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第三部 宰相閣下の婚約者

617 ブティック・エミリエンヌ(後) 

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 クヴィスト公爵家の領地は、五公爵家の中で最大の広さを誇っているけれど、キヴェカス家との裁判に敗れた辺りから、他の公爵領への影響力が徐々に削がれていて、近頃は自領内の貴族家のみを相手にした小規模な社交に留まっているらしい。

 そこに今回の亡くなった当主のが恐らくはトドメになって、その影響力はスヴェンテ公爵家にすら及ばなくなるともっぱらの噂なんだそうだ。

 スヴェンテ公爵家は、表向き中立の立場にある筈の五公爵家の不文律(積極的には特定の王族の支持を表明しない。ただし裏工作は見て見ぬふり)に背いて正面から第二王子を担ぎ上げた結果、当主は処刑され、先代当主が臨時で領政を担っている。

 先代スヴェンテ公爵夫人は、ここのところ寝たきりで、開発途中の車椅子でようやく邸宅やしき内を散策出来るほどの体調と言うことで、社交界には全く顔を出せていない。

 そのうえイデオン公爵家には、先代から数えて数十年、妻どころか社交を担えるような愛妾さえいない。

 実際に王家主催の夜会などでまともに社交をこなしていたのは、フォルシアン公爵夫人とコンティオラ公爵夫人の二人だけだったのだ。

 そんな両夫人は、特に示し合わせてはいなかったものの、自分達までが対立をしてしまっては夫の仕事に影響が出かねないと、社交の場で会えば会釈をしあう程度で、ずっと付かず離れずの立ち位置にいたらしい。

 無駄にマウントを取り合うようなこともしなかったと言うから、エリィ義母様は息子の教育に、コンティオラ公爵夫人は娘の教育に、多少の?難があっただけと言うことなんだろう。

 ――そして今回の、この詐欺事件だ。

 解決をすれば、エリィ義母様は結果的に、コンティオラ公爵夫人に恩を売ることになる。

 今ここで、コンティオラ公爵夫人がエリィ義母様の顔を立てていることで、実質ナンバー1が決定したようなものだった。

 レディ・エミリエンヌも「エリサベト様のご紹介ですもの。おざなりなことは致しませんわ。ご安心下さいませ」と、さりげなくエリィ義母様の顔を立てているのだから――「そう言うこと」なんだと思う。

「それとレディ、もう一人紹介させていただけるかしら?わたくし、つい最近娘がもう一人出来ましたのよ」

 エリィ義母様は、レディ・エミリエンヌとコンティオラ公爵夫人との一連のやり取りに満足したように、今度は私を軽く前に押し出した。

 まあ、と軽く目を瞠るレディ・エミリエンヌに、私もコンティオラ公爵夫人どころかレディ・エミリエンヌにさえ及ばない気はするものの、何とか最近少し形になってきた「カーテシー」を披露した。

「お初にお目にかかります。エリサベト様を義母ははと仰ぐようになってまだ日は浅いですが、今はレイナ・フォルシアンを名乗らせて頂いております。どうぞ宜しくお願い致します」

 恐らく貴族、それも公爵令嬢になった身として、元男爵令嬢であるレディ・エミリエンヌとの話し方と考えれば正しくないのかも知れないけど、ここはドレス職人に敬意を払うと言う意味もこめて、このまま押し通そうと思った。

「まあまあ、わたくしにまでそのような丁寧なご挨拶、痛み入りますわ。店主のエミリエンヌにございます。お嬢様は、今日はどのようなドレスをご所望でいらっしゃいますか?」

 にこやかな商売モードで聞かれてしまったけれど、正直、私に「作りたいドレス」なんてない。と言うか、分からない。

 エドヴァルド経由ヘルマンさん丸投げ、が基本デフォルトだからだ。

 淑女への道は遠いと言われそうだけど、それでも思わず視線でエリィ義母様にSOSを出してしまった。

「エ、エリィお義母様!今日は初めてのお義母様とのお買い物!ぜひ、それはもうぜひ、お義母様に選んで頂きたいです、はい!」

 なるべく「丸投げ」と受け取られないよう、キラキラと目を輝かせてエリィ義母様を見つめる――努力はしてみた。

 多分、バレていると思う。
 何故なら嬉しさ半分、苦笑い半分、と言った感じに見えるからだ。

「あら、そう?わたくしに選ばせてくれるのね?」
「はい!」

 どうぞ、どうぞ!

 ブンブンと首を縦に振る私に、一言「淑女はもっと優雅にね?」と釘を刺すことは忘れずに、エリィ義母様は私をさっと一瞥した。

「じゃあとりあえず、色は青系以外にしましょうね」

 そして開口一番、そう言ってニッコリと笑った。

 ピシリと固まる私に「だってレイナちゃん、青系以外持ってないでしょう」と、エリィ義母様が聞いてくる。

「ええっと……」

 ない訳じゃないと思ったものの、そう言えば〝マダム・カルロッテ〟のリボンドレスは舞菜いもうとのところに行ったし、この国に来てすぐの頃に用意された既製品の服も、召喚時に着ていたアンサンブルの現代服も、次に着る場所も機会もなく、クローゼットに眠っている。

 と言うか、経済を回すためにも新しい服を着るよう言い含められているし、現代服は民であることが丸わかりなので着ないようヨンナに言われている。

 故郷の服は大切に大切に保管しておきますから――とも。

 オーダーメイドで、ヘルマンさんの所で仕立てられたドレスは、言われて見れば青と言うか紺青色だらけだ。他の色と言っても、基本の紺青色に合わせて少し使われているくらいが、せいぜいだ。

 そう言う意味では「ない」と答えるのが一番正しいのかも知れなかった。

「レイナちゃんとは、まだ数えるほどしか顔を合わせていないけど、夫から聞いた話も含めて、イデオン公の色以外を使ったドレスがあるように思えないんだもの」

「なかったかも……知れないです」

 ほとんど無意識のうちに首を傾げていた私に「やっぱりねぇ」と、エリィ義母様は言い、コンティオラ公爵夫人は無言のまま絶句して目を見開いていた。

「あら、エリサベト様……ではこちらは、イデオン公爵閣下の……?」

 私のドレスをさっと見たところで、レディ・エミリエンヌはそれがヘルマンさんのデザインであることはすぐに分かったんだろう。

 そしてエリィ義母様の一言で、私が「イデオン公爵から自分の色が入った〝ヘルマン・アテリエ〟のドレスを贈られる令嬢」だとすぐに結びついた。

 貴族を相手にする店舗の店主となれば、それくらいは察せられないといけないと言うことだろう。

「そうなのよ。もうすぐユティラもアムレアン侯爵領に行ってしまうから、もう一人娘が増えて嬉しいわと思ったのだけれど……」

 イデオン公がだから……などとドレスをチラ見しながら、エリィ義母様がため息を零す。

「もちろん〝ヘルマン・アテリエ〟製な時点で、レイナちゃん自身が恥をかくことはないのよ?イデオン公の独占欲が全開すぎて、注目を浴びていたたまれなくなるかも知れないだけで」

「……えっと」

「けれどね?ドレスの着用には自分の主張だけではなくて、他人がする主張もあるの。夜会の主催者を貶めるような色、デザイン、組み合わせのドレスをわざと着用してくるような令嬢、夫人がいないわけではないのよ。夜会は同じ派閥の者だけで開かれるとは限らないから」

 与えられるドレスをただ着ているだけではダメなのだ、とエリィ義母様は言った。

「悪意は見抜く。売られた喧嘩は買う。時には自分からも主張をする。ちゃんとお勉強をしましょうね、レイナちゃん」

「エリィ義母様……ドレスの話ですよね?」

 どこにいくさに出るのか、と言うような言い方に思わず聞き返してしまったけれど、エリィ義母様は一度だけコンティオラ公爵夫人に視線を投げた後で、それはイイ淑女の笑みを閃かせた。

「社交界も戦場なのよ、レイナちゃん。さぁ……何色のドレスを仕立てれば良いかしらね?」

「及ばずながらお手伝いをさせていただきます。それが我々仕立て屋の真骨頂ですから」

「――――」

 私は何も言うことが出来なかった。
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