聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

文字の大きさ
上 下
584 / 803
第三部 宰相閣下の婚約者

609 異世界の221B

しおりを挟む
「……もやもやする……」

 王都中心街、キヴェカス法律事務所に到着した時、事務所があると言う四階建ての建物を見上げながら、私は思わず文句をこぼしてしまった。

 ヤンネ・キヴェカスの第一印象も、かの名探偵を演じた俳優似だと思っていたけど、まさか建物までがベーカー街221番地のアパートもどきになっているとは思わなかった。

 今となってはもう、比較したことそのものを、某ジェレミー氏に土下座して謝りたいくらいなのに、建物までがその世界に似せてきているとは、これ如何に。

 分かっている。これは八つ当たりだ。
 〇ームズではなく、ヤンネへの。

 だいたい、こんな異世界ゆるふわ設定は嬉しくない。

 もともとキヴェカス法律事務所なんて〝蘇芳戦記〟には出て来ないわけだから、そのあたりはゲームの世界と同じようで同じではないと言うことなんだろうなと、自分に言い聞かせるしかないのだ。

 いっそのこと、ユングベリ商会の本店(予定)がこう言う外観でも良かったかも知れない。

 ツェツィ・オンペルの想いがそこに残る以上は、出来る話ではないのだけど。

 そんな建物の一階には、まずエントランスロビーがあって、コンシェルジェならぬ大家さんがいて、来客時には上の階の住人に連絡を入れ、住人が下りて迎えに来るまではそこで待機――と言う流れになっているようだった。

 エントランスロビーの奥は大家さんの居住空間とのことだけど、今のこの建物の大家さんとは、元貴族館の使用人だったと言う年配の夫婦で、私たちはその夫の方に、ロビーまで案内される形になった。

 ……ロビーと言っても、イデオン公爵邸の団欒の間ホワイエよりも遥かに規模は小さかったりする。

「レイナちゃん、どうしたの?難しい顔をして」

 エリィ義母様の怪訝そうな声に、私はそこでハタと我に返った。
 難しい顔――うん、物は言いようだ。多分、眉間に皺が寄っていた筈だから。

「いえ、何でもないです!私の住んでいた国で、似た建物を見たことがあるな、どこだったかな……と、ちょっと考えていただけなので」

 そのくらいだったら、難しい顔にも見えるだろう。

 信じてくれたか誤魔化されてくれたか、エリィ義母様も「そう?」と小首を傾げただけで、それ以上深くは聞いてこなかった。

「――おまたせしました」

 別の馬車で後ろを付いて来ていたカール商会長代理も追いついた、ちょうどそこへ、商業ギルドにいそうなジャケットのないベスト姿の「平服」に身を包んだ、見た目10代後半の少年が、いくつかあった扉のひとつから顔を覗かせた。

「キヴェカス法律事務所の事務職員、アストリッド・カッレと申します。所長から『皆様をご案内するように』と言付かっています。事務所は二階となりますので、恐れ入りますがこちらから階段を上って頂けますでしょうか」

「カッレと言うと……」

 どうやら家名に心当たりがあるらしいエリィ義母様に、問われた側は微かに口元を綻ばせた。

「僕……いえ、私は確かにカッレ侯爵家の人間ですが、次男ですので今のところは家を継ぐ立場にありません。高等法院のオノレ子爵様の紹介で、学園在学中ですが研修を兼ねて時折こちらの事務仕事を手伝わせていただいています」

 カッレ侯爵家は17あるアンジェス国内侯爵家の内、クヴィスト公爵領内の貴族だった筈だ。

 ただ、さりげなく自分が次男だと、そしてユセフ・フォルシアン公爵令息の上司である次期高等法院長候補筆頭のオノレ子爵と繋がりのあることを仄めかせてきているので、自分自身は対立する立場に回っていないと言いたいのだろう。

 恐らくはヤンネあるいはユセフから来客の素性を予め聞かされていて、クヴィスト公爵家とは派閥として相反する立場であることを理解しているのだ。

 さすが高位貴族の駆け引きに満ちた会話を、既にこの時点から仕込まれているようだった。

 オノレ子爵の紹介と言うからには、仕事量の多さにユセフが子爵に相談をしたのか、ユセフの臨時派遣にあたって予め事務手伝いをもう一人派遣する話も最初から出ていたのか。

 いずれにせよ、ヤンネ自身もオノレ子爵とは関わりがある分「猫の手」を借りたんだろう。

 それと……と、カッレ侯爵令息と言うより見た目「アストリッド少年」が、コンティオラ公爵夫人を見てそこで一礼をした。

「学園内ではヒース・コンティオラ公爵令息と同じクラスで学ばせていただいており、それなりに親しく会話させていただいております」

「……まあ、貴方が」

 コンティオラ公爵夫人が驚いたように目を見開いているところからすると、反抗期とは言わないまでも年頃の少年である令息ヒースは、学園の寮からそうそう実家に顔を出すことをしていないのかも知れない。

 ただ、学園内で自分の息子が親しく付き合っているのは誰か、調べないわけにもいかないだろうから、夫人としては名前だけは知っていた――と言ったところだろうか。

 アストリッド少年側からすると、王都在住の五公爵家関係者を知らないと言うわけにはいかないだろうけど。

「卒業をしてしまえば、家名に縛られて会話をしにくくなることも出てくるでしょうけれど、可能な範囲でこの先もヒースと親しくしてやって貰えると有難いわ」

 今日はずっと外的要因に振り回されて来たコンティオラ公爵夫人も、やはり一歩外に出ればちゃんと「公爵夫人」なのだ。

 アストリッド少年も余計なことは言わず「ぜひ」とだけ答えて、再度頭を下げた。

「話が逸れてしまい申し訳ありませんでした。改めて事務所の方にご案内します」

 そう言って身を翻すアストリッド少年の後に、皆が続く。

 ここは現役公爵夫人を先に歩かせず、私が先に事務所に入るべきだろうかと先頭に立ち、恐らくは空気を読んだと思われるカール商会長代理が、それに続いた。

「――失礼します、アストリッドです。皆さまをお連れしました」

 二階に上がったところで、階段のすぐ先にある扉をアストリッド少年はノックし、先触れのせいか階段を上がる時点で気配は分かると思ったのか、特に返答を待つことなく、扉は開けられた。
しおりを挟む
685 忘れじの膝枕 とも連動! 
書籍刊行記念 書き下ろし番外編小説「森のピクニック」は下記ページ バックナンバー2022年6月欄に掲載中!

2巻刊行記念「オムレツ狂騒曲」は2023年4月のバックナンバーに、3巻刊行記念「星の影響-コクリュシュ-」は2024年3月のバックナンバーに掲載中です!

そして4巻刊行記念「月と白い鳥」はコミックス第1巻と連動!
https://www.regina-books.com/extra 

今回から見方が変わりました。何か一話、アルファポリス作品をレンタル頂くことで全てご覧いただけますので宜しくお願いしますm(_ _)m
感想 1,407

あなたにおすすめの小説

誰にも信じてもらえなかった公爵令嬢は、もう誰も信じません。

salt
恋愛
王都で罪を犯した悪役令嬢との婚姻を結んだ、東の辺境伯地ディオグーン領を治める、フェイドリンド辺境伯子息、アルバスの懺悔と後悔の記録。 6000文字くらいで摂取するお手軽絶望バッドエンドです。 *なろう・pixivにも掲載しています。

【完結】王女と駆け落ちした元旦那が二年後に帰ってきた〜謝罪すると思いきや、聖女になったお前と僕らの赤ん坊を育てたい?こんなに馬鹿だったかしら

冬月光輝
恋愛
侯爵家の令嬢、エリスの夫であるロバートは伯爵家の長男にして、デルバニア王国の第二王女アイリーンの幼馴染だった。 アイリーンは隣国の王子であるアルフォンスと婚約しているが、婚姻の儀式の当日にロバートと共に行方を眩ませてしまう。 国際規模の婚約破棄事件の裏で失意に沈むエリスだったが、同じ境遇のアルフォンスとお互いに励まし合い、元々魔法の素養があったので環境を変えようと修行をして聖女となり、王国でも重宝される存在となった。 ロバートたちが蒸発して二年後のある日、突然エリスの前に元夫が現れる。 エリスは激怒して謝罪を求めたが、彼は「アイリーンと自分の赤子を三人で育てよう」と斜め上のことを言い出した。

今日結婚した夫から2年経ったら出ていけと言われました

四折 柊
恋愛
 子爵令嬢であるコーデリアは高位貴族である公爵家から是非にと望まれ結婚した。美しくもなく身分の低い自分が何故? 理由は分からないが自分にひどい扱いをする実家を出て幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱く。ところがそこには思惑があり……。公爵は本当に愛する女性を妻にするためにコーデリアを利用したのだ。夫となった男は言った。「お前と本当の夫婦になるつもりはない。2年後には公爵邸から国外へ出ていってもらう。そして二度と戻ってくるな」と。(いいんですか? それは私にとって……ご褒美です!)

うたた寝している間に運命が変わりました。

gacchi
恋愛
優柔不断な第三王子フレディ様の婚約者として、幼いころから色々と苦労してきたけど、最近はもう呆れてしまって放置気味。そんな中、お義姉様がフレディ様の子を身ごもった?私との婚約は解消?私は学園を卒業したら修道院へ入れられることに。…だったはずなのに、カフェテリアでうたた寝していたら、私の運命は変わってしまったようです。

お前のせいで不幸になったと姉が乗り込んできました、ご自分から彼を奪っておいて何なの?

coco
恋愛
お前のせいで不幸になった、責任取りなさいと、姉が押しかけてきました。 ご自分から彼を奪っておいて、一体何なの─?

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

悪役令嬢と言われ冤罪で追放されたけど、実力でざまぁしてしまった。

三谷朱花
恋愛
レナ・フルサールは元公爵令嬢。何もしていないはずなのに、気が付けば悪役令嬢と呼ばれ、公爵家を追放されるはめに。それまで高スペックと魔力の強さから王太子妃として望まれたはずなのに、スペックも低い魔力もほとんどないマリアンヌ・ゴッセ男爵令嬢が、王太子妃になることに。 何度も断罪を回避しようとしたのに! では、こんな国など出ていきます!

完結 穀潰しと言われたので家を出ます

音爽(ネソウ)
恋愛
ファーレン子爵家は姉が必死で守って来た。だが父親が他界すると家から追い出された。 「お姉様は出て行って!この穀潰し!私にはわかっているのよ遺産をいいように使おうだなんて」 遺産などほとんど残っていないのにそのような事を言う。 こうして腹黒な妹は母を騙して家を乗っ取ったのだ。 その後、収入のない妹夫婦は母の財を喰い物にするばかりで……

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。