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第三部 宰相閣下の婚約者

606 淑女の矜持

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「とは言え、各公爵がたにいつまでも黙っておけるものでもないと思うが……」

 どうするつもりか、とマトヴェイ部長から視線で問われた私は、口元に手をあてながら少し考えた。

「出来れば、ブロッカ商会の商会長でも部下でもいいですから、コンティオラ公爵家まで誘導しての、授業と見せかけた詐欺の現行犯を押さえたいですよね……」

 現金を預けるのでも、書面にサインをするのでもいい。
 その直前に邸宅やしき内で押さえるのが一番言い逃れの出来ない展開になる。

 別室で関係者を集めて、その様子を窺えれば理想的だ。

「ふむ……となると、少なくとも自警団と王都警備隊の責任者に、高等法院関係者を各々一人は入れたいわけだろう?確実にコンティオラ公爵閣下の許可は必要だ」

 そして本当にヤンネとユセフを引っ張り込むのなら、エドヴァルドやフォルシアン公爵にだって知らせないわけにはいかない。

 と言うか、エリィ義母様がやる気満々なので、そうせざるを得ないのだ。

「……今日の夕食……ですかね……」

 ポツリと呟いた私に、エリィ義母様も「そうね……」と、頷いていた。

「イデオン公は、レイナちゃんと夕食をとりに確実に我が家に来るでしょうし、夫もイデオン公だけを来させることはしない筈。当然夕食後はまた王宮に戻るでしょうけれど、それからコンティオラ公に話を通すと言うのも、一番の関係者ですのに順序が違いますものね」

「両公爵とも……夕食を王宮で済ませたりはなさらない……?」

 他の公爵の生活ぶりなど、当然知る由もないコンティオラ公爵夫人は驚いていたけど、エリィ義母様が「今まででしたら夫も忙しい時は王宮で済ませておりましたわ。イデオン公の行動につられているだけですわね」と言ったところで、押し黙ってしまった。

 ……なんだか周りの視線がいたたまれない。

 多分、私がこの国に来るまではエドヴァルドとていちいち食事の度に邸宅やしきになんて戻っていなかった筈だけど、それを言ったら墓穴を掘るだけな気がした。

 ええ、もう、ご想像にお任せします。

 視線を逸らした私の代わりに、咳払いをひとつしたマトヴェイ部長が「では」と、話をまとめるように会話を引き取ってくれた。

「コンティオラ閣下には、私の方からヒルダ様がフォルシアン公爵家にいらしているとお伝えをして、夕食の誘いをしましょう。フォルシアン公爵とイデオン公爵がもともとフォルシアン公爵邸で夕食の予定があったと伝えれば、そこにヒルダ様お一人で参加をさせるようなことはなさらない筈。その間の業務は私が見ておくと伝えれば、更に断る理由も減るでしょうし」

わたくしが……フォルシアン公爵邸にお邪魔を?」

 マトヴェイ部長の提案は、確実に社交界の作法マナーを無視している。
 さすがにコンティオラ公爵夫人も、やや不安げだ。

 私とシャルリーヌの様な間柄は特殊な筈で、まして日頃の交流もないのだから、尚更だろう。

 そんなコンティオラ公爵夫人から、視線で問われたエリィ義母様は「この場合は致し方ありませんわ」と、邸宅やしきへの招待を是としていた。

「元々夫人は、セルマの街へ行かれる予定で邸宅おやしきを空けておられたのでしょう?今戻れば、邸宅やしきの者はともかく、周りで様子を窺っていると言う怪しい者たちに、何かあったのかと警戒されかねませんわ」

「それは……」

 どうやらエリィ義母様も、コンティオラ公爵家そのものを囮に、詐欺グループを一網打尽にする案を既定のものとして進めるつもりでいるようだ。

「ごめんなさいね?ご心痛はいかばかりかと思いますけれど、これだけは言わせて下さいませ。わたくし、お嬢様にも十二分に反省をしていただきたく思っておりますのよ?」

「!」

 反省、の一言に目を瞠るコンティオラ公爵夫人に、エリィ義母様は「それはそうでしょう?」と、むしろ淡々と言葉を紡いだ。

「レイナちゃんも、ユティラも、我が娘は二人とも必要にかられて経営のことや商品開発のことを学んでおりますわ。そのために払っている努力も人一倍。軽い対抗心程度で、しかも投資になど手を出されてはたまりません。同じ様に経営を学ぶ女性全てが軽んじられることに繋がりかねませんもの」

「そ……れは……」

「もちろん我が家の護衛も出しますし、物理的な危険は及ばないように致しますけれど、それはそれとして、一度我が身を振り返って欲しいと思うのはいけませんかしら」

 多分エリィ義母様は、コンティオラ公爵夫人自身の為人ひととなりを見極めた上で、敢えて厳しめのことを告げた様に見えた。

 公爵夫人としての立場を、ちゃんと分かっている人だと判断したのだ。

 じっと様子を窺っていると、コンティオラ公爵夫人は最初こそ膝に置いた手でギュッと自分のドレスを握りしめていたけれど、徐々にその力が緩んでいくのが分かった。

わたくしは……夫も説得しなくてはいけませんのね……?」

「そうですわね……ですがコンティオラ公爵様であれば、きちんとご説明をなされば、ご理解いただけるのではと思いますわ」

 エリィ義母様の言葉を後押しするように、私とマトヴェイ部長も黙って首を縦に振った。

「……仕方がない、は違いますわね」

 やがてコンティオラ公爵夫人は、そう言って顔を上げた。

わたくしと娘の進退も含めて、全てお任せ致しますわ。せめて娘はナルディーニ侯爵家に煩わされるような事態ことにならないようにと思っておりましたけれど……ただ過保護にしていただけだったかも知れませんわね」

 多分だけど、ここでマリセラ嬢が囮になれば、本人の申し出でなかったとしても、表向きは詐欺摘発の協力者と言う立場を手にすることになり、好奇の目を向けられる回数は軽減される筈――とは言えそれは私の予想でしかないので、気を持たせない為にも口にすることは控えた。

「ヒルダ様……今、邸宅おやしきにはマリセラ嬢がお一人で?」

 途中参加のマトヴェイ部長は、その辺りを耳にしていなかった。
 コンティオラ公爵夫人は、緩々と首を横に振った。

「デリツィア・ナルディーニ様とその子供たちが、明日の学園見学の為に我が家に滞在中ですわ」

 現ナルディーニ家領主の弟、クレト・ナルディーニの妻――と、それまでの会話の流れで私はかろうじて察したけれど、さすがマトヴェイ部長は、すぐに分かったみたいだった。

「ああ……クレト殿の」

 そしてこちらの口調も、それまでのナルディーニ家への話題と比較すると明らかに好意的だ。

 人格者、とコンティオラ公爵夫人が言うのもあながち間違ってはいないのかも知れない。
 兄を反面教師に育ったのだろうか。

「夜には息子ヒースも、学園の寮から一時帰宅の許可を貰って、戻ってまいりますわ。明日の案内の前に、色々と話をしたいようですわね」

 王都学園は、13歳から5年間、貴族の子弟が通うと聞いている。

 だとするとナルディーニ卿の息子は12歳、コンティオラ公爵の息子は……さて、ナルディーニ卿の息子と何歳離れているんだろう。

「ヒース君は……いや、もう『君』などと言ってはいけない年齢か……」

 などとマトヴェイ部長が呟いているからには、もしかしたら最終学年に近いのかも知れない。

「うむ、彼が邸宅やしきにいるとなれば、仮に詐欺グループが明日にでも押しかけてきたとして、ある程度は対応が出来るかも知れない」

「マトヴェイ部長?」

「詐欺グループとて、仮にも家庭教師を名乗っている以上、さすがに今日押しかけることはすまいよ。ただ、この時点でヒルダ様が邸宅やしきを空けたことを知れば、今の内に明日の訪問予定を取りつけている可能性はある。例えば漁場の利権が今にも売れてしまいそうだ、買っておくのなら今だ――などと理由をつけて」

 何だか悪徳不動産屋の勧誘文句みたいな話だけれど、確かにそれはあり得る話だった。

「どうだろう、今のうちに学園に連絡を入れて、ヒース君に、邸宅やしきに戻る前にフォルシアン公爵家に立ち寄って貰って、事情の説明と投資書類の確認を引き受けて貰うと言うのは」

「「「――――」」」

 思いがけないマトヴェイ部長の提案に、その場の全員が黙りこんだ。
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