと思った――とかだろうか。
 王子の執念が垣間見える……
 そろそろ頭を下げたままの、この姿勢が苦しい。
 そう思っているのをさすがに察したのか、エドベリ王子の声もわずかにやわらいだ。

「どうやら性急に事を進めようとし過ぎたようだ。ただ、いずれ改めて姉殿とシャルリーヌ嬢を招きたいと思っている点は承知しておいてもらっても?」
「どうぞお戯れもそこまでに。元より明日は聖女のみを案内する予定で、ギーレン側の〝転移扉〟の見学が予定の全て。それ以上も以下もない」

 エドベリ王子は私に話そうとしているのに、それをぶった切っているのは、エドヴァルドだ。しかも「お戯れ」扱いで、話を一刀両断している。
 もう途中から、私が言葉を挟む隙がない。しかもこの機に乗じて、エドヴァルドにはオーグレーン家絡みの話は一切聞く気がないとこの場で断言すらしているのだ。
 歓迎の空気もどこへやら。
 式典と夜会の意義が台無しになっているんじゃないだろうか。

「で、では姉殿、明日は一日聖女殿をお借りしますよ。どうかシャルリーヌ嬢にもよろしく伝えてもらえるだろうか」

 明らかにエドヴァルドに気迫負けをしたエドベリ王子が、こめかみあたりを痙攣ひきつらせたまま、なんとか私の言質げんちを取ろうとあがいている。
 それでもここで私が是ともいなとも答える訳にはいかない。
 エドヴァルドの発言が、なかったことにもなりかねない。なので無言のまま、上げようとしていた頭をカーテシーで再び下げることで、明言を避けることにした。


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今回から見方が変わりました。何か一話、アルファポリス作品をレンタル頂くことで全てご覧いただけますので宜しくお願いしますm(_ _)m
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