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第三部 宰相閣下の婚約者

572 心構え

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「……えっと」

 エスコートをされながら、馬車に乗り込んだ筈だった。

「仕方がないだろう。花があるのだから」
「いや、分けて置けば良かっただけじゃ――」
「……ん?」

 後ろから伸ばされた手が腰に回っていて、しかもギュッと抱き寄せられた。

「ええと、ですから分けて――」
「あの量をか?無理に小分けすれば花が散るだろう」
「――――」

 頭の上に、ズシッと重みすら感じる。

 どうやら、どうやっても、このエドヴァルドの両足で挟まれてのバッグハグ状態からは、抜け出すことは出来ないらしい。

「……貴女が、私の下から離れることはないと、実感したいだけだ。何せ、少し歩けば新規案件を浮上させてくるのだから、今度は何日、どこへ行くつもりかと、それは不安にもなるだろう」

 それに、とな囁き声が鼓膜をくすぐる。

「養子縁組となれば、フォルシアン公爵家に滞在するようなことも今後出てくるだろう。貴女とこの先を歩くため、必要な話としてそれは許容をするだろうが、だからと言って、気持ちがすぐに追いついているわけではない。は、その妥協点だ」

「ソ、ソウデスカ……」

 別に私も、止まれば死ぬ回遊魚のような生活をしたいわけではないのだけれど、結果的には「落ち着く気がない」と言う風に見えるんだろう。

「まあ、今すぐ同じだけの熱量を返してくれとは言わない。今はただ、隣にいる男のことを受け入れて、自覚してくれれば、それでいい」

「……っ」

 今はな、と囁かれた私の頬が、急激に熱を帯びる。
 
 耳まで赤くなっているのを見たエドヴァルドが、くすりと笑っているのが鏡がなくとも分かった。

「仕方がない。今は貴女のその表情が見られたことだけでも、よしとしておこうか。公爵邸まではもう幾許もないが、目を閉じて寛ぎたければ、そうすると良い。この後まだ、フォルシアン公爵邸への訪問が残っているからな」

「…………ハイ」

 そこまで言われてしまえば、バックハグと膝の上乗りのダブルコンボに対して、それ以上の拒否が、この空間で出来る筈もない。

 寝ていていいと言われているのは分かったけれど、それも無理!

 そう思いながら、公爵邸まで馬車に揺られたのだけれど、慣れと言うのも怖いもので、すくなくともコクコクと舟を漕ぐくらいには、エドヴァルドの腕の中で安心してしまっていたようだ。

 時々髪が撫でられているのが分かったものの、結局それ以上の細かい会話はないまま、着替えのためにイデオン公爵邸に戻ることになった。


*          *          *


「レイナ様。いずれは公爵夫人として、ドレスを指定していただいたり、諸々淑女としての教育も必要かと思いますが、さすがに今日は、私どもに頭の上から爪先にいたるまで、お任せいただきたく存じます」

 何せフォルシアン公爵夫人は、現在の社交界における、トップオブトップの淑女。
 そんな女性に、義理とは言え母になって貰うのだから、色々覚悟した方がいいとヨンナは言う。

 パッと見、大人しそうな、美魔女を地で行くような方だけど、生き馬の目を抜く社交界、それだけでやっていける筈がない。

 本音と建前の使い分けを、ちゃんと学んでこいと言うことなんだろう。

「ヨンナたちも充分に貴族社会の何たるかを教えてくれていると思うんだけど、足りないのね?」

 首を傾げる私に「生粋の貴族である方から学べる機会は貴重ですよ」と困った様にヨンナは微笑わらった。

「どうしたって、わたくしは平民にございますから」

 公爵邸での教育は、言わば貴族階級であるための教育。
 公爵夫人になるための「教育」は、また別にあると言うことだ。

(ひゃあ……)

 外から見れば、公爵夫人と言う地位は貴族女性として、とても魅力のある地位だ。

 婚約を公表したからと言って、まだその地位を狙う、諦めの悪い人間も一定数いることは間違いなかった。

「フォルシアン公爵夫人から、今後色々しっかりと学んで下さいませ。もし今夜泊まっていけば――との話になれば、むしろ後ろ盾として認めていただいたことにもなりましょうから、快諾して下さいませ。こちらには使者を出して下さるだけで構いませんので」

 むしろその方が夜、落ち着いて寝られるのでは?と言われているようで、私は内心のむず痒い思いをごまかすのに苦労しなくてはならなかった。
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