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第三部 宰相閣下の婚約者

746 ライジング!

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「――ガールシンも、今日はだ。研究の発展に好奇心は不可欠だが、それは後日別の場で満たしてくれ」

 シャルリーヌのドレスに触れていた手を離した国王陛下フィルバートは、その視線をチラと医局長へと向けていた。

「私の『もてなし』はまだ終わっていなくてな」
「……っ」

 その視線は、圧倒的な怯えと恐怖を抱かせる為政者の視線それだ。

 やはり自分の「娯楽」を邪魔されることを何よりも嫌うその性格はゲーム通りなんだなと、私もシャルリーヌもかえって納得してしまったんだけれど。

 多分アルノシュト家の状況が知れるまでは織り込み済みの展開だったとして、土地や薬の研究云々と言った話になると、自分の「娯楽」で済む範囲を超えると判断したのだ。

 ガールシン医局長はさすがに気圧されたのか、顔色を変えて口を噤んだ。

「……は」

 胸に手をやりながら頭を下げた医局長には、それ以上の興味はないとばかりに立ち上がって、シャルリーヌの元から離れた国王陛下フィルバートはくるりと方向を変えて、床と仲良くしたままのナルディーニ侯爵のところにまで歩を進めていた。

 多分まだ痺れ薬が効いて動けないんだろうけど、それでも王宮護衛騎士としては王の護衛に立たざるを得ない。
 数名が慌てて近くに走り寄っている。

「さて、ナルディーニ侯爵」
「あ……」

 国王陛下フィルバートが流れるような仕種で再び腰の短剣を手にして、その切っ先をナルディーニ侯爵の方へと付きつけた。

 まだあまり話せないだろうことは加味しても、それでも喉の奥から痙攣ひきつるような声が洩れたのだけはこちらにも届いた。

 もはや彼の持つ短剣は、ただの剣以上の物体と化している。
 慄くなと言う方が無理だった。

「今更罪状の認否などと愚かな問いかけはすまいが……少々気になる話があったな」
「は……」

 ナルディーニ侯爵を見下ろす国王陛下フィルバートの表情は、目だけが笑っていない愉悦を帯びた笑みが広がっていた。

 問われたナルディーニ侯爵以外でさえも、恐怖に息を呑んだだろうと思われるほどだ。

 と言うか陛下、しないんですか罪状認否。
 いえ、それはもちろん状況証拠としては揃いまくってるんですが。
 高等法院のオノレ子爵に怒られませんか。

『……レイナ、その眉間の皺と細目は何なの』

 よほど陛下を見ていた私の目を変に思ったのか、扇を口元にあてたシャルリーヌがこっそりそんなことを聞いてきた。

『あー……うん、ここまできたらもうナルディーニ侯爵本人が認めようと認めまいと陛下にはどうでもいいのかなー……と』

『ああ……まあ、普通なら暴君の誹りをうけてもしょうがないんだろうけど……このまま断罪しても陛下なら許される感じよね……そもそも理不尽な冤罪を吹っ掛けているわけでもないし? ただただ、無実だとかグダグダ言われる時間を省いたように見えるし』

『あー……言い訳を聞く気が最初はなからない、と』

『それだけ陛下の中では雑魚扱いなんじゃないの? もしくは玩具おもちゃ

『…………』 

 さすが主人公ヒロインポジであると同時に〝蘇芳戦記〟のプレイヤーだ。
 倫理が家出した国王の性格について、彼女もよく分かっているように見えた。

『あの手を振り下ろしたら、この広間に血の雨降るよね。あ、だけどここでの話が広まればしそう 』

『やーめーてー。全然笑えない。ハンニバル誕生ライジングの瞬間になんか立ち会いたくないわー』

 あはは、と乾いた笑いを交わし合っているあたり、私もシャルリーヌも既に場の空気に疲弊していたのかも知れない。
 
『って言うか、誰がそんな血塗られた惨劇なんか目の当たりにしたいのよ、シャーリー』
『まあ……スチルだから他人事ひとごとで見ていられたのよね……』

 こんなところでリアルに血しぶきが飛ぶところなんか、誰だって見たくはない。

 お願いですからその剣は手に持っているだけにしてください、と切実に願う私とシャルリーヌをよそに、陛下は口の端を愉悦に歪めながら、ナルディーニ侯爵を見下ろしていた。

「国に17しかない侯爵家が易々と裁かれることはない――だったか? そんな話をしたのか? 息子に?」

「ひ……っ」

「確かに周辺諸国と比較をすれば、17しかない侯爵家とも言えようが。だが知っていたか、ナルディーニ?」

 手元の剣は振るってくれるなと、皆が固唾を呑んでいる中で国王陛下フィルバートがまるでダメな子に言い聞かせるかの如くナルディーニ侯爵に話しかけている。

「何もその中の一つが『ナルディーニ』であり続ける必要はない。あるいは直系コジモが領主で居続ける必要もない。別の者、別の家が取って代わったところで、侯爵家としての数は17のままなんだが」

 ナルディーニ侯爵の口から声は洩れず、はくはくと開いたり閉じたりしているだけなのは、果たして薬の所為せいか恐怖の所為せいか。

「そう言う意味では表向き『侯爵家』は裁かれないのだとしてもおかしくはないが……さて、どうしたものか」

 そこですっと、陛下の手が動いた。
 ――短剣を持っていた、右の手が。

「陛下!」
「待て……っ!」
「まあどちらにせよ、だ」

 さすがに見過ごせないと、エドヴァルドとレイフ殿下が声を上げていたけれど、その程度で国王陛下フィルバートの手が止まるはずもなかった。

「この私が高位貴族を裁けもしない惰弱な王と密かに侮っていたのだろう? 国政に無関心な第三王子がたまたま生き残って王になったと、宰相の有能さに助けられているに過ぎんと勘違いしている者も当時からいたようだしな。その辺りの不敬には、きっちりとしておこう」

「陛下! 私が貴方を王と仰いだ理由を、そんな『たまたま』などと軽い理由で片づけないでいただきたい!」

 ぐっと拳を握りしめたエドヴァルドの叫びは、国王陛下フィルバートに余計なことをさせまいとしての叫びであると同時に、きっと彼の本心でもあると、そんな風に私には見えた。

 第一王子、第二王子のことはその名前さえも〝蘇芳戦記〟には記されていなかったけれど、だからこそ、その王子たちとレイフ殿下とを比較して、エドヴァルドの中では第三王子フィルバートが次の王に足る者だと思ったに違いなかった。

「くく……まあ、私と宰相はこの先も一蓮托生だろうな。だからこそ、私自身が宰相に踊らされる者ではないと、常に示しておかなくてはな」

「貴方が私の傀儡だなどと思う阿呆が、この世のどこにいると仰るか!」

「うん? 意識していたか無自覚かはさておき、ナルディーニのように私を軽視していた連中に関しては、私よりも宰相を警戒していたと思うがな。見解の相違か? いずれにせよ、いい機会だ。自国の王がどう言った人物なのかをその身で思い知ればいい」

「待……っ!」

 待て、とエドヴァルドが叫ぶ隙もなかった。

 まったく表情を変えないまま、国王陛下フィルバートは結局手にしていた剣をナルディーニ侯爵に向かって振りぬいた。



 皆が目を見開く中――恐らくは威力の弱い風が吹いたのかも知れない。
 まさしくそれは「かまいたち」の要領で、横たわるナルディーニ侯爵の両頬に幾筋もの裂傷を走らせた。

「…………ふむ」

 剣を眺める国王陛下フィルバートの表情は、やや不満気だ。

「私の魔力の問題か、短剣まどうぐの耐久性の問題か……同じ威力での連発が効かぬのか」

 ヴェンツェン、と呼ばれた管理部長が国王陛下フィルバートの方へと進み出る。

「預ける。直しておいてくれ」
「御意に。ではそれまでは、こちらを」

 膝をついたヴェンツェン管理部長が両手に乗せた別の短剣を差し出し、国王陛下フィルバートが自らの手にあった短剣とそれを取り替えている。

「ああ、コレは普通の短剣だ。力業で喉を掻き切るくらいしか使い道はないな。安心しろ、喋れなくなると困るからそこまでは――と、聞いてはいないな」



 見ればナルディーニ侯爵は、白目をむいて気絶していた。
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