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第三部 宰相閣下の婚約者

699 聞くべきか聞かざるべきか

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「あの……お義兄にい様」

 多分にエリィ義母様に煽られた結果とは言え、キヴェカス事務所に行って以降、どさくさに紛れたままずっと「お義兄様」呼びをしている。

 王都商業ギルドに向かう馬車の中。

 つまり二人で向かい合わせになっているこの状況で、何か反応をするだろうかと呼び掛けてみたものの、お義兄様ユセフはジロリとこちらを見ただけで特に抗議も不満も口にはしなかった。

 これは、このまま話をして良いんだろうと私は判断することにした。

「ナルディーニ卿のご子息の学園見学は、つつがなく終わったんですか?」

 現ナルディーニ侯爵の弟の息子であるティスト君は、純粋に学園の見学を楽しみに領地から出て来ており、誰からも何も知らされずにいた状態だった。

 それを抜きにしても、さすがに予定をドタキャンしてしまっては、何も知らない学園内の令息たちの間にまでいらぬ猜疑心を植え付けかねないと、アストリッド・カッレ侯爵令息をヒース・コンティオラ公爵令息の代理として、案内して貰う話になっていたのだ。

 ヒース君からの依頼の手紙を持ってキヴェカス事務所に行き、アストリッド少年に実際にそれを依頼したお義兄様ユセフは、私の問いかけに「ああ……」と、思い出したかのように視線を和らげた。

「そうだな。アストリッドはそこまで詳しく今回のことを把握していない。あくまでカッレ侯爵家の直系として、必要があるまでは深く関わらないことにしているようだ。コンティオラ公爵令息が手紙で何を頼んでいたのかは知らないが、終始アストリッドがその立ち位置にいたのであれば、ナルディーニ卿の令息が何か知ろうとしたとしても難しかったはずだ」

 そもそもが学園入学前の年齢で、貴族間の権謀術数をこれから学園で学んでいくのであれば、仮にコンティオラ公爵邸の空気が終始淀んでいて、母親の様子もおかしいと言うことは察せられても、それ以上身動きは取れないだろうと言うのがお義兄様ユセフの主張だった。

 あくまで通常の学園見学の範囲に終始したはずだ、と。

「そうですか……」

 ちなみに妹であるフリーダ嬢は、本来であれば母親と王都観光に出るはずだったそうだけど、何分母親の方がしまっているため、一家に同行していた侍女が、コンティオラ公爵家の護衛を連れて予定をこなしてきたらしい。

 そう言うことなら「カフェ・キヴェカス」に連れて行ってあげても良かったのかも知れないけれど、今更だ。
 滞在が伸びるようなら選択肢の一つとして提案してみようかと思いながらも、ここはティスト君の話題のみに留めておいた。

 そんな私の内心を察しているのかどうかはともかくとして、お義兄様ユセフは「今はまだ、それで良いだろう」と言葉を続けた。

「もしもこの先後継者に据えられでもすれば、また違った教育の必要も出て来るだろうが――いや、可能性が出て来ているのかも知れないが、それならば尚更この先学んでいけば良いことだ」

 まだいくらでも取り返せる年齢だ、と。

「大体が、くだんの〝痺れ茶〟の話を聞かないことには何も始まらないだろう。あの子らに類が及ぶか及ばないかも含めて」

 どうやらお義兄様ユセフも、直接目にしたわけでも実際に口にしてしまったわけでもないにせよ、ここ数日の周囲の慌ただしい動きの中に居合わせたことで、国内に流通していなかったはずの「物騒なお茶」の話はある程度把握をしてしまっているようだった。

 キヴェカス事務所と王都商業ギルドとを行き来したりすれば、更にその情報には正確性も加味される。

 さすがは現役高等法院職員、クロヴィス・オノレ次席法院長の薫陶よろしく、少ない情報からでもある程度の予測は立てているのだと思われた。

 私としても、ここまできて今更巻き込むまいとするのも馬鹿馬鹿しい話なので、ここはため息交じりに肯定せざるを得ない。

「そうなんですよね……」

 現代日本の常識から考えると、親世代の罪で子供が死に至るほどの連座をさせられることはまずないだろうけど、この世界は違うのだ。

 既に私が伝え聞いているだけでも、スヴェンテ公爵家にまつわるが現王家にはある。

 ナルディーニ侯爵の弟一家の行く末を、今の時点で思い描くことは出来なかった。

「私は王都商業ギルドにおいては何の資格も持たない、ただの置物だ。公爵家に籍を置く者として、よほどの非常識をしでかさない限りは口を挟むつもりはないから、そのつもりで己で対処をしてくれ」

 馬車が王都商業ギルドに着く直前、お義兄様ユセフは私にそう言った。

 王都商業ギルドが王以外の貴族に膝を折らない組織であることを、一連のやり取りの中で充分に理解したんだろう。
 突き放しているようでいて、傍観者に徹して基本的にはこちらに任せてくれると、そう言ったのだ。

「……なんだ」

 私がちょっと驚いた表情かおをしていたのに気付いてか、お義兄様ユセフが眉根を寄せている。

「……いえ、てっきりどこかのキヴェカス卿の如く『女が出しゃばるのも程々にしておけ』とでも言われるのかと思ったので」

「……どこかのキヴェカス卿……」

 全く伏せていない私のぶっちゃけに、お義兄様ユセフは益々眉をひそめているけれど、私は敢えて撤回はしなかった。

 根深い、大人げない、結構! まだヤンネからの「ぎゃふん」は聞いてないし!

「……事務所に次から次へと案件が持ち込まれるのは、むしろ嫌がらせか……」
「ふふふ。小娘がどこまでやれるのか。まだまだ思い知って貰いますよ?」

 お義兄様? と、今気付いたのかとばかりに首を傾げて見せた私に、話しかけられた当人は明らかに怯んでいた。
 
「あの人は……なまじ案件をこなせてしまうから、永遠に頭なんて下げないんじゃないのか……」

 あれ、と私は思った。
 その言い方だと、自分は頭を下げるつもりがあるかの様に聞こえるのだけれど。

「お義兄様 ――――」

 聞くべきか聞かざるべきか。

 そんな誘惑にかられかけた、まさにそのタイミングで馬車が停止した。

「ユセフ様、レイナ様、王都商業ギルドに到着いたしました」

 馭者席からのそんなゼイルスの声が、開きかけた私の口を再度閉じさせた。

「…………行くか」

 恐らくは、そうとしか言いようがなかったであろうお義兄様ユセフに、私も頷かざるを得ない。


 先に降りたお義兄様ユセフが差し出す手のひらに、私はそっと自分の手を乗せた。
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