聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

文字の大きさ
上 下
681 / 803
第三部 宰相閣下の婚約者

691 淑女による淑女のための紅茶教室(前)

しおりを挟む
 いくら普段親しかろうと、ここは邸宅おやしきの女主人となる予定の私がきちんと玄関ホールに迎えに行くのが筋とのエリィ義母様の「指導」で、私はひとり食堂ダイニングを離れた。

「シャーリー! ……じゃなくて」

 いつものように片手を振って出迎えをしかけて、慌てて背筋を伸ばして〝カーテシー〟をしなおす。

「ようこそお越し下さいました、ボードリエ伯爵令嬢」
「そう言えば『淑女教育』がどうとか……」

 昨夜の手紙の内容を思い出した、と言わんばかりにシャルリーヌが少しだけ広げた扇を口元にあてる。

 フォルシアン公爵家の養女となって正式な婚約が調った件、フォルシアン公爵夫人とシャルリーヌ二人に「淑女教育」を依頼したい件とをしたためたのと併せて、早速アンジェス産の紅茶の勉強会をするから、よければ来ないかとも書いたのだ。

 ギーレン産の茶葉ならともかく、アンジェス産の茶葉はまだよく知らないのではないか、と。

 そしていつものことながら、二つ返事で参加OKの返信が届いたのだ。

 あまりにいつものこと過ぎて、実際には「淑女教育」の話が紅茶の勉強会の話で上書きされて、あわや忘れ去られるところだった。

 多少いたたまれなくなったのか、シャルリーヌがそこでコホンと咳払いをした。

「――ごきげんようフォルシアン公爵令嬢。本日のお茶会に声がけ下さったこと感謝申し上げますわ」

 さすがシャルリーヌの〝カーテシー〟は、私よりも何倍も洗練されている。
 年季がそれだけ違うと言うべきで、下手な対抗心すら湧いてこなかった。

 さっさとエリィ義母様のところに行くに限ると、私は諦めて〝カーテシー〟をほどいた。

「早速ですけれど食堂ダイニングにご案内致しますわね。ボードリエ伯爵令嬢にお会いするのを義母ははも楽しみにしておりますの」

 義母はは、と私が口にしたところで、ピクリとシャルリーヌの表情筋が動いたような気がした。

「……むしろよく、夫人が昨日の今日のお茶会話に頷いて下さいましたわね」

わたくしと貴女とが普段からそうしていることに、もう今から慣れていただこうかと思って」

 シャルリーヌの表情は見て見ぬフリのまま、食堂ダイニングの方を向いてくるりと身を翻す。

「元の礼儀作法はちゃんと分かっていますから、と――そういうことかしら?」
「そういうことですわ」

 なるほど……と、私の半歩後ろを歩きながら、シャルリーヌがそうこぼすのが聞こえた。

『ちょっと日本語で言うけど、年功序列、先輩後輩の上下関係しみついた日本社会で暮らしていた分、食事の作法と会話の仕方については、教育の必要ってないと思うのよね』

『あー……うん、全部をイチから詰め込む必要はないって、フォルシアンの義母ははも言ってたわね』

『うん。それに私も気楽に話せる時間も欲しいから、適当に日本語で話したりするかも?』

『その時間は私も欲しいなぁ……じゃあ、シャーリーの口調がくだけたら日本語ってコトで、私もそうしようかな』

 淑女教育中、エリィ義母様が同席しているとなかなかくだけるのにも限度があるだろう。
 そのあたり臨機応変に使い分けていこうと、シャルリーヌと頷き合った。


*         *         *


「ごきげんよう、ボードリエ伯爵令嬢。実際にお話させていただくのは初めてかしら? フォルシアン公爵イェルムが妻エリサベトですわ。わたくし義娘むすめともども宜しくお願いしますわね」

 わたくし義娘むすめ、を軽く強調しながらそっと手を背中に添えてくれるエリィ義母様に、私は内心ほっと息をついていた。

 今更シャルリーヌが私にケンカを売ることはない。

 エリィ義母様もそれはよく分かっていて、あくまでも私が花畑在住令嬢に出くわした時のための「お手本」として、ちょっとした〝圧〟をかけてくれたのだろうと察することが出来たからだ。

 どうやら既に淑女教育は始まっているらしい。

 シャルリーヌの方も、エリィ義母様が来ていることへの耐性は既に出来ていたからか、じわりと目元を緩めてこちらを見ただけだった。

「フォルシアン公爵夫人にご挨拶申し上げます。ボードリエ伯爵が娘シャルリーヌにございます。本日は淑女の手本とも言われる夫人にお会い出来ますことを大変楽しみにしておりました。どうぞ宜しくお願い致します」

 そうして、ギーレン王家仕込みの綺麗な〝カーテシー〟をその場で披露する。

 後で聞くと、挨拶の口上などに若干の違いはあるらしいけど〝カーテシー〟自体は万国共通とのことだった。

 やはりエリィ義母様も、その礼の優雅さにはすぐに気が付いたらしく「わたくしよりも整っているかも知れませんわ」と微笑んでいる。

「今日はわたくしの方から茶葉の話をさせていただきますけれど、義娘むすめの淑女教育の手本となっていただく件については、どうか宜しくお願いしますわね? フォルシアン公爵家自慢のチョコレートを用意しておきますわ」

「光栄にございます、フォルシアン公爵夫人。ただわたくしの作法はギーレン仕込みでございますので、アンジェス国の作法ともし乖離するところがございましたら、どうか遠慮なくご指摘下さいますでしょうか」

 シャルリーヌの猫かぶりもなかなかのもの――と言うよりは多分、日本に居た頃のノリで喋る方がこちらでは異質なんだろう。

 礼儀に則った今の話し方でも、シャルリーヌは流暢なものだった。

「エリサベトでよくてよ、ボードリエ伯爵令嬢。エリィは夫とレイナちゃんだけの呼び名ですから、そこは申し訳ないのだけれど」

 どうやらエリィ義母様の初対面のチェックはOKだったらしい。
 義娘むすめが「レイナちゃん」に変わっていて、口調に少しの歩み寄りが感じられた。

「光栄です、エリサベト様。ではどうかわたくしのこともシャルリーヌ、と。シャーリーはレイナだけの呼び名ですので……」

 普段はボードリエ伯爵夫妻も「シャルリーヌ」呼びらしい。
 それを聞いたエリィ義母様が「あら」と笑った。

「イデオン公が妬いているのではないかしら」
「以前公爵邸でお会いした際には氷の殺意を感じました」
「でしょうね……」

 いや、そこで二人で分かり合われても!

 とは言え私が二人の自己紹介からの脱線を止めるよりも早く、エリィ義母様は既に我に返っていた。

「つもる話はまた我が家で機会を設けましょうか。今日はアンジェス産の茶葉を学ぶことがメインですものね」

 バラの花びらが大量に置かれたテーブルの方はいったん無視スルーして、エリィ義母様は瓶詰めの茶葉が並ぶテーブルの方へと移動をした。

「イオタちゃんも『ロゼーシャ』の話はこの後でね? まずは茶葉を知るところからはじめましょう」

「…………はい」

 イオタ「ちゃん」と呼ばれたことで、シーグはすっかり固まってしまった。
 バラの話を後回しにされた恰好だけれど、文句を言う気にもならなかったようだ。

 エリィ義母様、お見事です。
しおりを挟む
685 忘れじの膝枕 とも連動! 
書籍刊行記念 書き下ろし番外編小説「森のピクニック」は下記ページ バックナンバー2022年6月欄に掲載中!

2巻刊行記念「オムレツ狂騒曲」は2023年4月のバックナンバーに、3巻刊行記念「星の影響-コクリュシュ-」は2024年3月のバックナンバーに掲載中です!

そして4巻刊行記念「月と白い鳥」はコミックス第1巻と連動!
https://www.regina-books.com/extra 

今回から見方が変わりました。何か一話、アルファポリス作品をレンタル頂くことで全てご覧いただけますので宜しくお願いしますm(_ _)m
感想 1,407

あなたにおすすめの小説

誰にも信じてもらえなかった公爵令嬢は、もう誰も信じません。

salt
恋愛
王都で罪を犯した悪役令嬢との婚姻を結んだ、東の辺境伯地ディオグーン領を治める、フェイドリンド辺境伯子息、アルバスの懺悔と後悔の記録。 6000文字くらいで摂取するお手軽絶望バッドエンドです。 *なろう・pixivにも掲載しています。

【完】お義母様そんなに嫁がお嫌いですか?でも安心してください、もう会う事はありませんから

咲貴
恋愛
見初められ伯爵夫人となった元子爵令嬢のアニカは、夫のフィリベルトの義母に嫌われており、嫌がらせを受ける日々。 そんな中、義父の誕生日を祝うため、とびきりのプレゼントを用意する。 しかし、義母と二人きりになった時、事件は起こった……。

山に捨てられた令嬢! 私のスキルは結界なのに、王都がどうなっても、もう知りません!

甘い秋空
恋愛
婚約を破棄されて、山に捨てられました! 私のスキルは結界なので、私を王都の外に出せば、王都は結界が無くなりますよ? もう、どうなっても知りませんから! え? 助けに来たのは・・・

初耳なのですが…、本当ですか?

あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た! でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

婚約破棄 ~家名を名乗らなかっただけ

青の雀
恋愛
シルヴィアは、隣国での留学を終え5年ぶりに生まれ故郷の祖国へ帰ってきた。 今夜、王宮で開かれる自身の婚約披露パーティに出席するためである。 婚約者とは、一度も会っていない親同士が決めた婚約である。 その婚約者と会うなり「家名を名乗らない平民女とは、婚約破棄だ。」と言い渡されてしまう。 実は、シルヴィアは王女殿下であったのだ。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします。

樋口紗夕
恋愛
公爵令嬢ヘレーネは王立魔法学園の卒業パーティーで第三王子ジークベルトから婚約破棄を宣言される。 ジークベルトの真実の愛の相手、男爵令嬢ルーシアへの嫌がらせが原因だ。 国外追放を言い渡したジークベルトに、ヘレーネは眉一つ動かさずに答えた。 「国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします」

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。