聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

文字の大きさ
上 下
653 / 803
第三部 宰相閣下の婚約者

669 三法の番人(後)

しおりを挟む
「ヤンネの所へ行かせたのが、良い方向へ転んでくれたようだ」

 高等法院において次期法院長最有力とされているクロヴィス・オノレ子爵は、そう言って柔らかく微笑わらっている。

「ああ、すまんな。なぜ罪人の一部を高等法院内の留置場で預かることになったのかと言う話だが、フォルシアン公爵が気にされたのだ」

「……と、仰いますと」

 思いがけず出て来た父親の名前に、お義兄様ユセフが怪訝そうに眉根を寄せた。

罪人の一人ナルディーニがこの家のご令嬢に執着していることを失念していた、と。いくら捕らえてあるにせよ、万が一にも何かあっては困ると」

「!」

「こちらの事情聴取に影響が出ても困るし、そう言うことであればと、イデオン宰相も認可されたのだ」

 思いつきもしなかった、と正直に顔に出ているお義兄様ユセフに、オノレ子爵は淡々と言葉を紡いだ。

「もともと高等法院内の留置場は、数は王宮に劣るが、取り調べ中だったり判決待ちだったりする貴族向けと言う側面があるから、王宮内の貴族牢よりもマシな環境下にある。証拠固めをしながら父親である侯爵が王都に出て来るのを待つなら、それまで外からのを遮断しておけるし、情報も洩れにくい。妥当な判断ではあるだろう」

 オノレ子爵の説明が淀みないところを見ると、事前にある程度王宮内で何らかのすり合わせがあったことが察せられる。

 断罪の茶会、などと言うとんでもないが水面下で進んでいたことを、この時点の私は知らなかった。
 もちろん今、この邸宅やしき内にいる面々も――だ。

「…………なるほど」

 多分お義兄様ユセフも、この時はそれしか答えようがなかったんだろう。
 そう思ったんだけど。

「泣こうが喚こうが基本放置の王宮牢と違い、高等法院ウチの留置場は事情聴取のない時は眠らせておく一択。某令息に身分を振りかざされないようにするため、高等法院ウチしていてもらおう、と」

「⁉」

 違った、王宮よりもよっぽど力業だった!

 高等法院の職員は、中枢はほぼ貴族と言え、雑務を含めた事務職員の中には一般市民も多いらしい。

 その状況下で捕らえられた貴族を拘束したり取り調べようとしたりすると、反発されて拘留もままならないことが多々あるため、用のある時以外は薬で眠らせておくのが基本デフォルトなんだと言う。

 ギョッとなった私に、お義兄様ユセフは留置場の在り方をそう説明してくれた。

 取り調べ及び判決に関しては、謂れなき暴力を除いては担当者の身分と不敬罪に問わないことが保証されているそうだ。

 それはそれで、取り調べ及び判決を行う部屋の外のところで、担当者の取り込みや排除を狙う輩がウロつくのも珍しいことではないらしく、自警団や王都警備隊のための警備室が法院内には常設されているらしい。

 なるほど被疑者の意識がハッキリしていた場合、自分が動けなくとも周りを動かして事を優位に進めようとする場合ケースがあるんだろう。

 過去の色々な事例を省みた結果が――必要な時以外は留置場で眠らせておくこと一択になったのか。

「……サレステーデのご一行サマも、それなら眠っておいて貰ったら良かったのに」

 思わずそう零してしまった私に、お義兄様ユセフも困った表情を浮かべるしかなかったみたいだった。

「……まあ私もそうは思ったが、高等法院の留置場はあくまでアンジェスの法に則って裁かれる人間を留置するための場所だしな。それに見方を変えれば、王宮の貴族牢で変死事件があったとしても、上層部は感知しないと示しているようなものだ。そう思えばある程度溜飲は下がる」

「…………」

 そんな裏事情があったなどとは、思いもよりませんでした、ハイ。

 暗殺したければ、ご自由に。

 あの時シーグとリックが変装していたにせよ、牢内でサレステーデの王子王女が狙われたのは、あの時限りでわざとそうしたのではなく、普段からそう言ったことがあっても「黙認」をしている場所なのだ。

 ……やっぱり、王宮怖い。

「ユセフ」

 オノレ子爵が軽く咳払いをしたところから言っても、それはほぼ事実で、お義兄様ユセフのぶっちゃけすぎを一応嗜めたんだろう。

 失礼しました、とお義兄様ユセフも形式的な感じにそう答えていた。

「まあ、ほかならぬイデオン宰相閣下と婚約されたのだからな。この程度は知っておいて貰っても良いだろう。ただ、この部屋にいる他の面々は、出来れば他言無用に願いたい」

 オノレ子爵の口調は静かなようでいて、他の職員たちと共になかなかの「圧」を周囲に張り巡らせている。

 うっかり口を滑らせればどうなるか分かっているな……?とでも言いたげだ。

「場の空気は読めるつもりです、オノレ子爵閣下」

 ややこめかみ付近を痙攣ひきつらせながらも、ヒース君が委細承知したとばかりに軽く目礼していた。

「うむ。それで、捕らえられた者どもは邸宅やしきの牢か?納得がいったのであれば、中に入れろとまでは言わんから、ここへ連れて来て貰いたいのだが」

 ぐるりと辺りを見渡したオノレ子爵に「閣下、そのことですが」と、お義兄様ユセフもようやくここで現状を報告した。

「確かにこの部屋に数名と牢に複数名の関係者がおりますが、本命は今セルマの街からここへ護送されているところです。既に街を出ていると聞いていますので、恐らくはそう間を置かずしてここへ辿り着く筈です。少しお待ち下さいますか。もし閣下のお時間がなければ、到着し次第再度使いを出しますが」

「……ふむ、セルマか」

「あ……っと、悪いが」

 少し考える仕種を見せたオノレ子爵に、それまで黙ってことの成り行きを伺っていたラジス副団長が、そこで片手を上げた。

「王都商業ギルド自警団副団長のラジスだ。今回の件は貴族だけではなく、我々商業ギルドとしても当事者になる。セルマから移送されてくる首謀者を、来るなり高等法院に引っ張って行かれるのは困るんだが」

 言葉遣いの問題もあるのか、オノレ子爵以外の高等法院関係者の眉間に皺が寄った様な気がしたけど、さすが誰もそれを表には出さなかった。

 特にオノレ子爵の表情は、まるで変わっていない。

「なるほど、既にギルドの関係者がこの場にいたのか」

「高等法院案件になると判断をしていたのは、ギルド上層部も同じなもので。既にギルド長の耳にも今回の件は届いている」

 さすがイッターシュギルド長と言ったところか、とオノレ子爵もイヤミではなく頷いているようだった。

「ではギルド幹部に、今回の件が密室協議で片付けられかねないとの疑惑を植え付けないためにも、ある程度はこの場で関係者同席の上の事情聴取をした方が良いと言うことだな」

 閣下、と同行している職員らが声を上げかけたのを、オノレ子爵は片手で制した。

「ギルド上層部も高等法院上層部と同じく、王以外の権力者に取り込まれてはならぬ所。彼らが取り調べあるいは同席の必要性を主張するのであれば、我らとて口出しは許されんのだ」

 オノレ子爵はそう言って、ラジス副団長の方を向き直った。

「ラジス副団長、だったか。ギルド側の主張は承知した。今回の様な場合ケースはかなり稀だ。であれば双方が可視化された空間の下、それぞれ立ち会っての事情聴取を行うべきなのだろう。我々もここでセルマからの護送を待つ事にしよう。その間、今いる関係者からの聴取を並行して行わせて貰いたいが、良いだろうか」

「あ、ああ。そう言うことなら……」

 言いながらも、ラジス副団長もここがコンティオラ公爵邸であると言うことは気になったんだろう。
 チラリと確認するように、ヒース君に視線を投げていた。

「元よりコンティオラ家は今回、聴取される側の立場です。嫡男としての立場で、出来る限りの協力はさせて貰いますよ」



 コヴァネン子爵の騒動で、もはや子どもでいられなくなってしまったミカ君ではないけれど、今回の事件でヒース君も、もはや学園生としてのゆとりは消え失せてしまったのかも知れない。

 それが良いこと、頼もしいことなのかどうか――今の時点では、誰も判断出来そうになかった。
しおりを挟む
685 忘れじの膝枕 とも連動! 
書籍刊行記念 書き下ろし番外編小説「森のピクニック」は下記ページ バックナンバー2022年6月欄に掲載中!

2巻刊行記念「オムレツ狂騒曲」は2023年4月のバックナンバーに、3巻刊行記念「星の影響-コクリュシュ-」は2024年3月のバックナンバーに掲載中です!

そして4巻刊行記念「月と白い鳥」はコミックス第1巻と連動!
https://www.regina-books.com/extra 

今回から見方が変わりました。何か一話、アルファポリス作品をレンタル頂くことで全てご覧いただけますので宜しくお願いしますm(_ _)m
感想 1,407

あなたにおすすめの小説

今日結婚した夫から2年経ったら出ていけと言われました

四折 柊
恋愛
 子爵令嬢であるコーデリアは高位貴族である公爵家から是非にと望まれ結婚した。美しくもなく身分の低い自分が何故? 理由は分からないが自分にひどい扱いをする実家を出て幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱く。ところがそこには思惑があり……。公爵は本当に愛する女性を妻にするためにコーデリアを利用したのだ。夫となった男は言った。「お前と本当の夫婦になるつもりはない。2年後には公爵邸から国外へ出ていってもらう。そして二度と戻ってくるな」と。(いいんですか? それは私にとって……ご褒美です!)

完結 穀潰しと言われたので家を出ます

音爽(ネソウ)
恋愛
ファーレン子爵家は姉が必死で守って来た。だが父親が他界すると家から追い出された。 「お姉様は出て行って!この穀潰し!私にはわかっているのよ遺産をいいように使おうだなんて」 遺産などほとんど残っていないのにそのような事を言う。 こうして腹黒な妹は母を騙して家を乗っ取ったのだ。 その後、収入のない妹夫婦は母の財を喰い物にするばかりで……

【完結】王女と駆け落ちした元旦那が二年後に帰ってきた〜謝罪すると思いきや、聖女になったお前と僕らの赤ん坊を育てたい?こんなに馬鹿だったかしら

冬月光輝
恋愛
侯爵家の令嬢、エリスの夫であるロバートは伯爵家の長男にして、デルバニア王国の第二王女アイリーンの幼馴染だった。 アイリーンは隣国の王子であるアルフォンスと婚約しているが、婚姻の儀式の当日にロバートと共に行方を眩ませてしまう。 国際規模の婚約破棄事件の裏で失意に沈むエリスだったが、同じ境遇のアルフォンスとお互いに励まし合い、元々魔法の素養があったので環境を変えようと修行をして聖女となり、王国でも重宝される存在となった。 ロバートたちが蒸発して二年後のある日、突然エリスの前に元夫が現れる。 エリスは激怒して謝罪を求めたが、彼は「アイリーンと自分の赤子を三人で育てよう」と斜め上のことを言い出した。

お前のせいで不幸になったと姉が乗り込んできました、ご自分から彼を奪っておいて何なの?

coco
恋愛
お前のせいで不幸になった、責任取りなさいと、姉が押しかけてきました。 ご自分から彼を奪っておいて、一体何なの─?

山に捨てられた令嬢! 私のスキルは結界なのに、王都がどうなっても、もう知りません!

甘い秋空
恋愛
婚約を破棄されて、山に捨てられました! 私のスキルは結界なので、私を王都の外に出せば、王都は結界が無くなりますよ? もう、どうなっても知りませんから! え? 助けに来たのは・・・

【完】お義母様そんなに嫁がお嫌いですか?でも安心してください、もう会う事はありませんから

咲貴
恋愛
見初められ伯爵夫人となった元子爵令嬢のアニカは、夫のフィリベルトの義母に嫌われており、嫌がらせを受ける日々。 そんな中、義父の誕生日を祝うため、とびきりのプレゼントを用意する。 しかし、義母と二人きりになった時、事件は起こった……。

【完結】略奪されるような王子なんていりません! こんな国から出ていきます!

かとるり
恋愛
王子であるグレアムは聖女であるマーガレットと婚約関係にあったが、彼が選んだのはマーガレットの妹のミランダだった。 婚約者に裏切られ、家族からも裏切られたマーガレットは国を見限った。

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。