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第二部 宰相閣下の謹慎事情
545 アンブローシュ(中)
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「ようこそ、お越し下さいました」
馬車を降りてすぐ目の前に、高級モーニング衣装のような出で立ちをした男性がいて、私が地に足を着けたタイミングで、深々と頭を下げた。
「ああ」
とは言え、こう言うところでの応対役を担うのは、管理職層ではないのが一般的だ。
だからエドヴァルドも細かい挨拶はせず、鷹揚に頷いて見せただけだった。
いくら身分が下の者からは話しかけられないとは言っても、レストランでそんなことをしていては仕事が回らない。
王宮にせよ、給仕関係者はどこも例外として扱われているそうだ。
「本日は貸し切りとなっておりますが、当館でもっともステイタスの高い最上階の個室にご案内申し上げます。また、玄関ホールには最上階へ移動するための小型の〝転移扉〟が設置されておりますので、そちらからのご案内となります」
どうか私の後に続いて頂けますでしょうか――と案内役の男性は言い、教育の行き届いた、洗練された仕種で身を翻した。
この世界、時代にエレベーターやエスカレーターが存在していない以上、二階ならともかく、上までドレスにヒールで階段なのかと暗くなりかけたところに思いがけない話を聞かされて、私は目を瞠った。
「レイナ。多分、王宮以外にはここだけだ」
私が驚いているのを察したエドヴァルドが、エスコートをしながらそう囁く。
王宮にしても、王族以外は普通に徒歩で移動しているそうだから、そう聞けばここが元王族専用レストランだったと言うのも頷けてしまう。
ルヴェックは、馬車を移動させたら、あとは1階の馭者用の控室で待機と言う事らしいけど、そこでも簡単な食事は振る舞われるとの事で、ちょっと嬉しそうだった。
「――どうぞ、こちらです」
玄関ホールの奥に豪奢な細工が施された扉があり、案内役の男性が、観音扉の様にその扉を両手でスッと開けた。
「私の後に続いていただければ、すぐさま階上の部屋へと繋がりますので」
そう言った男性が、あっと言う間に扉の向こうへと姿を消す。
「……すまない。こんな仕組みだとは思っていなかった」
「あ、いえ、大丈夫です!その……エドヴァルド様も一緒ですし」
申し訳なさそうな表情を一瞬だけエドヴァルドが見せたので、慌てて片手を振る。
エドヴァルドは私の言葉が言い終わらないうちに、私の背中に回るようにしながら、一度エスコートの手を解いて、代わりに腰に手を回した。
「すぐに着く」
「……はい」
後から考えると、本当に一瞬のことではあるのだけれど、身に沁みついた恐怖感は、なかなか消えてくれない。
すみません、と私が言いかけると、それは言わなくて良いとばかりに腰にあった手が頭の上にポンと置かれていた。
「貴女が申し訳なく思う必要はない。私が一緒ではない時には〝転移扉〟は使わない――くらいでいてくれる方が、かえって私も安心だ」
「エドヴァルド様……」
そんな会話をしている間に、いつの間にか足元の不安定さは取れて、目の前には王宮並みの装飾煌めく部屋が視界を覆い尽くしていた。
うっかりすると、茫然と口を開けてしまいそうな自分を慌てて内心で叱咤する。
中央には、6人程度が腰を下ろせそうな楕円のテーブルがあり、そこに二人分の食器がセットされている状態だった。
「公爵閣下、そしてご令嬢様。本日は当館へ足をお運び下さり誠に有難うございます。支配人のコティペルト子爵タハヴォにございます」
後で聞いた話によると、子爵男爵と言った下位貴族の中には、当人の職務遂行能力の高さが領地経営に相当するとして、一代貴族としての爵位を持って王都に住まう者もいるらしい。
と言うよりも、王都にいて爵位を名乗る人間は、学園経営者であるボードリエ伯爵と、次期高等法院の長となるであろうオノレ子爵、古き英雄の名を賜ったマトヴェイ卿を除いては例外なくそう言う立ち位置なんだそうだ。
であれば、コティペルト子爵を名乗ったこの人も、この〝アンブローシュ〟の支配人として、社交界に顔を出せるよう賜った爵位と言う事なんだろう。
「私の代になりましてから、イデオン公爵領関係者の方のご利用は初めてと記憶しております。フォルシアン公爵閣下からも、くれぐれも粗相のない様にとのお言葉を頂戴しておりますので、本日は当〝アンブローシュ〟の料理をどうぞ心ゆくまでお楽しみ下さいませ」
フォルシアン公爵の名を聞いて微かにエドヴァルドが眉根を寄せていたけれど、その事について、とやかく言うつもりはないみたいだった。
何を余計なことを――と、目は語っている気がしたけど。
「ああ。支配人、こちらこそ過日には我が公爵領下リリアート領の伯爵令息が大変に失礼をした。今日はその詫びも兼ねている。存分に、最高の料理を提供して欲しい」
そう言えば、元はヘンリ・リリアート伯爵令息が自領で作られたガラスの器を拝借するために押しかけたからこその、お詫びの利用と言う話だった。
先にわだかまりのないようにしておこうと言うことなんだろう。
このレストランの外観や内装、格式を鑑みれば、むしろよく突撃出来たなとヘンリ・リリアート伯爵令息の行動力にちょっと感心をしてしまう。
「いえ。リリアートのガラス製品は、今や当レストランとは切っても切れない物となっております。聞けば何か焦っておいでとの事でしたので、器をお貸ししました事がお役に立っておりましたら、私どもとしましてもこれに勝る喜びはございません」
さすが、王都最高峰レストランの支配人だと思う。
会話に隙がなさすぎだ。
「ではどうぞ、お席までご案内いたします」
私とエドヴァルドは、コティペルト子爵――支配人直々の案内を受け、それぞれが椅子に腰を下ろした。
馬車を降りてすぐ目の前に、高級モーニング衣装のような出で立ちをした男性がいて、私が地に足を着けたタイミングで、深々と頭を下げた。
「ああ」
とは言え、こう言うところでの応対役を担うのは、管理職層ではないのが一般的だ。
だからエドヴァルドも細かい挨拶はせず、鷹揚に頷いて見せただけだった。
いくら身分が下の者からは話しかけられないとは言っても、レストランでそんなことをしていては仕事が回らない。
王宮にせよ、給仕関係者はどこも例外として扱われているそうだ。
「本日は貸し切りとなっておりますが、当館でもっともステイタスの高い最上階の個室にご案内申し上げます。また、玄関ホールには最上階へ移動するための小型の〝転移扉〟が設置されておりますので、そちらからのご案内となります」
どうか私の後に続いて頂けますでしょうか――と案内役の男性は言い、教育の行き届いた、洗練された仕種で身を翻した。
この世界、時代にエレベーターやエスカレーターが存在していない以上、二階ならともかく、上までドレスにヒールで階段なのかと暗くなりかけたところに思いがけない話を聞かされて、私は目を瞠った。
「レイナ。多分、王宮以外にはここだけだ」
私が驚いているのを察したエドヴァルドが、エスコートをしながらそう囁く。
王宮にしても、王族以外は普通に徒歩で移動しているそうだから、そう聞けばここが元王族専用レストランだったと言うのも頷けてしまう。
ルヴェックは、馬車を移動させたら、あとは1階の馭者用の控室で待機と言う事らしいけど、そこでも簡単な食事は振る舞われるとの事で、ちょっと嬉しそうだった。
「――どうぞ、こちらです」
玄関ホールの奥に豪奢な細工が施された扉があり、案内役の男性が、観音扉の様にその扉を両手でスッと開けた。
「私の後に続いていただければ、すぐさま階上の部屋へと繋がりますので」
そう言った男性が、あっと言う間に扉の向こうへと姿を消す。
「……すまない。こんな仕組みだとは思っていなかった」
「あ、いえ、大丈夫です!その……エドヴァルド様も一緒ですし」
申し訳なさそうな表情を一瞬だけエドヴァルドが見せたので、慌てて片手を振る。
エドヴァルドは私の言葉が言い終わらないうちに、私の背中に回るようにしながら、一度エスコートの手を解いて、代わりに腰に手を回した。
「すぐに着く」
「……はい」
後から考えると、本当に一瞬のことではあるのだけれど、身に沁みついた恐怖感は、なかなか消えてくれない。
すみません、と私が言いかけると、それは言わなくて良いとばかりに腰にあった手が頭の上にポンと置かれていた。
「貴女が申し訳なく思う必要はない。私が一緒ではない時には〝転移扉〟は使わない――くらいでいてくれる方が、かえって私も安心だ」
「エドヴァルド様……」
そんな会話をしている間に、いつの間にか足元の不安定さは取れて、目の前には王宮並みの装飾煌めく部屋が視界を覆い尽くしていた。
うっかりすると、茫然と口を開けてしまいそうな自分を慌てて内心で叱咤する。
中央には、6人程度が腰を下ろせそうな楕円のテーブルがあり、そこに二人分の食器がセットされている状態だった。
「公爵閣下、そしてご令嬢様。本日は当館へ足をお運び下さり誠に有難うございます。支配人のコティペルト子爵タハヴォにございます」
後で聞いた話によると、子爵男爵と言った下位貴族の中には、当人の職務遂行能力の高さが領地経営に相当するとして、一代貴族としての爵位を持って王都に住まう者もいるらしい。
と言うよりも、王都にいて爵位を名乗る人間は、学園経営者であるボードリエ伯爵と、次期高等法院の長となるであろうオノレ子爵、古き英雄の名を賜ったマトヴェイ卿を除いては例外なくそう言う立ち位置なんだそうだ。
であれば、コティペルト子爵を名乗ったこの人も、この〝アンブローシュ〟の支配人として、社交界に顔を出せるよう賜った爵位と言う事なんだろう。
「私の代になりましてから、イデオン公爵領関係者の方のご利用は初めてと記憶しております。フォルシアン公爵閣下からも、くれぐれも粗相のない様にとのお言葉を頂戴しておりますので、本日は当〝アンブローシュ〟の料理をどうぞ心ゆくまでお楽しみ下さいませ」
フォルシアン公爵の名を聞いて微かにエドヴァルドが眉根を寄せていたけれど、その事について、とやかく言うつもりはないみたいだった。
何を余計なことを――と、目は語っている気がしたけど。
「ああ。支配人、こちらこそ過日には我が公爵領下リリアート領の伯爵令息が大変に失礼をした。今日はその詫びも兼ねている。存分に、最高の料理を提供して欲しい」
そう言えば、元はヘンリ・リリアート伯爵令息が自領で作られたガラスの器を拝借するために押しかけたからこその、お詫びの利用と言う話だった。
先にわだかまりのないようにしておこうと言うことなんだろう。
このレストランの外観や内装、格式を鑑みれば、むしろよく突撃出来たなとヘンリ・リリアート伯爵令息の行動力にちょっと感心をしてしまう。
「いえ。リリアートのガラス製品は、今や当レストランとは切っても切れない物となっております。聞けば何か焦っておいでとの事でしたので、器をお貸ししました事がお役に立っておりましたら、私どもとしましてもこれに勝る喜びはございません」
さすが、王都最高峰レストランの支配人だと思う。
会話に隙がなさすぎだ。
「ではどうぞ、お席までご案内いたします」
私とエドヴァルドは、コティペルト子爵――支配人直々の案内を受け、それぞれが椅子に腰を下ろした。
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