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第二部 宰相閣下の謹慎事情

520 妄執の果て(15)

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「――失礼します」

 そこへ、扉がノックされる音が確かに聞こえて、外からはベルセリウス将軍の部下であるアシェル・カーラッカがスッと顔を出した。

「お館様――」

 エドヴァルドを見て、何か口を開こうとしたところで、言葉よりも雄弁に、外からの騒がしい音がアシェルの声に取って代わった。

「……何の騒ぎだ」

 居並ぶ面々を考えても、そう聞かざるを得ないエドヴァルドに、アシェルも困惑した表情を隠せないまま答えた。

「その……族長の側室夫人が、ご子息を探して館の中を歩き回られたようで……結果的に、捕らえられている姉妹や関係者と鉢合わせをしたと言うか……」

 うわ、と言いそうになった私の反応は正しいと思う。

 ただ、顔色を変えて立ち上がったのはマカール一人で、後は皆、私に近い感じに顔を顰めていた。

 何かがひっくり返っているような、割れたような、更に甲高い叫び声まで加わって、騒々しい音がいっこうに止まらない。

 と言うか、少なくとも姉妹とその関係者は身動きが取れない状態に拘束されている筈。
 叫んでいるのが姉妹だとして……物にあたっているのが、エレメア夫人と言う事だろうか。

(キャットファイト?キャットファイトですか?)

 いや、でも、誰かを取り合っている訳でもないのに「キャットファイト」は正しくないのかな……?

 そんな場にそぐわない事を考えている間に、アシェルがエドヴァルドに「貰っても良いですか」と、許可を求めていた。

「……仕方がないだろうな。まかり間違って、こちらの部屋に乗り込んで来られても困る」

 そう言ったエドヴァルドが、チラリとジーノ青年や三族長たちに視線を向けると、彼らも仕方がないと思ったんだろう。無言で首を縦に振った。

 以前に、手刀で首筋を叩いたり、グーパンで鳩尾をぶん殴っても、気絶はしない。むしろ当たり所次第で命の危険がある、なんてコトを聞いた気はするから、ここはやっぱり睡眠誘発薬でも使うんだろうか。

 軍の皆さんはともかく〝鷹の眼〟やシーグがいるからには、手元にありそうだ。

「分かりました。それでは――」
「何よ、離しなさい!」

 アシェルはそう言って、扉を閉めようとしたけれど、それよりも、エレメア夫人の声が響き渡る方が早かった。

「私とマカール義兄にい様とでトリーフォンを支えるのよ!を邪魔をしないでちょうだい‼」

「「‼」」

 その瞬間、マカールは確かに顔を歪めていて、トリーフォンの無表情にも拍車がかかったように見えた。

「アシェル」

 エドヴァルドに急かされたアシェルが、分かっているとばかりに素早く扉を閉めて、部屋を出て行った。

「……違う……私は……」

 マカールがそれ以上言えないのは、トリーフォンの前で「そこに自分の幸せなんてない」と、父子おやこ関係どころか存在理由さえ否定をしかねない事を言えなかったからだろう。

 だけど彼には、エレメア夫人への愛情はただのひとかけらも存在していない。
 その葛藤が、言葉をそこで詰まらせてしまったのだ。

「僕の事は気にしなくて良いですよ、マカール

 そしてあくまでも、マカールを「伯父」と呼ぶトリーフォンにも、エレメア夫人を母として慕う気持ちは存在していないかの様に見えた。

「あれは母が考える、母にとってだけの幸せだ。まあ、僕には息子として、ある程度までは付き合う義務はあると思っていましたけど、伯父上にまでそれを強制はしませんから」

「トリーフォン……」

「ジーノさん」

 そして、明らかに傷ついた表情を見せたマカールの事はフォローをしないまま、トリーフォンがジーノ青年の方を見やった。

「僕と伯父上に、母と話す時間を頂けますか」
「⁉」

 あれだけ興奮しているエレメア夫人を相手に何を言っているんだとばかりに皆が目を剥いている中、トリーフォンはひとり淡々としていた。

「僕はイーゴス族長の子だと思っているし、マカール伯父上は亡くなられた伯母上一筋。母の考える未来は来ないと、誰かが言わなくては、母の愚かな夢は醒めやしない。そしてその役目は、僕と伯父上以外では効力を発揮する事すらないと思う」

「それは……」

 あなたのため。

 なんて言葉は、大抵は独りよがりだ。

 確かに、マカールを隣に置き、トリーフォンを族長とする事で自分のこれまでの苦労は報われる――それは、夫人にとっての幸せしかない。

 そこにトリーフォンの意思もマカールの意思さえも存在しない。
 そして本人はその事に気付いてすらいない。

「知っていますか?愛していないと言う言葉より、愛した事など一度もないと言う言葉の方が、言われた側は堪えるらしいですよ。仮に伯父上がそんな言葉を口にすれば……どうなるでしょうね」

「トリーフォン……」

「そして僕が、僕の父親はイーゴス族長だけだと口にすれば良い。多分、それで母の中にある『拠りどころ』は粉々になるでしょうね」

 そう言って面白そうに笑うトリーフォンの表情からは、本当に「面白そう」と言う以外の感情が読み取れなかった。

「良い……のか?」

 さすがに確認せずにはいられなかったらしいジーノ青年に、トリーフォンは「もちろんですよ?」と、微笑わらった。

「そうすれば、何の未練も残さず、僕は王都での店づくりに専念する事が出来るでしょう?だって、母がいる限りは、僕も周囲も、母の思惑に縛られたまま。僕が本当に一人で努力をする為には、母と離れる事が必須になる。それくらいは分かりますよ」

 ――引導なら、僕が渡しますよ。

 トリーフォンはそう言って、にこやかに微笑した。
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