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1巻
1-2
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ちょうどそのタイミングで、シモンが、珈琲を持って隣室から戻って来たために、私もそれ以上皮肉をぶつけることはなかったんだけど。
「どうぞ、冷めないうちに先にお召し上がりください。聖女マナは紅茶の方がお好きなようですが、珈琲も時折口にはされます。そちらの国と、大きく味が異なることはないと思うのですが」
いたたまれない空気に気付いたのか、気付かないのか。珈琲とミルクポットとシュガーポットらしき物を置くと、シモンはすぐさま部屋の隅へと下がっていった。エドヴァルドは場を仕切り直そうとしたのか、無言のまま、カップを手に取る。
どうやら、彼はブラック派らしい。
仕方がないので、私もカップに手を伸ばしたものの、そこでピリリと、得も言われぬ緊張感が、部屋に満ちるのを感じた。
「……レイナ殿?」
なんだろう。
実家と同じ空気だ。
私の意見など必要としていない、舞菜のために振る舞うことを当然とする――空気を読めと、冷やかな表情を向ける両親がいた、あの家の空気と同じ。
「……いえ。なんでもありません」
何気なさを装って、そのままカップの端に口をつけると、確かにエドヴァルド、シモン両名の持つ空気が変わった。
「……レイナ殿は、ミルクも砂糖もお入れにならないのですか? 聖女マナは、いつも両方をたっぷりお入れになっていらっしゃいますが」
「双子だからと言って、好みまで同じとは限りませんよ。というより、産地や淹れる方の腕によって、味が変わるのですから、どれも同じように混ぜてしまっていては、本来の味さえも曖昧になってしまいます。生産者に敬意を払う意味でも、私は一杯目を必ずブラックで飲むことにしています。その後で、必要があれば、ミルクも砂糖も適宜加えてはいますが」
「……では、そちらのお味はいかがですか?」
うーん……シモンってば、さっきから演技が下手だなぁ……
私はまだカップに口をつけただけで、中身を飲んでいない。
「そうですね……」
誰が信用出来るかも定かではない場所で、出された飲み物にホイホイ口をつけるなどと、愚の骨頂だろう。舞菜じゃあるまいし。この人たちは、私の脳内もお花畑と思っているんだろうか。
「ローベルト副官」
私は、エドヴァルドだけでなく、彼に対しても色々取り繕うことは諦めた。
私にとって「舞菜が〇〇していたから」と言うのは地雷だと彼も理解した方がいい。
「シモンで構いませんよ。聖女マナもそのように私をお呼びですし」
「そうですか」
我ながら、返した声はとっっても冷やかだったと思う。
結局、実際に珈琲は一口も飲まないまま、左手でシュガーポットの蓋を開けたその上から、私はカップの珈琲をとぽとぽと中に流し込んだ。
「レ……っ、レイナ殿⁉」
注ぎ切ったところで、パッと手を放すと、当然それは、下へと落下して――陶磁器製のミルクポットの上に、落ちる。
「――――‼」
「ごめんなさい、ちょっと眩暈がして、手が滑ってしまいました」
砕け散ったコーヒーカップと、ミルクポットを見ることはせず、私はニッコリと二人に微笑って見せた。
うん、私を与しやすいと思うなら、後悔してもらうよ?
エドヴァルドは、私の目の前で珈琲を飲んだ。だとすれば、カップを取り違えられる可能性を考えて、ミルクや砂糖の方に、何か仕掛けているかもと、警戒するのは当たり前だ。
私がアンジェス国のことをどこまで分かっているのか、喋らせたければ自白剤でも使うだろうし、あれこれ説明したくないから、とりあえず寝かせて別室に放り込め……となれば、使うのは睡眠薬だろう。
実際、間者の疑いがある怪しい人物をどう取り扱うかは〝蘇芳戦記〟の中にもあるし、この国の国王も宰相も、そう言ったことに躊躇するような為人じゃなかったはずだ。
自分がこの世界について無知ではないと宣言するようなものなんだけど、背に腹は代えられない。
眠っているうちに舞菜の部屋に運ばれたり、心の中にため込んでいる妹や家族への鬱屈をここでペラペラ喋らされたりする方がもっと困る。
「あ、お代わりは結構ですのでお構いなく。あとで、片付けて下さる侍女さんなり執事さんなりには、頭を下げさせていただきますので」
私はそう言って、動きかけたシモンを牽制しておく。
手にしていたカップをソーサーに戻しながら、じっとこちらを見るエドヴァルドの目は間違いなく据わっていた。
「……妹と二人、助け合いながら生きていくのはごめんだ、と?」
「当たり前です」
言葉尻に被せる勢いで断言したせいか、エドヴァルドだけではなくシモンも息を呑んでいるようだ。
気にせずに言葉を続ける。
「世の男性陣は、ゆるふわ髪に自称ナチュラルメイクで、こてんと首を傾げて、うるうる瞳で『お願い』をする妹に、もれなく釣り上げられているようですけど、それはこちらの世界でも、どうやら同じみたいですね」
彼らを馬鹿にしきった感情は、多分表情からダダ洩れだっただろう。
明らかに、釣られていないであろう、エドヴァルドにまでそう言っているのは、もちろん厭味だ。たった二人の姉妹で助け合い――そんな美辞麗句、一番信じていないのが、エドヴァルド本人であるはずなのだから。
「その『お願い』で全てを搾取される側の気持ちなんて誰も考えない。助け合い? 生まれてこのかた十九年、妹を助けたことは山ほどあれど、助けられたことなんてただの一度もありませんよ。ええ、一度も! くだらない一般論で説き伏せようとされるのが、世に名だたる宰相閣下のやり方ですか?」
「……っ」
「恐らく私は、それなりにこの国や周辺諸国の知識を持っているとは思いますけど、それは古いかもしれないし、誤って伝わっている知識もあるかもしれない。妹のような〝扉の守護者〟としての絶対的な食い扶持を稼ぐ術が私にある訳ではないので、生活費の代わりに、知識と頭脳を差し出せと言われれば、それは仕方がないと覚悟しています。ただそれは、無償で妹のために奉仕することと同義ではありませんので、そこは間違えないでくださいますか」
「……食い扶持」
「だって、今すぐ元いた場所に帰せと言われて、それって能力的に可能なものですか?」
異世界転移の物語の中で、元いた世界に戻ることが可能であることは、ごく稀だ。
大抵は召喚するだけで魔力を使い果たしているとか、魔力があったとて、座標や気候条件も二度と重ならないことがほとんどだった。召喚された者は、誘拐同様に新たな地に縛り付けられることになる。
ほとんどダメ元で私も聞いてみたけれど、案の定、エドヴァルドもシモンも答えない。
――それが、答えだ。
「戻せないですよね。そんなことだろうとは、思っていました。だったらどうやっても、この地で生活していくためのシゴト、お金稼ぎの手段が私には必要です。『聖女の姉』なんて、肩書だけで中身は空っぽなのは理解していますから。ああ、私が妹と大の仲良しと思っていて、聖女の姉だと持ち上げて、衣食住を適当に保証しておけば、ホイホイと妹に協力するとでも思ってました?」
厭味ったらしく言ってみれば、エドヴァルドはともかく、シモンの目が泳いでいる。
従来、人はいいのかもしれないけど、つくづく腹芸の出来ない人だと思う。
「そんな牢獄に繋がれるも同然の生活なんてごめんです。だったら今すぐこの国を出奔して、ギーレン国にでも雇ってもらいます。この知識と、新たな当代〝扉の守護者〟に関する情報とがあれば、それなりに高く買ってもらえるでしょうからね」
私のゲーム知識が正しければ、このアンジェス国の隣国、ギーレンの国王は領土拡大にかなり貪欲だ。アンジェス国にしてみれば、新たな〝扉の守護者〟の情報はなるべく秘匿しておきたいだろう。
だからこそ、そう言って私が自分のこめかみを人差し指で指させば、エドヴァルドの片眉が僅かに動いた。
「……姉妹の仲が、これほどまでに拗れていたとはな」
「別に拗れてはいませんよ。妹にとって私は自分を飾る便利な駒扱いですし、私にとっては、もはや顔のよく似た赤の他人ですから、表立ってケンカをしたことなんて一度もありませんしね。まあ大抵、妹側に都合がいいように皆思うんですよ。自分に置き換えてみれば、必ずしも全ての兄弟姉妹の仲がいいなんて、幻想でしかないと、すぐに気が付くはずなのに」
ああ、と、私はついでにダメ押ししておいた。
どうもこの、自他共に有能と思われている若き宰相閣下を言い負かしたいと――負けず嫌いが良くない方向に振り切れている気がする。止める気もないけど。
「多分、貴方自身、これ以上妹に関わるのが面倒で、あまり深く考えないまま私に丸投げしようとされたんじゃないんですか? 普段なら、もっと色々探りを入れたりしたはずでしょう。所詮小娘と侮った結果は、ご自身で重く受け止めてください」
そう言い捨てるとエドヴァルドの目はますます剣呑になり、シモンが顔色を変えていた。
が、そんなことは私の知ったことじゃない。
実家での冷たい視線に耐えて、培われてきた根性を、舐めてもらっては困る。
ただこれ以上は、自分の立場も不利にしていくだけなので、話を元へと戻しておこう。
「――どちらにしても、今は一文無しなので、私が持っている知識と現在の時勢とを擦り合わせて、アンジェス国に有利な状況を探ることなら、出来ると思いますよ。そうですね……さしあたって文官として雇っていただければ、有難いです。もしくは、経理知識はありますから、どこかの上位貴族の領政の補佐でも構いません。なんにせよ恒久的な妹の補佐だけは、断固拒否します」
馬鹿にしてはいけない。卒業後も本格的に実家とは距離を置くつもりで勉強を重ねてきていたのだから、どんな状況でも働けるほどの努力は積み重ねてきた。
怒るなら怒ればいい。
そんな私の挑戦的とも言える視線を、エドヴァルドはしばらく黙って受け止めていた。
「……随分な自信だな。招いておいて言うのもなんだが、こちらは、妹の手綱をとれる人間を求めているのであって、文官を求めている訳ではない。このまま処分される可能性だってあるとは思わないのか」
それはそうだろうな……と、エドヴァルドの言葉に内心で私も頷く。
しかし、妹は、全てを自分の都合のいい方向に解釈する、所謂「言葉が通じない」人種だ。あの容貌に釣られない真っ当な人間が話をすればただただ疲れるだけだ。だったら、少しでも妹の情報を握り、手綱をとることが出来そうな人間を、容易に手放すことはないと踏んだのだ。
「その可能性より、妹を持て余している可能性の方が高いと判断しただけのことですよ。国王陛下は存じませんけれど――少なくとも宰相閣下、貴方は」
「――――」
あ、どうしよう。冷徹とも鉄壁とも言われる宰相閣下の表情が微かに痙攣っているのを、ちょっと面白いと思ってしまった。
実は私にも、Sっ気とかある……?
私は最後のひと押しとばかりに言葉を追加した。
「私も、妹についてまるっきり面倒を見ないとは言いません。少なくともなんらかの方法で、この世界でも食べていけるようになるまでは協力します。ええ『協力』です。妹の代理として社交やら外交やらの矢面に立てと仰るなら、そのようにします。ただこの城の中で、妹と住居を共にすることはしません。どこか下宿先を紹介していただければ結構です」
「そ……れは……」
「そんな、聖女様の姉君にあたる方を城下街へなど――」
シモンも慌てたように身体を強張らせているけど、そこは、私も流されない。
「確かに私は聖女の姉ですが、貴族の出でもなければ〝扉の守護者〟としての魔力もない。要は一般市民ですから、相応の扱いにしていただいて結構です。むしろそうしてください」
恐らく、舞菜は王宮からは出ない。出たいとも思わないはずだ。私が城下に出ると言えば、表面上は引き留めにかかるだろうけど、そこは聖女サマとの扱いの差を明確にしておくべきとかなんとか、こちらが下手に出ればあっさり頷くだろう。
「大体、そちらにはそちらの事情があって、召喚を行ったのかもしれませんが、私や妹の側からすれば、ただの誘拐ですからね。周りからチヤホヤされることを妹が対価としているなら、それはそれで構いません。ただし私はそうじゃないというだけの話です。誘拐の代償はそれなりに払っていただきます。お互い、そのあたりがいい落としどころじゃないかと思うんですけど?」
こちらも、現時点で一人では生活が出来ないのだから、ある程度の妥協は必要だろう。
エドヴァルドの方とて、他国や国内の有力者からの悪意、害意に無防備な〝扉の守護者〟を、ある程度抑えてくれる人間を望んでいる。
それが主目的なら、四六時中、私が妹の傍に張り付いている必要もないはずだ。
平時の際は、適度にイケメンがチヤホヤしていれば妹は満足するし、それくらいは国王なり宰相閣下なり、他の文官なりで、やってくれたとてバチは当たるまい。
一人や二人くらいは、本気で舞菜の傍仕えを望む騎士だっているかもしれないし。
「……誘拐」
あえてキツめの言葉を選んでみれば、エドヴァルドには堪えているようだ。
「何か間違っていますか?」
「そうか……そうだな……」
「あと、なぜ私が珈琲をぶちまけたのかも、ご自身で理解されていらっしゃいますよね?」
「……っ」
「そこまでされて、どうして私が大人しく妹に寄り添うなんて、思うんですか。むしろ私に、妹に対して含むところがなかったとしても、それはそれで『こんな所に妹を置いておけるか!』としかならないと思いますけど、普通」
策士、策に溺れる――とは、このことか。
「閣下のご身分に対して、不敬だということ以外の反論、異議がありましたら、お聞きしますので、どうぞ、ご遠慮なく」
閣下……と、シモンが不安げに、エドヴァルドを見ている。
正直、言いたいことはまだまだあるけど、今後のためにも、そろそろ目の前のこの宰相閣下が、舞菜の存在をどこまで許容しているのかくらいは知っておきたかった。
――いや、とエドヴァルドの呟く声が聞こえるまで、どのくらいの間があっただろうか。
エドヴァルドは腰掛けていた応接用のソファからおもむろに立ち上がると、私に向かって、深々と頭を下げた。
「申し訳ない。私は貴女のことを、こちらの世界での所謂『姫君』『ご令嬢』と同じ枠内で捉えて、軽く見てしまっていた。そもそも国のためとはいえ、異なる世界に住んでいた貴女には、何の関係もない話だった。その通り、全てが我々の都合でしかない。ある日いきなり、貴女の生活全てを奪い去ってしまったんだ。落としどころと貴女は言うが、今のままでは、貴女の方が圧倒的に負債を押し付けられているのは間違いない」
閣下! と、顔色を変えたのはシモンの方で、エドヴァルドはまだ、頭を下げたままだ。
高位貴族である彼に頭を下げさせている事の重さは分かっていたけど、すぐには返事をしなかった。だって彼は、多分、私がすぐには許さないと分かっている。
私は、膝の上に置いていた右手を、口元にあてて、少しだけ、考える仕種を見せた。
――そもそも私が怒っている根本は、そこじゃない。
まあこの際だから、ちょっとくらいは、キレても許されるかな。
「宰相閣下、ちょっと顏をあげて、歯をくいしばっていただけます?」
私は立ち上がった。立ち上がって――言われるがまま、虚を突かれたように顔を上げたエドヴァルドの頬を――勢い良く、引っぱたいた。
「レイナ殿⁉」
副官として、シモンにもグーパンで鳩尾くらい、殴った方が良かったかなと、チラッと思う。
とりあえず、まずは言いたいことを全部言ってしまおう。
私は軽く息を吸い込んだ。
「六年」
そしてずいっと両手でただ、「六」と分かるよう、エドヴァルドに向かって指を立てた。
「貴方がたの身勝手な召喚が、私の六年越しの叛乱を台無しにしてくれました」
その言葉に反応したのか、引っぱたかれて明後日の方向を向いていたエドヴァルドの顔が、ゆっくりとこちらに向けられた。
「……叛乱」
そうなのだ。
実際のところ、何が腹立たしいかと言えば、人が六年かけて計画した、大学進学と同時に得た自由を、たったの一ヶ月で反故にされたことが一番腹立たしいのだ。
「別に国家が転覆するような、そんな大規模な話じゃないんですけどね。でも人生を賭けた一大事業で、実際に成功もしたんですよ。それが、たったのひと月で、台無しにされた。せっかく自由を勝ち取ったのに、また奴隷に戻された――分かりますよね? そんな状況下で、頭の中がお花畑でいられないことくらいは」
「それは――」
「知らなかった。ええ、そりゃそうでしょう。だから手っ取り早く、貴方がたの行った『召喚』が、何を引き起こしたのか、理解してもらうために、引っぱたかせてもらいました。召喚術とやら自体は、専門の術者か誰かがやったんでしょうけど、私を図書室からこちら側に引っ張り込んだのは――宰相閣下、貴方ですよね?」
図書室で、私は誰かに腕を掴まれた。
光が収まった時、同じ円の中にエドヴァルドが、私の背中に寄り添うように立っていた。
――嫌でも、その「誰か」がエドヴァルドだと分かる。
私が彼を睨みつけると、必死の形相でシモンが私と彼の間に割って入った。
「レイナ殿! 今回の召喚は、確かに聖女マナが望まれ、陛下がご裁可されたことではありますが、閣下は、こちらの都合で来てもらうのだから、せめて宰相位にある自分が――と、召喚の円に入られたのです! 現在の術者達の魔力は、聖女マナの召喚の際に、枯渇寸前まで使用されていたために、どうしても、魔力量の多い誰かが必要で、それを閣下が……っ」
「だからなんですか? 私に、もっと感謝をしろとでも仰るんですか? 私がお願いして、招待してもらった訳でもないのに?」
「いえっ。ですが……っ」
「私の話を聞いてましたか、ローベルト副官? 私の側からすれば、どう言葉を取り繕おうと『誘拐』でしかないんですよ、今回のことは」
泣きそうな表情になっているシモンは、きっとエドヴァルドを心の底から尊敬して、傍に仕えているんだろう。
平時なら微笑ましいことだけど、とても今は、そんな風には見てあげられない。
「それと私は、誘拐云々の所に憤っている訳じゃありませんし」
「え……」
「ローベルト副官は自分が六年かけて企てた計画を、対策のとりようもない理不尽な理由で潰されたとしたら、どう思いますか? しかも、その計画が自分が企画した通りに進んで、軌道に乗り始めていたのだとしたら。本当なら、関係者全員を引っぱたきたいところなんですけど、それも非現実的だから、手っ取り早く上役に矢面に立ってもらった次第なんですが、それが何か? むしろ、彼の顔ひとつで済ませようとか、私がどれほど今、不本意でいることか」
「ならっ、この私の首ひとつで何とぞ! 何とぞ矛をお収めください! どうか、閣下のことは――」
「いえ、顔はともかく、首を差し出されても困ります。そもそも、自分のせいじゃなくとも、起きてしまったことに責任を取るのが、上に立つ者としての正しい姿です。貴方の閣下は、充分にそれを分かっているからこそ、今、小娘に引っぱたかれようと、何も仰らなかった」
弾かれたように、シモンがエドヴァルドに視線を向ける。エドヴァルドの方は、じっと私を見たまま、シモンの視線を受け止めることはしない。
それは、私が言っていることを決して言いがかりだなどと思ってはいないし、頬を引っぱたかれたことも、理不尽だとは思っていないということだ。
まさか手をあげるとは思っていなかったのか、当初は少なからずの驚きが瞳に浮かんでいたけど、私が淡々とシモンに語っている間に、自分の中で腑に落ちたんだろう。
黙って受け止めておくことを選んだようだ。
あくまでも冷静なエドヴァルドの姿に、私の方がいらっとしてしまうほどに。
「……怒るなりなんなりしてもらった方が、私ももっと、このやり場のない怒りをぶつけることが出来たんですけど。黙られてしまったら、こちらもこれ以上強くは出られない。今度はこちらの度量が疑われますから。充分強かですよ、貴方の閣下は」
言いながら、シモンからエドヴァルドに視線を戻すと、まだ少し感情が揺れているような、そんな瞳とぶつかった。
分かっていますよ? 淡々と、事実を指摘される方が堪えるんですよね?
泣き叫ばれた方が、対処としては楽だったんですよね?
薬で眠らせてお終い、だったでしょうから――でも、甘い。
見つめ続けると、エドヴァルドが静かに口を開いた。
「シモンの首が要らないのは分かったが、では、私の首ならば? 一度叩いた程度で、貴女の六年は到底取り戻せないはずだ」
「……まあ、そうですけどね」
――宰相閣下、シモンが涙目になってますよ。
貴方もSですか。彼のHPが摩耗してますよ。
「ただ、貴方を処刑だのなんだのと訴えれば、現状から見て、私は一生この城に縛り付けられることになりますよね? それくらいだったら、貴方の首も残します。私と妹が必要以上に接触しないよう、その優秀な頭脳をフル回転させてください。首よりも、ココを差し出してもらえますか」
私は右手で、自分のこめかみを指差した。
「私への対価は『妹と関わらない人生』です、宰相閣下。そのためには、この国に留まることにも固執していません。貴方がたが妹を不安材料と見做しているのは、先代〝扉の守護者〟を殺されたせいでこの国自体が今、不安定だからですよね? 国内貴族とギーレン国、それぞれの脅威が収まれば、妹は今のままでも、問題ないはずですよね」
エドヴァルドの整った顔が、僅かに歪む。
私が、何をどこまで知っているのか気になって仕方がないんだろうけど、それと同時に、私がアンジェスに留まらない可能性を示唆しているのも、面白くないんだろう。
だけど私は妥協しない。
「妹のお守りは、もうごめんなんです」
「……っ」
私はエドヴァルドに、力いっぱい微笑っておいた。
「――分かった。では貴女の身柄は、王宮ではなく公爵邸で預かろう」
「どうぞ、冷めないうちに先にお召し上がりください。聖女マナは紅茶の方がお好きなようですが、珈琲も時折口にはされます。そちらの国と、大きく味が異なることはないと思うのですが」
いたたまれない空気に気付いたのか、気付かないのか。珈琲とミルクポットとシュガーポットらしき物を置くと、シモンはすぐさま部屋の隅へと下がっていった。エドヴァルドは場を仕切り直そうとしたのか、無言のまま、カップを手に取る。
どうやら、彼はブラック派らしい。
仕方がないので、私もカップに手を伸ばしたものの、そこでピリリと、得も言われぬ緊張感が、部屋に満ちるのを感じた。
「……レイナ殿?」
なんだろう。
実家と同じ空気だ。
私の意見など必要としていない、舞菜のために振る舞うことを当然とする――空気を読めと、冷やかな表情を向ける両親がいた、あの家の空気と同じ。
「……いえ。なんでもありません」
何気なさを装って、そのままカップの端に口をつけると、確かにエドヴァルド、シモン両名の持つ空気が変わった。
「……レイナ殿は、ミルクも砂糖もお入れにならないのですか? 聖女マナは、いつも両方をたっぷりお入れになっていらっしゃいますが」
「双子だからと言って、好みまで同じとは限りませんよ。というより、産地や淹れる方の腕によって、味が変わるのですから、どれも同じように混ぜてしまっていては、本来の味さえも曖昧になってしまいます。生産者に敬意を払う意味でも、私は一杯目を必ずブラックで飲むことにしています。その後で、必要があれば、ミルクも砂糖も適宜加えてはいますが」
「……では、そちらのお味はいかがですか?」
うーん……シモンってば、さっきから演技が下手だなぁ……
私はまだカップに口をつけただけで、中身を飲んでいない。
「そうですね……」
誰が信用出来るかも定かではない場所で、出された飲み物にホイホイ口をつけるなどと、愚の骨頂だろう。舞菜じゃあるまいし。この人たちは、私の脳内もお花畑と思っているんだろうか。
「ローベルト副官」
私は、エドヴァルドだけでなく、彼に対しても色々取り繕うことは諦めた。
私にとって「舞菜が〇〇していたから」と言うのは地雷だと彼も理解した方がいい。
「シモンで構いませんよ。聖女マナもそのように私をお呼びですし」
「そうですか」
我ながら、返した声はとっっても冷やかだったと思う。
結局、実際に珈琲は一口も飲まないまま、左手でシュガーポットの蓋を開けたその上から、私はカップの珈琲をとぽとぽと中に流し込んだ。
「レ……っ、レイナ殿⁉」
注ぎ切ったところで、パッと手を放すと、当然それは、下へと落下して――陶磁器製のミルクポットの上に、落ちる。
「――――‼」
「ごめんなさい、ちょっと眩暈がして、手が滑ってしまいました」
砕け散ったコーヒーカップと、ミルクポットを見ることはせず、私はニッコリと二人に微笑って見せた。
うん、私を与しやすいと思うなら、後悔してもらうよ?
エドヴァルドは、私の目の前で珈琲を飲んだ。だとすれば、カップを取り違えられる可能性を考えて、ミルクや砂糖の方に、何か仕掛けているかもと、警戒するのは当たり前だ。
私がアンジェス国のことをどこまで分かっているのか、喋らせたければ自白剤でも使うだろうし、あれこれ説明したくないから、とりあえず寝かせて別室に放り込め……となれば、使うのは睡眠薬だろう。
実際、間者の疑いがある怪しい人物をどう取り扱うかは〝蘇芳戦記〟の中にもあるし、この国の国王も宰相も、そう言ったことに躊躇するような為人じゃなかったはずだ。
自分がこの世界について無知ではないと宣言するようなものなんだけど、背に腹は代えられない。
眠っているうちに舞菜の部屋に運ばれたり、心の中にため込んでいる妹や家族への鬱屈をここでペラペラ喋らされたりする方がもっと困る。
「あ、お代わりは結構ですのでお構いなく。あとで、片付けて下さる侍女さんなり執事さんなりには、頭を下げさせていただきますので」
私はそう言って、動きかけたシモンを牽制しておく。
手にしていたカップをソーサーに戻しながら、じっとこちらを見るエドヴァルドの目は間違いなく据わっていた。
「……妹と二人、助け合いながら生きていくのはごめんだ、と?」
「当たり前です」
言葉尻に被せる勢いで断言したせいか、エドヴァルドだけではなくシモンも息を呑んでいるようだ。
気にせずに言葉を続ける。
「世の男性陣は、ゆるふわ髪に自称ナチュラルメイクで、こてんと首を傾げて、うるうる瞳で『お願い』をする妹に、もれなく釣り上げられているようですけど、それはこちらの世界でも、どうやら同じみたいですね」
彼らを馬鹿にしきった感情は、多分表情からダダ洩れだっただろう。
明らかに、釣られていないであろう、エドヴァルドにまでそう言っているのは、もちろん厭味だ。たった二人の姉妹で助け合い――そんな美辞麗句、一番信じていないのが、エドヴァルド本人であるはずなのだから。
「その『お願い』で全てを搾取される側の気持ちなんて誰も考えない。助け合い? 生まれてこのかた十九年、妹を助けたことは山ほどあれど、助けられたことなんてただの一度もありませんよ。ええ、一度も! くだらない一般論で説き伏せようとされるのが、世に名だたる宰相閣下のやり方ですか?」
「……っ」
「恐らく私は、それなりにこの国や周辺諸国の知識を持っているとは思いますけど、それは古いかもしれないし、誤って伝わっている知識もあるかもしれない。妹のような〝扉の守護者〟としての絶対的な食い扶持を稼ぐ術が私にある訳ではないので、生活費の代わりに、知識と頭脳を差し出せと言われれば、それは仕方がないと覚悟しています。ただそれは、無償で妹のために奉仕することと同義ではありませんので、そこは間違えないでくださいますか」
「……食い扶持」
「だって、今すぐ元いた場所に帰せと言われて、それって能力的に可能なものですか?」
異世界転移の物語の中で、元いた世界に戻ることが可能であることは、ごく稀だ。
大抵は召喚するだけで魔力を使い果たしているとか、魔力があったとて、座標や気候条件も二度と重ならないことがほとんどだった。召喚された者は、誘拐同様に新たな地に縛り付けられることになる。
ほとんどダメ元で私も聞いてみたけれど、案の定、エドヴァルドもシモンも答えない。
――それが、答えだ。
「戻せないですよね。そんなことだろうとは、思っていました。だったらどうやっても、この地で生活していくためのシゴト、お金稼ぎの手段が私には必要です。『聖女の姉』なんて、肩書だけで中身は空っぽなのは理解していますから。ああ、私が妹と大の仲良しと思っていて、聖女の姉だと持ち上げて、衣食住を適当に保証しておけば、ホイホイと妹に協力するとでも思ってました?」
厭味ったらしく言ってみれば、エドヴァルドはともかく、シモンの目が泳いでいる。
従来、人はいいのかもしれないけど、つくづく腹芸の出来ない人だと思う。
「そんな牢獄に繋がれるも同然の生活なんてごめんです。だったら今すぐこの国を出奔して、ギーレン国にでも雇ってもらいます。この知識と、新たな当代〝扉の守護者〟に関する情報とがあれば、それなりに高く買ってもらえるでしょうからね」
私のゲーム知識が正しければ、このアンジェス国の隣国、ギーレンの国王は領土拡大にかなり貪欲だ。アンジェス国にしてみれば、新たな〝扉の守護者〟の情報はなるべく秘匿しておきたいだろう。
だからこそ、そう言って私が自分のこめかみを人差し指で指させば、エドヴァルドの片眉が僅かに動いた。
「……姉妹の仲が、これほどまでに拗れていたとはな」
「別に拗れてはいませんよ。妹にとって私は自分を飾る便利な駒扱いですし、私にとっては、もはや顔のよく似た赤の他人ですから、表立ってケンカをしたことなんて一度もありませんしね。まあ大抵、妹側に都合がいいように皆思うんですよ。自分に置き換えてみれば、必ずしも全ての兄弟姉妹の仲がいいなんて、幻想でしかないと、すぐに気が付くはずなのに」
ああ、と、私はついでにダメ押ししておいた。
どうもこの、自他共に有能と思われている若き宰相閣下を言い負かしたいと――負けず嫌いが良くない方向に振り切れている気がする。止める気もないけど。
「多分、貴方自身、これ以上妹に関わるのが面倒で、あまり深く考えないまま私に丸投げしようとされたんじゃないんですか? 普段なら、もっと色々探りを入れたりしたはずでしょう。所詮小娘と侮った結果は、ご自身で重く受け止めてください」
そう言い捨てるとエドヴァルドの目はますます剣呑になり、シモンが顔色を変えていた。
が、そんなことは私の知ったことじゃない。
実家での冷たい視線に耐えて、培われてきた根性を、舐めてもらっては困る。
ただこれ以上は、自分の立場も不利にしていくだけなので、話を元へと戻しておこう。
「――どちらにしても、今は一文無しなので、私が持っている知識と現在の時勢とを擦り合わせて、アンジェス国に有利な状況を探ることなら、出来ると思いますよ。そうですね……さしあたって文官として雇っていただければ、有難いです。もしくは、経理知識はありますから、どこかの上位貴族の領政の補佐でも構いません。なんにせよ恒久的な妹の補佐だけは、断固拒否します」
馬鹿にしてはいけない。卒業後も本格的に実家とは距離を置くつもりで勉強を重ねてきていたのだから、どんな状況でも働けるほどの努力は積み重ねてきた。
怒るなら怒ればいい。
そんな私の挑戦的とも言える視線を、エドヴァルドはしばらく黙って受け止めていた。
「……随分な自信だな。招いておいて言うのもなんだが、こちらは、妹の手綱をとれる人間を求めているのであって、文官を求めている訳ではない。このまま処分される可能性だってあるとは思わないのか」
それはそうだろうな……と、エドヴァルドの言葉に内心で私も頷く。
しかし、妹は、全てを自分の都合のいい方向に解釈する、所謂「言葉が通じない」人種だ。あの容貌に釣られない真っ当な人間が話をすればただただ疲れるだけだ。だったら、少しでも妹の情報を握り、手綱をとることが出来そうな人間を、容易に手放すことはないと踏んだのだ。
「その可能性より、妹を持て余している可能性の方が高いと判断しただけのことですよ。国王陛下は存じませんけれど――少なくとも宰相閣下、貴方は」
「――――」
あ、どうしよう。冷徹とも鉄壁とも言われる宰相閣下の表情が微かに痙攣っているのを、ちょっと面白いと思ってしまった。
実は私にも、Sっ気とかある……?
私は最後のひと押しとばかりに言葉を追加した。
「私も、妹についてまるっきり面倒を見ないとは言いません。少なくともなんらかの方法で、この世界でも食べていけるようになるまでは協力します。ええ『協力』です。妹の代理として社交やら外交やらの矢面に立てと仰るなら、そのようにします。ただこの城の中で、妹と住居を共にすることはしません。どこか下宿先を紹介していただければ結構です」
「そ……れは……」
「そんな、聖女様の姉君にあたる方を城下街へなど――」
シモンも慌てたように身体を強張らせているけど、そこは、私も流されない。
「確かに私は聖女の姉ですが、貴族の出でもなければ〝扉の守護者〟としての魔力もない。要は一般市民ですから、相応の扱いにしていただいて結構です。むしろそうしてください」
恐らく、舞菜は王宮からは出ない。出たいとも思わないはずだ。私が城下に出ると言えば、表面上は引き留めにかかるだろうけど、そこは聖女サマとの扱いの差を明確にしておくべきとかなんとか、こちらが下手に出ればあっさり頷くだろう。
「大体、そちらにはそちらの事情があって、召喚を行ったのかもしれませんが、私や妹の側からすれば、ただの誘拐ですからね。周りからチヤホヤされることを妹が対価としているなら、それはそれで構いません。ただし私はそうじゃないというだけの話です。誘拐の代償はそれなりに払っていただきます。お互い、そのあたりがいい落としどころじゃないかと思うんですけど?」
こちらも、現時点で一人では生活が出来ないのだから、ある程度の妥協は必要だろう。
エドヴァルドの方とて、他国や国内の有力者からの悪意、害意に無防備な〝扉の守護者〟を、ある程度抑えてくれる人間を望んでいる。
それが主目的なら、四六時中、私が妹の傍に張り付いている必要もないはずだ。
平時の際は、適度にイケメンがチヤホヤしていれば妹は満足するし、それくらいは国王なり宰相閣下なり、他の文官なりで、やってくれたとてバチは当たるまい。
一人や二人くらいは、本気で舞菜の傍仕えを望む騎士だっているかもしれないし。
「……誘拐」
あえてキツめの言葉を選んでみれば、エドヴァルドには堪えているようだ。
「何か間違っていますか?」
「そうか……そうだな……」
「あと、なぜ私が珈琲をぶちまけたのかも、ご自身で理解されていらっしゃいますよね?」
「……っ」
「そこまでされて、どうして私が大人しく妹に寄り添うなんて、思うんですか。むしろ私に、妹に対して含むところがなかったとしても、それはそれで『こんな所に妹を置いておけるか!』としかならないと思いますけど、普通」
策士、策に溺れる――とは、このことか。
「閣下のご身分に対して、不敬だということ以外の反論、異議がありましたら、お聞きしますので、どうぞ、ご遠慮なく」
閣下……と、シモンが不安げに、エドヴァルドを見ている。
正直、言いたいことはまだまだあるけど、今後のためにも、そろそろ目の前のこの宰相閣下が、舞菜の存在をどこまで許容しているのかくらいは知っておきたかった。
――いや、とエドヴァルドの呟く声が聞こえるまで、どのくらいの間があっただろうか。
エドヴァルドは腰掛けていた応接用のソファからおもむろに立ち上がると、私に向かって、深々と頭を下げた。
「申し訳ない。私は貴女のことを、こちらの世界での所謂『姫君』『ご令嬢』と同じ枠内で捉えて、軽く見てしまっていた。そもそも国のためとはいえ、異なる世界に住んでいた貴女には、何の関係もない話だった。その通り、全てが我々の都合でしかない。ある日いきなり、貴女の生活全てを奪い去ってしまったんだ。落としどころと貴女は言うが、今のままでは、貴女の方が圧倒的に負債を押し付けられているのは間違いない」
閣下! と、顔色を変えたのはシモンの方で、エドヴァルドはまだ、頭を下げたままだ。
高位貴族である彼に頭を下げさせている事の重さは分かっていたけど、すぐには返事をしなかった。だって彼は、多分、私がすぐには許さないと分かっている。
私は、膝の上に置いていた右手を、口元にあてて、少しだけ、考える仕種を見せた。
――そもそも私が怒っている根本は、そこじゃない。
まあこの際だから、ちょっとくらいは、キレても許されるかな。
「宰相閣下、ちょっと顏をあげて、歯をくいしばっていただけます?」
私は立ち上がった。立ち上がって――言われるがまま、虚を突かれたように顔を上げたエドヴァルドの頬を――勢い良く、引っぱたいた。
「レイナ殿⁉」
副官として、シモンにもグーパンで鳩尾くらい、殴った方が良かったかなと、チラッと思う。
とりあえず、まずは言いたいことを全部言ってしまおう。
私は軽く息を吸い込んだ。
「六年」
そしてずいっと両手でただ、「六」と分かるよう、エドヴァルドに向かって指を立てた。
「貴方がたの身勝手な召喚が、私の六年越しの叛乱を台無しにしてくれました」
その言葉に反応したのか、引っぱたかれて明後日の方向を向いていたエドヴァルドの顔が、ゆっくりとこちらに向けられた。
「……叛乱」
そうなのだ。
実際のところ、何が腹立たしいかと言えば、人が六年かけて計画した、大学進学と同時に得た自由を、たったの一ヶ月で反故にされたことが一番腹立たしいのだ。
「別に国家が転覆するような、そんな大規模な話じゃないんですけどね。でも人生を賭けた一大事業で、実際に成功もしたんですよ。それが、たったのひと月で、台無しにされた。せっかく自由を勝ち取ったのに、また奴隷に戻された――分かりますよね? そんな状況下で、頭の中がお花畑でいられないことくらいは」
「それは――」
「知らなかった。ええ、そりゃそうでしょう。だから手っ取り早く、貴方がたの行った『召喚』が、何を引き起こしたのか、理解してもらうために、引っぱたかせてもらいました。召喚術とやら自体は、専門の術者か誰かがやったんでしょうけど、私を図書室からこちら側に引っ張り込んだのは――宰相閣下、貴方ですよね?」
図書室で、私は誰かに腕を掴まれた。
光が収まった時、同じ円の中にエドヴァルドが、私の背中に寄り添うように立っていた。
――嫌でも、その「誰か」がエドヴァルドだと分かる。
私が彼を睨みつけると、必死の形相でシモンが私と彼の間に割って入った。
「レイナ殿! 今回の召喚は、確かに聖女マナが望まれ、陛下がご裁可されたことではありますが、閣下は、こちらの都合で来てもらうのだから、せめて宰相位にある自分が――と、召喚の円に入られたのです! 現在の術者達の魔力は、聖女マナの召喚の際に、枯渇寸前まで使用されていたために、どうしても、魔力量の多い誰かが必要で、それを閣下が……っ」
「だからなんですか? 私に、もっと感謝をしろとでも仰るんですか? 私がお願いして、招待してもらった訳でもないのに?」
「いえっ。ですが……っ」
「私の話を聞いてましたか、ローベルト副官? 私の側からすれば、どう言葉を取り繕おうと『誘拐』でしかないんですよ、今回のことは」
泣きそうな表情になっているシモンは、きっとエドヴァルドを心の底から尊敬して、傍に仕えているんだろう。
平時なら微笑ましいことだけど、とても今は、そんな風には見てあげられない。
「それと私は、誘拐云々の所に憤っている訳じゃありませんし」
「え……」
「ローベルト副官は自分が六年かけて企てた計画を、対策のとりようもない理不尽な理由で潰されたとしたら、どう思いますか? しかも、その計画が自分が企画した通りに進んで、軌道に乗り始めていたのだとしたら。本当なら、関係者全員を引っぱたきたいところなんですけど、それも非現実的だから、手っ取り早く上役に矢面に立ってもらった次第なんですが、それが何か? むしろ、彼の顔ひとつで済ませようとか、私がどれほど今、不本意でいることか」
「ならっ、この私の首ひとつで何とぞ! 何とぞ矛をお収めください! どうか、閣下のことは――」
「いえ、顔はともかく、首を差し出されても困ります。そもそも、自分のせいじゃなくとも、起きてしまったことに責任を取るのが、上に立つ者としての正しい姿です。貴方の閣下は、充分にそれを分かっているからこそ、今、小娘に引っぱたかれようと、何も仰らなかった」
弾かれたように、シモンがエドヴァルドに視線を向ける。エドヴァルドの方は、じっと私を見たまま、シモンの視線を受け止めることはしない。
それは、私が言っていることを決して言いがかりだなどと思ってはいないし、頬を引っぱたかれたことも、理不尽だとは思っていないということだ。
まさか手をあげるとは思っていなかったのか、当初は少なからずの驚きが瞳に浮かんでいたけど、私が淡々とシモンに語っている間に、自分の中で腑に落ちたんだろう。
黙って受け止めておくことを選んだようだ。
あくまでも冷静なエドヴァルドの姿に、私の方がいらっとしてしまうほどに。
「……怒るなりなんなりしてもらった方が、私ももっと、このやり場のない怒りをぶつけることが出来たんですけど。黙られてしまったら、こちらもこれ以上強くは出られない。今度はこちらの度量が疑われますから。充分強かですよ、貴方の閣下は」
言いながら、シモンからエドヴァルドに視線を戻すと、まだ少し感情が揺れているような、そんな瞳とぶつかった。
分かっていますよ? 淡々と、事実を指摘される方が堪えるんですよね?
泣き叫ばれた方が、対処としては楽だったんですよね?
薬で眠らせてお終い、だったでしょうから――でも、甘い。
見つめ続けると、エドヴァルドが静かに口を開いた。
「シモンの首が要らないのは分かったが、では、私の首ならば? 一度叩いた程度で、貴女の六年は到底取り戻せないはずだ」
「……まあ、そうですけどね」
――宰相閣下、シモンが涙目になってますよ。
貴方もSですか。彼のHPが摩耗してますよ。
「ただ、貴方を処刑だのなんだのと訴えれば、現状から見て、私は一生この城に縛り付けられることになりますよね? それくらいだったら、貴方の首も残します。私と妹が必要以上に接触しないよう、その優秀な頭脳をフル回転させてください。首よりも、ココを差し出してもらえますか」
私は右手で、自分のこめかみを指差した。
「私への対価は『妹と関わらない人生』です、宰相閣下。そのためには、この国に留まることにも固執していません。貴方がたが妹を不安材料と見做しているのは、先代〝扉の守護者〟を殺されたせいでこの国自体が今、不安定だからですよね? 国内貴族とギーレン国、それぞれの脅威が収まれば、妹は今のままでも、問題ないはずですよね」
エドヴァルドの整った顔が、僅かに歪む。
私が、何をどこまで知っているのか気になって仕方がないんだろうけど、それと同時に、私がアンジェスに留まらない可能性を示唆しているのも、面白くないんだろう。
だけど私は妥協しない。
「妹のお守りは、もうごめんなんです」
「……っ」
私はエドヴァルドに、力いっぱい微笑っておいた。
「――分かった。では貴女の身柄は、王宮ではなく公爵邸で預かろう」
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685 忘れじの膝枕 とも連動!
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