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第三部 宰相閣下の婚約者

768 選択のお時間です(後)

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「……その質問には、答えなくてはなりませんか?」

 長いのか短いのか、よく分からない沈黙の後で、フラーヴェク子爵がゆっくりと視線を上げた。
 床から――こちらへと。

「いいえ? ただの、私のですから」

 そう言って微笑わらった私に、フラーヴェク子爵が眉根を寄せた。
 その表情は、私が何を考えているのか確実に気にしている表情だ。

 これなら、初手としてはいい感じで打てたと言えるだろう。
 そして確信する。
 この人、道連れ覚悟で全てに目を瞑ったんだと。

 何なら誰も気付かずに月日が流れれば、自分で情報のリークくらいはやってのけたかも知れない。

 それはそれで、ヒチル伯爵家とフラーヴェク子爵家を共倒れに持ち込んだとして、空白になる地域をどうするつもりだったのかは気になるところだ。

「フラーヴェク商会に発展の意図がなく、ただヒチル伯爵家を道連れにするためだけに作られた商会だったとして、共倒れて空白になった場合の将来展望はどうなっていたのかなぁ……と。あっ、独り言ですよ? ひ・と・り・ご・と」

 私が敢えてニコニコと笑っているところから、そのことを悟ってくれるといいのだけれど。

「……っ」
「……レイナ……」

 そんな大きな独り言はない、とエドヴァルドから苦情の声があがってしまったが、そこは笑顔で無視スルーしておく。

「発展の意図がない……? フラーヴェク商会が……?」

 そして私の「独り言」に、カプート子爵も思わぬ反応を見せていた。

「いや……私がブラーガの領都商業ギルドにいた頃から……フラーヴェク商会は、新興の商会の中では有望株だと思われていたはず……」

 直接の傘下にはなかったものの、商売圏が近かったこともあって、ある程度の評判は届いていたのだと言う。

「まあ、ヒチル伯爵家の取引先を奪い取るまでやろうと思えば、ある程度は有能だと示しておかないと、周りも相手にしてくれないでしょうし……長期戦を覚悟していたなら、商会の黒字経営も必須じゃないかと」

「確かにそうかも知れませんが……」

 私の言葉にカプート子爵は口ごもっている。
 もったいない、と呟いているのも同時に聞こえた。

「カプート子爵からみても、もったいないと思いますか?」

 しかも狙った通りの言葉を口にしてくれたので、私も水を向けやすかった。

 私の誘導を、分かっているのかいないのか、カプート子爵は「ええ」と、小さく頷いた。

「いち子爵家や商会が、伯爵家を引きずり下ろすまでのことが出来ると言うなら、既に法に反した事柄の証拠集めとて、かなりのところまで進んでいたはず。私なら司法取引をして、潰す伯爵家の次期様とか、伯爵領に出入りする商会関係者とかに表向きの手綱を握らせようとするでしょうね」

 しかも「表向き」とか、普通にぶっちゃけている。

「ですよね……」

 私なら自力で嵌めた相手は引きずり下ろすと、さっき口にしたことにもさりげなく話を被せてきているし――何だか話が合いそうな気も、物凄くしている。
 さすがは一時期王都商業ギルド長候補とまで言われた人だなと思う。

 多分この人は、子爵家に入ったが故に、領内商業の隅から隅までは目が届かなくなったんだ。
 それなりに人の上に立てる才があるからこその婿入りだろうけど、畑が違えば不得手な部分も表面化してくる。

 フラーヴェク子爵もだけど、ナルディーニ家が動いたタイミングが、彼らにとっては悪い方向に傾いた。

 投資詐欺と〝痺れ茶〟の話がほぼ同時進行で動いてくるようなことがなければ、多分この二人は起きた事態を適切に裁ききったような気がする。

「そういうカプート子爵もはお持ちなんですよね? それで有難いことに、ユングベリ商会が相手になるかどうか、まずは候補の第一号として下さった」

「いやいや。私に出来ることと言えば、領地の商業ギルドの人事に関して、イッターシュギルド長にをすることくらいですよ。それ以上は領主として越権、強権行為と取られてしまいかねない」

 ふふふ、ははは……とでもト書き出来そうな笑いをお互いに交し合う。

「ただまあ、海岸沿いの領地はどこも王都から距離がある分、中央から取り残されている感を持っている所が多い。今回、その焦りが馬鹿な行為に手を染めさせたと言うなら、海岸沿いの領地だけで一度話し合いをして、それぞれの境界線を再検討するのもいいのではと……素人の浅知恵だったかも知れませんね」

 普通に考えれば、カプート「子爵」がその音頭を取ることなど出来るはずがない。

 ただ、率先して法を犯したのがナルディーニ「侯爵」であるのだから、代理で伯爵や子爵位を持つ人間が、代わって先頭に立つことは可能だとも言えた。

「ああ……それで、フラーヴェク子爵を……?」
「ヒチル伯爵家に返り咲いて下さるのであれば、資格は充分かと」

 何気ない私とカプート子爵とのやりとりに、目を見開いたのはフラーヴェク子爵本人だ。

 なっ……と声を洩らして、私とカプート子爵を凝視している。

「うーん……各商会の商業圏をリセットして組み直すのであれば、それもアリなんでしょうけど……貴族としての領地を再編となると、中央を無視して出来ることじゃない気が……」

「もちろん。私はあくまで、海岸沿いの領地に商業圏を持つ商会を集めて、領都商業ギルド以上の『連合』を作るのはどうだろうと思っていただけなんですよ。王都商業ギルドに次ぐ規模となれれば、王都に対して鬱屈した思いを抱えている連中のちっぽけな矜持も満たされるはず――とね」

「なるほど……」

「――いやいや、待って下さい! なるほど、じゃないでしょう!」

 そしてようやく我に返ったのか、こちらの会話に思わず……と言った感じに割って入ってきた。

「私は未承認の品物の流通を見過ごした人間ですよ? 間接的に投資詐欺の資金稼ぎにだって手を貸している可能性もある。恐らく証言をしたところで、無罪まではいかない。今のヒチル伯爵家の連中を引きずり下ろせればそれでいいと、高等法院での証言に応じるとも言った。恐らく私では、空位になったヒチル伯爵家には入れない!」

「…………わぁ」

 勢いに任せてフラーヴェク子爵、自分のやったことを全部認めている。

 もちろん高等法院で証言するつもりだったくらいだから、隠す気はなかったんだろうけど、多分カプート子爵のペースに巻き込まれて、この場でも旗幟を鮮明にせざるを得なかったんだと思われた。

「おや。もともと確かもう一人、故伯爵と屋敷の侍女との間に生まれている女児がいたはずでは? その子に有能な婿を探して、後釜にするつもりだと思っていましたが」

「なっ⁉」

 カプート子爵の発言に驚いたのは、フラーヴェク子爵だけじゃなかった。

 その情報網の広さと確かさに、この場にいた全員が少なからずの驚きをもって、カプート子爵を見つめていた。

 さすが、海岸沿いの領地で独自の商業圏を築こうと考えていただけのことはある。
 情報の正確さと新鮮さが命の商売人らしい気質の持ち主だ。

 多分もう少し、貴族としてのやり取りに慣れてくれば、子爵より上の地位でもこなせるのではと思わせるほどだ。

「……何を考えている、カプート子爵」

 眉根を寄せて、そう聞いたのはエドヴァルドだ。
 海岸沿いの領地云々の話ではなく、多分カプート子爵が、フラーヴェク子爵の立ち位置をどうするつもりでいたのかと、そう言う意味で聞いている。

「……そう、ご心配なさらずとも大丈夫ですよ、宰相閣下」

 根が貴族ではなく商人であるカプート子爵は、恐らくエドヴァルドへの怯懦が周囲の人間ほどじゃない。

 この時も、むしろ目元を緩めて肩をすくめたくらいだった。

「私の考えていることは、恐らくユングベリ商会長もお考えのことだったはずですから」
「…………何?」
「はい⁉」

 いや、いきなり話を振らないで下さい⁉
 確かに考えていたことはありますけれども!

「もともと、領地を束ねる子爵として監督不行き届きだった私と、ヒチル伯爵家を表舞台から引きずり下ろすために泥をかぶったフラーヴェク子爵に、取れる選択肢などほとんどありません。ユングベリ商会の傘下に入ってタダ働きをするなり、ユングベリ商会を庇って嫉妬と悪意の矢面に立つなり、ユングベリ商会を海岸連合の頂点に立たせるべく裏で動くなり……くらいしか、ね」

「…………」

 いやいやいや!
 なんでエドヴァルドまでが、半目になってこっちを見てるんでしょう⁉

「いや……まあ、海産物を王都に運んで貰う販路を確立させたいなぁ……とは思ってましたよ? ラヴォリ商会がボードストレーム商会の販路を潰したとして、禍根の一つや二つや三つは残るでしょうし、八つ当たりとか逆恨みとかを引き受けて貰うって言うのも、充分な罰にはなるかな……とか?」

 王都商業ギルドやラヴォリ商会が、自分たちの敵に回らないであろうユングベリ商会の支店を海岸沿いのどこかに置かせたがっているのは分かっていても、何せまだヨチヨチ歩きの商会だ。絶対に、既に商売のノウハウを持っている商会をある程度取り込む必要は出てくる。

 カプート子爵もフラーヴェク子爵も充分に商会経営のノウハウを持っているし、人脈だってあるだろう。

 刑罰の一環として、その手腕を献上して貰うとなれば、より、裏切りの危険も減る。

「普通に考えれば、賠償金払って爵位返上――とかですか? それじゃ、誰も得をしないですし。だったら得をしたっていいじゃないか、と」

「レイナ……」

「ダメですか? タダ働きか、逆恨みとか八つ当たりとかからの標的になって貰うか、あるいは両方か」

 オススメは、両方です。

 へらっと笑った私に、エドヴァルドの何とも言えない視線が突き刺さった。
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