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第三部 宰相閣下の婚約者
750 兵どもが夢の跡
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夏草はない。
だけど「あるできごとのあった現場のようすが、すっかり変わってしまっていることのたとえ」と言う意味ではまさしく「兵どもが夢の跡」な軍神の間になっていると思う。
「そういうことだから、フォルシアン公爵とコンティオラ公爵は、自分の領地の侯爵の面倒はきちんと見ておくようにな。仮にも侯爵家領主だ。書類仕事が全く出来んほど愚かでもないだろう」
そう言えば、基本的に自国語以外に最低1ヶ国は学園で習得をしておかなくては、長男であろうとそもそも後継者としてのスタートラインにすら立てないと、いつぞや聞いた気がする。
勉強だけ出来て、社会人として役に立たない人間が散見されるのは、日本の社会でだって聞く話なのだから、アンジェスでもそこはそう大きく変わらないということなのかも知れない。
もちろん得手不得手はあって、そこは家令なり兄弟なりが補っているんだろうけど、それでも陛下の言う通り多少の書類仕事は手伝えるはず――と言うことなんだろう。
「陛下……ですが私は……」
痺れ茶の影響か微かに身じろぎをしながら、コンティオラ公爵が国王陛下の方を向いている。
「言いたいことは理解しているが、今不在にされては外交部が回らん。マトヴェイに暴れられるのも倒れられるのもごめんだしな」
陛下のセリフは、コンティオラ公爵を気遣ったと言うよりは、掛け値なしの本音であるかに見える。
「酷い言われようですな、陛下」
ニセ壁があるだろうから、どこまで見えているのかは不明だけど、私にはそう言って苦笑しているマトヴェイ外交部長の姿が見えていた。
「事実だろう?」
「否定はいたしませんが」
マトヴェイ部長、暴れるんだ……?
ダールグレン侯爵家にいた頃は、領主である兄の方が武闘派だったそうだけど、政変時に陛下の楯になったところから言っても、やはりコンティオラ公爵領防衛軍出身者なのだ。
さっきも後遺症のない方の足で魔道具を蹴り飛ばしていたくらいだから、いざと言う時には剣を片手に前に出る人なんだろう。
「宰相が王宮内で氷柱を落とした件は、まあどこぞの王家に費用を請求するからまだいいとしても、マトヴェイ、其方にまで暴れられては、今の時期にコンティオラ公爵を公務から外した私が悪いと言う話になるだろうが。だいたいが、修繕のための費用を割くくらいなら、魔道具や痺れ茶の更なる改良に予算を振る方が余程有意義だ」
「「陛下……」」
困ったように笑うマトヴェイ外交部長と、呆れたようにため息をついたエドヴァルドの声が、思わぬところで被っていた。
「……吝嗇家どころか、清々しいほどに理由が独善的ですね」
「いつの間にやらロイヴァスと示し合わせて修繕費用を他所に押し付けていた宰相に言われる筋合いもないと思うがな」
「原因は向こうなのですから、正当な請求をしているまでですよ」
国王と宰相。
どっちもどっちだと思ったのは、果たして私だけなんだろうか。
言葉遣いを難しくしているだけで、学生かとでも言うような軽口の応酬に、マトヴェイ部長の方が軽く咳払いをして、話を止めていたくらいだった。
「陛下、では今しばらくはコンティオラ閣下も外交部の仕事に専念していただけるのですね?」
国王陛下も、はたと不毛な言い争いになりそうだった自分に気が付いたようだった。
「まあ、配下の侯爵連中に好き放題させてしまったという点では、エモニエ侯爵と似たり寄ったりだからな。同じ様にしばらく無給で働くか、牢の連中の衣食住の費用をまとめて負担するか……いや、其方の場合は家庭内で父親としても色々と間違っていたようだしな、さて……」
独身の国王に「父親として間違っていた」と言われるとなると、コンティオラ公爵も余計に抉られていそうな気はする。
正確には、嫡男のヒース君はまっとうに育っているっぽいので、妻と娘に関しての対応を色々と間違ってきた――と言った方が正確じゃないかと思うけど。
ただ、こればっかりは私も言えた義理じゃない。
多分、エドヴァルドも。
現時点で他にちゃんと家族を持っている公爵家は、フォルシアン、スヴェンテ、クヴィストの三家だろう。
だけどよくよく考えれば、女性嫌いでほとんど家に寄りつかないお義兄様とか、そのお義兄様にフラれた腹いせに、勝手に輿入れ先の王族を呼んだ元クヴィスト公爵令嬢とか、第二王子を大っぴらに支援して処刑された先代スヴェンテ公爵とか……大なり小なり、どの家も教育をしくじっている気がしなくもない。
「とりあえずは外交部の公務に専念しろ、コンティオラ公。公爵としての公務は息子を巻きこめ。40歳を過ぎてもまだ公爵令息だったクヴィスト家とは違うのだ。いきなりの当主交代は無理がある。今から少しずつ仕込んでいけ」
そうなると、ヒース君は卒業までほぼほぼ学園に通えなくなる可能性が大だけど、学園在学中に当主あるいは領主が亡くなって、成人前にその地位を継ぐと言うケースは、エドヴァルドも含めて何年かに一度はあるらしい。
その場合、税の報告をボードリエ伯爵にも見せることで、学園の卒業資格はちゃんと与えて貰えるそうだ。
学園で学ぶこと以上の実地を経験したのだから、と。
今回、すぐに跡を継ぐわけではないものの、当主が監督不行き届きの罰として外交部の仕事に専念させられる。それであれば特例措置として、息子には公務に携わらせるように――と、国王陛下は言っていることになる。
「残り少ない学園生活を同級生と楽しみながら、将来の伝手を作ることに支障が出るのだ。成人前の令息が受ける罰としては充分だろう。親も本人も法を犯したナルディーニ家とは根本が違うのだからな」
それでもまだ罪悪感が消えぬなら、牢に入る連中の衣食住をまとめて補充しろ。
陛下はそうも付け加えていた。
「ああ、それと夫人と娘だが」
陛下の口調はついでのように軽いけれど、コンティオラ公爵にしてみればこちらも死活問題だろう。ビクリと顔を上げていた。
「夫人のことはもう、夫婦間の話し合いで何とかしろ。誰が口を挟む話でもないだろう。ただの教育の誤り、家庭問題だ。息子を支えるなり、エモニエ侯爵家に戻るなり、こちらは関知せん」
一連の流れからすれば、ヒルダ夫人は確かに、ただただ娘に甘かっただけとも言える。
後はその責任を、本人がどう取りたいと思うかだけであって、どちらに転ぼうと差し障りはないと陛下も判断したんだろう。
問題は、だ。
「ただし娘の方は事情が異なるな」
「……っ」
コンティオラ公爵は短く息を呑んでいるけれど、それはそうだろうなと事情を知る皆が思っていることだ。
皆、固唾を呑んで陛下が何を言い出すのかを見守っている。
「年齢を考えれば、とうに学び直してどうにかなる段階を越えているだろう。今後王宮での社交行事に表立って出て来られることは歓迎しかねる」
「陛下、それは……」
高位であろうと低位であろうと、領主夫人の立場に立つならば社交行事に一切出ないという選択肢はまずない。
領地謹慎だけでは済まないのか……? と、父であるコンティオラ公爵さえも、陛下の次の言葉を待っている状態だった。
「高等法院の事情聴取の裏取りのこともある。今すぐどうこうは言わん。ただ、次の外交の場において、交渉の手札の一つになることは予め申し伝えておこう」
「――――」
次の外交の場。それはいわゆる「三国会談」だ。
サレステーデ、あるいはバリエンダールにおける縁組を模索すると、暗に陛下はそう告げたのだ。
「まあ、ギーレンへの牽制という点ではベルィフに人質代わりに送るという話もありだが、いずれにせよ娘の処遇は次の外交まで持ち越しだ。そしてそれに関してだけは、外交部の関与は不可とする。そうだな、宰相にでも委ねておくか」
……そう言いながら、陛下の目がこちらを向いているのは気のせいだと思いたいのだけど。
「ああ、そうそう。いつまでも、姉君とボードリエ伯爵令嬢をこの場に留めておくのも気の毒だ。レストラン〝アンブローシュ〟の支配人に、料理の提供の場を移させたから、二人はゆっくりと味わって帰るがいい」
何か企んでいそう、だなんて気のせいったら、気のせい!
☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★
いつも読んでいただき、感想&エールありがとうございます……!
近況ボードにも昨日upさせていただきましたが、いよいよ第2巻が4月下旬に発売されることが決まりました!!
これも1巻を購入、応援して下さった皆さまのおかげですm(_ _)m
正式な発売日や書店予約が可能になる日時、扉絵など詳細はまた分かり次第それぞれ告知させて頂きます。
さすがにリファちゃんが挿絵になるまではあと何巻もかかりますwww
ぜひそこまで辿り着けるよう、書籍の購入宜しくお願い致します……!m(_ _)m
だけど「あるできごとのあった現場のようすが、すっかり変わってしまっていることのたとえ」と言う意味ではまさしく「兵どもが夢の跡」な軍神の間になっていると思う。
「そういうことだから、フォルシアン公爵とコンティオラ公爵は、自分の領地の侯爵の面倒はきちんと見ておくようにな。仮にも侯爵家領主だ。書類仕事が全く出来んほど愚かでもないだろう」
そう言えば、基本的に自国語以外に最低1ヶ国は学園で習得をしておかなくては、長男であろうとそもそも後継者としてのスタートラインにすら立てないと、いつぞや聞いた気がする。
勉強だけ出来て、社会人として役に立たない人間が散見されるのは、日本の社会でだって聞く話なのだから、アンジェスでもそこはそう大きく変わらないということなのかも知れない。
もちろん得手不得手はあって、そこは家令なり兄弟なりが補っているんだろうけど、それでも陛下の言う通り多少の書類仕事は手伝えるはず――と言うことなんだろう。
「陛下……ですが私は……」
痺れ茶の影響か微かに身じろぎをしながら、コンティオラ公爵が国王陛下の方を向いている。
「言いたいことは理解しているが、今不在にされては外交部が回らん。マトヴェイに暴れられるのも倒れられるのもごめんだしな」
陛下のセリフは、コンティオラ公爵を気遣ったと言うよりは、掛け値なしの本音であるかに見える。
「酷い言われようですな、陛下」
ニセ壁があるだろうから、どこまで見えているのかは不明だけど、私にはそう言って苦笑しているマトヴェイ外交部長の姿が見えていた。
「事実だろう?」
「否定はいたしませんが」
マトヴェイ部長、暴れるんだ……?
ダールグレン侯爵家にいた頃は、領主である兄の方が武闘派だったそうだけど、政変時に陛下の楯になったところから言っても、やはりコンティオラ公爵領防衛軍出身者なのだ。
さっきも後遺症のない方の足で魔道具を蹴り飛ばしていたくらいだから、いざと言う時には剣を片手に前に出る人なんだろう。
「宰相が王宮内で氷柱を落とした件は、まあどこぞの王家に費用を請求するからまだいいとしても、マトヴェイ、其方にまで暴れられては、今の時期にコンティオラ公爵を公務から外した私が悪いと言う話になるだろうが。だいたいが、修繕のための費用を割くくらいなら、魔道具や痺れ茶の更なる改良に予算を振る方が余程有意義だ」
「「陛下……」」
困ったように笑うマトヴェイ外交部長と、呆れたようにため息をついたエドヴァルドの声が、思わぬところで被っていた。
「……吝嗇家どころか、清々しいほどに理由が独善的ですね」
「いつの間にやらロイヴァスと示し合わせて修繕費用を他所に押し付けていた宰相に言われる筋合いもないと思うがな」
「原因は向こうなのですから、正当な請求をしているまでですよ」
国王と宰相。
どっちもどっちだと思ったのは、果たして私だけなんだろうか。
言葉遣いを難しくしているだけで、学生かとでも言うような軽口の応酬に、マトヴェイ部長の方が軽く咳払いをして、話を止めていたくらいだった。
「陛下、では今しばらくはコンティオラ閣下も外交部の仕事に専念していただけるのですね?」
国王陛下も、はたと不毛な言い争いになりそうだった自分に気が付いたようだった。
「まあ、配下の侯爵連中に好き放題させてしまったという点では、エモニエ侯爵と似たり寄ったりだからな。同じ様にしばらく無給で働くか、牢の連中の衣食住の費用をまとめて負担するか……いや、其方の場合は家庭内で父親としても色々と間違っていたようだしな、さて……」
独身の国王に「父親として間違っていた」と言われるとなると、コンティオラ公爵も余計に抉られていそうな気はする。
正確には、嫡男のヒース君はまっとうに育っているっぽいので、妻と娘に関しての対応を色々と間違ってきた――と言った方が正確じゃないかと思うけど。
ただ、こればっかりは私も言えた義理じゃない。
多分、エドヴァルドも。
現時点で他にちゃんと家族を持っている公爵家は、フォルシアン、スヴェンテ、クヴィストの三家だろう。
だけどよくよく考えれば、女性嫌いでほとんど家に寄りつかないお義兄様とか、そのお義兄様にフラれた腹いせに、勝手に輿入れ先の王族を呼んだ元クヴィスト公爵令嬢とか、第二王子を大っぴらに支援して処刑された先代スヴェンテ公爵とか……大なり小なり、どの家も教育をしくじっている気がしなくもない。
「とりあえずは外交部の公務に専念しろ、コンティオラ公。公爵としての公務は息子を巻きこめ。40歳を過ぎてもまだ公爵令息だったクヴィスト家とは違うのだ。いきなりの当主交代は無理がある。今から少しずつ仕込んでいけ」
そうなると、ヒース君は卒業までほぼほぼ学園に通えなくなる可能性が大だけど、学園在学中に当主あるいは領主が亡くなって、成人前にその地位を継ぐと言うケースは、エドヴァルドも含めて何年かに一度はあるらしい。
その場合、税の報告をボードリエ伯爵にも見せることで、学園の卒業資格はちゃんと与えて貰えるそうだ。
学園で学ぶこと以上の実地を経験したのだから、と。
今回、すぐに跡を継ぐわけではないものの、当主が監督不行き届きの罰として外交部の仕事に専念させられる。それであれば特例措置として、息子には公務に携わらせるように――と、国王陛下は言っていることになる。
「残り少ない学園生活を同級生と楽しみながら、将来の伝手を作ることに支障が出るのだ。成人前の令息が受ける罰としては充分だろう。親も本人も法を犯したナルディーニ家とは根本が違うのだからな」
それでもまだ罪悪感が消えぬなら、牢に入る連中の衣食住をまとめて補充しろ。
陛下はそうも付け加えていた。
「ああ、それと夫人と娘だが」
陛下の口調はついでのように軽いけれど、コンティオラ公爵にしてみればこちらも死活問題だろう。ビクリと顔を上げていた。
「夫人のことはもう、夫婦間の話し合いで何とかしろ。誰が口を挟む話でもないだろう。ただの教育の誤り、家庭問題だ。息子を支えるなり、エモニエ侯爵家に戻るなり、こちらは関知せん」
一連の流れからすれば、ヒルダ夫人は確かに、ただただ娘に甘かっただけとも言える。
後はその責任を、本人がどう取りたいと思うかだけであって、どちらに転ぼうと差し障りはないと陛下も判断したんだろう。
問題は、だ。
「ただし娘の方は事情が異なるな」
「……っ」
コンティオラ公爵は短く息を呑んでいるけれど、それはそうだろうなと事情を知る皆が思っていることだ。
皆、固唾を呑んで陛下が何を言い出すのかを見守っている。
「年齢を考えれば、とうに学び直してどうにかなる段階を越えているだろう。今後王宮での社交行事に表立って出て来られることは歓迎しかねる」
「陛下、それは……」
高位であろうと低位であろうと、領主夫人の立場に立つならば社交行事に一切出ないという選択肢はまずない。
領地謹慎だけでは済まないのか……? と、父であるコンティオラ公爵さえも、陛下の次の言葉を待っている状態だった。
「高等法院の事情聴取の裏取りのこともある。今すぐどうこうは言わん。ただ、次の外交の場において、交渉の手札の一つになることは予め申し伝えておこう」
「――――」
次の外交の場。それはいわゆる「三国会談」だ。
サレステーデ、あるいはバリエンダールにおける縁組を模索すると、暗に陛下はそう告げたのだ。
「まあ、ギーレンへの牽制という点ではベルィフに人質代わりに送るという話もありだが、いずれにせよ娘の処遇は次の外交まで持ち越しだ。そしてそれに関してだけは、外交部の関与は不可とする。そうだな、宰相にでも委ねておくか」
……そう言いながら、陛下の目がこちらを向いているのは気のせいだと思いたいのだけど。
「ああ、そうそう。いつまでも、姉君とボードリエ伯爵令嬢をこの場に留めておくのも気の毒だ。レストラン〝アンブローシュ〟の支配人に、料理の提供の場を移させたから、二人はゆっくりと味わって帰るがいい」
何か企んでいそう、だなんて気のせいったら、気のせい!
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