聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

文字の大きさ
上 下
476 / 803
第二部 宰相閣下の謹慎事情

521 消えない夜 ☆

しおりを挟む
「――ナ、レイナ」

 いつの間に、どうやって今夜の寝床に案内されていたのかが記憶にない。
 気付けば寝台ベッドの端に腰を下ろしていて、隣に座っているエドヴァルドがこちらを覗き込んでいた。

「え……あれ……」

 引導を渡すのは自分だ、とトリーフォンが諦めにも似た笑みを浮かべたところまでは、覚えている。

 それがまるで、舞菜いもうとに睡眠薬入りの紅茶を差し出した自分と、あまりにも置かれた状況が似ているようで――何も考えられなくなった。

 どうやら、トリーフォンやマカールが、姉妹とエレメア夫人がいがみ合っているところに向かおうと席を立ったところで、今日はここまでだと、エドヴァルドは私をついて行かせなかったみたいだった。

 繋いでいた手を引かれるがままに歩いていたら、いつの間にか別の部屋にいたのだ。

 よほどキョトンとしていたのか、エドヴァルドがここに来るまでの事を端的に教えてくれる。

 ラディズ青年やサラさんも、下手にジーノ青年たちと一緒に行動してしまうと、どうやら姉妹側に付いていた、本来のイユノヴァさんの親族に正体がバレかねないからと、私たち同様に、ついて行く事は控えたらしい。

 これ以上暴れさせない様にと、軍や〝鷹の眼〟の皆は牽制の人手として借り出されたものの、基本的にはあの場はお開きと言う形をとったのだと、そっと髪を撫でながら、囁くように、説明をしてくれた。

「……貴女がこの件に関して、何かを気にする必要はない。そもそも貴女がここまで付き合うことはなかったんだ」

「エドヴァルド様……」

「彼の葛藤と決断を受け止め、支えるべきは彼の周囲、母親以外の誰か。それは今近くにいるかも知れないし、将来彼の前に現れるのかも知れない。いずれにせよ、そこに我々の入る余地はないし、むしろ入ってはならない。貴女だからこそ、理解が出来る筈だ」

「それ……は……」

 私には、エドヴァルドがいた。

 何があっても軽蔑をしないと。
 怒りも涙も全て受け止める。私には、それをぶつける特権があると。
 そう言って寄り添ってくれた。

 今も。

 だからギーレンで今、舞菜いもうとがどうしていようと、私の心の中をざわつかせる事はない。

 結婚式の話が出て、ギーレンから嫌味でしかない招待状でもくれば、また揺さぶられるのかも知れないけれど、きっとその時も、エドヴァルドは私に寄り添ってくれるんだろう。何故かそこは、疑おうと思わなかった。

「私にとっての……エドヴァルド様みたいな誰かが、いつかトリーフォンの前に現れる、と……?」

「……レイナ」

 そうだとも、違うとも答えず、エドヴァルドは両手で私の頬を挟むと、そっと自分の方へと上向かせた。

「私はちゃんと、貴女を『こちら側』へ繋ぎとめる事が出来ているだろうか?」

「!」

 至近距離で囁かれ、思わず身体が硬直してしまう。

 一度、二度と目覚める事のない世界へと落ちかけた。
 それを引き上げたのは、エドヴァルドだ。

「貴女にとっての私が、どういった存在なのか――自惚れても?」
「‼」

 レイナ、と耳元で名前を呼ばれるのは、本当に心臓に悪い!
 思考能力もボキャブラリーも、何もかもが言語中枢から枯渇してしまう……!

「もし、貴女がトリーフォンの虚無を理解出来ていたとして、それでも、それに引きずられる事はないと、私とアンジェスに戻ると、私を安心させて欲しい」

「……どう……やって……」

 トリーフォンの行く末を、気にはかけるだろう。
 私は両親、トリーフォンは母親だけど、同じ親のエゴに振り回された者として、無視は出来ない。

 だけど、それを見届ける為にバリエンダールに残ると言う発想はない。

 ――私の居場所は、そこじゃない。

「エドヴァルド様は……何があっても、私を選んでくれる……と」
「レイナ」
「寄りかかっても良いと……重くはないと、仰った」
「ああ。むしろ、そうして欲しいくらいだとも言った」
「……だから」

 どこにいようと、最後はイデオン公爵邸に――エドヴァルドの所に帰るのが、いつの間にか当たり前だと思っていた。

 暗闇の中で取ってくれた手を、振りほどく事など考えた事もなかった。

「私の手を、離さずにいて下さる限りは……私は、エドヴァルド様といます。むしろ証明なら、エドヴァルド様にかかっているのかも……んっ……」

 そうか、と低い声が聞こえたかと思った瞬間、私の唇は塞がれていた。

 何度も、何度も方向を変える様に繰り返されて、力が抜けてエドヴァルドの服を掴んでしまったところで、ようやくキスの嵐は、一度ストップした。

「な……ん……急に……」
「貴女も、私が重くても、狭量でも、構わないんだったな?」
「……え?」
「私が貴女の手を離す日は、死ぬまで来ない。いや、死者の国ですら、共に行きたいと願っている」
「……っ」

 抱きすくめられた私は、ひゅっと息を呑んでしまった。
 赤らんだ顔も、鼓動が早くなった心臓の音も、この距離では全て伝わってしまっただろう。

「……良かった」
「え?」

 私を抱きしめたエドヴァルドの腕に、ぎゅっと力が入った。

「貴女がジーノ・フォサーティの手を取る事はないと思っていた。だがそれでも、不安はゼロにはならなかった。貴女の意思が無視される可能性も、手段としてはある訳だからな」

「エドヴァルド様……」

「それにトリーフォンに関しても、彼の精神こころが安定するまで様子を見たいと、そう言いだしたりはしないかと、それも不安だった」

「……不安」

「私は、貴女を前にすると、いつだって不安になる。いつか私の手を振りほどいて、どこかに行ってしまうのではないかと、不安で仕方がなくなる。貴女が、私が手を取る事で此処にとどまってくれると言うのなら、私の手は、貴女から取って欲しい。私の全ては、貴女のものなんだレイナ。だから――」

 トンっと、肩を押されて、私の身体が寝台ベッドに沈む。
 
 そこに覆い被さりながら、エドヴァルドが微かに口元を綻ばせた。

「貴女の全ても――私に」
「!」

 まさかここで⁉

 他所様よそさまのお宅で、するような心の臓は持ち合わせてはいないのですが――⁉

 抗議の声は深い口づけに呑み込まれてしまい、私は力の入らない手で、何度もエドヴァルドの胸元をぺしぺしと叩いた。

「……分かっているつもりだ、レイナ」

 どうやら、また派手に「痕」を付けられたらしいと、理解が及んだ辺りで、エドヴァルドの身体が少し離れた。

「貴女に残った理性の最後のひとかけらは……今はまだ、預けておく。だが戻ったら――覚悟しておいてくれ」

 朝までで済むかどうかは、貴女次第だ――って、何ですかそれーっ‼



 結局この夜、私とエドヴァルドが、トリーフォンたちの話し合いの結末を聞く事はなかった。
しおりを挟む
685 忘れじの膝枕 とも連動! 
書籍刊行記念 書き下ろし番外編小説「森のピクニック」は下記ページ バックナンバー2022年6月欄に掲載中!

2巻刊行記念「オムレツ狂騒曲」は2023年4月のバックナンバーに、3巻刊行記念「星の影響-コクリュシュ-」は2024年3月のバックナンバーに掲載中です!

そして4巻刊行記念「月と白い鳥」はコミックス第1巻と連動!
https://www.regina-books.com/extra 

今回から見方が変わりました。何か一話、アルファポリス作品をレンタル頂くことで全てご覧いただけますので宜しくお願いしますm(_ _)m
感想 1,407

あなたにおすすめの小説

誰にも信じてもらえなかった公爵令嬢は、もう誰も信じません。

salt
恋愛
王都で罪を犯した悪役令嬢との婚姻を結んだ、東の辺境伯地ディオグーン領を治める、フェイドリンド辺境伯子息、アルバスの懺悔と後悔の記録。 6000文字くらいで摂取するお手軽絶望バッドエンドです。 *なろう・pixivにも掲載しています。

今日結婚した夫から2年経ったら出ていけと言われました

四折 柊
恋愛
 子爵令嬢であるコーデリアは高位貴族である公爵家から是非にと望まれ結婚した。美しくもなく身分の低い自分が何故? 理由は分からないが自分にひどい扱いをする実家を出て幸せになれるかもしれないと淡い期待を抱く。ところがそこには思惑があり……。公爵は本当に愛する女性を妻にするためにコーデリアを利用したのだ。夫となった男は言った。「お前と本当の夫婦になるつもりはない。2年後には公爵邸から国外へ出ていってもらう。そして二度と戻ってくるな」と。(いいんですか? それは私にとって……ご褒美です!)

完結 穀潰しと言われたので家を出ます

音爽(ネソウ)
恋愛
ファーレン子爵家は姉が必死で守って来た。だが父親が他界すると家から追い出された。 「お姉様は出て行って!この穀潰し!私にはわかっているのよ遺産をいいように使おうだなんて」 遺産などほとんど残っていないのにそのような事を言う。 こうして腹黒な妹は母を騙して家を乗っ取ったのだ。 その後、収入のない妹夫婦は母の財を喰い物にするばかりで……

山に捨てられた令嬢! 私のスキルは結界なのに、王都がどうなっても、もう知りません!

甘い秋空
恋愛
婚約を破棄されて、山に捨てられました! 私のスキルは結界なので、私を王都の外に出せば、王都は結界が無くなりますよ? もう、どうなっても知りませんから! え? 助けに来たのは・・・

お前のせいで不幸になったと姉が乗り込んできました、ご自分から彼を奪っておいて何なの?

coco
恋愛
お前のせいで不幸になった、責任取りなさいと、姉が押しかけてきました。 ご自分から彼を奪っておいて、一体何なの─?

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

【完】お義母様そんなに嫁がお嫌いですか?でも安心してください、もう会う事はありませんから

咲貴
恋愛
見初められ伯爵夫人となった元子爵令嬢のアニカは、夫のフィリベルトの義母に嫌われており、嫌がらせを受ける日々。 そんな中、義父の誕生日を祝うため、とびきりのプレゼントを用意する。 しかし、義母と二人きりになった時、事件は起こった……。

【完結】王女と駆け落ちした元旦那が二年後に帰ってきた〜謝罪すると思いきや、聖女になったお前と僕らの赤ん坊を育てたい?こんなに馬鹿だったかしら

冬月光輝
恋愛
侯爵家の令嬢、エリスの夫であるロバートは伯爵家の長男にして、デルバニア王国の第二王女アイリーンの幼馴染だった。 アイリーンは隣国の王子であるアルフォンスと婚約しているが、婚姻の儀式の当日にロバートと共に行方を眩ませてしまう。 国際規模の婚約破棄事件の裏で失意に沈むエリスだったが、同じ境遇のアルフォンスとお互いに励まし合い、元々魔法の素養があったので環境を変えようと修行をして聖女となり、王国でも重宝される存在となった。 ロバートたちが蒸発して二年後のある日、突然エリスの前に元夫が現れる。 エリスは激怒して謝罪を求めたが、彼は「アイリーンと自分の赤子を三人で育てよう」と斜め上のことを言い出した。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。