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第三部 宰相閣下の婚約者

668 三法の番人(前)

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「――次期様、大変申し訳ございません」

 マリセラ嬢がソファに深く沈みこんだまま呆然としているそこへ、コンティオラ公爵家家令イレネオがヒース君の方へと小さく声をかけていた。

「高等法院からの派遣だと仰る方々が複数名お越しでいらっしゃるのですが」

「……高等法院?」

 その言葉に反応をしたのは、ヒース君ではなくお義兄様ユセフだ。

 私がジッと見ると、お義兄様ユセフは「いや、私は呼んでいない」と、首を横に振った。

「恐れ入ります、お一方ひとかたは、子爵クロヴィス・オノレ様――と」

「……何?」

 想像だにしていなかった、とばかりに声を上げたのは、これもヒース君ではない。
 お義兄様ユセフだ。

(オノレ子爵って……)

 ヤンネ・キヴェカスと関わるようになってから、幾度も耳にしている名前だ。
 さすがに私もその名は覚えた。

 かつてキヴェカス家が乳製品の産地偽装問題で著しく不利な状況にあった際、クヴィスト公爵家の庇護下にあった、相手方のグゼリ伯爵家ではなく、法の遵守を尊び、キヴェカス伯爵家とその寄り親イデオン公爵家の支持に回ってくれたと聞く。

 ナルディーニ侯爵令息とは違い、ホンモノの〝勇者〟ホワイトナイトになった人だ。

 そして何と言っても現・高等法院職員であるお義兄様ユセフの上司であり、エドヴァルドと示し合わせてお義兄様ユセフを決めた人。

 現時点では子爵家領主本人であるから、公爵「令息」であるお義兄様ユセフよりも立場は上。

 ただしそう言ったことを差し引いても、お義兄様ユセフはオノレ子爵を尊敬していると聞いているし、ヤンネの方でも高等法院に用がある都度挨拶を欠かさないと言う。

 日本の裁判所だと、正義の剣と法の天秤を持つ像は女神の像だけれど、アンジェスだとさしずめオノレ子爵自身が法の番人と言ったところだろうか。

 司法、刑法、軍法を奉じて、主に貴族を裁くと言われる高等法院。
 そのナンバー2。
 次期高等法院の法院長の座を確実視されている男性ひと

「……入って貰っても良いか?」

 ここはコンティオラ公爵家だ。
 恐らくはその顔を立てたのだろう。

 そう尋ねるお義兄様ユセフに、ヒース君は軽く頷いて、家令イレネオにも目配せをした。

「――失礼」

 そうして部屋の中に男性が五人招き入れられ、最初に顔を出した年配男性が、更に一歩前へと歩を進めた。

 ……何だろう。たまにテレビで見かけた、裁判所の令状を持った警察官が容疑者宅に証拠の差し押さえに入った、みたいなもの凄い「圧」を感じる。

 王都警備隊や商業ギルドの自警団とはまるで違う、防衛軍の皆にも似た威圧感だ。

「王都高等法院次席法院長クロヴィス・オノレだ。軍務・刑務の長であるフォルシアン公爵閣下からの指示で、イデオン宰相閣下の許可を得て訪ねさせて貰っている」

 え、と小さな声を出したのはお義兄様ユセフだ。
 だけど私も、ちょっとビックリしてしまった。

 イル義父様とエドヴァルドが何故?と、二人して目を瞠ってしまう。

「ここに違法薬物の取引に手を染め、仮にも主家である公爵家を陥れようとした貴族らが拘束されたと聞いた。下っ端の者は王宮でシクステン軍務刑務長官に引き渡すが、主要な者たちは高等法院内の留置場にて預かることとなったのだ。速やかに引き渡しを願いたい」

「「⁉」」

 今しがたエドヴァルドからは、このコンティオラ公爵家で拘束しておいて欲しいと言われたばかりだ。

 何かあったのだろうかとお義兄様ユセフと視線を交わし合い、ここはお義兄様ユセフの方が質問の形をとるように、口を開いた。

「オノレ閣下」

「ああ、ユセフか。どうだ、キヴェカス事務所での業務はためになっているか?」

 お義兄様ユセフが質問をするより先に、オノレ子爵から世間話の要領で何気なく聞かれ、お義兄様ユセフはちょっと戸惑っていた。

「……そうですね。毎日が『まさか』の連続で、おかげさまで視野の狭窄を思い知らされました」

 イル義父様、エリィ義母様!
 チラリとこちらを見たお義兄様ユセフの態度が激変しています!

 ここに二人がいたら、声を大にして言いたかったくらいだ。

 目を瞠ったままのそんな私に、オノレ子爵の視線がゆっくりと向けられる。

「ユセフ、そちらのご令嬢がかな?」
「……ええ」

 あの、お義兄様? ご紹介は。
 そう思いながら、とりあえず〝カーテシー〟だけでもしておいた方が良いかと片足を引こうとしたところ、オノレ子爵の方にそれを止められた。

「犯罪者のもそうだが、貴女にも伝えておかなくてはならないことがある。イデオン宰相閣下には既に通達をさせて貰った。その上で、貴女への伝言役も同時に申し付けられているのだ」

 これは先に聞いてしまった方が良さそうだと、私はお義兄様ユセフに目線で断りを入れた上で、改めて〝カーテシー〟の姿勢と共に「承ります」と、頭を下げた。

「ああ、そう肩肘を張らんでくれ。こちらはむしろ慶事の連絡と言えようからな。――レイナ・ユングベリ嬢。貴女のフォルシアン公爵家との養子縁組と、それに伴うエドヴァルド・イデオン公爵との婚約届、双方が本日正式に高等法院で受理された。両公爵家の名を汚すことのないよう、これからもその身を律してくれたまえ」

「――‼」

 そう言えば、届け出をしてきたと言うことだけを聞いていた気がする。
 王宮内、知る人ぞ知る状態だったところが、これで全て公に認められた形になったのだ。

 だけどホッとした反面、今、この場と言うのがあまりにも皮肉だった。

 ――公爵家の名を汚すことのないよう、身を律しろ。

 ある意味さっき私が啖呵をきってしまったことに、何も知らないオノレ子爵がトドメの引導を渡した様なものだろう。

 視界の隅に、俯いたままのマリセラ嬢が、膝の上に置いた手をドレスごと握りしめているのが見えた。

 とは言え、私からかける言葉はない。
 私はただ、オノレ子爵に対して答えるだけだ。

「本日はご足労有難うございます。お言葉確かに承りました。両家の恥とならぬよう、今後も身を律して参りたいと存じます」

「うむ」

 恐らくは定型のやり取りなんだろう。
 オノレ子爵は特に感銘を受けた風でもなく、頷いただけだった。

 婚約云々はともかく、養子縁組に関してはお義兄様ユセフも無関係ではない。

 私のすぐ傍で「フォルシアン公爵家としても承知致しました。父公爵もそう答えていることとは思いますが、改めて私の方からも受諾の意を伝えさせて頂きます」と、軽く頭を下げたのが見える。

 結構、とオノレ子爵は答えた。
 それで……と、声色も表情も厳しめのそれへと変貌を遂げる。

「該当者たちの引き渡しの可否は如何に」
「……そのことですが、オノレ閣下」

 お義兄様ユセフも、オノレ子爵に合わせるように顔を上げた。

「当初我々は、捕らえた者たちは全てこのコンティオラ公爵邸に留め置くようにと言われておりました。それが変わった理由を先に伺っても?」

 部屋にいる5人は、オノレ子爵はもちろんのこと、お義兄様ユセフは全員の顔と名前を把握している。

 それでも全員が、誰かの買収や脅迫を受けていないとは限らない。

 それは無礼ではなく当然の疑問であり――オノレ子爵は、よく出来ましたと言わんばかりに微笑わらった。
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