聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

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第三部 宰相閣下の婚約者

553 有言実行、ここに極まれり

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 ――まさか夕方になってもまだベッドの住人になっているとは思わなかった。

 しかもセルヴァンが、王宮からの親書が届いていると扉を叩いてくれなければ、夕食までおざなりになりそうな勢いだった。

〝私の目が他に向く事はないと、疑いようもないほどに貴女を愛し尽くす〟

 有言実行、ここに極まれり。

 もしもこの先、何か疑いを持つような事態が起きれば……「まだ足りなかったらしいな」とでも呟きながら、魔王サマが再び降臨する姿が目に浮かぶようだった。

「旦那様。いい加減になさいませんと、明日に差し障ります」

 もはや時間感覚も吹っ飛んだ状態の私が、扉の向こうに返事が出来る筈もないので、答えるとすればエドヴァルドでなければならないのに、私に覆いかぶさったままのエドヴァルドは、答えるどころか口づけを止めない。

「旦那様。また今夜から『続き扉』を塞いでしまってもよろしいのですか?」

 セルヴァンの声に一片の冗談の要素もこもっていないことは、蕩けた状態の私の頭でも理解が出来た。

「旦那様。それ以上は愛情ではなく、ただの色欲にございますよ。レイナ様が明日以降、旦那様にはもう触れられるのも嫌だと、幻滅してしまわれてもよろしいのですか?」

「……っ⁉」

 そして最後の一言は、確実にエドヴァルドの鳩尾にクリティカルヒットを与えていた。

 うん。さすが心の父。
 何を言えばエドヴァルドがダメージを受けるかをよく分かっていた。

 少しだけ身体を起こしたエドヴァルドの右手が、そっと私の頬を撫でる。

「そう……なのか?」
「…………」

 えっと。
 それ、今、の私に聞きますか?

 返事の代わりに、くたりと身体から力が抜けて枕に沈んだ私に、さすがにエドヴァルドも物事の限度と言うものを理解してくれたっぽかった。

「すまない……その……私の思いは、理解してくれただろうか……」

 貴女だけだ。
 貴女しか欲しくない。

 昨夜から、何度囁かれたか分からない。

 私以外の他人の言葉で揺らがないでくれ、と。

 逆に言えば、誰かが余計なことを言えば、誰かが政略婚の話を持ち込んで来たならば、あっという間に身を引いてしまいそうだと、エドヴァルドの目には映ったんだろう。

 だから手加減が出来ない。
 だから箍が外れる。

 抱き潰さずにはいられなかったほどに、エドヴァルドの中にある不安をかき立てたのは、自分なのだ。

 この状態は、お互い様と言うべきなのかも知れなかった。

 だけどせめて、次からは回数を抑えて貰おう。
 そんな風に思いながらも、声の掠れた私は、コクコクと首を縦に振ることしか出来なかった。

「――分かった。入れ」

 そこでようやく、エドヴァルドは扉の外のセルヴァンにそう答えた。

「レイナ様……っ、ですから呼び鈴をとあれほど……!」

 扉が開いたのと同時に、セルヴァンの後ろからヨンナの悲鳴が聞こえてくる。

「旦那様っ、少しはレイナ様を気遣われませ!喜ばしいことではあっても、物事には限度と言うものがございます――‼」

 
 そしてその後は、室内での夕食準備の傍らで「箍でも手加減でもいいので、どちらか呼び戻して下さい」「否と言う単語を覚えて下さい」と、セルヴァンとヨンナ交互に、二人そろってお説教を受ける羽目になった。

 寝台ベッドのヘッドボードに身体を預けた体勢で、とても冴えない話ではあったけど。

*        *         *

 セルヴァンが握りしめていた親書は、予想通りに明日の朝、王宮へ来るようにと促している書面だった。

「サレステーデへの『招待状』が出来たと言う事でしょうか」

 何杯もほんのり果実の味が付いた水を飲んで、ようやく出るようになった声で、私はエドヴァルドに問いかける。

 書面に視線を落としたまま、ものすごく嫌そうに「……ああ」とエドヴァルドも答えた。

「さすがに宰相としては、正式な送付の前に目を通しておく必要があるからな」

 それはそうかと思った私も「なるほど」と頷いて見せる。

「それから、コンティオラ公とマトヴェイ卿、テオドル大公と戻ってくれば良いか?また、中庭で昼食会をするのだろう?」

 出来そうか?と言った不安げな視線をエドヴァルドからは向けられたけど、海産物の消費期限を考えたら、ここは這ってでも遂行すべき「任務」なのだ。

「意地でもやります」
「いや、それは……」

 思わず、と言ったていでエドヴァルドが表情かおしかめているけれど、私はここは全力無視スルーを決め込んだ。

「中止にされたら、当分口を利きませんので。私の国では、ことわざとまでは言いませんけど『食べ物の恨みは恐ろしい』なんて言葉もあるくらいですから」

「…………恐ろしい言葉だな」

 肝に銘じよう、なんて零したエドヴァルドの顔色は、もしかしたらちょっとばかり青っぽかったかも知れない。

「その後は、郊外にある〝エウシェン〟と言う場所まで共に出かけた後、フォルシアン公爵の邸宅やしきに立ち寄ることになるから、そのつもりでいてくれ」

 エウシェン、と言うのがどういう所なのかは知らないけれど、最終的には着けば分かるのだろうから、ここでは私は何も言わないことにした。

「分かりました」
「他に急ぐ話はあるか?あればこの際まとめて聞いておくが」
「……他」

 急ぐかと言われれば、そうでもないとは思うものの、とりあえず今のうちに「商法の講師」の件は話しておこうかと、ふと思い立った。

 キヴェカス卿の事務所で、と聞かされたエドヴァルドが流石にちょっと困惑していたけれど、同時に必要な事と認識もしたみたいだった。

「貴女が学びに行くよりは、遥かに良いだろうが……しかし、それだとギーレンもいずれ、と言う話になるだろう」

「そうですね……ただ、バリエンダールと違うのは、シーカサーリ王立植物園を間に挟むので、そこまで切羽詰まっていないと言うか……」
 
 ギーレンでは固定店舗ではなく、基本的には植物園側の運営に任せて、こちらは手数料を受け取る式で考えていた。

 そういえば、とエドヴァルドもそこで思い出したらしかった。

「そしてサレステーデはバレス宰相令嬢がいる、か。なるほど急務なのはバリエンダールだけなのか」

「はい。それでバリエンダールでの手続きに関する詳細は、近いうちにナザリオギルド長が書面にまとめて送って下さるそうです」

「……あの男か」

 お世辞にも好意的には受け取れない声がエドヴァルドの口からはこぼれ落ちている。

「頭の切れる男だと言うのは認めるが……」
「ちょっと思考がヘルマンさん的で、ぶっ飛んだところはありますよね」

 詰まった才能分だけ一般常識のこぼれ落ちた人。

 とりあえず正直に思った所を伝えてみれば、エドヴァルドは何とも複雑そうな表情を垣間見せた。

「それを私に頷け、と?」
「いやぁ……」
「いや、まあいい。私としては、貴女の目があの男に向いていないことさえ分かればそれで良い」
「え」

 何の話だ、と思うよりも早くエドヴァルドの手が、私の手を掴んでいた。

「貴女の目が、バリエンダールのギルド長だろうと、宰相の養子だろうと、誰にも向いていないことは理解している。だが、理解をしていても……感情が追い付くかと言われれば、それは別だ」

「……っ」

 またしても空気が甘い方向に傾きそうになって、一瞬夕食の心配をしかけたところで――さすがに心の父と母の、再びの牽制が入った。

「「旦那様」」


 見事なハモりに、本人はおろか誰も、何も、言えなかったのだった。
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