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第三部 宰相閣下の婚約者
622 絶対零度の晩餐会~団欒の間③~
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「ああ、そう言うことか……」
奥から現れたと言うことは、小型の〝転移扉〟で王宮からフォルシアン公爵家の執務室あたりに直接移動して来たんだろう。
最初に顔を出したのは当然、この邸宅の主であるイル義父様だった。
団欒の間をざっと見渡した視線が、最後、コンティオラ公爵夫人と令息のところで固定された。
「失礼した。我が家の使用人が来客と言うから、誰のことかと……貴方がたがお見えになるのは、妻から聞いていたよ」
その言葉に被せるかのように、二人は慌ててイル義父様に向かってそれそれの礼をとっている。
「ヒース殿は学園入学時の顔合わせ以来か。息災なようで何よりだよ」
「は……有難うございます。この度は招待状もない急な来訪――」
「ああ、気にしないでくれ。今回は仕方がないと思っているから」
恐縮するヒース君を宥めるかの様に、イル義父様は片手を上げている。
しかもそのまま真っすぐエリィ義母様のところまで歩いて行くと、座って身体だけを傾けていたエリィ義母様の髪をひと房手にとって「ただいま、愛しい人」と優雅に唇を落としていた。
「おかえりなさい、あなた」
エリィ義母様も、慣れていると言わんばかりににこやかに微笑み返すだけだ。
「また、すぐ戻られるのでしょう?でしたら『おつかれさま』はまだお預けですわね」
「そうだね。もうしばらくは貴女との時間が充分に取れないだろうね……ああもう、貴女が足りないよ、愛しい人」
……うん。周囲の空気をものともしないところが凄いです。二人とも。
「レイナちゃんも、ただいま。概略だけ聞いているけど、何か巻き込まれたみたいだね」
「おかえりなさいませ、イル義父様。そうなんです。王都商業ギルドに行った時に、たまたま――っ⁉」
カツン、と響いた靴音と共に、団欒の間の空気が心なしか冷えた気がした。
「…………イル義父様」
氷点下とはまだ言えないまでも、低気圧には違いないバリトン声が聞こえてくる。
ただ、私が何かを答えるよりも先に「ふふふ」と笑ったのはイル義父様だった。
「ああ、イル義父様とエリィ義母様だそうだ。あっと言う間に嫁に行くからといっても一線を画すことなく、我々を尊重してくれる。いい子じゃないか。嬉しくて涙が出るよ」
「…………」
複雑そうに黙り込むエドヴァルドに、私は何と言っていいやら分からなくなってしまった。
とりあえず、エリィ義母様を見倣えば良いかな。
「お……おかえりなさいませ、エドヴァルド様」
さすがにこの場で「ルド」や「青藍」は勘弁して下さい。
私の内心の叫びが伝わったのか、エドヴァルドは不満気に眉根を寄せた。
「……ああ」
そのまま、イル義父様の隣を通り過ぎるかの様にして私のところまで来ると、エリィ義母様より遥かに短い私の髪を、そっと指に絡めた。
「確かに……貴女との時間が充分に取れないのは、歯がゆいな」
「⁉」
いつの間にか耳元でエドヴァルドの声が聞こえている。
「イルではないが――貴女が、足りない」
「……っ!」
その囁き声は反則です、宰相閣下!
と言うか、この前から聞く「足りない」って、イル義父様の影響だったんですね⁉
口を開けば文句を言うことが多いのに、行動のところどころ、イル義父様の影響が垣間見えるのだ。
変なところでイル義父様の行動をなぞるものだから、日頃の冷徹、鉄壁と言われている宰相像とのギャップが大変なことになって、周囲が言葉を失っている。
かろうじてエリィ義母様が「あなた……」と、半目で夫を見ているだけだ。
「ユセフといいイデオン公といい、あなたの情操教育には少々問題があるんじゃありませんこと?」
ぼんっと顔から湯気も火も出る勢いで真っ赤になる私には、ちょっと生温かい目を向けつつ、エリィ義母様は呆れた溜息を零していた。
「極端ですわ」
「エリィ……」
「私は構いませんが、御覧なさいませ。コンティオラ公ご一家が固まっておられましてよ」
忘れていた、と言わんばかりに背後を振り返ったイル義父様は、扉の入口で立ち尽くすコンティオラ公爵に、あっけらかんと笑ってみせた。
「失礼、コンティオラ公。一家団欒をしている場合ではなかったな」
冷徹、鉄壁の向こうに感情を隠すエドヴァルドとは対照的に、笑顔の向こうに全てを押し込めるのがフォルシアン公爵――イル義父様だ。
「……いや……」
コンティオラ公爵は、そう答えるのが精一杯みたいだった。
「あなた。ユセフも呼んでいるのですけれど……」
とりあえず、固まった空気をほぐすのは話題を変えるのが一番だ。
エリィ義母様も、それで義兄のことを口にしたと思われた。
「そうか。では、いつまでも団欒の間にいるのもなんだから、応接間に移動しようか。ユセフが来たら食堂に行こう」
「フォルシアン公……」
明らかにコンティオラ公爵夫人の様子がおかしいのは、コンティオラ公爵も見て分かるんだろう。
事情を聞きたそうにしているものの、イル義父様の「ここでする話じゃない」と言う、本音か建前か分からない理由を前面に押し出された結果、反論の術は思い浮かばなかったみたいだった。
「…………レイナ」
「……ひゃい」
そして、もう一人。
冷気に負けて、返事を噛んだ私をエドヴァルドがじっと見つめていた。
「どうして、王都商業ギルドに行っただけのはずが、こうなった?」
「いやぁ……」
偶然の積み重ね。
そうとしか言いようがない。
言葉に詰まる私に、エドヴァルドはわざと聞こえる形での溜息を吐き出した。
奥から現れたと言うことは、小型の〝転移扉〟で王宮からフォルシアン公爵家の執務室あたりに直接移動して来たんだろう。
最初に顔を出したのは当然、この邸宅の主であるイル義父様だった。
団欒の間をざっと見渡した視線が、最後、コンティオラ公爵夫人と令息のところで固定された。
「失礼した。我が家の使用人が来客と言うから、誰のことかと……貴方がたがお見えになるのは、妻から聞いていたよ」
その言葉に被せるかのように、二人は慌ててイル義父様に向かってそれそれの礼をとっている。
「ヒース殿は学園入学時の顔合わせ以来か。息災なようで何よりだよ」
「は……有難うございます。この度は招待状もない急な来訪――」
「ああ、気にしないでくれ。今回は仕方がないと思っているから」
恐縮するヒース君を宥めるかの様に、イル義父様は片手を上げている。
しかもそのまま真っすぐエリィ義母様のところまで歩いて行くと、座って身体だけを傾けていたエリィ義母様の髪をひと房手にとって「ただいま、愛しい人」と優雅に唇を落としていた。
「おかえりなさい、あなた」
エリィ義母様も、慣れていると言わんばかりににこやかに微笑み返すだけだ。
「また、すぐ戻られるのでしょう?でしたら『おつかれさま』はまだお預けですわね」
「そうだね。もうしばらくは貴女との時間が充分に取れないだろうね……ああもう、貴女が足りないよ、愛しい人」
……うん。周囲の空気をものともしないところが凄いです。二人とも。
「レイナちゃんも、ただいま。概略だけ聞いているけど、何か巻き込まれたみたいだね」
「おかえりなさいませ、イル義父様。そうなんです。王都商業ギルドに行った時に、たまたま――っ⁉」
カツン、と響いた靴音と共に、団欒の間の空気が心なしか冷えた気がした。
「…………イル義父様」
氷点下とはまだ言えないまでも、低気圧には違いないバリトン声が聞こえてくる。
ただ、私が何かを答えるよりも先に「ふふふ」と笑ったのはイル義父様だった。
「ああ、イル義父様とエリィ義母様だそうだ。あっと言う間に嫁に行くからといっても一線を画すことなく、我々を尊重してくれる。いい子じゃないか。嬉しくて涙が出るよ」
「…………」
複雑そうに黙り込むエドヴァルドに、私は何と言っていいやら分からなくなってしまった。
とりあえず、エリィ義母様を見倣えば良いかな。
「お……おかえりなさいませ、エドヴァルド様」
さすがにこの場で「ルド」や「青藍」は勘弁して下さい。
私の内心の叫びが伝わったのか、エドヴァルドは不満気に眉根を寄せた。
「……ああ」
そのまま、イル義父様の隣を通り過ぎるかの様にして私のところまで来ると、エリィ義母様より遥かに短い私の髪を、そっと指に絡めた。
「確かに……貴女との時間が充分に取れないのは、歯がゆいな」
「⁉」
いつの間にか耳元でエドヴァルドの声が聞こえている。
「イルではないが――貴女が、足りない」
「……っ!」
その囁き声は反則です、宰相閣下!
と言うか、この前から聞く「足りない」って、イル義父様の影響だったんですね⁉
口を開けば文句を言うことが多いのに、行動のところどころ、イル義父様の影響が垣間見えるのだ。
変なところでイル義父様の行動をなぞるものだから、日頃の冷徹、鉄壁と言われている宰相像とのギャップが大変なことになって、周囲が言葉を失っている。
かろうじてエリィ義母様が「あなた……」と、半目で夫を見ているだけだ。
「ユセフといいイデオン公といい、あなたの情操教育には少々問題があるんじゃありませんこと?」
ぼんっと顔から湯気も火も出る勢いで真っ赤になる私には、ちょっと生温かい目を向けつつ、エリィ義母様は呆れた溜息を零していた。
「極端ですわ」
「エリィ……」
「私は構いませんが、御覧なさいませ。コンティオラ公ご一家が固まっておられましてよ」
忘れていた、と言わんばかりに背後を振り返ったイル義父様は、扉の入口で立ち尽くすコンティオラ公爵に、あっけらかんと笑ってみせた。
「失礼、コンティオラ公。一家団欒をしている場合ではなかったな」
冷徹、鉄壁の向こうに感情を隠すエドヴァルドとは対照的に、笑顔の向こうに全てを押し込めるのがフォルシアン公爵――イル義父様だ。
「……いや……」
コンティオラ公爵は、そう答えるのが精一杯みたいだった。
「あなた。ユセフも呼んでいるのですけれど……」
とりあえず、固まった空気をほぐすのは話題を変えるのが一番だ。
エリィ義母様も、それで義兄のことを口にしたと思われた。
「そうか。では、いつまでも団欒の間にいるのもなんだから、応接間に移動しようか。ユセフが来たら食堂に行こう」
「フォルシアン公……」
明らかにコンティオラ公爵夫人の様子がおかしいのは、コンティオラ公爵も見て分かるんだろう。
事情を聞きたそうにしているものの、イル義父様の「ここでする話じゃない」と言う、本音か建前か分からない理由を前面に押し出された結果、反論の術は思い浮かばなかったみたいだった。
「…………レイナ」
「……ひゃい」
そして、もう一人。
冷気に負けて、返事を噛んだ私をエドヴァルドがじっと見つめていた。
「どうして、王都商業ギルドに行っただけのはずが、こうなった?」
「いやぁ……」
偶然の積み重ね。
そうとしか言いようがない。
言葉に詰まる私に、エドヴァルドはわざと聞こえる形での溜息を吐き出した。
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