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第三部 宰相閣下の婚約者

【宰相Side】エドヴァルドの忍耐(1)

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 フォルシアン家での朝食を終えて宰相室に姿を現した時、いつもなら淡々と己の仕事に取り掛かる筈の副官シモン・ローベルトが、こちらを見ながらもの言いたげにしていることに気が付いた。

「どうした、シモン」
「いえ……その……おめでとうございます、で宜しいのでしょうか……」

 どうやら視線が片側の耳に固定されているところを見ると、仮止めとは言えピアスに気付いたと言うことなんだろう。

「今日明日にでも養父となるフォルシアン公爵から届けは出されるはずだ」
「フォルシアン公爵……!いえ、失礼しました。改めまして、おめでとうございます」
「ああ」

 今更シモンも「誰と」などとは聞いてこない。
 あれだけ宰相室に出入りしていれば、いやでも分かるだろうし、養父母を必要としている人間も一人しかいない。
 もし政略だったとしたら、基本的にそんな必要はないからだ。

「不服か?」
「いえ、とんでもない!ただ、この部屋で閣下を引っぱたかれたことを懐かしく思ったと申しましょうか……」
「ああ……そうだったな……」

 そう遠い昔の話でもないのに、懐かしく思ったのは私も同じかも知れない。
 それだけ、彼女が最初にこの宰相室に来た時の衝撃は大きかったのだ。
 シモンも――私も。

「周辺諸国の言葉全てを理解し、私が不在でも我が公爵領の領主たちと対等に政務を語りあえ、食事会を開いたうえに更なる提案までしてのける。……手放せる筈がない」

 シモンの目には、私が単純に彼女の「能力」を欲しているかの様に映るかも知れない。

 だが、シモンの場合はそれで良いのだ。
 この部屋に押しかけようなどと言う貴族令嬢がいた場合、彼女たちとレイナとの違いを懇々と語ることが出来るだろうから。

 レイナの隣は誰にも渡さない。
 たとえ「イル義父様」などと、フォルシアン公爵邸でふざけた名称で呼んでいようとも、だ。

 それは、私一人が誓っていれば良いことなのだ。

「申し訳ありません。埒もないことを申しました。先にこれを閣下にお渡しすべきでした」

 かぶりを振るように会話を打ち切って、シモンは机にあったトレイを手に、それを恭しくこちらへと差し出した。

 ――トレイの上に、筒状に丸められて紐で軽く縛られた書状がある。

「既に外交部とコンティオラ公爵閣下の目は一度通っています。後は宰相閣下から陛下に……と、マトヴェイ外交部長が」

「外交部――と言うことは、サレステーデからか?」
「そのように聞いております」

 私はシモンから受け取ったそれを解いて、内容をざっと一読した。



「――シモン、陛下のところへ訪問伺いをたててくれ」


*         *         *


「ほう……五日後か。バレス宰相なりに腹を括ったと言うことか?」

 国王の執務室で、目を通した書面を指で弾きながら、フィルバートが皮肉げに微笑わらう。

「どう考えても、三国が顔を合わせるのに五日後は『ない』からな。だがまあ、返事を三日で返して来たことに対しての猶予くらいはあたえてやろうか」

 当初は、返信が来るまでの日数も含めて、一週間以内に来いとしていたのだから、こちらとしては猶予をあたえた「つもり」と言うことだ。

「今頃必死で王家の血筋を辿っているころかも知れんな」
「何親等になっても良いから、今の王政を維持させよう……と?」
「阿呆でなければ、まずはそれを考えるだろうよ。おまえだって、私が不慮の死でも遂げればそうするだろう?」

 思わず表情かおしかめた私を、フィルバートは面白そうに見やった。

「もっとも、血縁上の継承権があったところで、玉座に座らせられるかどうかは別問題だ。当人が愚かであれば、王配なり妃なりが支えられるかどうかも確認しなくてはならない。今の王子王女がであれば、継承権保持者を辿ったところで、ロクな人材もいまいよ。周囲を調べようとすれば――まあ、時間が足りないだろうな」

「日程の延長依頼が来ても却下するつもりだが」

「構わん。困るのはサレステーデむこうだ。もしバリエンダール国王の日程が合わないようであれば、数日ならサレステーデの宰相をこちらの国に留め置くのは構わん。バレス宰相に本国で今以上の時間を与えないようにしろ」

「……承知した」

 さて今からは、バリエンダールに送る文書とサレステーデへの返信、我が国のレイフ殿下にも出立準備の要請をしなくてはならない。

 外交部と今以上に連携をとって打ち合わせをする必要があるな、と思っていると、机に乗せていた両手を自ら組み合わせながら、フィルバートが「エディ」と、意味ありげな視線をこちらへと向けた。

「バリエンダール国王が我が国に滞在する間に、王太子が国内のを目論んでいると言うのは確かなんだな?」

「……立場上明言はしていないが、間違いはないだろう。敵対派閥である公爵家は、先代の威光に縋るあまりに、既に色々とやりすぎている。伊達にあの男は周辺諸国の中でいち早く立太子の儀をすませているわけではないと言うのが私の印象でもある」

 ミラン・バリエンダール。
 恐らくは近々ギーレンで立太子されるであろうエドベリ・ギーレンよりも器は上だ。

「ふむ……目的のために自らの手を汚せる男は私も嫌いではないからな。先々を考えて、何かしらを贈ってやるべきか……?」

「…………」

 この場合、恩を売っておくとも言う。
 そしてフィルバートの言葉を額面通りに受け取ってはならない。

 その「手土産」が必ずしもモノであるとは限らないからだ。

「良さそうなモノがあればリストアップしておいてくれ。何なら私自らが手渡しに行くのもやぶさかではないからな。そこは我が国の利になるよう、おまえに任せておく」

「は……」



 この時は、まさかその機会がすぐに訪れるなどと、私自身が思ってもいなかったのだ。
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