聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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3巻

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   第一章 元王族の風格


「……今日ってコレ、必要だったのかな……」

 盛大なため息と共に姿見の前に立つ私の首回りには、昨夜また増えた赤い痕キスマークが点々と散っている。
 昨夜ソファに押し倒された私に、エドヴァルドは何度も深い口付けを繰り返し、結果呼吸困難で力が抜けた私の首回りに、問答無用で痕を増やしたのだ。
 そしてぐったりとしている私の耳元で「……すまない。ちょっと頭に血が上った。ともかく王宮の方は私に任せろ」とだけ、囁いた。
 ――ああ、もう、穴を掘って埋まりたい! そのバリトン声も反則です!!
 うっかり昨晩のことを色々と思い起こしてしまって頬が熱い。ちらりと周りを見回すと、侍女さん達の視線もどうにも生温かい。
 ただ、妹の尻拭いを避けるために必死になっていただけなのに、どうしてこうなった。
 異世界。それも、乙女ゲームでもあり戦略シミュレーションゲームでもある〝蘇芳戦記すおうせんき〟と酷似している世界。
 妹の舞菜まなが「聖女」として召喚されたその後に、私までが妹の補佐として無理矢理呼び出されてしまった。
 小さい頃からわがまま放題だった妹の尻拭いを異世界に来てまでしていられないと、私はアンジェス国宰相エドヴァルド・イデオンとの直談判の末に、この国の文字や最新の情報を勉強する代わりに王宮、そして妹からは離れて生活する権利を勝ち取ったのだ。
 その結果、イデオン公爵邸にて衣食住を保証されることになったわけなんだけれど。
 王都に居るままでは、いつまた王宮に呼び戻されるか分かったものじゃない。もう少し距離が欲しいし、いつでも独り立ち出来るようにもしておきたい。
 無駄飯喰らいの居候にはなりたくないし、一宿一飯ペースで恩は返しておこうとあれこれ動いてみたところ――

『貴女の居場所は、私の隣だ。……それ以外は認めない』

 いつの間にか宰相閣下にそう言い切られ、唇まで奪われる事態におちいっていた。
 何度でも言おう。ホントに、どうしてこうなった。
 私はただ、衣食住を保証してもらう以上は、家主であるエドヴァルドが〝蘇芳戦記〟のシナリオのように、暗殺や処刑のき目に遭うことは避けたいと、そう思って動いただけだったのだ。
 その、肝心の〝蘇芳戦記〟のシナリオを思い起こせば、現時点で隣国ギーレンでの婚約破棄騒動は既に起きていたので、エドヴァルドルートの処刑エンドは既に消滅しているはずだ。ギーレン国からゲームを始める場合のプレイヤーとなるヒロインが、既に婚約破棄の末アンジェス国に亡命してきていることからも、それは間違いない。
 ただ、エドヴァルドルートのバッドエンドはもう一ルート作られている。
 隣国での婚約破棄騒動の末に失脚した第一王子に代わって外遊に出ることになる第二王子が暗殺され、最終的には二国同時の叛乱が引き起こされるシナリオである。
 失脚したはずの第一王子と、アンジェス国王の叔父であるレイフ殿下が裏で手を組み、アンジェス国王フィルバート、宰相エドヴァルドが共に、隣国の王子暗殺という失態を追及され、王宮を追われることになってしまう。そして差し向けられる刺客の手によってたおされるエンドがそこには待ち受けているのである。
 ――そちら側のルートがまだ消滅していない以上は、私にイデオン公爵邸を出て自活をするという選択肢はない。万一シナリオの強制力が働いてしまえば、今、イデオン公爵邸の居候となっている私とて、どうなるか分からない。妹のお守りは嫌だ、などと言っているどころではなくなってしまうのだ。
 どうすれば、残るもう一つのバッドエンドを消滅させることができるのか。
 そんな今の状況をなんとか整理しつつ、何はともあれ今日の本題を隣にいる侍女長、ヨンナに確認した。

「アンディション侯爵様って、かなりお年を召していらっしゃるとか……?」

 イデオン公爵領内の侯爵領にお住まいの元王族が、今日邸宅にいらっしゃるのだ。
 しかも普段は直接来ないはずの税の報告に、今年は何故かご本人が来訪されるという。私でなくとも裏を疑いたくなるだろう。
 訝しむ私に「さようでございますね……」と、ドレスの背中の紐を手際よく結びながら、ヨンナが答えた。

「アンディション侯爵領に住まわれるようになってから、王宮行事でもない限りは公爵邸にいらしたことはなかったと記憶しております。ですから旦那様に含むところがあると言うよりも、いずれかの家門の姫君をお連れになっている可能性の方が高いのではと――」

 そう言われて、仮にも元王族の方に会うのに、赤い痕キスマークが隠されていない理由をそこで察した。
 ドレス自体はビスチェタイプのAライン、透け感の大きいレース素材の七分袖のショート丈のスタンドネックブラウスを上から纏うように袖を通してみれば、下品にならない程度にレース越しにつけられた赤い痕がチラチラと見える。敏腕ドレスデザイナーたるヘルマンさんが先手を打って仕上げてきている感が半端ない。

「本当に、才能だけは突出していらっしゃるのですよ、ヘルマン様……」

 ねじり編みにおくれ毛シニョンを合わせたヘアセットも完了して、出来上がりに驚嘆している侍女一同の感想を総括した、ヨンナの言葉がもう、全てと言って良かった。
 ただ、今回は自分がまずアンディション侯爵の出方を窺うと、エドヴァルドからは言われている。
 アンディション侯爵が一人で来ようと誰かを連れていようと、今のところ私はヨンナ曰く「武装」をした状態で、そのまましばらく待つより他はないのだ。

「侯爵って言っても、元王族のかただもんね……ちょっと緊張する」

 差し出されたカップの水に口をつけると、ヨンナが軽く背中をさすってくれた。

「家庭教師の皆さまも、こぞってレイナ様の努力を褒めていらっしゃいました。それに、とても呑み込みが早いと」
「ははは……」

 それはもう、生来の負けず嫌いと、とっとと妹から離れて自活する気でいたからという要素が絡み合っていたが故のことなのだけれど、さすがにそれはこの場では口に出来ない。

(……それよりもシナリオの話だ)

 今日会うはずのアンディション侯爵は、そもそもゲーム内には登場しない。
 だけど現在の状況では無視出来ない存在なのだ。
〝蘇芳戦記〟ギーレンサイドのヒロインであるシャルリーヌ嬢。彼女がくだんの第二王子、エドベリ王子から逃げるための方法として連絡を取った相手が、このアンディション侯爵だ。
 現状、もしヒロインをシャルリーヌ嬢だとしてシナリオ通りに進んでいけば、失脚した第一王子に代わって王位継承権を手にすることになるエドベリ王子とアンジェスで開かれる夜会で再会し、手に手を取って帰国をするハッピーエンドが待つことになる。
 ただし、シナリオの強制力がアンジェス国の聖女――つまりは私の妹の方に傾けば、ギーレンルートのハッピーエンドは破綻する。夜会でエドベリ王子は暗殺され、エドヴァルドが追放刺殺されるルートへと一直線に進むことになってしまうのだ。
 私としては、それはもうシャルリーヌ嬢がヒロインであってほしく、彼女にエドベリ王子サマと手に手を取って帰国をしてほしかった――それなのに。

『イヤに決まってるわ、あんな粘着質な性悪!!』

 ヒロインからの、まさかのシナリオ全面拒否。
 挙句、彼女は家の伝手つてを使ってアンディション侯爵と繋ぎを取り、海をへだてた海洋国家バリエンダール国へのさらなる亡命さえも目論もくろんでいた。
 完全に、フラグをへし折りにきていた。
 ギーレンサイドのヒロインはシナリオを知る転生者だったのだ。そのうえ思った以上に行動派だった。
 そして何なら、自活にしろいざと言う時にエドヴァルドを連れて亡命を目論もくろむにしろ、ギーレンではなくバリエンダールに逃げればバッドエンドからは逃れられるだろうかと、考えていたことをエドヴァルドには見透かされた。

『私は貴女をバリエンダールへは行かせない』
『ボードリエ伯爵令嬢と共にバリエンダールへ逃れるという選択肢だけは、今すぐここで捨ててほしい』

 それが多分、昨夜「痕」を増やされる羽目になった原因の一端だ。
 普段は自らの邸から出ることがないアンディション侯爵本人が、この公爵邸にやって来ると聞かされたことが、エドヴァルドの中にあった危機感を煽ったようだ。
 ――シナリオは知らずとも、私がこの国から出ていくかもしれないという、危機感を。
 アンディション侯爵が税の申告にだけ来たわけではないと、エドヴァルドも多分思っている。
 私の緊張は、決して侯爵が元王族という肩書を持っているからというだけではなかったのだ。
 ぐるぐると考えすぎていたのか、無意識の内に肩に力が入っていたんだろう。
 だからヨンナがずっと背中をさすってくれていたのだ。

「カーテシーもかなり上達なさいましたし……後はダンスくらいじゃないかと思いますが、それは今回披露するわけではございません。もう少し肩の力を抜かれてはいかがですか」

 きっとそれは、純粋な励ましだっただろう。だけど、それはそれで別の重圧がし掛かることになった。
 ダンス。
 世に名だたる「不器用ブッキーちゃん」最大の弱点。

「ヨンナ……それ、フォローになってない……ダンスはダンスでものすごーく困ってるのよ、私」

 暗記自体苦手ではないので、各種ステップやダンスの型は覚えられる。けれど音楽に合わせて踊るということが出来ない。
 音楽に耳を傾ければ足がおろそかになって、ダンスに集中をすれば音楽とずれる。
 今のところ、この致命的欠陥を改善出来ていない。
 こんな状態で、陛下や隣国ギーレンのエドベリ王子と踊れるのか、私。

「そう言えばエドヴァルド様が式典で誰とも踊らない、国王命令さえ無視してのけるって、陛下がボヤいていらっしゃったけど……邸宅おやしきでも教わったりされなかったの?」

 話題の一つとして何気なく私が聞けば、ヨンナがちょっと微笑ましそうに笑った。

「旦那様と、踊ってみたいと思われますか?」
「えっ、いやっ、面倒がってるだけで実はすごく上手いとかだったら、そこはもう謹んで遠慮するんだけど、本当に苦手なら、一緒に練習するのもいいかなぁ……と、思って」

 上手いのなら、私がエドヴァルドの足を踏むなどの危険だけが付きまとうので、謹んで遠慮したい。
 上手くないなら、遠慮なく練習相手が頼めると思うのだ。
 私ばかりが一方的な迷惑をかけずに済む。
 そう言うと、ヨンナは記憶をたどるように視線を宙に向けた。

「ご幼少の頃に、後継者教育の一環で習ってはいらっしゃいましたけれど、何度目かの夜会で、ご令嬢方のお相手をされることに心底お疲れになったようで……。基本のステップは頭におありだと思いますけれど、実際今、どうかと言われますと……」

 長年公爵家にいるヨンナのエドヴァルド評には、忖度がない。
 つまりはきっと、今となっては本人にすら未知数ということだ。

「なら、一回練習付き合ってくれるよう、頼んでみようかな……」

 私の呟きに、何故かヨンナ以下、侍女の皆さま方の目がキラキラと輝いた。

「ぜひ、ぜひ、そうなさってくださいませ! そうすれば、イデオン公爵家主催でも夜会が開けるようになって、旦那様が他の公爵様方から叱責されることもなくなります!」

 夜会は単に貴族の贅沢の象徴、自分の権力をひけらかす場というわけではなく、貴族同士の情報交換の場や、未婚の貴族子女の出会いの場として、それなりの意義があるのだそうだ。
 本人がそこに重きを置いておらずとも、夜会そのものを開ける力がある貴族の数も無限ではないため、暗黙の了解として、伯爵家以上の家格を持つ貴族には大小問わず夜会の開催を促すという同調圧力のようなモノが存在しているという。
 エドヴァルドは、現在宰相位にあることをたてにそれらの全てに背を向けている状態らしい。
 そして他の公爵家の中には、そのことを快く思っていない勢力もあるのだそうだ。
 詳しいな、と思っていると「五つの公爵家の間くらいでしたら、侍女達の情報網で大抵のことは分かりますよ」と言われてしまった。

「ただし、噂の域を出ないものも多く含まれますので、要は情報を使いこなす人間の器次第と言うことでございます」

 ……セルヴァンとは別方向で、ヨンナも逆らってはいけない人だと、私は再度自分に言い聞かせる。
 それからおずおずと挙手をして、ヨンナを見つめた。

「あの、夜会はまだちょっと、ハードルが高いかと……お茶会ですら、最後ちょっとグダグダだったし……」
「何事もまず、一歩目を踏み出すことが大事でございます。昨日さくじつの茶会とて、最後の方は、ご令嬢と親しくなられたということで目をつむれる程度には、レイナ様は女主人として作法に添ったおもてなしをなさっていらっしゃいました。昨日の経験を活かして、二人三人と、お招きになる人数を増やしていかれれば宜しいのです。そうすれば、ゆくゆくは夜会も主催出来るようになりましょう」
「……なるほどデス」

 ぐうの音も出ません。

「さ、善は急げです、レイナ様。アンディション侯爵様とのお話が終わりましたら早速、ダンスの練習の話を旦那様になさいませ。このヨンナも援護をさせていただきますので」

 きっと今頃は、アンディション侯爵の来訪の目的や、レイフ殿下達の叛乱計画クーデターに関して何か情報を持っていないかとか、腹の探り合いをしている頃だろうに、その後いきなりダンスの話は無理があるんじゃ……と、思っているのは私だけ。
 ヨンナどころか後ろの侍女サマ達も、大きく首を縦に振って頷いていた。味方がいない。

「失礼致します。レイナ様、旦那様がそろそろ階下へ来てもらいたい――と」

 だからノックの音とセルヴァンの呼び出しは、この時正直言って、渡りに船だった。
 そう、ひと息ついたはずだったのに。

「おやヨンナ、どうしました。随分と気合いの入った表情をしていますが」
「セルヴァン、レイナ様は時間が空き次第、旦那様とダンスの練習をなさりたいそうです。今日すぐにとは言いませんが、旦那様の夜のお時間の調整は可能ですか」
「何と! それは素晴らしい心がけでいらっしゃいます、レイナ様。お任せください。必ずや私が旦那様を練習に引っ張り出しますので、どうぞ期待してお待ちください」

 ……私は久し振りに、何気なく言った自分の一言を盛大に後悔していた。
 そんな、公爵邸の一大イベントみたいな扱いにしないで!!


 セルヴァンとヨンナの気遣いだったのか、無意識だったのか。そんなやり取りを経たおかげで緊張も緩み、アンディション侯爵のもとへと向かう。
 応接室では、エドヴァルドとアンディション侯爵が向かい合わせに座っていた。
 年齢をかんがみ、王宮から自主的に退いた元王族、テオドル・アンディション侯爵閣下。彼は、ミュージカルに出てきた皇帝の晩年を思い起こさせるような、貫禄のあるご老人だった。
 元王族と言われて納得のオーラがあるし、とにかく、渋い。
 無言でカーテシーの姿勢をとる私に「よい、よい」と、アンディション侯爵は微笑んで片手を振った。

「昔のことは昔のこと。今はもう、侯爵邸で妻と余生を過ごす一介の老人よ。シャルリーヌ嬢と共に、気楽に訪ねてくれるがいいぞ」
「有難うございます。ボードリエ伯爵令嬢からは、奥様がお作りになるルーネベリタルトが絶品だと聞きました。ぜひ私も味わってみたいと思っております」

 ルーネベリタルトとは、スパイスクッキーを砕いて混ぜた、バターケーキのようなスイーツらしい。
 王都のカフェでも出せる味だと、シャルリーヌが絶賛していたのだ。
 私の言葉にアンディション侯爵はふと笑みを深めた。

「ほう! 昨日だけで随分とシャルリーヌ嬢とは交流が深まったようだな。何にせよ、気に入ってくれていたのであれば、妻も喜ぶであろうよ。戻ったら早速伝えねばな」
「ええ。彼女は私の居た国のことをよく知っていました。それだけでと、思うかたもいらっしゃるかもしれませんが……本当に、とても嬉しかったです。ですから今後も、彼女とは交流していきたいと思っていますし、その際はぜひ、お邪魔させていただきたいと思っています」

 交流が深まった、といった辺りで、ちょっとエドヴァルドが何か言いたげだったけど、アンディション侯爵に遠慮をしているのか、口に出しては何も言わなかった。
 召喚だなんだといった異世界の話は詳しく話さないと、事前に決めてある。
 たとえ元王族といえど、本人の望まぬ異世界召喚があったなどという話は、知らないにこしたことはない。公務から遠ざかっている者に、わざわざ説明する必要はないと判断したのだ。どこからどのように尾ひれが付いて話が広がるかなど、誰にも分からないのだから。

「うむ。その際は妻と共に歓迎しようぞ」

 シャルリーヌと遊びに行きたい、というのが掛け値なしの本音であることは、アンディション侯爵にも分かったのだろう。
 眉根を寄せているエドヴァルドとは対照的に、こちらは好々爺こうこうや然とした表情で何度も頷いていた。

「……っ!?」

 ただ言葉の代わりに、私の隣にいたエドヴァルドの手がテーブルの下でスッと伸びて、私の手を包み込んだ。
 ……一応、気を遣ってくれているということなんだろうか。それにしては力が強い気もする。まさか、行くなとでも?
 とりあえずここでは素知らぬふりを決め込んで、アンディション侯爵の方に向き直った。

「儂が今回王都まで来たのは、ボードリエ伯爵令嬢がエドベリ王子外遊の場に居合わせることを、忌避していたことが気になったというのもあってな。一介の貴族令嬢が、バリエンダールへの亡命を視野に入れるなどと、並大抵のことではない」

 曰く、ボードリエ伯爵夫妻とは顔見知りよりやや親しい、といった程度の付き合いだったものの、その娘に切羽詰まった表情で助力を請われては頭から拒否する理由も見当たらなかった、ということらしい。

「今回彼女と親しくなったというが、そなたの目から見ても王子外遊の際にはが起きると思ったのかね」

 まさかクーデターが起きるかもしれないなどと、普通は考えない。
 多分アンディション侯爵はここに来るまで、令嬢が無理矢理ギーレンに連れ戻されるのを恐れている、くらいの感覚でいたんだと思う。

「そうですね……」

 言葉を選びつつ、頷く。シャルリーヌや私なんかの言葉を馬鹿馬鹿しいと一言の下に斬り捨てなかったところは、素直に謝意を示すべきだと思った。

「いえ、まずは小娘の戯言たわごとと切って捨てることなく、シャルリーヌ嬢や私の話に耳を傾けてくださる侯爵様や公――エドヴァルド様に、感謝いたします」

 なんだろう。一応礼節を保って「公爵閣下」と言おうとしたのに、そこは違うだろうという無言の圧力を感じてしまった。
 アンディション侯爵がエドヴァルドを見る視線も、なんとなく、驚きに満ちている。
 私はそんな二人の様子を横目に、言葉を続けた。私は何も気が付いていません、ええ。

「そのうえで、エドベリ王子外遊の際に『何か』起きると思うかとのお話にお答えするなら……まずギーレン国で婚約破棄騒動が起きたのにもかかわらず、わざわざアンジェス国側から王の従妹クレスセンシア姫が、高額の持参金と共に騒動を起こした直後のパトリック元第一王子に輿入れをする。その状況そのものを不自然に感じました」
「ほう、不自然かね」
「女性関係に問題が大アリの元王子相手に、高額の持参金を渡してまで得たい益があるとは思えませんから。恐らく持参金には別の流用目的があるでしょうし、それに気付かない時点で、元王子の次期国王としての資質も疑わしいですよね」

 思わずそう言うと、アンディション侯爵の目が丸くなった。

「――すみません。ベクレル伯爵令嬢時代のシャルリーヌ嬢の苦労がしのばれて、つい憤ってしまいました」

 うっかり、ぶっちゃけたとも言う。
 他国とはいえ、既に元が付くとはいえ、王子相手にしていい発言ではない。
 エドヴァルド、アンディション侯爵双方の視線を受けつつ、私がペコリと頭を下げると、目を丸くしていたアンディション侯爵が、やがて高らかな笑い声をあげた。

「益も資質もないか! はははっ! これはいい……! なるほど、そなたは、王子がお気に入りの令嬢を連れ戻そうとする以外の裏があると、そう申すわけだな」
「その持参金で人を雇って、エドベリ王子を狙う可能性はゼロじゃないと思っただけです。万一王子の身に何かあれば、責任を問われるのはこの国の国王陛下。そして持参金の存在によって、関与を疑われるのは隣国の元第一王子。こちらも失脚は避けられなくなる。一度に三人を落とすことができる――ように見えませんか?」

 私の言葉に、エドヴァルドとアンディション侯爵、国の二人の重鎮が目をみはり、次いで無意識のうちに顔を見合わせていた。

「ふむ……確かにが考えそうなことではあるが……」
「実際に雇ったのがあのかただったとしても、輿入れした姫をたてに協力させられたと言えば、言い逃れが可能な状況ではある」
「なるほどな……イデオン公、これでは手放したくなくなるのも無理はないな……!」
「ご理解いただけたようで何よりです、殿

 彼のことをアンディション侯爵とあえて呼ばないエドヴァルドの言い方には含みがあった。
 ただ「うむ」と答えたアンディション侯爵は、気付いていてもそこには触れないようだ。
 いったい、私が来る前に何を話していたのだろう、と疑問に思う。
 しかしそんな思考を遮るように、アンディション侯爵が軽く手を打った。

「さて、そう聞けば外遊関連の式典、夜会に関して無風というわけにもいかぬように思えるな。まあそもそも、伯爵位以上の貴族は出席必須となっておるし、儂にも案内状が届いておる。名前と肩書程度ならば今でも役に立つであろうから、必要に応じてそなたらで好きに使うといい」

 アンディション侯爵の言葉と振る舞いから察するに、どうやらイデオン公爵家やエドヴァルド本人に思うところがあって来たわけでも、アルノシュト伯爵夫人のように縁談を押し付けに来たわけでもなかったみたいだった。あくまでアンディション侯爵邸での平穏な生活を維持するために動いたと、言っているように聞こえる。
 アンディション侯爵の言葉にエドヴァルドが黙礼を返し、私も慌ててそれにならった。
 そして侯爵はこの後、北か南の館を使うのか、あるいはこの公爵邸に部屋を用意するのか。
 どうされるのかと思っていると、意外にも「孫の婚家に泊まる」と侯爵は片手を振った。

「何かあればそちらに言付けを寄越してくれて構わぬよ。が、ご機嫌伺いしか能がないような連中に列をなされても困るのでな。滞在先として名だけは貸してもらえると有難い」

 聞けば結婚を機に、アンディション侯爵自身よりも先に臣籍降嫁した娘のさらにその娘が、王都の商業ギルドの幹部である青年と結婚した末、王都内に邸宅を持っているらしい。
 なるほどそれは、貴族連中に押しかけられても困るだろう。

「承知しました。何か贈られてきた場合も、問答無用に処分していいとのことであれば」

 あえて極端な言い方をしたエドヴァルドに、アンディション侯爵は顔色も変えず笑っていた。

「構わん、構わん。たとえ王家の名を冠していたとしても、それが本物であるとは限らんからな。陛下が直接そちらに何かを言付けた時のみ、例外とさせてもらおう。まあ、そんな機会があるとも思えんが」

 本物とは限らない贈り物――思わず眉をひそめたのは私だけで、エドヴァルドは動揺一つせずに低い声でそれに答えていた。

「私宛に刃物やら妙な薬やらが送られてくることだって、しょっちゅうだ。まあ、セルヴァンやヨンナの所をすり抜けることはまずないから、貴女は安心していていい」

 私としては、顔色一つ変えないエドヴァルドやアンディション侯爵にも驚きだし、そんな物騒な「贈り物」をあっさりとあしらえてしまうらしいセルヴァンとヨンナにも驚きだ。
 ……名指しされた当の二人はむしろ期待に満ちた目で私の方を見つめていたわけなんだけれど。

(ああ、そろそろ話の潮時のようだからアレを言えと)

 いやいや。今すぐはちょっと……
 夕食時に頑張ります。
 戦略的撤退ということで、勘弁してください!


 そして夕食がデザートに差し掛かった頃、セルヴァンとヨンナの無言の圧力にとうとう屈した私は、視線をあちこちに彷徨さまよわせた挙動不審の状態で『例の話』を切り出した。

「えーっと……エドヴァルド様、ちょっとお願いが……」
「どうした。貴女の方から、わざわざそんな風に言い出すのも珍しいな」
「その……なんていうか、エドベリ王子の外遊まで、日がなくなってきたじゃないですか」
「そうだな。何か不安が――いや、基本的には不安の方が大きいのか。無理を言っている自覚は、私にもフィルバートにもあるからな」

 フィルバートとは国王陛下の名前だ。そんな風に呼び捨てが許されているのは、幼馴染のエドヴァルドくらいだろう。
 やや腹黒でサイコパス気味だが王としては優秀で――と、そんなことはどうでもよくて。
 私は首を振りつつ、目の前のコーヒーカップを手にとった。

「いえ、ただ会話をするだけなら、何とかなる気はしているんです。ですけど、その……ダンスの進捗状況だけが、どうにも不安で」

 カップに口をつけながら、エドヴァルドをチラ見すれば、言われた当人のコーヒーカップを持つ手も、ピタリと止まった。

「……家庭教師の時間を少し変えて、ダンスの時間を増やすか」
「もちろん、それもお願いしたいんですけど」
「…………」
「食事してから眠るまでとか、少し時間が空く時もあるじゃないですか」
「…………」
「エドヴァルド様」
「…………なんだ」
「今日からとは言わないので、練習に付き合ってもらえませんか」

 固唾かたずを飲む見本のような空気が、ダイニングを取り巻いている。エドヴァルドは周囲を見回して、呆れたように呟いた。


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685 忘れじの膝枕 とも連動! 
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今回から見方が変わりました。何か一話、アルファポリス作品をレンタル頂くことで全てご覧いただけますので宜しくお願いしますm(_ _)m
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