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第三部 宰相閣下の婚約者
【宰相Side】エドヴァルドの煩慮(6)
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「……っ!……誰……私を……」
恐らくは「誰だ」「私をナルディーニ侯爵と知ってのことか」くらいは言っているのだろうが、どこぞの軍務・刑務の長が遠慮なく殴り飛ばしたせいもあってか、ひゅうひゅうと、声にならない音、咳き込む音がほぼ全てを覆い隠していた。
「ちょうどいいから、息子も一緒に閣議の間に放り込んでおけ。それから、宰相の許可も得たことだ。先代エモニエ侯爵夫人も丁重にご招待だ。お待ちかねの答え合わせの時間だな」
もちろん、絡まりあった真実の糸を解きたいとは思うものの、待ちかねていたかと問われれば、そんなものは王くらいだろうと、思った私は間違っているのだろうか。
他の面々は、どう考えても娯楽要素より仕事を増やされた怒りの方が上回っているはずだ。
「陛下。答え合わせと仰るなら、真実と言う名の糸は投資詐欺にも〝痺れ茶〟にも絡んでいるのでは?」
登場人物が不足している、との私の言い回しに王は「ふむ」と素直に納得していた。
「夫人とナルディーニ父子だけでは招待客不足か」
「少なくとも侯爵家の名を持つ関係者と、献金の流れを確認するためにもレイフ殿下には同席して貰う必要があるのではないかと」
「向こうに転がるヒチル伯爵家関係者はいいのか?」
こちらでオーステン卿に踏みつけられたナルディーニ侯爵令息以外は、認識阻害の壁の向こう側で、マトヴェイ卿の指示により拘束されようとしていた。
投資詐欺には無関係な連中だが、密かに流通していた〝痺れ茶〟の存在を知り、本来の跡取りであるはずのフラーヴェク子爵にそれを盛ったと言うのだ。
確かに、どこからその情報を得て、現物を手に入れたのかは確認する必要はあるだろう。
王もそれを言わんとしているのは分かるのだが。
「アレは伯爵家乗っ取りを企む傍系。その立場を取り戻したいと願っているのはフラーヴェク「子爵」家。今の時点で高位貴族と見做すのはいかがなものかと」
ヒチル家自体は確かに伯爵家だが、調べてみれば現状は、後妻やその一族に連なる者らが奸計を巡らせて実権を握っている線が濃厚だ。
とは言え元ヒチル伯爵令息、現フラーヴェク子爵の方も、自分が返り咲くための軍資金を稼ぎ出すために、その茶葉を利用しようとしていたのだ。
陥れられたとは言え、やり返す方法を間違ったのは、本人も自覚して認めている。
今一度自分が陥れられた経緯を詳らかにし、後妻関係者をヒチル伯爵家から叩き出すため、司法取引として茶葉の流通経路の一部を証言しているくらいなのだから。
確かに〝痺れ茶〟絡みではあるが、この件に関しては、既に王宮よりも高等法院が裁くべき案件に移行している。
こちらとしては、今はその証言さえあれば充分だ。
「まあ、その場でナルディーニに恫喝されたとて身分的に逆らいづらいか」
私の言葉の裏をどこまで汲み取ったのか、王はそう言って、それ以上ヒチル伯爵家関係者の同席は強要しなかった。
「無駄に証言をひっくり返されても困りますから。こちらは証言のみを上手く活用して、実際の裁判に関しては高等法院と、新クヴィスト公爵に間に入って収めて貰うのが肝要かと」
もともと、ヒチル伯爵家はクヴィスト公爵領下の貴族家だ。
今は亡きクヴィスト公爵だったら、一歩間違えればフラーヴェク子爵側が押さえ込まれていたかも知れないが、亡くなった父親の所為で評判が暴落状態の今ならば、自身の足元を固める意味でも、次のクヴィスト公爵は公平な裁定をしなくてはならないと理解が出来る筈だ。
王と五公爵の間でのみ無能と誹られるのと、その周囲の貴族や官吏に至るまで全てを知られてしまうのとでは、誰が考えても前者を取る。
そしてそこまでの説明は、少なくとも王には不要だった。
「来るなりシェヴェスを働かせるつもりか」
そう言って笑う口元は、明らかに愉悦に歪んでいる。
私は、王を愉しませるために話をしている訳ではない。
そう思いながらも、長年の習慣もあいまって、つい言い返してしまう。
「働かせるとは人聞きが悪いですね、陛下。高等法院との連携もそうですが、彼がヒチル伯爵家とフラーヴェク子爵家をどう扱うかで、あくまで父親の模倣品に留まるのか、それとも時代に合わせて領政も変化させていくつもりがあるのか、よく分かるのではないかと思っただけですよ」
何せ長い間、クヴィスト公爵家は故人となったマチェイ・クヴィストが君臨しつづけていたのだ。
その息子シェヴェスは、私やフォルシアン公爵よりも年齢が上であるにも関わらず、公務の表舞台に顔を出すことがほとんどなかったため、実務能力を推し量れずにいるのが実状だった。
こちらから確かめるのにも、本人が証明するのにも、いい機会になる筈なのだ。
「新米公爵に随分と遠慮のないことだ。まあ、新米と言うには違和感のある年齢ではあるがな」
「国に5つしかない公爵家の当主になるのですから、何歳であろうと自覚と覚悟は持って貰わなければ困りますね」
「正論なんだが素直に受け取れないのは、何故だろうな」
「私に訊かれましても。ご自身で胸に手を当てて問いかけてみられては」
「そうか。では、宰相の嫌がらせということにしておこうか」
「…………」
嫌味が嫌味にならない苛立ちが、ふいと顔を横に逸らさせる。
ただ、流石にそれを否定できるほどには、私も厚顔無恥にはなれなかった。
「しかし、ルジェク・ダールグレンはなかなか抜けられずにいるようだな」
そして私がこれ以上話を混ぜ返さぬようにと、ざっと辺りを見回した王も話題を変えてくる。
「……典礼の部署こそ、今一番忙しいでしょうからね」
話題転換と知りつつも、これには答えざるを得ない。
外交部長の肩書を持つマトヴェイ卿や、部署の総責任者とも言えるコンティオラ公爵がこちらにいる以上、長官職にあるルジェク卿が執務室から一歩も出られない状況に陥っていたとしても、誰も驚くまい。
コンティオラ公爵はまだしばらく現場には戻れないだろうことを加味すれば、恐らくマトヴェイ卿を戻すくらいのことはしないと、ルジェク卿自身は出て来られないんじゃないかとさえ思える。
私がそうも付け加えたところ、陛下の「……ふむ」と言う声と、マトヴェイ卿の「……ああ」と言う声とが、図ったように重なった。
「それでそのまま、マトヴェイが状況を説明してやるのが一番か。しかし、他に諸悪の根源を殴ったり蹴ったり――いや、踏みつけたりか? ともかく、そんな長官がいると知れれば、思うところも出てきそうだな」
思うところ、の部分をわざと強調しながら王が笑う。
まさか長官全員一発ずつ殴らせてやれとでも言うつもりかと、私は分かりやすく眉を顰めて見せた。
「そんなことを言い始めたら、今せっかくここで矛を収めているヘルマン、ブレヴァル両長官にだって権利を与えないわけにはいかなくなるでしょう。この二人には物理以外の方向で憂さは晴らして貰おうと思っていたのですから」
「……物理以外……」
激しく同意するように頷いているロイヴァスの隣で、常識派官吏筆頭、と言うよりは長官中唯一の侯爵位を持つ高位貴族としての品格からか、アダム・ブレヴァルは唖然とコトの成り行きを窺っていた。
「おや、ブレヴァル長官は『殴らせろ』派でしたか? てっきりナルディーニ侯爵家から慰謝料なり賠償金なり詐欺返金なり、大金を吐き出させて困窮させる方向にいくかと思っていましたが」
「ヘルマン長官……」
ロイヴァス・ヘルマンは、直情径行型の弟フェリクスと違い、魑魅魍魎の跋扈する王宮で揉まれただけのことはある性格をしている。
司法・公安などと言う部署にいると、どうしても人間の裏側ばかり目にしてしまうが故のことかも知れないが。
「ああ、それとも私と一緒にサレステーデの馬鹿王族どもの後始末に奔走されますか? バレス宰相から法外な慰謝料を取ると言うのも一案ですよ。あるいは両方」
「…………」
年上のはずのブレヴァル侯爵の方が気圧されている。
そしてブレヴァル侯爵が何かを答えるよも先に、王の方が清々しい笑顔で「うむ、それならどちらでも許可してやろう」と宣わっていた。
「す、少し……少しだけ、考えさせていただけないでしょうか。ダールグレン長官が来るまでの、ほんの少しだけ」
それでもやはり「長官」の名を持つ「侯爵」だ。
頭の片隅に「常識とは?」や「倫理とは?」など残しているフシはあれど、それを口に出すことまではしなかった。
「まあ、そのくらいなら良かろうよ。私も少しは書類を減らせと宰相からも言われていることだしな。結論は宰相に告げるといい。 いいな、宰相?」
「――もちろんです。五人の長官と通常業務の割り振りを考えた後で、閣議の間へ向かいます。この場に残る伯爵以下の貴族らの処遇も、その中で再度確認をします。何せ、このままいけば牢が溢れると言う前代未聞の事態になりかねませんので」
とは言ったものの、私としては「ユングベリ商会」関連で、ラヴォリ商会との交渉をするであろうレイナのために、カプート子爵やフラーヴェク子爵らと流通経路のことを確認、話を詰めさせる必要もあった。
イル――フォルシアン公爵がすぐにでも戻ってくれば、私も少し席を外せるか?
私はそんなことを考えながら、席を離れる王を見送ったのだった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
いつも読んでいただいて、感想&エール有難うございます! °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
2巻の発売を記念して、個人的に文庫サイズ、栞にピッタリ?サイン入りサンキューカードプレゼントキャンペーンを企画、当選者をTwitter(@karin_w_novel)固定欄にて発表致しました!
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恐らくは「誰だ」「私をナルディーニ侯爵と知ってのことか」くらいは言っているのだろうが、どこぞの軍務・刑務の長が遠慮なく殴り飛ばしたせいもあってか、ひゅうひゅうと、声にならない音、咳き込む音がほぼ全てを覆い隠していた。
「ちょうどいいから、息子も一緒に閣議の間に放り込んでおけ。それから、宰相の許可も得たことだ。先代エモニエ侯爵夫人も丁重にご招待だ。お待ちかねの答え合わせの時間だな」
もちろん、絡まりあった真実の糸を解きたいとは思うものの、待ちかねていたかと問われれば、そんなものは王くらいだろうと、思った私は間違っているのだろうか。
他の面々は、どう考えても娯楽要素より仕事を増やされた怒りの方が上回っているはずだ。
「陛下。答え合わせと仰るなら、真実と言う名の糸は投資詐欺にも〝痺れ茶〟にも絡んでいるのでは?」
登場人物が不足している、との私の言い回しに王は「ふむ」と素直に納得していた。
「夫人とナルディーニ父子だけでは招待客不足か」
「少なくとも侯爵家の名を持つ関係者と、献金の流れを確認するためにもレイフ殿下には同席して貰う必要があるのではないかと」
「向こうに転がるヒチル伯爵家関係者はいいのか?」
こちらでオーステン卿に踏みつけられたナルディーニ侯爵令息以外は、認識阻害の壁の向こう側で、マトヴェイ卿の指示により拘束されようとしていた。
投資詐欺には無関係な連中だが、密かに流通していた〝痺れ茶〟の存在を知り、本来の跡取りであるはずのフラーヴェク子爵にそれを盛ったと言うのだ。
確かに、どこからその情報を得て、現物を手に入れたのかは確認する必要はあるだろう。
王もそれを言わんとしているのは分かるのだが。
「アレは伯爵家乗っ取りを企む傍系。その立場を取り戻したいと願っているのはフラーヴェク「子爵」家。今の時点で高位貴族と見做すのはいかがなものかと」
ヒチル家自体は確かに伯爵家だが、調べてみれば現状は、後妻やその一族に連なる者らが奸計を巡らせて実権を握っている線が濃厚だ。
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確かに〝痺れ茶〟絡みではあるが、この件に関しては、既に王宮よりも高等法院が裁くべき案件に移行している。
こちらとしては、今はその証言さえあれば充分だ。
「まあ、その場でナルディーニに恫喝されたとて身分的に逆らいづらいか」
私の言葉の裏をどこまで汲み取ったのか、王はそう言って、それ以上ヒチル伯爵家関係者の同席は強要しなかった。
「無駄に証言をひっくり返されても困りますから。こちらは証言のみを上手く活用して、実際の裁判に関しては高等法院と、新クヴィスト公爵に間に入って収めて貰うのが肝要かと」
もともと、ヒチル伯爵家はクヴィスト公爵領下の貴族家だ。
今は亡きクヴィスト公爵だったら、一歩間違えればフラーヴェク子爵側が押さえ込まれていたかも知れないが、亡くなった父親の所為で評判が暴落状態の今ならば、自身の足元を固める意味でも、次のクヴィスト公爵は公平な裁定をしなくてはならないと理解が出来る筈だ。
王と五公爵の間でのみ無能と誹られるのと、その周囲の貴族や官吏に至るまで全てを知られてしまうのとでは、誰が考えても前者を取る。
そしてそこまでの説明は、少なくとも王には不要だった。
「来るなりシェヴェスを働かせるつもりか」
そう言って笑う口元は、明らかに愉悦に歪んでいる。
私は、王を愉しませるために話をしている訳ではない。
そう思いながらも、長年の習慣もあいまって、つい言い返してしまう。
「働かせるとは人聞きが悪いですね、陛下。高等法院との連携もそうですが、彼がヒチル伯爵家とフラーヴェク子爵家をどう扱うかで、あくまで父親の模倣品に留まるのか、それとも時代に合わせて領政も変化させていくつもりがあるのか、よく分かるのではないかと思っただけですよ」
何せ長い間、クヴィスト公爵家は故人となったマチェイ・クヴィストが君臨しつづけていたのだ。
その息子シェヴェスは、私やフォルシアン公爵よりも年齢が上であるにも関わらず、公務の表舞台に顔を出すことがほとんどなかったため、実務能力を推し量れずにいるのが実状だった。
こちらから確かめるのにも、本人が証明するのにも、いい機会になる筈なのだ。
「新米公爵に随分と遠慮のないことだ。まあ、新米と言うには違和感のある年齢ではあるがな」
「国に5つしかない公爵家の当主になるのですから、何歳であろうと自覚と覚悟は持って貰わなければ困りますね」
「正論なんだが素直に受け取れないのは、何故だろうな」
「私に訊かれましても。ご自身で胸に手を当てて問いかけてみられては」
「そうか。では、宰相の嫌がらせということにしておこうか」
「…………」
嫌味が嫌味にならない苛立ちが、ふいと顔を横に逸らさせる。
ただ、流石にそれを否定できるほどには、私も厚顔無恥にはなれなかった。
「しかし、ルジェク・ダールグレンはなかなか抜けられずにいるようだな」
そして私がこれ以上話を混ぜ返さぬようにと、ざっと辺りを見回した王も話題を変えてくる。
「……典礼の部署こそ、今一番忙しいでしょうからね」
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コンティオラ公爵はまだしばらく現場には戻れないだろうことを加味すれば、恐らくマトヴェイ卿を戻すくらいのことはしないと、ルジェク卿自身は出て来られないんじゃないかとさえ思える。
私がそうも付け加えたところ、陛下の「……ふむ」と言う声と、マトヴェイ卿の「……ああ」と言う声とが、図ったように重なった。
「それでそのまま、マトヴェイが状況を説明してやるのが一番か。しかし、他に諸悪の根源を殴ったり蹴ったり――いや、踏みつけたりか? ともかく、そんな長官がいると知れれば、思うところも出てきそうだな」
思うところ、の部分をわざと強調しながら王が笑う。
まさか長官全員一発ずつ殴らせてやれとでも言うつもりかと、私は分かりやすく眉を顰めて見せた。
「そんなことを言い始めたら、今せっかくここで矛を収めているヘルマン、ブレヴァル両長官にだって権利を与えないわけにはいかなくなるでしょう。この二人には物理以外の方向で憂さは晴らして貰おうと思っていたのですから」
「……物理以外……」
激しく同意するように頷いているロイヴァスの隣で、常識派官吏筆頭、と言うよりは長官中唯一の侯爵位を持つ高位貴族としての品格からか、アダム・ブレヴァルは唖然とコトの成り行きを窺っていた。
「おや、ブレヴァル長官は『殴らせろ』派でしたか? てっきりナルディーニ侯爵家から慰謝料なり賠償金なり詐欺返金なり、大金を吐き出させて困窮させる方向にいくかと思っていましたが」
「ヘルマン長官……」
ロイヴァス・ヘルマンは、直情径行型の弟フェリクスと違い、魑魅魍魎の跋扈する王宮で揉まれただけのことはある性格をしている。
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「す、少し……少しだけ、考えさせていただけないでしょうか。ダールグレン長官が来るまでの、ほんの少しだけ」
それでもやはり「長官」の名を持つ「侯爵」だ。
頭の片隅に「常識とは?」や「倫理とは?」など残しているフシはあれど、それを口に出すことまではしなかった。
「まあ、そのくらいなら良かろうよ。私も少しは書類を減らせと宰相からも言われていることだしな。結論は宰相に告げるといい。 いいな、宰相?」
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とは言ったものの、私としては「ユングベリ商会」関連で、ラヴォリ商会との交渉をするであろうレイナのために、カプート子爵やフラーヴェク子爵らと流通経路のことを確認、話を詰めさせる必要もあった。
イル――フォルシアン公爵がすぐにでも戻ってくれば、私も少し席を外せるか?
私はそんなことを考えながら、席を離れる王を見送ったのだった。
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