聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

文字の大きさ
上 下
775 / 803
第三部 宰相閣下の婚約者

777 銀の骸と向き合う覚悟(4)

しおりを挟む
 鉱山の毒が原因となった公害病は、他の四大公害病、すなわち工場排水が劇症に直結したメチル水銀中毒や、大気汚染よる集団喘息障害に比べると症状の悪化が緩やかだった。
 そのため被害の広がりがより潜在化し、社会問題として発覚するのが大きく遅れた。

 恐らくそれは、アルノシュト伯爵領の鉱山周辺においても、同じ道を辿っていたのだ。

「呪いと言うのは我々医療従事者からするともちろん眉唾な話だと思うし、それを声高に叫べと言うならそれもやぶさかではないが……感染性がないと言うのも、間違いないのだろうか?」

 風評被害を抑えて欲しいと呻いた私の声を耳にしたガールシン医局長が、大事なことだと言わんばかりにこちらに確認をしてくる。

 エドヴァルドの服の袖をギュッと握りしめたまま、私は何とか首を縦に振って、それを肯定した。

「不適切な採掘で流れ出た有毒成分が、作物や飲料水を汚染したんです。その成分は、何よりもまず骨を脆くします。それから身体の機能のあらゆるところを壊していくんです。だから感染じゃないんです。土壌と水場が改善されるまでは、そこに住んではいけないんです。何故なら口にするあらゆる物が、遅効性の毒と化しているから」

「……っ」

 医局長が息を呑み、先刻コップ一杯とは言え水を飲み干したエドヴァルドのこめかみがわずかに動く。

 ファルコは私の言葉には直接反応をしなかった代わりに、ただ強く拳を握りしめていた。

「遅効性、とは? 具体的にはどのくらいの量で症状となって表れるものなのだろうか?」

「それは……口にした当人の体質によるんじゃないでしょうか。それまでに持病があれば更に個人差が大きくなる気もしますし……」

 真摯と言うよりも悲愴と言った方がいいかも知れない医局長の表情を見ていると、ただ「分からない」で済ますことはとても出来なかった。

「あっ、あの、ホントにコップ一杯では何ともないですから……」

 ただ、それだけは私にも分かっているので、医局長と言うよりは、エドヴァルドの方を向いてそこは力説をしておく。
 エドヴァルドは、一瞬だけこちらを向いて僅かに目元をほころばせたものの、口に出してはなにも言わなかった。
 宰相として、公爵として、決して安堵したとは言えなかったのかも知れない。

「レイナ……貴女が元いた国で同じ症状の病人を見たことがあると言うのは、よく分かった。では、治療法や薬についての情報を尋ねるのは……酷な話になるか?」

「エドヴァルド様……」

 私は大学で経済を学ぼうとしていた人間であって、医学や薬学を学ぼうとしていたわけではなかった。
 エドヴァルドも、私が医学や薬学に関しては門外漢だと察した上で、なるべく罪悪感を持たないように、そんな聞き方をしてくれたに違いなかった。

「その……私が医療従事者じゃないと言うことを抜きにしても、技術的に難しいことが山積しているのは間違いないです……」

 キレート剤の投与による鉱毒の体外排出促進、ビタミンD2やD3の接種による低カルシウム、低蛋白状態の体質改善……などと、とても説明出来た代物ではないし、何ならビタミンの抽出方法すらさっぱり分からない。

 思いつくとしたら、食品経由での栄養摂取と言うことくらいだ。

「食品……?」
「レイナ?」

 ネットでパパっと確認出来ないことがもどかしくて仕方がない。受験勉強の延長で補足資料に目を通した記憶を引っ張りだすことしか出来ないのだ。

 ビタミンD2はキノコ、とりわけシイタケやマイタケ、霊芝に紫外線をあてたり熱を加えたりすることで変化するんじゃなかっただろうか?
 ビタミンD3は半乾燥のシラスや生のイクラ、焼き紅鮭に多く含まれて……いたような。

 キレート剤は、金属を溶出しやすくするキレート効果があると言う意味での名称でしかなく、実際にはアミノ酸の一種であるグリシンの成分を利用していたはずで――

「グリシン……湿疹や皮膚炎、肝機能回復、だよね? 確か内蔵成分が豊富なのは魚介類……ほたて、かに、えび……って、ホタテ!?」

 最後いきなり声を荒げてしまった私に、その場にいた皆が驚いたようにこちらをガン見した。

「エドヴァルド様!」
「あ、ああ」

「本来は症状を悪化させない、あるいは予防のための成分なんです。即効性は一切ありませんし、煮ればいいのか焼けばいいのか、蒸せばいいのかも分かりません。単なる気休めでしかないのかも知れません。ですが――」

「カトル・アルノシュトの症状悪化を防げるかも知れない食材がある、と?」

 エドヴァルドは、私がぶつぶつとキノコや魚介類の名前を隣で呟くのが嫌でも耳に入ったんだろう。
 私の言いたいことにあたりをつけるのは、容易かったようだ。

「今回の漁場投資詐欺の責任を取って貰う形で、ナルディーニ侯爵家でもコンティオラ公爵家でもいいんですけど、鉱毒の症状改善の研究のために、ほたてジェイ筆頭に素材の永年無料提供をして貰うのはどうですか?」

ジェイほたてが鉱毒に冒された人々の症状改善に役立つのか」

「あくまで記事――文献で目にしただけなので、確実に効果があるとは断言出来ません。これからの研究になると思います」

 何なら殻を砕いて土に撒く実験だって、してもいいのかも知れない。

 カトルの居た村は、既にカトル以外全ての人間がこの世を去ってしまった。
 それ以前、川の上流に住まう人々も、ファルコの姉同様に、間に合わなかった。
 けれど今年の報告書から名前の出て来た村ならば。あるいは、その下流の村ならば。

「本来であれば、アルノシュト伯爵領が発端の話だ。咎を負うのであれば、真っ先に私であらねばならない筈だ。だが――」

「エドヴァルド様……もう、ヤーデルード鉱山を始めイデオン公爵領の外の鉱山にも調査を依頼して、土壌改善の研究をギーレンの王立植物園にも持ち掛けています。ほたてジェイも役に立つかも知れません。間に立って、これらを繋いで貰うのがエドヴァルド様のお役目――では、いけませんか?」

 仲立ちと交渉も、存外骨の折れる仕事だ。三国会談だって控えている。
 エドヴァルドが背負うものとて、決して軽いものではない。

「レイナ……」

 眉根を寄せるエドヴァルドの表情は、決して納得のいっているものではない。

 鉱毒混じりの水を、何の躊躇もなく飲み干したくらいには、彼は罪悪感を抱えている。
 私とファルコが、それまでずっとエドヴァルドの関与を阻んできたがために、尚更。

 だけど私の名前を呼びはしたものの、私が折れないと言うことにも気が付いたんだろう。
 何とも言えないと言わんばかりの表情と、その視線を、今度はファルコの方へと向けていた。

「ファルコ」
「……っ」

 カトルの方に視線を固定させたままのファルコは、返事の代わりにビクリと肩を震わせていた。

 こればかりは、私にも口は挟めない。
 かつて姉を亡くし、公爵領を束ねる者としてのエドヴァルドを恨む気持ちを抱えたまま、ここまで来ていたのだ。

 もしかしたら、私と言う緩衝材が入ることでその気持ちが解けようとしているのかも知れない。けれどそれは、私が確認したり強要したりすることじゃない。

 ファルコが決断し、エドヴァルドが受け止めなければならないことなのだ。

 だからエドヴァルドは待っている。
 ――ファルコの口から、語られる言葉を。
しおりを挟む
685 忘れじの膝枕 とも連動! 
書籍刊行記念 書き下ろし番外編小説「森のピクニック」は下記ページ バックナンバー2022年6月欄に掲載中!

2巻刊行記念「オムレツ狂騒曲」は2023年4月のバックナンバーに、3巻刊行記念「星の影響-コクリュシュ-」は2024年3月のバックナンバーに掲載中です!

そして4巻刊行記念「月と白い鳥」はコミックス第1巻と連動!
https://www.regina-books.com/extra 

今回から見方が変わりました。何か一話、アルファポリス作品をレンタル頂くことで全てご覧いただけますので宜しくお願いしますm(_ _)m
感想 1,407

あなたにおすすめの小説

誰にも信じてもらえなかった公爵令嬢は、もう誰も信じません。

salt
恋愛
王都で罪を犯した悪役令嬢との婚姻を結んだ、東の辺境伯地ディオグーン領を治める、フェイドリンド辺境伯子息、アルバスの懺悔と後悔の記録。 6000文字くらいで摂取するお手軽絶望バッドエンドです。 *なろう・pixivにも掲載しています。

【完】お義母様そんなに嫁がお嫌いですか?でも安心してください、もう会う事はありませんから

咲貴
恋愛
見初められ伯爵夫人となった元子爵令嬢のアニカは、夫のフィリベルトの義母に嫌われており、嫌がらせを受ける日々。 そんな中、義父の誕生日を祝うため、とびきりのプレゼントを用意する。 しかし、義母と二人きりになった時、事件は起こった……。

国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします。

樋口紗夕
恋愛
公爵令嬢ヘレーネは王立魔法学園の卒業パーティーで第三王子ジークベルトから婚約破棄を宣言される。 ジークベルトの真実の愛の相手、男爵令嬢ルーシアへの嫌がらせが原因だ。 国外追放を言い渡したジークベルトに、ヘレーネは眉一つ動かさずに答えた。 「国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします」

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

山に捨てられた令嬢! 私のスキルは結界なのに、王都がどうなっても、もう知りません!

甘い秋空
恋愛
婚約を破棄されて、山に捨てられました! 私のスキルは結界なので、私を王都の外に出せば、王都は結界が無くなりますよ? もう、どうなっても知りませんから! え? 助けに来たのは・・・

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

婚約破棄 ~家名を名乗らなかっただけ

青の雀
恋愛
シルヴィアは、隣国での留学を終え5年ぶりに生まれ故郷の祖国へ帰ってきた。 今夜、王宮で開かれる自身の婚約披露パーティに出席するためである。 婚約者とは、一度も会っていない親同士が決めた婚約である。 その婚約者と会うなり「家名を名乗らない平民女とは、婚約破棄だ。」と言い渡されてしまう。 実は、シルヴィアは王女殿下であったのだ。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。