聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第三部 宰相閣下の婚約者

694 淑女たちは秘密を共有する

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「……あら?」

 シャルリーヌと隣り合ってストレートティーを飲み比べていた途中で、ふわりと別の香りが前から漂ってきた。

 ローズティーはまずティーポットに花びらを入れて少し蒸らした後でカップに注いで残された蕾をカップに浮かべて飲む淹れ方が一般的だ。

 そこまでを、ローズティー自体は初めてのはずのヨンナが目の前で流れ作業のごとく披露している。

 さすが侍女長、プロフェッショナルだなと思っていると、紅茶に香りが移ったと思しきところで、シャルリーヌがふとそちらを向いて、小首を傾げた。

「この香り、似てる……?」

「「「え⁉︎」」」

 どうやら誰もそれを聞き逃してはいなかったらしく、皆がそれぞれにシャルリーヌを凝視していた。

「ああ、ごめんなさい。皆さんのお手を止めてしまって……ただ、イオタちゃん? の探している花が、似た花はあっても、そのものはアンジェスにないかも知れないって聞くと……今、何となく候補が一種類思い浮かんだと言うか……?」

 とは言え若干言い淀んでいるのは、どこで遭遇した香りなのかに思い至ってしまったからだろう。

 シャルリーヌが言い淀む場所……ギーレン王宮?

「いつ、どこでとは聞かないで下さると嬉しいのですが、恐らくそうじゃないかと思った花はありますの。ただそれは原産地はベルィフで、旬の時期も半年弱過ぎてしまっていますわ」

「!」

 エリィ義母様だけが「まあ、それだとアンジェスにまでは普及していないかも知れないわ」と納得したように頷いているけれど、シーグとベルィフの「因縁」を知る私、シャルリーヌ、何よりシーグ本人が微かに顔色を変えていた。

 ベルィフの王弟殿下ともなれば、社交にかこつけて花束一つ贈ろうにも、特定の相手にだけ渡してしまえば騒ぎになるだろう。

 エヴェリーナ妃やコニー第二夫人、その周囲にも似た花を贈ってカモフラージュしていたのだとしたら。

 王妃教育に来ていた時に、シャルリーヌがその花を見て、香りを記憶していたとしてもおかしくはない。

 シーグの背景を知るシャルリーヌが言い淀んでいる時点で、その推測に反論する術を誰も持っていない気がした。

「イオタ、一般的な旬の時期は過ぎていても、ギーレンに流通しているのであれば、もしかしたらシーカサーリの王立植物園で研究用に育てられていたりするかもよ? 後で名前を聞いて、控えて帰ったら?」

 これ以上の深入りは、この場では避けた方が良いはずと私がシーグを見れば、そこでやっと本人も我に返ったらしかった。

「あ、そ、そうですね⁉︎」

「とりあえずその一番それっぽい『ロゼーシャ』は、残り全部諸々の完成品に使うとして、今は他の花びらで練習しようか? ヨンナ、今使った『ロゼーシャ』の品種分かる?」

 バラバラになった状態しか見ていないエリィ義母様より、一緒になって分解していたであろうヨンナに聞いた方が早かろうと聞いてみれば、案の定ちょっと面食らいつつも頷いていた。

「はい。こちらは『クッカ・ロゼーシャ』と呼ばれておりまして、今であれば王都スヴェンテ公爵邸の庭園でもご覧頂けるかと」

 ヨンナとしては、私がスヴェンテ公爵邸自慢の庭園に行ったことがあるからこその例えだったようだけど、エリィ義母様にとっては想像の外にあったようで、少し驚いていた。

「そう言えば『クッカ・ロゼーシャ』は、スヴェンテ公爵領内に原産地があったのだったかしらね。ほら、花びらも割と大きくて整った形をしているでしょう? アンジェスだと意匠のモデルにされやすい『ロゼーシャ』の一種ではあるのよ」

 左様にございます、とヨンナも頷いている。

 何の意匠とは言わないものの、こちらを見ている視線に別の期待がこもっている気がして、私はついこっそりとシーグを手招きしていた。

「イオタ、刺繍は得意?」
「私がするのは実用的な繕いもののみです」

 そんな高尚なことするはずないでしょう、と小声でピシャリと返されてしまった。

「この際だから、教わって帰れば? 本物が見つかったら、それでハンカチでも作れば、どこかのお兄ちゃんが喜ぶんじゃない?」

「……別に兄に喜ばれても」

 うわぉ、お宅の可愛い妹さん、身も蓋もないですよリック。
 やはり妹の方が成長も独り立ちも早そうだ。

「レイナちゃん?」

 どうやらエリィ義母様の微笑みは、私が何を思ってシーグを手招きしたか理解しているみたいだったけど、私は笑ってこの場はやり過ごした。

「いえいえ! どうやらイオタは、今考えているアレコレで手いっぱいみたいです」

「あら、そうなのね? じゃあ、そこはまたの機会にしましょうか」

 またの機会と聞いたシーグは、何かしら不穏な空気を感じたのか軽くのけぞっていたけれど、誰も正面切ってエリィ義母様に不満など言えるはずもなかった。

 いや、でも繕いものはやると言ってる時点で、多分私よりも器用だと思うよ?

「レイナ、刺繍苦手なの?」

 するとそれまでこちらのやりとりをじっと見ていたシャルリーヌが、聞かずにいられなくなったとばかりにこちらを向いた。

「……そもそも、やったことがない」

 取り繕っても仕方がないので、視線を逸らしながらも、そこは正直に答えざるを得ない。

「学校の授業は? 家庭科の授業あったわよね」

「うーん……それがウチの学校は調理実習や家政経済中心で、保育と裁縫は選択科目の方に回ってたのよね。そうなったら、わざわざ勉強の時間割いて選択しないじゃない? ああ、いや、あくまで私の場合はだけどね?」

 何せ日本一とされる大学を受験する気マンマンだったのだから、勉強科目以外は最低限しか選択していなかった。

 舞菜も舞菜で、私が勉強科目を多めに取って、必要なら後で教えると言っておけば、代理のしづらい家庭科で私の方が目立つかも知れない可能性を思えば、そこは納得をしていたのだ。

 私が壊滅的に手先が不器用だと言うのはバイトを始めてから分かったことで、もしも、もっと早くに分かっていれば、嫌がらせの如く受けさせられた可能性も高かった。

 何せ私にどこでマウント取れるか、ニコニコ笑う裏でずっと考えていたんだから。

「あー……そればっかりは、ちょっと違ったわね。学校の差かしら、先生の差かしら」

「学校の方針も大きいんじゃない? 受験科目じゃなければ週の授業時間も最低限になるし、専任教師を置かない学校もあるって話よ?」

「そうかぁ……じゃあ『裁縫したことない』はあり得るのね……」

 私とシャルリーヌがしみじみとそんな話をしているのを、エリィ義母様とシーグは興味深げに耳を傾けていた。

「レイナちゃんの国は、女性も学園に通うのね?」

「そうなんです、エリィ義母様。しかも一つの領にさえ複数学園があって、学べる内容も、もちろん基礎になる科目はあるんですけど、レベルや内容は結構違いがあるんです。学びたい科目や教わりたい先生の有無で学園を選んだりも出来ます。あ、もちろん入学試験はそれなりに課されますけど」

「そう……聞いていると、王都学園に通っていたユセフに、ユティラに教えたような淑女教育を教えるようなもの、と言う気がしてくるわね……」

「…………お義兄様に淑女教育」

 本人たちを当てはめて想像してはいけないのだろうけど、考え方としてはそうなるのかも知れない。

「……レイナ。そうかも知れないけど、そうじゃないと思うわ」

「……そうね。自分で言っておいて何だけれど、実在する人物を脳裡に思い描いちゃダメよね」


 この日からしばらく、私、シャルリーヌ、シーグ、エリィ義母様はまともにお義兄様ユセフの顔が見られなくなってしまった。

 もちろん、この会話は永遠にここだけの秘密だ。
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685 忘れじの膝枕 とも連動! 
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今回から見方が変わりました。何か一話、アルファポリス作品をレンタル頂くことで全てご覧いただけますので宜しくお願いしますm(_ _)m
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