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第三部 宰相閣下の婚約者

759 機会を下さい

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「エリィ、レンナルト殿。これは王命と心得ておいて欲しいんだが……ユーホルト殿には当面王都に留まって貰うことになる」

 ダリアン侯爵家が軽んじられているのでは? と、追い込んだ上でのイル義父様のこの一言に、今や私の義理の叔父――レンナルト卿は目を瞠った。

 エリィ義母様は、公爵夫人としての礼節は保ったままだけれど、イル義父様の方をじっと見ている姿勢はそのままだった。

「ああ、今のところは物理で首が飛ぶとかそんな話ではないんだが……」

 イル義父様、表情は変わらないのに発言が物騒です。

 王位継承権第三位になるかも知れない血筋が見え隠れしている気が、ひしひしとします。

「まだ公的行事として告示されてはいないが、近々の上層部が顔を合わせての会談が、ここアンジェスで開かれる予定でね」

「……はい」

 立場上「それが?」と聞けないレンナルト卿は、頷いてイル義父様の話の続きを待つしかない。

 さすがに、そんな重要な会談が数日以内に迫っているなどとは思っていないだろうけど。

 形式に則れば、エドベリ王子が来訪した時のように何ヶ月も前から準備を始めるのが当たり前なのだから。

「今回の投資詐欺事件に加えて、未承認の有害な茶葉が流通しかかっていたと言う事もあって、多くの官吏が事後処理に追われている」

「……それについては、ダリアン侯爵家としても、侯爵家であることの義務を疎かにしていたとしか」

「領都で領政を預かっているユーホルト殿と、彼の目が届かない地方を視察していたレンナルト殿。棲み分けは出来ていると思っていたよ」

「この首と胴が繋がったままで良いと温情を頂けるなら、視察の順番や場所など、一から練り直したいと思います」

 イル義父様が、首が飛ぶ飛ばないのと言ったせいか、レンナルト卿は固い表情のまま頭を下げた。

「まあ、視察が緩かったのか、報告書を読んだ方に見落としがあったのかは、私には分からないから、後で兄弟で話し合ってくれ。――それはさておき、だ」

 ただイル義父様は明らかに「首を差し出されても……」と言った様相だ。

 それで「つまらない」とか言い始めたら、第二の陛下誕生を危惧しなくちゃいけないところだったけど、どうやらそこまでではなかったようだ。

「要はそちらの会談の準備をするにあたっての、事務方の人手が足りないんだ。それはもう壊滅的に」

「壊滅的……」

「大袈裟なことは言っていないよ? 現に今、王宮内の灯りは夜になっても昼同様に灯されているからね」

 陛下に巻き込まれた、茶会の準備組もいたはずだとは思ったものの、そこは私も口を噤んだ。

「さすがに三日も四日も徹夜をすれば、かえって効率が落ちるから交代はさせるが、そんな官吏が複数王宮内に籠っていると言う程度には深刻だ。それで急遽、エモニエ侯爵と共にダリアン侯爵――ユーホルト殿には『臨時官吏』職が陛下より任命された」

「臨時官吏……?」

「有り体に言えば、無給で馬車馬のように働けと言うことかな。犯罪者の刑罰として苦役労働があるだろう? それを事務方にも適用したようなものだ。朝から晩まで――いや、朝から朝までか? いずれにせよ私の監督下で書類と格闘して貰う」

 朝から朝までって……。
 多分ちょっと遠い目になったのは、私だけじゃないはず。

 レンナルト卿も、表情の選択に困っている感じだった。

「……それでは領地の方は……」

「うん? 当然レンナルト殿、貴殿に回して貰うことになる。ああ、エリィの言っていた、鉱山の一斉点検? それも必要なことには違いないから、王宮に残らないからと言って、楽だと言うわけでは決してないね」

「…………」

 領主たるダリアン侯爵どころか、むしろ本家、王都からの助力が期待出来ないと言うことにもなるのだから、レンナルト卿の顔から表情が抜け落ちたのも、無理からぬことだと言えた。

 と言うか、イル義父様がくどく説明をしなくてもある程度を察しているあたり、さすがエリィ義母様が「領主交代させようか」と考えるだけのことはあると思った。

「貴方、では兄は王都の公爵邸おやしきに……? それはそれで、イデオン公が許可なさらない気がしますけど……」

 当然、領地に帰らないとなると住居が必要になる。

 ナルディーニ侯爵家と違い、ダリアン侯爵やエモニエ侯爵は本人が明確に犯罪を犯したと言うわけでもなければ、犯人を隠避したり逃亡を幇助したわけでもない。

 ノータッチだったことが、犯罪を生んだ――あくまで「領主として、侯爵の名を戴く者としての責任」なのだ。

 加えてさっきまで「貴族牢が溢れそうだ」と言う話も出ていた。

 そのまま考えれば、各公爵の管理下に置くと言う判断に傾くのも仕方がないことなのかも知れない。

「そうなるよね……」

 エリィ義母様に問われたイル義父様は、ちょっと苦笑いだ。

「アレは、ユーホルト殿が私の義理の兄だなんて論理は通用しないだろうからね……」

「そうですわ。結婚までフォルシアン公爵邸に――と言う、結婚前の令嬢であればごく当たり前と言っていい話にさえあれほど抵抗されたんですから」

 何気ない夫婦の会話に、レンナルト卿とシャルリーヌの生温かい視線がこちらに向いている。

 私が居たたまれなくなって、そっと視線を外している隣で、イル義父様とエリィ義母様の会話は続いていた。

「まあ、エモニエ侯爵がね、コンティオラ公爵邸の別邸に一時的に入ることになったようなんだよ。どうせ何日かに一度、数時間仮眠を取りに帰るのが関の山だろうから、もてなしもなにもないだろうとね。だからエリィが兄と親交を深めたいから、この公爵邸に滞在して欲しい……とかでなければ、同じ様にしようかとは思っているよ」

 イル義父様の、ブラック企業――もとい、ブラック王宮宣言と言ってもいい話に、私とシャルリーヌ、レンナルト卿の表情はちょっと強張った。

 声が常にミュート寸前、厳しいと言うよりは常にやつれた雰囲気のコンティオラ公爵だけど、やはり五公爵の一人、仕事に関してはキチンとした人であるようだ。

 ただただ、公爵邸いえのことを夫人に任せすぎていたと言うことなんだろう。

 王宮内本当に忙しい部署であるため、どこかのコヴァネン子爵や日本で言う昭和のオヤジのように、家で威張り散らしていたわけではないことは、せめてもの救いなのか。

「なんなら、実際には執務室と仮眠室か宿直室との往復で終わるんじゃないか……くらいには、私もコンティオラ公も考えているけどね」

「……そうですのね」

「エリィは、どうしたい?」

 無罪放免、何もなかったことにならないのはエリィ義母様もよく分かっているし、言うような為人ひととなりでもない。

 その信頼があるからこその、イル義父様の「どうしたい?」だった。

 実際エリィ義母様も、イル義父様の言っていることはブラック推奨、それなりに鬼畜な措置と言えるだろうに、兄を庇うような発言はここまで一度もしてきていなかった。

「そう言うことでしたら、わたくしも別邸の提供でいいと思いますわ」

 一瞬だけ首を傾げて考える仕種を見せたものの、エリィ義母様の発言に、ほとんど迷いはなかった。

「ただ、そうですわね……わたくしにも一度、兄を叱り飛ばす時間と機会をいただけませんかしら」

 むしろエリィ義母様らしい発言が続いたとも言える。

「――もちろんだよ、愛しい人エリィ



 イル義父様は、顔面偏差値最強の笑顔をいかんなく発揮して、最愛の妻へと笑いかけた。
















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