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第三部 宰相閣下の婚約者

773 続・居心地の悪い部屋

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「ここまで来ればよりも、が玉座の重みを知るための試金石とする方を取るべきなのかも知れぬな……」

 厳しい表情のまま呟かれた科白に、私とイル義父様、それぞれの眉間に皺が寄った。

 恐らく「長年の友情」とはバリエンダールのメダルド国王であり「次代」とはミラン王太子。

 五公爵会議がどう転ぶかは分からないにせよ、現時点ではテオドル大公はこの件はミラン王太子に伝えるべきだとの見解を持っているのだと察することが出来た。

(粛清の黙認)

 もしかしたらテオドル大公も、長い付き合いであるが故に、メダルド国王にやや甘い、あるいは優しすぎる部分があることを把握しているのかも知れない。

 一方のミラン王太子には「父王は甘い」と評することが出来るだけの、苛烈な部分があることも。

 現アンジェス国王であるフィルバートにとって、年齢を考えると、メダルド国王よりもミラン王太子が王となって付き合っていくであろう年月の方が長いはず。

 将来さきを考えれば、真実を告げるべきはミラン王太子だと、そう思っているように見えた。

「意外ですね……では『おもてなし』の間も口を閉ざされる、と?」

 イル義父様も、テオドル大公がミラン王太子の方を仄めかせていることは分かったんだろう。

 てっきり友情を取ると思った、と言いたげだった。

「確かにながの付き合いを続けてはおるが、儂がバリエンダールに移住でもせぬ限りは、優先すべきはこの国アンジェスの国益よ。先人の負の遺産など、持っていたとて根幹を腐らすだけ。その程度の分別もつかぬほど、呆けてはおらぬ」

「……大変失礼を致しました」

い。人によってはそう見えると言うことであろう? この後の会議で言い出すやも知れぬ、と。心得ておるわ」

 誰ぞ、と大公は言うけれど、きっと王か宰相かのどちらかが、国としての方向性を会議の場で周知徹底させるために、似たことを言い出すのだろう。

 まるで株主総会の「サクラ質問」のように、他の反論を封じ込めようとする光景が私にも見えた気がした。

「茶番なのは承知しておりますが、何とぞ」

 そう言って頭を下げたイル義父様にもきっと、私と同じ光景ではないにせよ、わざと今と同じ会話を周囲に聞かせようとする、その想像はついたに違いなかった。

「ふ……今回は其方そなたが調整役に回るか。まあ、コンティオラ公爵は今回もっとも身動きが取れんものな」

「私も向いている方ではないのですがね」

「それも第二位の仕事と受け入れるしかなかろうよ」

「ええ、大変不本意なことに」

 不本意、とすっぱり言い切ったイル義父様に、テオドル大公は一瞬目を瞠ったものの、やがてくつくつと低く笑い始めた。

「どことは言わぬが某隣国であれば、公爵家でありながら玉座が視界に入るなどこれ幸いと、手を伸ばすであろうに……」

「その結果、破滅と言う名の崖の淵にいるのですから、目も当てられない。身の丈に合わぬ公務しごとなど、初めから手をつけるべきではないのですよ」

 バリエンダールのベッカリーア公爵家が暗躍している現状を、イル義父様はエドヴァルドやテオドル大公ほど詳しく知るわけじゃない。
 きっと先代エモニエ侯爵夫人が置かれている状況を知ったところで、ある程度の当たりをつけたんだろう。

 もちろん、そんなことはおくびにも出さず、最初から全てを把握しているかのように振る舞ってはいるのだけれど。

「この老体の身に合わぬ公務しごとと思うてはくれぬのか?」

 テオドル大公も、そうと察していながらも、イル義父様に挑発とも揶揄とも知れない口調で話しかけている。

 ……とっても居心地が悪いと思っているのは、多分私だけじゃないはずだ。
 エリィ義母様には淑女の微笑みが貼り付いているし、レンナルト卿は無表情の仮面を被っているけれど。

「どの口――んんっ、失敬。ええ、身の丈に合わぬやも知れませんね。殿下にふさわしい公務しごとを厳選するよう、宰相に後で伝えておくとしましょう」

「…………充分、そなたの身の丈にも合うておると思うがな」

 半瞬の間を置いて、ちょっと呆れた表情になったテオドル大公の気持ちが、私も少しだけ分かる気がした。

 イル義父様、テオドル大公に押されていたようで、最終的には自力で踏みとどまったのだ。
 身の丈に合わぬ、の意味をひっくり返して、実質「もっと仕事を割り振ってやる」と言い放ったも同然だった。

 王宮内の権謀術数、充分に渡り合えているじゃないか――と、私も思った。

「殿下にお褒めいただくとは、私もようやく『見た目しか取り柄のない若造』から卒業しましたかね」

「うん? 誰がそのような……いや、まあ、クヴィスト公爵しかおらぬわな。無論、次期シェヴェスではなく」

 テオドル大公は苦笑を浮かべ、言葉を返さなかったイル義父様は、笑っているようで目が笑っていない。

 エリィ義母様も……なんか、怖い。

 どうやら、陛下に「説教」され、既に先代の名をまとっている方のクヴィスト公爵は、過去、イル義父様にも暴言を吐いて敵対していたらしいことがよく分かった。

 そんなのでよく、娘をお義兄様ユセフに嫁がせようなどと思ったものである。
 あるいは娘がこっぴどくフラれたが故の、親子二代に対する暴言だったか。

「シェヴェスも前途多難よの。いや、そのあたりの見極めも含めての儂の立ち会いもあるか? スヴェンテの老公爵では、未だ納得せん諸侯もおるだろうからな」

「……その辺りは、殿下の判断にお任せ致します。それでは殿下、そろそろ会議の場にご案内しても?」

 チラと、扉の向こうを気にする様子を見せながら、イル義父様がテオドル大公に移動を促した。

「うむ。儂はいつでも構わんが? 其方の用は良いのか?」

「妻と義弟を私の執務室へ案内する予定でした。ダリアン侯爵も、此度の騒動の余波を受けて、エモニエ侯爵ともども王宮公務の補佐を命じられております。しばし領地へは戻れぬでしょうから、挨拶だけでも――と」

「…………補佐、のう」

 さすがテオドル大公。
 補佐とは名ばかりのブラック勤務が、すぐに想像出来たらしい。

「では、レイナ嬢が一人この場に残るのか? それでは宰相の過保護と心配性が加速するだけであろうに」

「……っ!」

 げほごほとむせかけたのは、私だけだ。

 その他、部屋の誰も顔色一つ変えないとは、これいかに。

「で、殿下……過保護とか心配性とかって……」
「間違っておらぬだろうよ」

 そして私が反論するよりも先に、イル義父様が再び扉の方を向いて「大丈夫ですよ、殿下」と口角を上げた。

「過保護と心配性を拗らせた男でしたら、もうそこに来てますから」
「え!?」

 まさか。
 さっき、カプート子爵、フラーヴェク子爵を連れて出たばかりじゃなかったか。

 声に出す前、口だけを開きかけたところで、扉を軽く叩く音が聞こえた。


 それが誰の仕業かなんて、既にこの場の全員が、疑問にも思っていないようだった。
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