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1巻
1-1
しおりを挟むプロローグ 双子姉妹の召喚
「レナちゃん!」
おかしい。私の耳に、この世で一番聞きたくなかった声が飛び込んできた。
いや、空耳だ。空耳でなくちゃおかしい。
何故ならこの春から、私は煩わしいだけだった家族と離れることに成功し、誰もが一目を置く名門大学へと進学して、待望の一人暮らしを始めたのだ。希望に満ち溢れた新生活がスタートしていたはずだ。
それが大学内の図書室の書架の一角で本を手にしたところで、突然誰かに腕を掴まれ――視界が歪んだ。
なんとか倒れないよう、両足に力を入れて踏ん張った直後に目の前が明るくなり、思わず目を閉じ――今に至る。
眩しさを調整するように、ゆっくりと目を開ける。すると、目の前に見えたのは、通い慣れた図書室ではなく、どこかの魔法使いの少年が活躍する小説に出てきそうな、中世ヨーロッパを思わせる石造りの壁に囲まれた広間。
「……は?」
立ちすくむ私の背中に、軽い衝撃と、甘ったるい声がぶつかってきた。
「レナちゃん! 会いたかったっ‼」
聞こえなかったフリをして、立ち去りたい。
うん、会いたかったのはアナタだけだからね――妹よ。
❀ ❀ ❀
十河家の双子姉妹は、小さい頃から近所でも有名だった。
一卵性双生児の姉・怜菜は、小学生の頃から、教師の間違いを指摘するような頭脳を持ち、成長するにつれて天才、神童の名を欲しいままにしていた。一方で妹・舞菜は、姉に及ばない頭脳を、愛嬌でカバーしようとしたのか、自分磨きの方向へと突き進んだ――そんな、別方向に極振りした姉妹として。
そして両親には子供らしい愛想を置き忘れたかのように勉強に没頭する怜菜より、うるうるの瞳で天真爛漫な振る舞いを見せる舞菜の方が、好ましく思えていたに違いない。
笑顔で「お願い」をすれば周囲が何でも叶えてくれる、ダメ人間養成の典型とも言える環境下でお育ちあそばされた妹とは違い、こちらはちょっとでも口を開こうものなら「お姉ちゃんなんだから我慢しなさい」「お姉ちゃんなんだから、妹を助けてあげなさい」「この世でたった一人の妹を顧みないなんて」――等々、私には外面に騙される者達の『自覚なき悪意』の声が常に降り注いだ。
おかげで順調に、私の拗れた性格が出来上がっていくことになった訳なんだけど。
……私のせいじゃないと、ここは断じて主張しておきたい。
そのうえ、両親は良家の子女ばかりが通い、学力よりも財力がモノを言う中高一貫の私立中学に無理やり私と舞菜を入学させた。
もちろん偏に、学力が底辺をさまよっている妹を、考えうる中でもっとも良い学校に進学させることを優先した結果だ。私に期待されていたのは当然、舞菜のフォロー。
このあたりで、私は家族全てに完全に見切りをつけ、あることに気がついた。
――十河家は、妹を中心に回っているのだと。
このままでは、私はいつまでたっても妹の「付属品」だと。
だから私はそこから、密かに六年越しの家庭内叛乱計画を立てた。
中高の六年間では学年首席を維持し、妹を適度にフォローしつつ、その学園の姉妹校である、お嬢様系女子大への推薦入学枠を妹と共に得ようとしている――
妹にも、両親にも、最後までそう信じさせ、いよいよ高校三年の大学入試願書提出締切日の当日、私はこっそり担当教師を訪れ、自分の願書だけを撤回した。
推薦入試当日は、体調を崩したように見せかけて受験を回避。裏では親身に接してくれていた教師や友人達の協力を仰ぎながら、別の入試を受けた。結果、まだその高校からは誰一人として合格者を輩出していなかった、日本最高峰の大学に合格したのだ。
それを知り、当然のように反発した両親や妹には、どうしても進学実績を残したい学校側と手を組み、妹の推薦が取り消しになるかも……などと、伝家の宝刀を抜いていただいて、最終的に入学手続きを取ることを認めさせた。
そうしてやっと、私は実家から離れることが出来た。
地元でチヤホヤされている間は、舞菜もこちらに押しかけてくることはない。
お山の大将で、満足していればいい。
私の知らないところで、私の知らない人と、幸せになればいい。
これからは、自分一人のために、時間を使うのだ! そんな風に未来は薔薇色のはずだった。
――それなのに。
❀ ❀ ❀
「レナちゃん! 会いたかったっ‼」
私の名前はレイナだと、何度言っても聞く耳を持たない妹。自分がマナだから、レナの方が、お揃い感があっていい――あくまで彼女は私を、自分を飾るアクセサリーか何かだとしか考えていない。
しかも、悪意なく本気でそう思っているというのが質が悪い。
今も、こうして状況が分からないままの私にまとわりつくように抱きついて、猫なで声で何か寝言を叫んでいる。
「たった二人の、血を分けた双子の姉妹だもん! マナを助けてくれるよね⁉」
相変わらず、随分と都合のいいことを言う。私がアナタに助けてもらったことなんて、ただの一度もないんですけど。
(……落ち着け、私)
背中越しに突然抱きついてきた妹に現状の正確な説明など最初から期待出来ず、周囲に視線を走らせる。中世ヨーロッパ風の建物に、足元には、自分を中心に描かれた不思議な紋様の円。
私は筋金入りの現実主義者だけど、抱きついている妹をよく見れば現代社会には似つかわしくないドレスを着ている。そして円の中には、私と妹と――もう一人。
豪奢な金の刺繍が施されている青地のウェストコートを纏う男性。紺青色の髪と瞳。年齢は二十代後半と言ったところか。その現実離れした色彩に少しだけ嫌な予感がする。
美形には違いない。だけどどうにも無表情の仮面が強固に張りついた、無駄に威圧感のある残念な美形……と言った感じだ。
どこかで――何かで見た、容貌だと思いつつも、すぐには記憶中枢が刺激されない。
そんな男性と視線が合いかけたその時、背後から別の声が、妹を呼んだ。
「無事に姉君とは再会出来たようだ、マナ」
「フィル!」
何年たっても変わらない妹の甘ったるい声が、私ではない方向へと投げかけられる。同時に私に抱きついていた腕も、あっという間に解かれた。
悲しいかなそれだけで、声の主が美形なんだろうと想像がついてしまった。
ゆっくりと振り返ってみれば案の定、金髪碧眼のいかにもな「王子様」が両手を広げて、走りこむ妹を受け止めていた。
あの……何の茶番でしょうか、これは。思わず顔をしかめると、その「王子様」が私に視線を向けて、こともなげに言った。
「感動の再会中だったところ、すまない。私はフィルバート・アンジェス。このアンジェス国の国王だ」
「……アンジェス国」
「ご存じか? 聖女――妹君から、貴女であればこの国について充分な知識を既にお持ちと聞いたのだが」
「……」
流石に一国の国王陛下を名乗る人物に「は?」と、不敬罪も同然の声をあげることは控えた。
ただ、目は完全に据わっていたかもしれないけど。
そもそも、感動の再会とか言っている時点で、その目は節穴ですかと問いたい。
いや、国王陛下の表情からすると、わざとこちらを煽るように言った可能性も否定出来ない。
そんな私の内心など相変わらずまったく無視する形で、妹が無邪気な爆弾を投げて寄越した。
「レナちゃん、レナちゃん。ここね、あの〝蘇芳戦記〟の中の世界みたいで、それで私〝扉の聖女〟なんだって! すごくない?」
……意味が分からない。いや、妹が以前から、いわゆる「乙女ゲーム」にハマっていたのは、知っている。現実世界で充分チヤホヤされているのに、二次元の世界でまで、まだそれを求めるかと、呆れていた。
さらに、妹の努力嫌いはここでもいかんなく発揮され、パッケージだけを見て、親にねだってゲームソフトを買わせるものの、そのキャラを攻略するまでの過程にすぐに飽きては続きを私に丸投げしていた。それも一度や二度ではない。
ゲーム〝蘇芳戦記〟も、そんな妹が「ジャケ買い」をした中のひとつだったはずだ。
舞台は剣と魔法の世界。ただし、魔物や他種族はおらず、各国間を繋いでいる〝転移扉〟を維持させる魔力を持つ者が〝扉の守護者〟と呼ばれ、代々、国から手厚い保護を受けている。
その世界に魔力はあれど魔法を自在に使える者は稀で、人々は灯りを点すにしろ、火を熾すにしろ、日常生活の多くを魔道具に頼りながら過ごしている、というような設定だったはずだ。
プレイヤーは〝扉の守護者〟や一国の王女、王子の婚約者だったりと、プレイをスタートする国ごとに様々な役目に置かれるのだけど、いずれの役割に就くにせよ目的は自分がプレイする国の〝扉の守護者〟を害させないことだった。
結局のところ、その世界では馬車移動が主体なため、長距離を瞬間的に移動出来る〝転移扉〟の存在は非常に重要なのだ。仮にゲーム内で〝扉の守護者〟を失い、〝転移扉〟の維持が危うくなった場合にはバッドエンドが確定する。
各国の登場人物がいずれも美形揃いなために妹のような人間がプレイしがちだったけど、ゲームの内容はむしろ異世界での国盗りを目的とする「戦略シミュレーションゲーム」と言った方が正解で、妹自身まだパッケージのオビでしか概要の把握をしていなかったはず。
世のゲーム愛好家さんに謝れ、と言うくらいには、妹はこのゲームを舐めきっていた。
……そもそも、妹の言い分としての〝扉の聖女〟という呼称自体が、正しくない。
正しくはその代の〝扉の守護者〟が女性であれば「聖女」と呼ばれ、男性であれば「聖者」と呼ばれているだけだ。
――さて、ということは乙女ゲームの世界に転移したということ?
この場合「戦略シミュレーションゲームの世界に転移」か。
そう思って眺めると、妹がベタベタと纏わりついているのは確かに〝蘇芳戦記〟内のスチルで見た、アンジェス国の若き国王フィルバート・アンジェスその人だ。
元は第三王子だったはずだけど、流行病やら、王族内のゴタゴタやらで、上二人の兄弟と他の王位継承権保持者を相次いで亡くし、タナボタ的に王になったとされている、が、本当のところは分からない。
ゲーム内では「冷酷」「残虐」「残酷」と、およそ美形キャラへの賞賛とは程遠い設定が為されていた。
そして、ここがアンジェス国であり、目の前に立っているのが国王ならば――
私はチラリと、無言のまますぐ傍に立つ男性に視線を向ける。
――エドヴァルド・イデオン。宰相であり国王の幼馴染。そして彼の懐刀であり、国家の頭脳。
「ああ……」
私は盛大なため息をついた。
どうやら本格的に、この異世界に「召喚された」事実を受け止めなくてはいけないようだった。
「姉君?」
国王、フィルバート・アンジェスの声に、ハッと我に返る。
妹はともかく、一国の国王まで無視するのは、人としていただけない。
私は国王に向かって一礼した。
「お初にお目にかかります。レイナ・ソガワと申します。そこにおりますマナ・ソガワの実の姉にございます。見たところ、この世界で右も左も分からなかったであろう、妹を保護してくださっていたことを、姉としてまずは御礼申し上げます」
日本在住の一般市民に、ヨーロッパ貴族的なカーテシーの挨拶は無理だ。
その辺りは慣習の違いとしてご容赦願いたい。
「ああ、固い挨拶は抜きにしてもらって構わない。何と言っても、聖女マナの姉君なのだからな」
フィルバートの声は、言葉だけ聞くと鷹揚なようだけど、実際の声の調子はかなり淡々としていて、その視線は私の見極めをしようとしているようにも見える。
「……感謝いたします、国王陛下」
いっそ不審者として放り出してくれて構わないのに――と内心で思ったのがうっかり表情に出ていたのか、フィルバートは僅かに口元を歪めた。
「聖女マナが、姉君はとても優秀だと、ことあるごとに口にしていた。なるほど確かに、一筋縄ではいかなそうだ。今の状況に対して無知なようには見えない」
返事の代わりに、私は軽く唇を噛む。迂闊なことを答えて言質を取られるような愚を犯したくないのに、フィルバートの言葉はそれを許さないとばかりに私を追い詰める。
「もちろん! レナちゃんは、日本で一番の大学に合格した、自慢のお姉ちゃんだから!」
「……っ」
そして、無邪気という名の愚を犯す妹が、フィルバートにさらなる情報を与えていくのだ。
(この、バカ舞菜!)
知らない人について行ってはいけません、とは小学生でも習う。相手の素性も目的も不確かなうちから、己の手の内を晒すなどと、冗談じゃない。
このまま流されれば、私はここでも舞菜の代わりに、何かをやれと言われるに違いない。
フィルバートの口調や舞菜の表情、さっきまでの態度からして、私の推論は間違ってはいないはずだ。
(また、私をあなたのパシリに使うつもり?)
もう「たった二人の姉妹なのだから」で、自分の時間を搾取されるのはごめんだ。
物心ついてから高校卒業まで、お釣りがくるぐらいに手は貸してきた。
これ以上、アナタのためには梃子でも動かない!
「……大変不躾なお願いとは存じますが」
さあ、考えないと。
六年越しの「逃亡劇」をまた繰り返すのかと思うと正直涙が出そうだけど、妹という名の鎖には、もう囚われない。私は頭を下げたまま、言葉を続けた。
「私が存じておりますことと、実際の出来事とを、まずは擦り合わせたく思うのですが。最も正確に、詳細に、国の現状を知る方と話をさせていただけないでしょうか」
言外に「舞菜とは話をしたくない」というニュアンスを含ませておく。
好き嫌いは横に置いておいたとしても、妹の話は主観論が大半になってしまう。真面目に言って、役に立たない。
「……まずは二人で、積もる話でもした方がいいのではないか? しばらく会っていなかったのだろう?」
フィルバートの表情が、少し曇ってきているかもしれない。離れ離れになっていた姉妹の感激の対面を想定していたのが、いつまでたっても、微塵もそんな雰囲気にならないからだろう。
……すみませんね、世間一般の仲良し姉妹のような反応が出来なくて。
「それは、後でいくらでも出来ることですから。まずは状況を理解して、自分の中での安心と落ち着きを得たいと思っております」
「ええー? レナちゃん、昔みたいに、パジャマで夜通しおしゃべりしようよぉ」
……それは、アレかな。アナタが当時の彼氏と電話でずーっと喋っている隣で、乙女ゲームを延々と攻略させられていたとか、その時のことかな。
うん。随分と斬新な日本語意訳だよね。
「……舞菜。あの〝蘇芳戦記〟の発売って、受験シーズン真っただ中だったよね。そんな時にゲームをやり込めたと思う? 貴女が私に何をさせたいのかは知らないけど、私の知っているゲーム知識と、今のこの世界の情勢との答え合わせをしないことには、何も始まらないよ?」
「ええー? そうなのぉ?」
「何もしなくていいって言うなら、これから貴女の部屋に行って、ご希望のパジャマトークに勤しんでもいいけど」
実際、何もしなくていいなんて、そんなはずがないのだ。
私のカマかけに、案の定、舞菜は黙り込んだ。
「――イデオン宰相」
口元に手を当てたフィルバートは一瞬考えた後、円内に無言で佇んでいた紺青色の髪の男性――エドヴァルド・イデオンの方に視線を投げた。
「任せるぞ」
「陛下、それは……」
「私は、聖女マナを休ませる。召喚術者たちも、短期間での二度の召喚に、さぞや疲れたことだろう。この場合、おまえが適任と思うが?」
「…………」
後始末を押し付けられる格好になるため、不満はあるのかもしれないけど、国王の判断としては、あながち無茶ぶりではない。それはエドヴァルドも内心では分かっていたのだろう。
やがて短く「御意」と、頭を下げた。
またね! と、軽い調子で手を振る舞菜とフィルバートらが次々と引き上げていき、最後広間には、宰相閣下と私、二人がぽつんと残された。
さて。
まずは、私の八つ当たりを受け止めていただきましょうか――宰相閣下。
第一章 背中のネコは旅に出た
「こちらへ」
エドヴァルドは、それだけを言うと、くるりと身を翻した。
期待はしていなかったけど、冷徹あるいは鉄壁宰相の名に恥じず、愛想の欠片もない。
勝手に召喚んでおいて、随分な対応じゃなかろうか。
そんな宰相閣下に続いて広間から廊下へと出れば、白と黒の大理石が組み合わさる見事な白亜の回廊が先へと続いていて、あまりの優美さ、非日常性に、私は思わず息を呑んでしまった。
ここが日本ではないと、嫌でも納得させられてしまう。
前を歩くエドヴァルドは振り返らないため、私の動揺には気が付いていないみたいだったけど。
やがて、ひとつの部屋に入る――恐らくは、宰相の執務室だろう。
中からは「お帰りなさいませ」と、別の声も聞こえてきた。
続いて入れとの、言葉も合図もないけど、もう開き直って、エドヴァルドのすぐ後ろから部屋の中へと足を踏み入れた。すると驚いたような視線がこちらへと飛ぶ。
「閣下、もしやこちらは――」
「ああ。聖女マナの姉君、レイナ・ソガワ嬢だ」
どうやら、話はちゃんと聞いていたらしい。
何より、私を「レナ」としか呼ばない舞菜から話を聞いていただろうに、きちんと私のフルネームを覚えていてくれたことは、ここに至るまでの若干失礼だった態度への腹立たしさをやや薄めてくれた。
エドヴァルドが話しかけた茶髪の青年の方をふと見ると、向こうから先に頭を下げてくれた。
「初めまして。イデオン宰相閣下の副官を務めております、シモン・ローベルトと申します」
「ご丁寧にありがとうございます。レイナ・ソガワです」
「レナ様ではなかったのですね。いえ、不躾な話で申し訳ありませんが」
「ああ、お気になさらないでください。自分がマナだから、私もレナの方がいいと言う、妹の独自理論――言わば、愛称のようなモノですから」
「なるほど。では、レイナ様とお呼びした方が?」
「……様は、少しこそばゆいですね」
「では、レイナ殿で」
「……そうですね」
どうやら、この宰相副官、シモンは、無表情の上司をフォローする役割でもあるのか、他人の懐に入り込むのが、ひどく上手い。いつの間にか私は、名前呼びをされることに頷いてしまっていた。
「レイナ殿は、珈琲と紅茶、どちらがお好みでしょう?」
「えっ……いや、その……お気遣いなく、と言いましょうか……」
「遠慮なさらないでください。どちらのご用意もすぐ出来ますし、ちょうど私も休憩として、どちらか飲みたいところでしたので」
「……では、珈琲で」
承りました、と軽く頭を下げたシモンが、隣室へと消える。
どうしたものかと、入口近くにそのまま立っていると、眉を顰めたエドヴァルドが先にどさりとソファに腰を下ろした。
「……そのままでは、話がしづらいと思うが」
なんだろう。向かい側に座れとでも言いたいのだろうか。言ってくれなければ分からないし、変に勘繰られても困るので、とりあえず予防線を張っておくことにする。
「私は王宮の住人ではありませんから、許可もないうちから腰を下ろすような、傍若無人な振る舞いに及んだりは出来ません。身分に即した最低限の儀礼は遵守させていただきます」
「聖女の姉だろう」
「そもそも、異世界から呼び寄せた小娘をどこまで信用されていらっしゃるんですか? 血縁としては、確かに私はマナ・ソガワの姉ではありますけれど、それが即ち、私がこの王宮内で尊大に振る舞って良いということにはならないはずです」
淡々と言い切る私に、エドヴァルドが僅かに目を見開いた。
何故、驚かれなくてはならないのか。当たり前だと思う。聖女の姉などと、聞こえはいいけど、実際のところは、単なる一般人だ。なんの身分証明にもなっていない。
そんなことに気が付かないような、脳内お花畑娘ではない。
そもそも、エドヴァルドの口調からして「聖女の姉」を尊重している風には聞こえないのだから。
「座らせていただいた方がよろしいでしょうか、宰相閣下」
「……そうしてくれ」
とは言え、これ以上はただの屁理屈になってしまうので、こちらから許可を請う形で、私はエドヴァルドの向かいに腰を下ろした。
「それで、何が聞きたい」
冷徹とも鉄壁とも言われている宰相閣下の声は、明らかに不機嫌だった。
――確か〝蘇芳戦記〟でアンジェス国からスタートすることを選んだプレイヤーが置かれる立場は〝扉の守護者〟本人だ。
アンジェス国は、周辺諸国と比べ最も小さい。故に常に侵略の危険に晒されており、プレイヤーは〝転移扉〟を維持する魔力を損なわないようにしつつ、他国が仕掛けてくる権謀術数を撥ね返すことがプレイの根幹だ。そして王あるいは宰相と結ばれて、共に国を維持していくのがハッピーエンド、という部分が一応の恋愛ゲーム要素と言えるだろう。
その中で、エドヴァルドに気に入られるルートに入るために必要なのは見た目を飾り、甘いシチュエーションに持ち込むこと……ではなく、「国のためになる何か」を彼にもたらすことだ。そのせいで、世の乙女ゲーム愛好者にとっては、最も攻略ハードルの高いキャラとさえ言われていた。
加えてフィルバート・アンジェスも、貴公子然とした容貌で愛想こそあれど、内面は嗜虐性の高い、ドS以上のSキャラで、うっかりすれば拉致監禁エンドに転がり落ちかねない。そんな主従をいただくアンジェスルートからゲームを始めようとする人など、発売当初からほぼ皆無だった。
私自身、このゲームでアンジェスルートに手を付けたのは最後だったくらいだ。
ちなみに妹の前では、ゲームに手を付ける余裕はなかったと言いつつ、実は受験が終わった頃に一通りプレイを済ませてはいる。乙女ゲームではなく国盗り戦略ゲームだと考えれば、実際、いい頭の運動になったからだ。ただそれを、迂闊にあの場で口にするつもりがなかっただけで。
そんなことを思い返しつつ、下手な言質を取られないためにも、まずは、当たり障りのないところから聞いておこうと、口を開いた。
「そもそも、どうして〝扉の守護者〟が、この世界の外側から呼ばれて、私までそこに追加されることになったんでしょう」
エドヴァルドは僅かに眉根を寄せた。
ことさらに「国の外側」を強調する私の口調や態度に思うところはあるのかもしれないけど、実際に口にするのは、別のことだった。
「……先代が殺された。急ぎ新たな守護者を立てる必要があり、該当者の捜索範囲を、国の内外にまで広げた結果、反応があったのが、国の外側だったと言うだけだ」
「……なるほど」
「本来ならそれで終わりだった。だが、当代〝扉の守護者〟として呼んだマナ・ソガワに充分なのは魔力だけ。扉の維持自体は、手をかざせば勝手に魔力を吸い取って変換していく術式になっているから、確かに定期的な魔力供給以外で、無理に何かをする必要はない。陛下も強引な方法で招いた手前、それ以上は言わなかった。言わなかったが……しかし、それは日々、彼女が陛下の隣で媚を売っているだけでいいという話にはならない」
「あー……」
私は決まり悪げにエドヴァルドから目を逸らして、右手の人差し指で自分の頬を掻いた。
さっき国王陛下に走り寄って胸に飛び込んだお花畑全開のマナの姿が脳裏によぎる。
「多少は、この国のことや周辺国の事情を理解してもらわないことには、いつまでも誘拐や殺害の危険性が付きまとう。守る義務はこちらにあると言われればそれまでだが、近隣の事情を知っているのと知らないのとでは、リスクがあまりに違う」
「言っておきますが、本人は無自覚無意識ですよ。無邪気と取るか、質が悪いと取るかは、人それぞれでしょうけど。ちなみに、嫌いな言葉は『努力』だと思います。負担を押し付けられる身内がいたものだから、なおさらに」
この人はさっきの広間で、私が完全に白けていたのを見ていたので、もはや取り繕っても無駄だろうと、あえて背中のネコを下ろして、本音をぶつけてみた。
もちろん「負担を押し付けられる身内」とは、私のことだ。
「どうせ言われたんですよね。『自分には双子の姉がいる。国一番の学校に合格出来るほどだから、自分に足りない部分はきっと補ってくれる。たった二人の姉妹、きっと自分を支えてくれる』――とかなんとか」
「……っ」
案の定、頭の切れる宰相閣下は、私の皮肉に気が付いて一瞬怯んだ様子を見せた。
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