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第三部 宰相閣下の婚約者

769 宰相閣下の不本意な妥協

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「……海岸沿いの街に、バリエンダールから商品を輸入させるにあたっての拠点をどこか作りたいのか」

 私が聞いたこととは少しずれている気はしたけれど、エドヴァルドはまずそんなことを聞いてきた。

 彼の為人ひととなりからいって、意味のないことは質問しないだろうと思われたので、私も「はい」とシンプルに頷いておく。

「そりゃあ、物資運搬用の小型転移装置がもっと気軽に使えるなら話は違うと思いますけど、そうホイホイ設置出来るモノでもないと思いますし。そうなったら、港町をどこか一ヶ所は押さえておかないと、安全な販路を確保するのには苦労しそうじゃないですか」

 車輪のついた乗り物と言えば馬車。車椅子は開発途中。自動車なんて空想でさえ出て来ないだろうと言うこの時代。
 いくら国勢が安定していようと、泥棒や盗賊、あるいは強盗が出没する危険性はゼロにはならない。
 各公爵領に防衛軍と言う組織が存在しているのがいい証左だ。
 必ずしも国境沿いでギーレン国側との揉め事を調停するためだけに存在している組織じゃない。

 だからこそちゃんと、自分達の息のかかった港町が必要になる。
 街ごと押さえられないなら、最低限倉庫を確保すべく、その街の領主の傘下に収まった方がいい場合だってあるだろう。

 バリエンダールやサレステーデから今以上にモノを輸入しようと考えている時点で、それは避けては通れない話だった。

 私としては、ラヴォリ商会がボードストレーム商会を潰した段階で、もしもその販路が港町にも伸びていれば、カール商会長代理と話し合うつもりだった。
 建物の居抜きじゃないが、既存の拠点を使えるのなら、それに越したことはないと思っていたからだ。

 正直にそうエドヴァルドにも告げれば、口元に手をやりながら一瞬考える仕種を見せた。

「潰されて空白になるであろう地域を利用するか、これから再編されて立ち上がるであろう販路と地域を利用するか、か……」

 海沿いの領境に関しては、私はまだそこまで詳しくはない。
 何故ならイデオン公爵領内において海に面しているのは、スヴァレーフジャガイモ栽培を行っているエッカランタ伯爵領のみ。

 じゃあ、そこから流通させればいいのかと言えば、海路としてはバリエンダールからはかなり南下しなくてはならず、かかる経費としてはあまり好ましい形にはならないだろう。要は、あまり現実的とは言えないのだ。

 エッカランタ伯爵領は、今のところ街の自給自足を賄う周辺漁業と、スヴァレーフジャガイモ栽培を共有しているコンティオラ公爵領内サンテリ伯爵領との陸路以外の交流ルートとしてしか、港については機能していない。

 そしてそれを拡大出来る状況にもない。

 長兄の散財による借金を、スヴァレーフジャガイモの有効活用で返しきろうとしている段階であり、それが落ち着いたとしても、兄に代わって領主となった当代のエッカランタ伯爵は、むしろ陸路を開いて領地を「教育の街」として力を入れたがっていると聞いている。

 海側に目が向いていないのだ。

 多分地理的なことを考えれば、お隣りのサンテリ伯爵領も似たような立ち位置じゃないかとは思うものの、まだそこまでは私は把握をしていなかった。

「いずれにせよレイナの中ではエッカランタ伯爵領は候補にはなかったわけだな」

 そして、まるで私の考えを読み取ったかのようなタイミングでエドヴァルドが尋ねてくるので、私としても駆け引きなしで頷くことしか出来ずにいた。

「何ならサンテリ伯爵領も地理的には南すぎると思ってます。海産物だけ融通して貰うのであればまだアリかも知れませんが、バリエンダールとの商品の流通も兼ねるとなると……」

「ふむ。バリエンダールとの交易を前面に出せば、エッカランタ、サンテリ両地域を候補にしなかった理由にはなるし、顔は潰さないと考えたのか……」

 そこまで言ったところでエドヴァルドは、不意にカプート子爵の方を向いて、声をかけた。

「先刻『沿岸地域のみで連携をとる形での商業ギルドを考えている』風なことを口にしていたが、具体的にはどの地域を想定していたんだ。本当に、北西のクリストフェル子爵領から南のエッカランタ伯爵領までの海岸沿いの街を全て取りまとめるつもりだったのか」

 話を振られたカプート子爵はと言えば、表情は変わらなかったものの、気持ち背筋がピンと伸びたように見えた。

「……ええ。お恥ずかしながら、ブラーガの領都商業ギルドにいれば、その取りまとめは可能なのではないかと思っておりましたので」

 長年商業ギルドにいた実績と自信が、確かにあったということなんだろう。
 ただ現時点での彼は、後悔の念の方が大きいように思える。

「だがカプート子爵家に入ってしまった、か」

 そしてエドヴァルドの言葉こそが正解だとばかりに、そっと視線を外していた。

「言い訳のしようもありません。当時の私は子爵位を得ることが出来れば、商業圏の拡大にも有利に働くだろうと婿養子の話を受けた。ですが下位とは言え、貴族の責務とは商業ばかりではない。むしろ目が行き届かなくなってしまった。己の能力の限界を思い知らされました」

 ブラーガの領都商業ギルド長の地位のままだったとしても、いずれ何かしらの挫折はあったかも知れない。
 たらればで物事は語るべきじゃない。
 それでも、カプート子爵の中にはきっと大きな後悔が根付いているように見えた。

「それで己の後悔を、今度はレイナの商会とフラーヴェク子爵の商会に押し付けて晴らすつもりか?」

「まさか! ただ私は今回の件、一番騒ぎを大きくしないで済むのが『沿岸地域の商業圏の協力体制』という看板ではないかと思ったのですよ」

 多くの逮捕者が出た挙句に商会、領地の解体再編まで加わってくれば、多方面で領地経営や商業運営に影響が出てくる。

 うっかり他国資本に乗っ取られないようにするためにも、何かしらの目玉が必要になるはず。

 あの広間での騒ぎの間に、恐らくカプート子爵はそう考えて、一度は諦めた海岸沿いの商業圏に協力体制を敷くと言う案を、己の中で浮上させたように見えた。

 たださすがに以前己が温めていた案そのままではなく、ラヴォリ商会やユングベリ商会、フラーヴェク商会を噛ませることで不可能を可能にしようとも目論んでいたようだ。

 転んでもただは起きない……とでも言うのだろうか。さすが根が商売人。強かだ。

「ほう……離縁をして己がギルドに戻る、とは言わないか」

 やや煽った口調のエドヴァルドにも、カプート子爵は怯まなかった。

「今や領地と領民を抱える身。そんな無責任なことは申しません。仮にそうしたとしても、今度はギルドの方が誰も味方をしてくれませんでしょう」

「なるほど己の立場は一応理解しているか。聞くが、仮に沿岸連合でも海岸連合でもいいが組織を立ち上げたとして、その地位で後ろ楯になるつもりはあると言うことだな。この場合、挿げ替えが起きるであろうヒチル伯爵家に助力をするという意味も含まれるが」

「もちろんです」

 そしてカプート子爵の返答は、まったく躊躇のないものだった。

「そして私が今の子爵家以上の地位を賜ることも、分不相応だと認識しております。今の地位で、連合の盟主を引き受けて下さる方と現場の商会との間に立つくらいがちょうどいいのではないかと」

 それは、この先いくつか領主の地位が空くであろう伯爵家のいずれにも自分は入らず、またカプート子爵を伯爵家以上に押し上げるつもりもないことを明言したも同然だ。

 ただ……何だろう、私も本人が申告している立場に居て貰う方が、もっともこの人の真価は発揮できるのではないかと言う気がしていた。

……」

 場を考えて、エドヴァルドの名前を呼ばずに視線だけを向けてみれば、何とも複雑そうな表情と視線にぶつかった。

「なるほど、本人カプートも『両方がいい』と自認しているわけか……」

 ユングベリ商会が、新たな販路と港町に拠点を置くにあたっての悪意除けと当面のタダ働き。
 罪の償いであると同時に、今後の交易発展のための布石。

 右手の指でぐりぐりとこめかみを揉み解したエドヴァルドが、盛大なため息と共に「わかった」と口にしたのは、どのくらいたってからのことだっただろうか。

 皆が固唾を呑んでいたため、その時間が長いのか短いのかは、誰にも判断が出来なかった。

「どこまでを連合とやらに含めるかは今すぐに決めなくてもいいだろう。ラヴォリ商会の動きの妨げになるのもマズいだろうしな。ただ、今の話でいくつもりでいることは、この後王都商業ギルドにも伝えて構わないとする。いずれ行政の側とも話し合いを、と併せて伝えておいてくれ」

 この時、私以外の在席者たちの心の中で「エドヴァルドが折れた」と言う心の呟きが、それぞれの個性に応じて洩れ出ていたらしい。

 あとでエリィ義母様から言われるまで、私は気付きもしなかったのだけれど。

「陛下と高等法院関係者オノレにもそう報告しておく。――時間切れか」
「!」

 もともと、両子爵をこの部屋に連れてきていることがかなりのイレギュラーだ。

 ため息の後立ち上がったエドヴァルドは、あくまで一連の動作の延長線上とでも言うように、私の耳元へとそっと顔を近付けた。

「全部片付いたら、覚悟しておいてくれ」
「⁉」

 覚悟⁉ 何を⁉ 何か私やらかしました⁉

 もちろん、声には出していない。
 ただ、はくはくと口を開いただけだ。
 だけど表情なり態度なりから筒抜けたのかも知れない。
 エドヴァルドは、分かっているだろうと言わんばかりに口の端を持ち上げていた。

「何を?――だ。誰にも邪魔はさせない」

 腰砕けになりそうなバリトンボイスを人の耳元で囁いておいて、エドヴァルドはこちらの返事を待たずに身を翻した。

 返事なんて出来ないだろう? と、言わんばかりに。

 そして口惜しいかな、それはその通りでもあった。
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