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第二部 宰相閣下の謹慎事情

【宰相Side】エドヴァルドの希求(7)

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 私自身が、バリエンダール最北端とも言えるこのヘルガ湖畔地域でようやくレイナに追いついたところで、レイナもどうやらここで、テオドル大公と合流することが出来たのだと分かった。

 なんでもテオドル大公は、バリエンダール訪問の都度、王宮側の許可を得てこの地を訪れていたらしく、今回もそうしていた途中で、イラクシ族が内紛を起こして街道が封鎖されて、帰路を塞がれていたと言うのが実情らしかった。

 なるほどカゼッリ族長もさきほど似たようなことを仄めかせていたが、従来〝転移扉〟はこの辺りの地域で起動される事はなかったのだ。今までの複雑な民族差別の歴史がそうさせてきたのだろう。

 その〝扉〟を使いユレルミ族の村に入ったこと、この湖畔まで来たこと、いずれもが緊急事態ゆえのことだったようだ。

 そしてこの湖畔地域で、私は懐かしい名前と遭遇することになった。

 ――トーレン・アンジェス。

 アンジェス国先代宰相。現国王フィルバートの大叔父。そして私に王宮政治の全てを仕込んだ誇り高き王族。

 終ぞ婚姻することが叶わなかった婚約者の姫を生涯思い、誰とも婚姻をしないことと引き換えに王の公務の多くをも引き受けていた、孤高の宰相。

 もともと、その姫の故郷がバリエンダール北部フェドート公爵領にあると聞いていたし、その更に北部の湖で、姫が自ら命を絶ったのだとも聞いていた。

 いつか訪れることが出来ればと、ずっと思っていた。

 殺人的な公務の狭間で、トーレン殿下が時々窓から遠くを眺めていた、その姿はずっと私の記憶の中に刷り込まれている。

 毎年、あるタイミングで届く全てが乾ききった花。
 反宰相派の嫌がらせではないのかと聞く私に「大事な花だ」と愛おしげに目を細めていた……その姿も。

 宰相職にある以上、生前のトーレン殿下もそうだが、私自身もなかなか外遊の機会がなく、それを埋めるかのように、テオドル大公が可能な限り、代わってバリエンダールを訪れてくれていたのだ。

 今回初めて、その正確な場所を知り、そうして足を踏み入れることになった。

 姫の実兄ヴァシリー・フェドート公爵が、姫の死後、息子が成人を迎えたところで公爵位を退き、姫が身を投げたヘルガ湖畔に小さな邸宅やしきを建て、残りの人生、姫を弔うためにそこで生活をしていたことを、私は今になって知った。

 テオドル大公はそこまでを、私はおろか国王フィルバートにさえ語ってはいなかった。

 今更声高に主張をしたとて、何を得られるわけでもないと、ひっそりと故人を弔うフェドート元公爵に、テオドル大公も黙って寄り添うことを選んだのだ。

 二人は年齢が近かったこともあってか、長い月日を経て友人関係を築き上げていたようだ。

 そして、レイナと共に案内をされたフェドート元公爵邸の庭に咲く――あの花を見た。
 トーレン殿下が、腫れ物に触るかの如く大切に毎年保管しつづけ、最期、殿下と共に棺に添えられた、あの花を。

 殿下のところに毎年届いていたのは、花ごと乾ききっていたが、優しい色を持つ花だった。
 だがこの庭園にはもう一種類、別の色の花が咲いていた。

 婚約披露の夜会で着るはずだった、トーレン殿から贈られたドレスの色と、姫がトーレン殿にお返しとして贈る筈だった、ポケットチーフの色をイメージしながら、何十年もの間品種改良を重ねて完成したと言う、二種類の花。

(ああ……だから……)

 花の存在と同時に、殿下の胸元を飾り続けた紫のポケットチーフの意味をも、私はここで理解させられたのだ。

 宰相室の鬼とさえ揶揄され、王家の男としては異例の、独身のままその生涯を閉じたトーレン殿下の思い。

 かつての私であれば、気付きもしなかったであろう、その激情。

 私はもしかしたら、今まで真の意味でトーレン殿下を弔うことが出来ていなかったのかも知れない。

(レイナを連れて、エウシェンへ行こう)

 二種類の花を眺めながら、私はそう決意をしていた。

 王宮内の墓所で眠ることを拒んだトーレン殿下がただ一人眠る、遠くバリエンダールまでも見通せそうな、見晴らしの良い丘。

 今は不躾かも知れない。
 
 だがいずれ、フェドート元公爵にお願いをして、姫の遺品をひとつ、譲っては貰えないか聞いてみようと思った。
 いずれ殿下の墓標に、そっと埋められれば――と。

 私自身、殿下の命日にしかエウシェンを訪れることはしていなかった。
 忙しさの名の下に、全てがなし崩しになっていた。

 だが今は、これ以上はないくらいの感情が、私を支配していた。

 二度と、姫と殿下のような国家の犠牲者を生み出さないこと。
 そして――王家の先行きが危ういことを察して、あらゆる布石を打っていたトーレン殿下に、今の自分を見て貰おうと。

 公人の顔の下に激情を隠し通したトーレン殿下。
 貴方の後継者は、どうやら同じ轍を踏みそうですよ……と。

 もしも生前に紹介出来ていたならば、さぞや強烈な舌戦と腹の探り合いが繰り広げられていたかも知れない。

 そのレイナは、フェドート元公爵の追憶と追悼の象徴でもあるその花を、形にして留めようと考えているようだ。

 次から次へと、湯水のようにアイデアが沸いてくるのは結構なことだが、私の求婚が、半分は意図的に頭の片隅に追いやられているのは、少なからずの不満が残る。

 トーレン殿下。

 彼女が頷いてくれたなら、すぐにでも紹介に行かせて下さい。
 きっと、私の半身として殿下も納得して下さると思っていますよ。
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