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第二部 宰相閣下の謹慎事情

515 妄執の果て(10)

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 冷静に考えれば、他にいないだろうなとは思った。

 だけど、トリーフォンの「伯父」である筈のマカールが三族長をかき分ける様にして現れた時、やっぱり私は驚いてしまった。

「トリーフォン、ここで何を……」

「僕はただ、流動食としてビーチェの搾り汁を持って来ただけですよ?でも、そのビーチェが古い果物ものだったとかで、別の果物と変えた方が良いと、ジーノさんがお越しになられたところでした」

「……エレメアは……そんな事は……」

 どこか、感情の壊れた機械の様に喋るトリーフォンに、マカールが気圧されている。

「ああ、確かに言われていなかったかな?でもどうせ、後から言うよね?だったら先回りしておく方が良いでしょう?」

 もしかして、エレメア側室夫人も、ビーチェメロンを使った物が族長の体質的に合わない事を知っていたんだろうか……?

 浮かんだ私の疑問は、すぐさまトリーフォン自身によって、叩き潰されてしまった。
 ふふふ、と可笑しそうな声を洩らしながら、彼は言ったのだ。

「毎日、毎日。いつ、この前みたいに体調を崩されるのかしら?……って。母が願えば、息子は言う事を聞くものだと思い込んでいるんだよね。そこまで言うのなら、やり方から指示して欲しかったよ」

「なっ……⁉︎」

 気圧されるどころか、絶句である。
 それだとエレメア側室夫人は、族長の死を願っていたと言う事になるのだ。

 そして「どうやって」なのかは知らずとも、息子が何らかの方法で自分の望みを叶えてくれると狂信していた事になってしまう。

「ええ。どうも母上は、結婚自体が意に添わないものだったみたいですよ?」

 私やエドヴァルドの視線を受ける形で、いっそ飄々と、トリーフォンは肩を竦めていた。

 同じ北方遊牧民の地を祖に持つからか、ジーノ青年やマカールたちは言葉を失くしてしまい、顔色を変えて立ち尽くしている。

「民族の特異性から、どの部族も血統至上主義に近いものがある。母は本当は好きな人がいたのに、女の子が立て続けに生まれて、後継者の目処が立たないと言う理由で、強引に側室として取り立てられた」

「…………」

 何だか、王家や高位貴族家よりもシビアな話を聞かされている気がする。

「それでも母は、どうしてもその好きだった人を諦められなかった。諦めきれずに――父に、族長に内密の逢瀬でも楽しんだんですか?」

 ――マカール

 トリーフォンの真っ直ぐな視線が、マカールを射抜いた。

「ち……がう」

 顔面蒼白となったマカールから零れ落ちる言葉は否定の言葉で、そして震えていた。

「違う……私の妻はアマリアだけだ……私は……」

「違うんですか?」

 返すトリーフォンの声は、いっそ淡々としていた。

「……ふうん?まあ確かに、伯父上は伯母上にベタ惚れだと思ってましたから、最初は『まさか』って、僕も思ったけど」

「違う……あれは……気が付いたら……どうして……」

 うわ。
 私は思わず顔を顰めてしまった。

 もしかして、今の一言は、一番言っちゃいけない一言だったんじゃないだろうか。
 
 そのまま受け取れば、この人は、エレメア夫人との関係を望んでいなかったと言う事になる。
 ――トリーフォンの誕生さえも、望んでいなかったと。

 それでも、エレメア夫人が族長の側室となる事を望まずに、この人の方だけを向いていたと言うなら。

 あの夫人の性格を思えば、恐怖の一方通行が成立する気がしてしまう。

「ああ……母上、伯父上に一服盛ったりしたのかな。まあ確かに、その方が納得かも知れない」

「……っ」

 よろめいたマカールが、背中を壁にぶつけた。

「別に僕は、伯父上を責めたりはしませんよ?は、父親として僕に真っすぐ接してくれていましたし、伯父上も、伯父として、僕を可愛がってくれていた。ただ、母上が歪んでいただけだ」

「いつ……から……」

「さあ……いつだったかな。伯母上が亡くなったあたりかな?その後くらいから、次の族長は僕だって、ことあるごとに言うようになったから。これまで、なにひとつ思い通りにならなかった。だけど僕が族長になりさえすれば、すべて報われるんだ――ってね」

 ある意味、エレメア夫人も壊れているのかも知れない。

 望まない結婚を強要された。
 しかも求められているのは、跡取りとなる息子を産む事。ただ、それだけ。

 それならば、自分が愛した人の子供を、黙って産もうと。それが、一族への復讐にもなると。

 トリーフォンが苦しもうと、己の妻だけを愛していると言うマカールが苦しもうと、エレメア夫人には関係がない。
 彼女はただ、愛した人の子を産んで、育てているだけなのだ。

「だからと言って……君がそれに従う必要はなかっただろう……」

 とうとう言葉を発する事が出来なくなったマカールに代わって、ジーノ青年が苦い声で話しかけた。

 知っていようが、いまいが、イーゴス族長が父親として真摯にトリーフォンと向き合っていたと言うなら。
 どうして、わざわざ弱らせる様な事をするのか。

 ビーチェメロンの影響を、マカールは知らないのかも知れない。
 と言うか、あの様子だと知る由もなさそうだ。

 トリーフォンしか、その因果関係を疑っていなかったと、そう言う言い方をさっき本人がしていたくらいなのだから。

 だから敢えて、その事は伏せる形で口を開いたジーノ青年に、トリーフォンは僅かに口元を歪めた。

 やっぱり、甘い――くらいは、思っていそうだ。

「ジーノさんには、分からないかも知れませんね。毎日、毎日、同じ事を、顔を合わせる度に言われる辛さ。言われないようにするには、どうしたら良いか?くらいは考えると思いませんか?僕は考えた。考えて、さっさと母上の望みを叶えてあげる方を選択しただけですよ。そうすれば、少しは静かになるかと思って」

「……静かにならなかったら……どうするつもりだったんだ……」

 呻く様に問いかけたジーノ青年に、トリーフォンはこてん、と首を傾げた。

 そこには、何の感情の揺らぎも見えなかった。

(ああ……)

 だけど、私には分かってしまった。
 血の繋がった肉親から、毎日、毎日、自分ではない誰かに固執して、その為の献身を当然とする声の残酷さが。

 周りに人がいなければ、あと何年、何ヶ月か同じ状況が続いていれば、私の行きつく先も、トリーフォンだったかも知れない。

 彼は周囲の大人に期待をしなくなり――そして、壊れた。

「静かにならなかったら?それは、その時考えますよ。だけど、僕は。だからその為のやり方を、今回の様に探すかも知れませんね」



 トリーフォンは、いずれそうなるかも知れなかった、鏡の向こう側にいる、私なんだ。
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