聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第三部 宰相閣下の婚約者

600 ちょっと同情します

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「ああ、お話の前に……さきほど義母ははも尋ねていたと思いますが、お身体の具合はいかがですか?多少の打ち身はもちろんあると思いますが、打ちどころによっては後から症状が悪化する場合もありますので、もし我慢されているのであれば、お止めになられた方がよろしいかと」

 もしも頭を打ったり、胸を強打していたりしたら大変だ。

 むち打ちくらいなら諦めて貰うにしても、重度の脳震盪だったりすると、多分今のこの世界の医療技術ではどうしようもなくなってしまう。

 少なくとも明日まではじっとして、様子を見て貰った方が良い。

「……大丈夫ですわ。少し肩を打っただけですわ」

 私の問いかけに、ヒルダ・コンティオラ公爵夫人はそう言って、自分の左肩に右手を軽く当てた。

「そうですか。では、あとでお抱え医師を教えていただいて、往診に来ていただきましょう。下手に動かない方が良いので、それまで様子見も兼ねてお話を伺うと言うことで」

「ユングベリ商会長?」

 かなり慎重な様子を見せる私をカール商会長代理が訝しんだので、とりあえず簡単に、頭を打ったりして、脳が激しく揺さぶられることによっておこる脳障害の話を口頭で説明しておいた。

「軽度のことだったら、1日程度安静にして、頭痛さえ起きなければそれで日常生活に復帰出来ますし。逆に手足の震えがひどい、頭痛がひどい、吐き気がひどいとなったら、絶対安静で1週間は様子を見た方が良いです。私は医者ではありませんが、そう言った症状の人を国で見ましたから、出来ればそこは信じていただきたいですね」

 昔、中学校で何度か保健室のお世話になった頃。
 スポーツ系の部活で頭を打って運ばれてきた子に、先生がそんな風に説明をしていたからだ。

 外傷がないことを、決して甘くみてはいけない――と。

 ラヴォリ商会側の馭者なり、乗っていた人なりにも伝えておいた方が良いと私が言うと「すぐに戻ります」と、こちらに一礼をして、カール商会長代理が廊下へと出て行った。

 この商会が、従業員を大事にしているのが分かる。

 どうやら外にたまたまいた誰かに、すぐ指示が出来たらしく、さほどの間を置かずにカール商会長代理は中に戻って来た。

「お互いの馬が、近距離での接触に驚いて両方の前足を高く上げて嘶いてしまったために、車体が少し傾いたようです。聞けば多少の打ち身はあったようですので、少なくとも今夜は安静にしておくよう伝えさせました」

「そうですね。その方が良いです。夫人も、話の途中でご気分が悪くなってこられたりした場合は、すぐに仰って下さいね」

 ええ……と頷くコンティオラ公爵夫人は、一連の流れについていけていないみたいだったけれど、私としてもここを無視してしまうと、後で取り返しのつかない事態に陥りかねないので、先に話しておく必要があったのだ。

「――では、改めて。私は先ほど商会の名を三つ申し上げましたけれど、シャプル商会はフォルシアン公爵領内で登録をしている商会ですし、カルメル商会は長く実績のある商会で、商会長の為人ひととなりも皆が知るところにある。となると、夫人が焦って公爵邸を飛び出された理由はブロッカ商会にあると思ったのですが、いかがでしょう?」

 ご実家と関係のある商会ですよね?と問いかける私に、コンティオラ公爵夫人の顔色が変わった。

「あ、どうかご心配なく。コンティオラ公爵閣下とは既に何度か話をさせて頂いていますし、公爵家として陛下や他の公爵家に叛意をお持ちと言ったようなことは微塵も考えていません」

「……え」

 意外そうな夫人に「……そうですわね」と、隣でエリィ義母様も相槌をうった。

「他国から迷惑な王族が押しかけて来た所為せいで、外交担当のコンティオラ公爵閣下が、今一番お忙しくていらっしゃるものね。何か後ろ暗いことを考えておいでだったら、これほどの機会はありませんものね」

 と言うか、今にも倒れそうな、目の下のクマと友達以上恋人未満くらいに仲良くなっているあの容貌からすれば、王にケンカを売る気にもならないだろう。

「コンティオラ公爵夫人として、公爵閣下にこれ以上の負担はかけまいと邸宅おやしきを飛び出されたんでしょうけど……」

 私がそう言ったところで、少なくともこの場では夫が疑われていないことに安堵したのか、強張っていた夫人の身体が、深くソファへと沈み込んだ。

「あの、見たところお一人でセルマに向かおうとしていらしたようですが、そうすると公爵邸の方は、今、お嬢様お一人なんですか?」

 コンティオラ公爵家は一男一女らしいけど、嫡男となるヒース少年の方は、未だ王都の学園に通う年齢と言うことで、コンティオラ公爵が社交性を身に着けさせようと、学園の寮に敢えて住まわせているのだと聞いた。

 母の不在中、臨時に呼び戻しているのなら話は別――と思いながら聞いてみたところ、夫人の口からは意外な言葉が零れ落ちた。

「いえ……ちょうど今、ナルディーニ侯爵家領主の弟の子どもたちが、学園の下見のために、弟夫人と共に王都に出て来ていて……我が家に滞在していましたの。一人は、観光も兼ねて兄に付いてきた女の子ですし、彼女は彼女でマリセラの良い話相手になるかと……」

「……ナルディーニ侯爵家、ですか?」

 ――女癖の悪い当主と嫡男がいると言う、噂の家ではないのか。

 目を丸くした私の心の内がダダ洩れたのかも知れない。

 コンティオラ公爵夫人は、ちょっと苦笑いだった。

「弟のクレト様はとても人格者でいらっしゃる。奥様もとても慎ましやかな方。子供たちをぜひ、我が家の子供たちと交流させたいと内々のご連絡をいただいていて……夫も『当主一家に知らせないのであれば』と了承をしておりますのよ?」

「「――――」」

 なるほど。
 弟「は」と言うあたり、夫人とナルディーニ侯爵家直系筋とのイザコザは、噂で聞く以上に根深そうだ。

 ただ、侯爵家と言う家格を考えれば、会うたびに口説いている程度のことでは、交流を断絶することは難しい筈。

 だから当主ではなく弟一家と、それも次代での交流を……と言うことなのかも知れない。

 そう考えた程度には、弟一家は皆マトモで、マリセラ嬢に強引に言い寄ったりはしていないと言うことなんだろう。
 あるいは、既にその子には婚約者がいるとか。

 当主の弟にしても、兄一家が完全に主家から見放されるのは避けたいだろうから、その辺りお互いに妥協をしているのかも知れない。

「さすがにわたくしも、エモニエ侯爵領まで行くつもりはありませんでしたわ。セルマであれば、今夜の内に行ってしまえば、明日すぐに戻って来られますから、デリツィア夫人に少しの間子供たちをお願いしたのです」

 聞けばブロッカ商会の商会長は、エモニエ侯爵家の当主長女、つまりはヒルダ夫人の姪と結婚をして、領内で血筋の絶えていた子爵家の名を継いだ……と言うことらしい。

「姪御さん……と言うことは、あの……いえ、ごめんなさいね」

 珍しくエリィ義母様がちょっと言葉を濁した。

 コンティオラ公爵夫人の許可を得て、エリィ義母様が教えてくれたところによると、その姪御さんは、親が縁を整えた婚約者がどうしても受け入れられず、たまたま夜会で知り合ったビュケ男爵家の三男と「一夜の過ち」に走ったのだそうだ。

 当時の社交界はそれはもう大騒ぎだったらしい。

 エモニエ侯爵家では、醜聞の犠牲になった相手の婚約者には多額の賠償金を払い、主家であるコンティオラ公爵家が、すぐには婚約者も見つからないだろうと、王都王宮での就職を斡旋したそうだ。

 当の二人には、高位貴族家ではなく、エモニエ侯爵家の縁戚子爵家として、独立をさせている。

 ……ここでは言わないけど、コンティオラ公爵があそこまで不健康にやつれている原因の一端を垣間見ている気はする。

 税の申告のたびに肉食令嬢に突撃されていたイデオン公爵家と、また別の気苦労があったようだ。

 それにしても。

「ブロッカ商会の商会長は、元ビュケ男爵家の三男なんですか⁉」

 私はうっかり声を大きくしてしまい、コンティオラ公爵夫人を驚かせてしまった。














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本編も600話到達!
ここまで読んで頂いて本当に有難うございますm(_ _)m
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今回から見方が変わりました。何か一話、アルファポリス作品をレンタル頂くことで全てご覧いただけますので宜しくお願いしますm(_ _)m
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