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第三部 宰相閣下の婚約者

【宰相Side】エドヴァルドの煩慮(4)

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 アンジェス国内、転移扉を除く馬車輸送の道を整えたり、移動のための馬の育成販売を管理監督したり、学園教育の内容に不正や偏りがないかを精査する部署の長官――それがオーステン・カッレだ。

 食用としての需要が多い肉牛や乳牛が複数の公爵領下で育てられているのとは違い、羊はヘルマン、馬はカッレと、こちらは明確な育成地が存在している。

 クヴィスト公爵領下にあるカッレ侯爵家が長官職を担うのには、そのあたりにも理由があるのだ。

 そう言う意味ではヘルマン侯爵家から財務長官になる人材が出ても良かったのかも知れないが、これはひとえに養羊業以外に目が向く人材がこれまで現れなかった経緯と、唯一の例外であったロイヴァス・ヘルマンを私が司法・公安長官に引き抜いた事との両方が影響を及ぼしている。

 更にアダム・ブレヴァル侯爵の財務官吏としての優秀さを鑑みれば、ヘルマン侯爵家は尚更養羊業へと傾かざるを得ない。今の長官職は、それぞれ皆が周囲に認められているのだ。

 ましてあくまで公爵「代理」であるスヴェンテ老公と、名誉職のように公爵位にしがみついていた故クヴィスト公爵のことを思えば、アダムとこの、今目の前に立つオーステンは、王宮内官吏の双璧と言っていい二人だった。

 他の三人の長官は、己の職務の範囲内では余人の追随を許さないが、アダムとオーステンの視野の広さは、万一の時には他の職務にも助力が出来る程なのだ。

 そう言う意味では、今回のことで最も通常業務から逸脱することになるであろうオーステンも、実は被害者と言えるのかも知れなかった。

「すまない。通常業務で急ぎでないものは全て後回しにして、他部署への助力に人手を借りたい」

 前置きを省いて、私はまず用件の根幹をオーステンに先に告げた。

 官吏としての建前から言えば、後回しにして良い業務などと言うものは存在しない。

 それでも言わなくてはならない。拒否権自体が存在しないと言う事を、私の口調から察せられないようでは長官になれない。

「……何故、と伺うことは可能ですか」

 眉根を寄せて、視線だけが辺りを一瞥したところを見ると「何かが起きた」ことはすぐに理解をしたようだ。

 私が簡潔に、未承認茶葉の流通と投資詐欺の話をするにつれ、ますます難しい顔になっている。

「なるほど。だから司法の長官と商務の長官がお見えなんですね」

「このあと、刑務と典礼も来る」

「…………」

 貴族牢のやら、三国会談の準備やら、そちらとて待ったなしの状態だ。

 オーステンは、頭痛がしたと言わんばかりに片手で額を覆った。

「ちなみに諸悪の根源はですか」

「どうだろうな。それぞれに、少しずつ原因があるような気もするが。敢えてこの場と限定をするなら、ナルディーニ侯爵父子か?」

 先代エモニエ侯爵夫人と関係を持ち、茶葉の流通を目論み、エモニエ侯爵家の元令嬢と夫に詐欺用の商会を作らせ、投資詐欺で更に稼ごうとした。

 一番今回の件に喰いこんでいるのは、ナルディーニ侯爵父子と言って良いのではないだろうか。

「恐らく放っておいても軍務・刑務ライネルが殴るか蹴るかしそうだ。何かしたいなら、今なら目を瞑っておいても良い」

 特に根拠があったわけではない。
 何となく、そう言いたくなるような空気を感じたのだ。

「…………そうですか」

 だから、そう呟きを洩らして広間の中を歩いたオーステンが、思い切り片足を降り下ろして、ナルディーニの息子の方を踏みつけているのを、無意識のうちにそのまま見過ごしてしまったのだ。

 可愛くもない呻き声が一瞬広間に響いたが、誰もそれを心配して駆けつけたりはしない。

 むしろどこぞの王フィルバートが、声を上げて笑ったほどだ。

「うむ、宰相の言う通りだ。面白いから不問に付しておいてやろう」

 ……踏んだ方も踏まれた方も、おかしな性癖に目覚めないことを祈るばかりだ。

「有難うございます。陛下と宰相閣下の寛大な御心に感謝致します」

 抑揚に欠けた声を発する一方で、もう一度足に力を入れているのは多分気のせいじゃないだろう。

 先を越されました、などとロイヴァスが呟く一方で、ブレヴァル侯爵の方は唖然と事の成り行きを窺っている。

「我が部署からの官吏の一時的な出向の件に関しては承知致しました。この広間の様子を見る限り、全職員一致で業務にあたらないことには裁判もままならず、会談も満足に開けないと言うことなのでしょう。人選は任せていただいても?」

「もちろんだ。いったんは会談が終了するまでとして、こちらからもある程度の情報は開示する方向でいく」

 サレステーデの王族のやらかしは、王宮内多数の目撃者もいるため隠しようもなかったが、クヴィスト公爵の死や三国会談についての情報は、まだほとんどの情報が伏せられたままだった。

 一から十まで上司の認可を都度仰ぐことが難しくなるであろうこの段階においては、ある程度の情報は一般官吏にも周知させる必要があった。

「それでも不満が出るようなら、私の名前を出しても構わん。その辺りは各々の裁量に任せる」

「承知いたしました。ですが言わせませんし、言うような官吏がいればそのまま今回の臨時配置を恒久的なものに変えるだけのことですので」

 そう言って一礼するオーステンに、ロイヴァスもブレヴァル侯爵も、何も言わず賛同の意を示すかの如く頷いた。

「ライネル・シクステンとルジェク・ダールグレンがこちらに来たところで、五人で実務の振り分けを行ってくれ」

 私の指示にも、誰も反論はしてこない。

「宰相、どうする? 先代エモニエ侯爵夫人はここへ呼ぶのか? それとも場所を変えるのか?」

 むしろ陛下の方が、期待を表情に乗せて、こちらを見つめていた。

「ナルディーニ侯爵を起こして、ここで骨肉の争いを繰り広げさせる方が面白そうだ――と、顔に書いてありますが?」

「長官たちとて、見たいし、知りたいだろう。私だけのせいにせずとも良いのではないか?」

「……罵り合いが始まって、ただ醜悪な場面が展開されるかも知れませんよ」

「それもまた一興だろう?」

 分かっていたその返しに、私は答える代わりにただ、ため息を吐き出した。
















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