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第三部 宰相閣下の婚約者

691 淑女による淑女のための紅茶教室(前)

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 いくら普段親しかろうと、ここは邸宅おやしきの女主人となる予定の私がきちんと玄関ホールに迎えに行くのが筋とのエリィ義母様の「指導」で、私はひとり食堂ダイニングを離れた。

「シャーリー! ……じゃなくて」

 いつものように片手を振って出迎えをしかけて、慌てて背筋を伸ばして〝カーテシー〟をしなおす。

「ようこそお越し下さいました、ボードリエ伯爵令嬢」
「そう言えば『淑女教育』がどうとか……」

 昨夜の手紙の内容を思い出した、と言わんばかりにシャルリーヌが少しだけ広げた扇を口元にあてる。

 フォルシアン公爵家の養女となって正式な婚約が調った件、フォルシアン公爵夫人とシャルリーヌ二人に「淑女教育」を依頼したい件とをしたためたのと併せて、早速アンジェス産の紅茶の勉強会をするから、よければ来ないかとも書いたのだ。

 ギーレン産の茶葉ならともかく、アンジェス産の茶葉はまだよく知らないのではないか、と。

 そしていつものことながら、二つ返事で参加OKの返信が届いたのだ。

 あまりにいつものこと過ぎて、実際には「淑女教育」の話が紅茶の勉強会の話で上書きされて、あわや忘れ去られるところだった。

 多少いたたまれなくなったのか、シャルリーヌがそこでコホンと咳払いをした。

「――ごきげんようフォルシアン公爵令嬢。本日のお茶会に声がけ下さったこと感謝申し上げますわ」

 さすがシャルリーヌの〝カーテシー〟は、私よりも何倍も洗練されている。
 年季がそれだけ違うと言うべきで、下手な対抗心すら湧いてこなかった。

 さっさとエリィ義母様のところに行くに限ると、私は諦めて〝カーテシー〟をほどいた。

「早速ですけれど食堂ダイニングにご案内致しますわね。ボードリエ伯爵令嬢にお会いするのを義母ははも楽しみにしておりますの」

 義母はは、と私が口にしたところで、ピクリとシャルリーヌの表情筋が動いたような気がした。

「……むしろよく、夫人が昨日の今日のお茶会話に頷いて下さいましたわね」

わたくしと貴女とが普段からそうしていることに、もう今から慣れていただこうかと思って」

 シャルリーヌの表情は見て見ぬフリのまま、食堂ダイニングの方を向いてくるりと身を翻す。

「元の礼儀作法はちゃんと分かっていますから、と――そういうことかしら?」
「そういうことですわ」

 なるほど……と、私の半歩後ろを歩きながら、シャルリーヌがそうこぼすのが聞こえた。

『ちょっと日本語で言うけど、年功序列、先輩後輩の上下関係しみついた日本社会で暮らしていた分、食事の作法と会話の仕方については、教育の必要ってないと思うのよね』

『あー……うん、全部をイチから詰め込む必要はないって、フォルシアンの義母ははも言ってたわね』

『うん。それに私も気楽に話せる時間も欲しいから、適当に日本語で話したりするかも?』

『その時間は私も欲しいなぁ……じゃあ、シャーリーの口調がくだけたら日本語ってコトで、私もそうしようかな』

 淑女教育中、エリィ義母様が同席しているとなかなかくだけるのにも限度があるだろう。
 そのあたり臨機応変に使い分けていこうと、シャルリーヌと頷き合った。


*         *         *


「ごきげんよう、ボードリエ伯爵令嬢。実際にお話させていただくのは初めてかしら? フォルシアン公爵イェルムが妻エリサベトですわ。わたくし義娘むすめともども宜しくお願いしますわね」

 わたくし義娘むすめ、を軽く強調しながらそっと手を背中に添えてくれるエリィ義母様に、私は内心ほっと息をついていた。

 今更シャルリーヌが私にケンカを売ることはない。

 エリィ義母様もそれはよく分かっていて、あくまでも私が花畑在住令嬢に出くわした時のための「お手本」として、ちょっとした〝圧〟をかけてくれたのだろうと察することが出来たからだ。

 どうやら既に淑女教育は始まっているらしい。

 シャルリーヌの方も、エリィ義母様が来ていることへの耐性は既に出来ていたからか、じわりと目元を緩めてこちらを見ただけだった。

「フォルシアン公爵夫人にご挨拶申し上げます。ボードリエ伯爵が娘シャルリーヌにございます。本日は淑女の手本とも言われる夫人にお会い出来ますことを大変楽しみにしておりました。どうぞ宜しくお願い致します」

 そうして、ギーレン王家仕込みの綺麗な〝カーテシー〟をその場で披露する。

 後で聞くと、挨拶の口上などに若干の違いはあるらしいけど〝カーテシー〟自体は万国共通とのことだった。

 やはりエリィ義母様も、その礼の優雅さにはすぐに気が付いたらしく「わたくしよりも整っているかも知れませんわ」と微笑んでいる。

「今日はわたくしの方から茶葉の話をさせていただきますけれど、義娘むすめの淑女教育の手本となっていただく件については、どうか宜しくお願いしますわね? フォルシアン公爵家自慢のチョコレートを用意しておきますわ」

「光栄にございます、フォルシアン公爵夫人。ただわたくしの作法はギーレン仕込みでございますので、アンジェス国の作法ともし乖離するところがございましたら、どうか遠慮なくご指摘下さいますでしょうか」

 シャルリーヌの猫かぶりもなかなかのもの――と言うよりは多分、日本に居た頃のノリで喋る方がこちらでは異質なんだろう。

 礼儀に則った今の話し方でも、シャルリーヌは流暢なものだった。

「エリサベトでよくてよ、ボードリエ伯爵令嬢。エリィは夫とレイナちゃんだけの呼び名ですから、そこは申し訳ないのだけれど」

 どうやらエリィ義母様の初対面のチェックはOKだったらしい。
 義娘むすめが「レイナちゃん」に変わっていて、口調に少しの歩み寄りが感じられた。

「光栄です、エリサベト様。ではどうかわたくしのこともシャルリーヌ、と。シャーリーはレイナだけの呼び名ですので……」

 普段はボードリエ伯爵夫妻も「シャルリーヌ」呼びらしい。
 それを聞いたエリィ義母様が「あら」と笑った。

「イデオン公が妬いているのではないかしら」
「以前公爵邸でお会いした際には氷の殺意を感じました」
「でしょうね……」

 いや、そこで二人で分かり合われても!

 とは言え私が二人の自己紹介からの脱線を止めるよりも早く、エリィ義母様は既に我に返っていた。

「つもる話はまた我が家で機会を設けましょうか。今日はアンジェス産の茶葉を学ぶことがメインですものね」

 バラの花びらが大量に置かれたテーブルの方はいったん無視スルーして、エリィ義母様は瓶詰めの茶葉が並ぶテーブルの方へと移動をした。

「イオタちゃんも『ロゼーシャ』の話はこの後でね? まずは茶葉を知るところからはじめましょう」

「…………はい」

 イオタ「ちゃん」と呼ばれたことで、シーグはすっかり固まってしまった。
 バラの話を後回しにされた恰好だけれど、文句を言う気にもならなかったようだ。

 エリィ義母様、お見事です。
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