聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第三部 宰相閣下の婚約者

778 銀の骸と向き合う覚悟(5)

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「……分かってはいましたよ」

 エドヴァルドではなく、痩せ衰えたカトルを見つめたまま、絞り出すような声をファルコが発した。

「お館様に恨みをぶつけたところで、姉貴が、家族が、帰ってくるわけじゃないことは」

 エドヴァルドはグッと拳を握りしめたまま、何も言わない。
 ファルコがポツリポツリと言葉を紡いでいくのを遮ることはしなかった。

「アルノシュト伯爵が来る度に、今年こそは何か分かるかも知れない。たとえ村の合併がよくあることだと言っても、お館様なら何か気が付いて下さるかも知れない。毎年、税の報告時期になる度、自分にそう言い聞かせていたんですが」

 公害病が、この国でも知られた病であったなら、エドヴァルドも毎年の報告から違和感を覚えたかも知れない。

 けれどそれは、未知の病だった。気が付くきっかけすら存在していなかった。
 さすがに合併の数が多いと気が付くのには、おそらくはもう何年も必要だっただろう。

 いつかは分かることだったはずだ。けれどそれは、ファルコの姉が存命だった時点ではなかったのだ。

「私に失望したのなら、公爵家を離れるのを止めるつもりはない。必要なら――」
「エドヴァルド様!」

 エドヴァルドが、自分の胸を指差そうとしたのを見て、さすがに私も声を上げてしまった。
 違うのに。
 そうしたところで、亡くなった命は戻って来ない。ファルコの気だって晴れるはずがない。
 二人とも、そんなことはよく分かっているはずなのに……!

「そうしたら、今度は俺がお嬢さんに恨まれてしまう。負の連鎖でしょう。それともお館様は、お嬢さんの手を俺の血で染め上げさせたいですか?」
「……っ」

 私が、エドヴァルドを殺したファルコを殺す……?

 私はピシリとそこで固まってしまった。エドヴァルドも、さすがに顔を顰めていた。
 己の発言がファルコにそれを言わせたと悟ったのだ。
 実際に、私がそれを出来るか否かはここでは重要じゃなかった。

「出来るはずがないな……」

 みすみすファルコおまえが殺されるのも――レイナが殺人者になるのも。
 途絶えたエドヴァルドの言葉の続きは、確かにそう聞こえた。

 ファルコも、その答えは最初から分かっていたとばかりに、苦笑して肩を竦めた。

「別に俺も、お館様同様に命は惜しんでませんがね。お嬢さんの存在がもう、俺にもお館様にも『死をもって終わらせる』手段を取らせちゃくれないでしょう。生きて償えと全身で訴えかけている。……無視出来ます?」

 死の村を生み出した罪と、雇い主である公爵家当主に叛意を抱いた罪。
 それが本当に罪なのかどうか。そしてその罪が重いか軽いかなんて関係ない。誰にも分からない。
 それぞれが抱く後悔があるのなら、それは生きて償うべきものだ。

 私はそれを言葉として口にしてはいない。
 ただそれを、会話の端々に滲ませてきただけだ。
 二人になら、伝わるはずだと。

「そうか……この身をおまえに預けるのは私の自己満足に過ぎぬということか……」

 嘆息して天井を仰いだエドヴァルドに、ファルコは逆に居心地が悪そうだった。

「あまり深刻に受け取らないで貰えますか。今更だと、俺自身が納得して受け入れただけのことなんで」
「今更、か」
「ええ。俺自身に関しては、もう今更です。ただ――」
「ただ?」

 続きの言葉を濁しているファルコの視線が、再びカトルに落ちる。

「継承権も既に失って、勘当もされたそうですけど……家名、戻せませんか」

 ファルコには、そもそも家名がない。
 それがカトルを指しているのだと、気付いた私とエドヴァルドの目が、それぞれに見開かれた。

「……戻してどうする」

 エドヴァルドは、突き放しているわけじゃない。
 もしもカトルが快癒したとすれば、その話が浮上してもおかしくはない。
 何故、寝たきりの今その話をするのか。
 エドヴァルドが聞いているのは、そういうことだった。

「そもそも、今現在この王宮の中では彼を『平民のカトル』と思っている者はいない。実際の立場がどうであろうと、医局の者はその矜持にかけて、未知の病に相対する気概を持っているはずだ」

 視界の隅で、ガールシン医局長をはじめ医局員の何人もが無言で頷いている。
 逆に地位の有無で治療に差をつけると思われる方が、彼ら医局の者にとっては屈辱に違いない。

「確かに王宮の中はそうかも知れない。ですがお嬢さんの言う食事療法を試してみるのにも、国内外から色々と素材を集める必要があるんでしょう? ならば平民のカトルのためというよりも、アルノシュト伯爵令息としての立場があった方が、提供して貰いやすいのでは……?」

 平民相手の治療薬の提供を出し渋る商人や貴族がいるのではないか。
 ファルコがそれを気にしていると分かって、エドヴァルドは微かに眉根を寄せた。

「それは治療に全力を尽くせということか?」

 分かっているのか、とエドヴァルドの冷静な指摘が続けられる。

「カトルは息子だ」

 死の村の発生と広がりを、税の報告書から消し去った当事者の、息子。
 ある意味、エドヴァルド以上に憤りをぶつけるべき相手。

 いくら全てが明るみに出て、失脚が確実視されていると言っても、伯爵自身がまだ健在だ。
 仮に家名を戻したとして、アルノシュト伯爵に連座しないとも言い切れない。

「いや……むしろ連座させたいのか? アルノシュトの血は全て自分の目の黒いうちに絶やしたいと? どちらにせよ、私からは頭ごなしに拒否をすることはしないが……」

 出来る限り、ファルコの望む方向に導きたい。
 エドヴァルドの表情からは、その覚悟が見えていた。

 救うのではなく、安楽死を願うのなら……周囲がどう思ったとしても、きっとエドヴァルドはその通りにするのだろう。

 私も、ファルコがどうしてカトルの家名を戻したいと思ったのか気になったので、黙って様子を窺っていた。

「あっ、いや、違……っ」

 ただ、ファルコはむしろエドヴァルドの「連座」の言葉に驚いたように、慌てて片手をぶんぶんと横に振っていた。

「もしこのまま死なせたら、むしろ俺が死んだ時に姉貴に顔向けが出来ない! 自分を見て何も学ばなかったのかと、姉貴なら怒るに決まってる……」

「ファルコ……」

「確かにお館様にも思うところはあるし、ましてアルノシュト伯爵なんて、仮に国外追放になったとしても留飲なんて下がるはずもない。だがそれ以上に、コイツカトルを姉貴の二の舞にしたいとはこれっぽっちも思ってない……!」

 安楽死じゃなく、出来る限りの治療を。
 ファルコの全身が、それを主張していた。

 多分ファルコは、カトルの治療に関わることで、亡くしてしまった姉への思いを昇華させることを選んだのだ。
 それが彼なりのケジメだと、そう言っている気がした。

「……どんな素材が必要になるのかは、これからの話になるだろうが、産地の領主に対してはこの先交渉と根回しが必要になるだろう。その先触れを、全て務める気概はあるか?」

 短い逡巡の末に、エドヴァルドの真っすぐな視線がファルコを射抜いた。

「お館様」

「どの家だろうと、商会だろうと、交渉のテーブルには私がつかせる。それは私が担うべきことだ。だが協力を渋る者がいた場合、相手に対して己が体験したことを、関係者としてその場で語らねばならぬ時がくるかも知れない。それをカトルのため、他にもいるかも知れない患者のため、己を律して相手を説く材料とすることが出来るか?」

 ――視線の交錯は、一瞬。

「それが、俺がイデオン公爵家で何年も口を閉ざしていたことへの償いと心得ます」

 躊躇いなく答えたファルコに、エドヴァルドも分かったとばかりに頷いた。
 頷いたのだが。

「そしてレイナは約束を違えなかった。は破棄で良いな?」

「「⁉︎」」

 ただその後続けられたセリフには、私もファルコも驚かされてしまった。

「レイナは、村を『なかったこと』にした連中を、引きずり出した。全てのカタがついたとは、まだ言えない。故に私のことは最後で構わない。だがレイナは、もういいはずだ。彼女はおまえを裏切らなかった」

「そ……れは……」
「エドヴァルド様……」

 エドヴァルドのその声が、目が、もうこれ以上を許すつもりはないと語っている。

「一人でギーレンにまで手を広げた彼女が、今更この問題から下りることはない。分かるだろう。何せ彼女の辞書にはまだ『懲りる』も『自重』も、何ひとつ戻ってきてはいないのだからな」

「はいっ⁉︎」
「くくくっ……!」

 なのに持ち上げかけて落とすのは、あんまりなんじゃ⁉︎

 文句を言いかけた私の前で、ファルコに思い切り吹き出されてしまったため、何も言えなくなってしまった。

 場を宥めるためにせよ、もうちょっと他に言い方はなかったんですか……!

 頬を軽く膨らませてはみたものの、二人にはしれっと無視されてしまった。
 キャラじゃないと言われたようで、内心ちょっといじけたくなってしまった。

「ファルコ、おまえはもうこの話がなくとも、レイナを認めているだろう?」

 しかもエドヴァルドが代わりに聞いているのは、まるで別のこと。

「まあ……否定はしませんよ」

 くつくつと低く笑ったままのファルコも、私ではなくエドヴァルドを向いたまま、そんなことを答えていた。

「カトル・アルノシュトの容態がどう転ぼうと、俺がお嬢さんを恨むことはない。これは姉貴の代わりにこの男を救えたら……もしダメでも、一日でも長く生かすことが出来たら――そう言う俺の自己満足と思って貰って構いませんよ」

「……そうか」

「俺なら、少なくとも悪くなっていくのは見極めることが出来る。ずっと姉貴の傍にいたわけじゃないが、姉貴の最期は傍にいた。……食い止められれば幸運ラッキーだ。そうでしょう?」

 ファルコ、と声をかけようとした私に「ただ」……と、片手でそれを遮ってきた。


「伯爵夫妻には、医局の連中と協力して、俺やお嬢さんがコイツの症状を改善させようとしているなんてことは知られたくない。どこかに追放されるのか幽閉されるのかはともかくとして、コイツを見放した後悔を抱えて出て行かせたい。……可能ですか?」

「案ずるな。我が名の下に、可能にしてみせよう。それも復讐と言うのなら――尚更に」



 一片の迷いもなく言い切ったエドヴァルドに、ファルコは僅かに口角を上げたのだった。
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