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第三部 宰相閣下の婚約者
628 絶対零度の晩餐会~食堂の間③~
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先代エモニエ侯爵の後妻と言うのは、どうやら先々代国王の放蕩の弊害、所謂「お手が付いた」女性の「お下がり」の中の一人だったらしい。
しかもジュゼッタ姫の代わりと称してやって来た令嬢の傍仕えとして、婚約者と引き離されて無理に同行させられた、バリエンダールのベッカリーア公爵家派閥下にある伯爵家の令嬢だったんだそうだ。
「うわぁ……」
コンティオラ公爵夫人の話を聞きながら、私は周囲に聞こえない程度の呟きを洩らしながら、片手で額を覆った。
まさかこんなところで、ベッカリーア公爵家の名前を聞くとは思わなかった。
いや、茶葉の取引と聞いた時点でイヤな感じはしたんだけれど。
チラとエドヴァルドを見れば、わずかに、トーレン殿下が宰相としてこの件にどう関わっていたのかを、思い出そうとしているようだった。
「殿下の引継ぎ資料には、エモニエ侯爵家には既に跡取りが生まれていたから、無理に子を為さずともエモニエ侯爵領で心穏やかに過ごして貰えれば――と言った配慮が、当時なされていたとあった。ちょうど先代侯爵は妻を亡くされたばかり。いずれ周囲から再婚を勧められるだろうから、名ばかりの妻は互いにとっても益となろう……と」
だが実際には、その後妻は心穏やかに領地で過ごすどころか、いずれ自分を手放した実家に何らかの復讐をしようと、虎視眈々とその機会を窺っていたんだそうだ。
「もともと、義母が実家の伯爵家から無理にアンジェスに同行させられた際に、ベッカリーア公爵家の関係者と『いずれ本人を戻すか、それが叶わぬ際は娘を一人、ベッカリーア公爵家と縁づかせて、実家に圧力をかけること』を約束させたと聞いています」
本人が戻りたかったのは、元の婚約者とよりを戻したかったため。
もしもそれが叶わないなら、せめて娘をその元婚約者の家に縁づかせたい。
そのための、ベッカリーア公爵家との養子縁組を狙おうとしていたらしい。
「父にその気は微塵もなかったのです。ただ、海の向こうの元婚約者が亡くなったと聞いた時点で、病的なまでに娘を欲するようになったとかで、父に縋ったのはもちろん、夜会のたびに色々な令息、はては護衛や使用人にまで声をかけるようになって……」
なるほど、エモニエ侯爵家内の使用人の質が落ちたのは、なびくなびかないはともかくとして、後妻の誘惑に振り回される者が続出したからと言うことか。
更にその過程で、夜会で距離の近くなったナルディーニ侯爵家から、目を付けられることにもなったらしい。
後妻も、先妻の娘がいなくなれば、先代エモニエ侯爵にも自分を顧みる余裕が生まれるのではないかと、ナルディーニ侯爵家からの接触を拒まず、むしろ積極的に場を提供しようとして、幾度となく件の乳母と衝突をしていたらしかった。
ナルディーニ侯爵と関係を持ちながら、義理の娘を嫁がせる算段を立てていたと言うのだから、その義母の心は、既にこの国で無理やり国王のお手付きとされた頃から、壊れていたのかも知れなかった。
「代替わりをした時点で、兄は使用人を大幅に入れ替えました。義母も領都から離れた領地で静養していると聞かされていたので、その話ももう立ち消えたと思っていたのです」
そんなある日、護衛ウリッセの下に、亡くなった乳母の同僚だと言う女性が現れたのだと言う。
「その女性は言ったそうです――『貴方の妹は、本当は先代侯爵の奥様と、ナルディーニ侯爵との間に出来た不貞の子。この醜聞を表沙汰にされたくなければ、妹の身柄は奥様に差し出すように』――と」
「……な」
まさか、馬鹿な、と叫ぶほどには、コンティオラ公爵は夫人の言葉を疑ってはいないのだろう。
一瞬の驚きは見せたものの、黙って続きを促していた。
「領都で乳母の墓を守る妹と、血の繋がりがないことはウリッセも分かっていたと言っていましたわ。ただ自分の母親から『大人の都合に振り回された可哀想な子だから、実の妹と思って接するように』と言い聞かせられていた、と」
だからその背景がもし本当ならば、コンティオラ公爵家に迷惑をかけてしまうと、ウリッセは当初口を噤んでいたらしい。
その「妹」が将来的にはバリエンダールの公爵家の関係者になるかも知れないとも聞かされて、かえって妹の為になるのではと思ったそうだ。
そして、そのための持参金がかなり必要になるからと、ナルディーニ侯爵家側が「手っ取り早く金を稼ぐ方法」として、ベッカリーア公爵家から伝授された話があると聞かされたのだと言う。
まさかそれが投資詐欺となって、よりによって自分の娘に跳ね返って来るとは思わなかったとコンティオラ公爵夫人は言う。
「ごめんなさい!本当は、すぐにあなたに相談をしなくてはいけないことは分かっていました。けれどあなたはほとんど王宮から戻っていらっしゃらないし、何よりウリッセを説得して、危険なコトはさせないようにしなくてはと気ばかりが焦ってしまって……」
「ヒルダ……」
ハッキリ言って斜め上から降りかかって来たであろう事態に頭を抱えたのは、コンティオラ公爵だけではなかった。
「これは……陛下にも伏せておけなくなったか……?」
口元に手をあてて呟くエドヴァルドに、頷くイル義父様の顔色も悪い。
――私の脳裡を一瞬、大鎌背負った死神が、人差し指をちょいちょいと動かして「首を寄越せ」と微笑っている幻想がよぎった。
しかもジュゼッタ姫の代わりと称してやって来た令嬢の傍仕えとして、婚約者と引き離されて無理に同行させられた、バリエンダールのベッカリーア公爵家派閥下にある伯爵家の令嬢だったんだそうだ。
「うわぁ……」
コンティオラ公爵夫人の話を聞きながら、私は周囲に聞こえない程度の呟きを洩らしながら、片手で額を覆った。
まさかこんなところで、ベッカリーア公爵家の名前を聞くとは思わなかった。
いや、茶葉の取引と聞いた時点でイヤな感じはしたんだけれど。
チラとエドヴァルドを見れば、わずかに、トーレン殿下が宰相としてこの件にどう関わっていたのかを、思い出そうとしているようだった。
「殿下の引継ぎ資料には、エモニエ侯爵家には既に跡取りが生まれていたから、無理に子を為さずともエモニエ侯爵領で心穏やかに過ごして貰えれば――と言った配慮が、当時なされていたとあった。ちょうど先代侯爵は妻を亡くされたばかり。いずれ周囲から再婚を勧められるだろうから、名ばかりの妻は互いにとっても益となろう……と」
だが実際には、その後妻は心穏やかに領地で過ごすどころか、いずれ自分を手放した実家に何らかの復讐をしようと、虎視眈々とその機会を窺っていたんだそうだ。
「もともと、義母が実家の伯爵家から無理にアンジェスに同行させられた際に、ベッカリーア公爵家の関係者と『いずれ本人を戻すか、それが叶わぬ際は娘を一人、ベッカリーア公爵家と縁づかせて、実家に圧力をかけること』を約束させたと聞いています」
本人が戻りたかったのは、元の婚約者とよりを戻したかったため。
もしもそれが叶わないなら、せめて娘をその元婚約者の家に縁づかせたい。
そのための、ベッカリーア公爵家との養子縁組を狙おうとしていたらしい。
「父にその気は微塵もなかったのです。ただ、海の向こうの元婚約者が亡くなったと聞いた時点で、病的なまでに娘を欲するようになったとかで、父に縋ったのはもちろん、夜会のたびに色々な令息、はては護衛や使用人にまで声をかけるようになって……」
なるほど、エモニエ侯爵家内の使用人の質が落ちたのは、なびくなびかないはともかくとして、後妻の誘惑に振り回される者が続出したからと言うことか。
更にその過程で、夜会で距離の近くなったナルディーニ侯爵家から、目を付けられることにもなったらしい。
後妻も、先妻の娘がいなくなれば、先代エモニエ侯爵にも自分を顧みる余裕が生まれるのではないかと、ナルディーニ侯爵家からの接触を拒まず、むしろ積極的に場を提供しようとして、幾度となく件の乳母と衝突をしていたらしかった。
ナルディーニ侯爵と関係を持ちながら、義理の娘を嫁がせる算段を立てていたと言うのだから、その義母の心は、既にこの国で無理やり国王のお手付きとされた頃から、壊れていたのかも知れなかった。
「代替わりをした時点で、兄は使用人を大幅に入れ替えました。義母も領都から離れた領地で静養していると聞かされていたので、その話ももう立ち消えたと思っていたのです」
そんなある日、護衛ウリッセの下に、亡くなった乳母の同僚だと言う女性が現れたのだと言う。
「その女性は言ったそうです――『貴方の妹は、本当は先代侯爵の奥様と、ナルディーニ侯爵との間に出来た不貞の子。この醜聞を表沙汰にされたくなければ、妹の身柄は奥様に差し出すように』――と」
「……な」
まさか、馬鹿な、と叫ぶほどには、コンティオラ公爵は夫人の言葉を疑ってはいないのだろう。
一瞬の驚きは見せたものの、黙って続きを促していた。
「領都で乳母の墓を守る妹と、血の繋がりがないことはウリッセも分かっていたと言っていましたわ。ただ自分の母親から『大人の都合に振り回された可哀想な子だから、実の妹と思って接するように』と言い聞かせられていた、と」
だからその背景がもし本当ならば、コンティオラ公爵家に迷惑をかけてしまうと、ウリッセは当初口を噤んでいたらしい。
その「妹」が将来的にはバリエンダールの公爵家の関係者になるかも知れないとも聞かされて、かえって妹の為になるのではと思ったそうだ。
そして、そのための持参金がかなり必要になるからと、ナルディーニ侯爵家側が「手っ取り早く金を稼ぐ方法」として、ベッカリーア公爵家から伝授された話があると聞かされたのだと言う。
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685 忘れじの膝枕 とも連動!
書籍刊行記念 書き下ろし番外編小説「森のピクニック」は下記ページ バックナンバー2022年6月欄に掲載中!
2巻刊行記念「オムレツ狂騒曲」は2023年4月のバックナンバーに、3巻刊行記念「星の影響-コクリュシュ-」は2024年3月のバックナンバーに掲載中です!
そして4巻刊行記念「月と白い鳥」はコミックス第1巻と連動!
https://www.regina-books.com/extra
今回から見方が変わりました。何か一話、アルファポリス作品をレンタル頂くことで全てご覧いただけますので宜しくお願いしますm(_ _)m
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