聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

文字の大きさ
上 下
521 / 803
第二部 宰相閣下の謹慎事情

【宰相Side】エドヴァルドの希求(7)

しおりを挟む
 私自身が、バリエンダール最北端とも言えるこのヘルガ湖畔地域でようやくレイナに追いついたところで、レイナもどうやらここで、テオドル大公と合流することが出来たのだと分かった。

 なんでもテオドル大公は、バリエンダール訪問の都度、王宮側の許可を得てこの地を訪れていたらしく、今回もそうしていた途中で、イラクシ族が内紛を起こして街道が封鎖されて、帰路を塞がれていたと言うのが実情らしかった。

 なるほどカゼッリ族長もさきほど似たようなことを仄めかせていたが、従来〝転移扉〟はこの辺りの地域で起動される事はなかったのだ。今までの複雑な民族差別の歴史がそうさせてきたのだろう。

 その〝扉〟を使いユレルミ族の村に入ったこと、この湖畔まで来たこと、いずれもが緊急事態ゆえのことだったようだ。

 そしてこの湖畔地域で、私は懐かしい名前と遭遇することになった。

 ――トーレン・アンジェス。

 アンジェス国先代宰相。現国王フィルバートの大叔父。そして私に王宮政治の全てを仕込んだ誇り高き王族。

 終ぞ婚姻することが叶わなかった婚約者の姫を生涯思い、誰とも婚姻をしないことと引き換えに王の公務の多くをも引き受けていた、孤高の宰相。

 もともと、その姫の故郷がバリエンダール北部フェドート公爵領にあると聞いていたし、その更に北部の湖で、姫が自ら命を絶ったのだとも聞いていた。

 いつか訪れることが出来ればと、ずっと思っていた。

 殺人的な公務の狭間で、トーレン殿下が時々窓から遠くを眺めていた、その姿はずっと私の記憶の中に刷り込まれている。

 毎年、あるタイミングで届く全てが乾ききった花。
 反宰相派の嫌がらせではないのかと聞く私に「大事な花だ」と愛おしげに目を細めていた……その姿も。

 宰相職にある以上、生前のトーレン殿下もそうだが、私自身もなかなか外遊の機会がなく、それを埋めるかのように、テオドル大公が可能な限り、代わってバリエンダールを訪れてくれていたのだ。

 今回初めて、その正確な場所を知り、そうして足を踏み入れることになった。

 姫の実兄ヴァシリー・フェドート公爵が、姫の死後、息子が成人を迎えたところで公爵位を退き、姫が身を投げたヘルガ湖畔に小さな邸宅やしきを建て、残りの人生、姫を弔うためにそこで生活をしていたことを、私は今になって知った。

 テオドル大公はそこまでを、私はおろか国王フィルバートにさえ語ってはいなかった。

 今更声高に主張をしたとて、何を得られるわけでもないと、ひっそりと故人を弔うフェドート元公爵に、テオドル大公も黙って寄り添うことを選んだのだ。

 二人は年齢が近かったこともあってか、長い月日を経て友人関係を築き上げていたようだ。

 そして、レイナと共に案内をされたフェドート元公爵邸の庭に咲く――あの花を見た。
 トーレン殿下が、腫れ物に触るかの如く大切に毎年保管しつづけ、最期、殿下と共に棺に添えられた、あの花を。

 殿下のところに毎年届いていたのは、花ごと乾ききっていたが、優しい色を持つ花だった。
 だがこの庭園にはもう一種類、別の色の花が咲いていた。

 婚約披露の夜会で着るはずだった、トーレン殿から贈られたドレスの色と、姫がトーレン殿にお返しとして贈る筈だった、ポケットチーフの色をイメージしながら、何十年もの間品種改良を重ねて完成したと言う、二種類の花。

(ああ……だから……)

 花の存在と同時に、殿下の胸元を飾り続けた紫のポケットチーフの意味をも、私はここで理解させられたのだ。

 宰相室の鬼とさえ揶揄され、王家の男としては異例の、独身のままその生涯を閉じたトーレン殿下の思い。

 かつての私であれば、気付きもしなかったであろう、その激情。

 私はもしかしたら、今まで真の意味でトーレン殿下を弔うことが出来ていなかったのかも知れない。

(レイナを連れて、エウシェンへ行こう)

 二種類の花を眺めながら、私はそう決意をしていた。

 王宮内の墓所で眠ることを拒んだトーレン殿下がただ一人眠る、遠くバリエンダールまでも見通せそうな、見晴らしの良い丘。

 今は不躾かも知れない。
 
 だがいずれ、フェドート元公爵にお願いをして、姫の遺品をひとつ、譲っては貰えないか聞いてみようと思った。
 いずれ殿下の墓標に、そっと埋められれば――と。

 私自身、殿下の命日にしかエウシェンを訪れることはしていなかった。
 忙しさの名の下に、全てがなし崩しになっていた。

 だが今は、これ以上はないくらいの感情が、私を支配していた。

 二度と、姫と殿下のような国家の犠牲者を生み出さないこと。
 そして――王家の先行きが危ういことを察して、あらゆる布石を打っていたトーレン殿下に、今の自分を見て貰おうと。

 公人の顔の下に激情を隠し通したトーレン殿下。
 貴方の後継者は、どうやら同じ轍を踏みそうですよ……と。

 もしも生前に紹介出来ていたならば、さぞや強烈な舌戦と腹の探り合いが繰り広げられていたかも知れない。

 そのレイナは、フェドート元公爵の追憶と追悼の象徴でもあるその花を、形にして留めようと考えているようだ。

 次から次へと、湯水のようにアイデアが沸いてくるのは結構なことだが、私の求婚が、半分は意図的に頭の片隅に追いやられているのは、少なからずの不満が残る。

 トーレン殿下。

 彼女が頷いてくれたなら、すぐにでも紹介に行かせて下さい。
 きっと、私の半身として殿下も納得して下さると思っていますよ。
しおりを挟む
685 忘れじの膝枕 とも連動! 
書籍刊行記念 書き下ろし番外編小説「森のピクニック」は下記ページ バックナンバー2022年6月欄に掲載中!

2巻刊行記念「オムレツ狂騒曲」は2023年4月のバックナンバーに、3巻刊行記念「星の影響-コクリュシュ-」は2024年3月のバックナンバーに掲載中です!

そして4巻刊行記念「月と白い鳥」はコミックス第1巻と連動!
https://www.regina-books.com/extra 

今回から見方が変わりました。何か一話、アルファポリス作品をレンタル頂くことで全てご覧いただけますので宜しくお願いしますm(_ _)m
感想 1,407

あなたにおすすめの小説

家出したとある辺境夫人の話

あゆみノワ@書籍『完全別居の契約婚〜』
恋愛
『突然ではございますが、私はあなたと離縁し、このお屋敷を去ることにいたしました』 これは、一通の置き手紙からはじまった一組の心通わぬ夫婦のお語。 ※ちゃんとハッピーエンドです。ただし、主人公にとっては。 ※他サイトでも掲載します。

巻き戻ったから切れてみた

こもろう
恋愛
昔からの恋人を隠していた婚約者に断罪された私。気がついたら巻き戻っていたからブチ切れた! 軽~く読み飛ばし推奨です。

十三回目の人生でようやく自分が悪役令嬢ポジと気づいたので、もう殿下の邪魔はしませんから構わないで下さい!

翠玉 結
恋愛
公爵令嬢である私、エリーザは挙式前夜の式典で命を落とした。 「貴様とは、婚約破棄する」と残酷な事を突きつける婚約者、王太子殿下クラウド様の手によって。 そしてそれが一度ではなく、何度も繰り返していることに気が付いたのは〖十三回目〗の人生。 死んだ理由…それは、毎回悪役令嬢というポジションで立ち振る舞い、殿下の恋路を邪魔していたいたからだった。 どう頑張ろうと、殿下からの愛を受け取ることなく死ぬ。 その結末をが分かっているならもう二度と同じ過ちは繰り返さない! そして死なない!! そう思って殿下と関わらないようにしていたのに、 何故か前の記憶とは違って、まさかのご執心で溺愛ルートまっしぐらで?! 「殿下!私、死にたくありません!」 ✼••┈┈┈┈••✼••┈┈┈┈••✼ ※他サイトより転載した作品です。

完結 穀潰しと言われたので家を出ます

音爽(ネソウ)
恋愛
ファーレン子爵家は姉が必死で守って来た。だが父親が他界すると家から追い出された。 「お姉様は出て行って!この穀潰し!私にはわかっているのよ遺産をいいように使おうだなんて」 遺産などほとんど残っていないのにそのような事を言う。 こうして腹黒な妹は母を騙して家を乗っ取ったのだ。 その後、収入のない妹夫婦は母の財を喰い物にするばかりで……

正妃である私を追い出し、王子は平民の女性と結婚してしまいました。…ですが、後になって後悔してももう遅いですよ?

久遠りも
恋愛
正妃である私を追い出し、王子は平民の女性と結婚してしまいました。…ですが、後になって後悔してももう遅いですよ? ※一話完結です。 ゆるゆる設定です。

聖女召喚されて『お前なんか聖女じゃない』って断罪されているけど、そんなことよりこの国が私を召喚したせいで滅びそうなのがこわい

金田のん
恋愛
自室で普通にお茶をしていたら、聖女召喚されました。 私と一緒に聖女召喚されたのは、若くてかわいい女の子。 勝手に召喚しといて「平凡顔の年増」とかいう王族の暴言はこの際、置いておこう。 なぜなら、この国・・・・私を召喚したせいで・・・・いまにも滅びそうだから・・・・・。 ※小説家になろうさんにも投稿しています。

国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします。

樋口紗夕
恋愛
公爵令嬢ヘレーネは王立魔法学園の卒業パーティーで第三王子ジークベルトから婚約破棄を宣言される。 ジークベルトの真実の愛の相手、男爵令嬢ルーシアへの嫌がらせが原因だ。 国外追放を言い渡したジークベルトに、ヘレーネは眉一つ動かさずに答えた。 「国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします」

石女を理由に離縁されましたが、実家に出戻って幸せになりました

お好み焼き
恋愛
ゼネラル侯爵家に嫁いで三年、私は子が出来ないことを理由に冷遇されていて、とうとう離縁されてしまいました。なのにその後、ゼネラル家に嫁として戻って来いと手紙と書類が届きました。息子は種無しだったと、だから石女として私に叩き付けた離縁状は無効だと。 その他にも色々ありましたが、今となっては心は落ち着いています。私には優しい弟がいて、頼れるお祖父様がいて、可愛い妹もいるのですから。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。