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第二部 宰相閣下の謹慎事情

514 妄執の果て(9)

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「ふうん……じゃあ、僕がこの場で食べてみたところで無意味って事ですよね」

 怪奇現象話が付きまとう、外国人形みたいだ、と思ってしまった。
 何の表情も見えないその容貌は、真夜中に遭遇したくない筆頭かも知れない。

 そしてトリーフォンの声自体、驚くほど淡々としていて、まるで感情が読み取れなかった。

 ああ!と、さも何でもない事の様に、ジーノ青年が彼に話しかけている。
 ちょっと怖いと思うのは、私だけなんだろうか……?

「聞いたところによると、今までも時々、そうやってビーチェが、気付かれずに調理されてしまっていた事があるらしい。せっかく快復に向かっていると聞いている、イーゴス族長の体調が急変でもしたら、大変だ。それは一度下げて貰って、別の果物で作って貰ったらどうだろう」

「……ふ」

「⁉︎」

 返事の代わりに、トレイを手にしたままのトリーフォンの口から、今、確かに笑い声が洩れた。

「ふふふ……何だ。絶対、僕だけしか知らないコトだと思っていたのに」
「……君は」

 そして今の一言で、ビーチェメロン入りの搾り汁ジュースを持って来たのが、確信犯だと、否が応でも理解させられてしまった。

「母上がね、しつこいんですよ」
「…………?」

 こちらからの問いかけなど求めていないとでも言う様に、トリーフォンは一方的に話をしながら、かつ、微笑わらっている。

「早く僕が次の族長だと認めさせないと、って。僕こそが誰よりも相応しくあるべきなんだ、って。それはもう、毎日毎日。小さい頃はね、僕が頼りないから、義姉あね達に振り回されないようにとハッパをかけてくれているんだと。母上は僕の為に言ってくれているんだと、信じて疑っていなかったんですよ」

 それは容易に想像がついた。
 エレメア側室夫人からは、何としても息子を族長にしたいと言う執念、狂気さえ感じるからだ。

 ――だけど。

「そうじゃない、と?」

 私が引っかかったトリーフォンの言葉尻に、どうやらジーノ青年も引っかかっていたみたいだった。

「ジーノさん、僕って誰に似ていると思いますか?」
「は?」
「父ですか、母ですか?」

 予想外の方向から質問を受けたジーノ青年が、言葉に詰まる。

 廊下の向こうから三族長たちがやって来るのも視界に届いたけれど、それに関してはエドヴァルドが、無言のまま片手を上げて、押しとどめていた。

「髪色に関しては夫人譲りだろう……ただイーゴス族長と、夫人とは少々年齢差がある。今はどうと言えないが、年齢を重ねれば、族長に似てくるのでは……?」

「「!」」

 ジーノ青年は、と思い込んでいるから、生真面目に答えを返している。

 だけど私とエドヴァルドは、トリーフォンの言わんとしている事に気が付いてしまった。
 無意識の内に、繋いだ手に力が入ってしまった。

「ふっ……ふふふ……思ったよりお人好しですね、ジーノさん」
「なっ」

 どう見ても年下のトリーフォンが、ジーノ青年を嘲笑していた。

「と言うか、現在の生死に関わらず、両親には恵まれていたんでしょう。家族が、とまでは言いませんよ。裾野を広げれば、ロクデナシの一人や二人いるでしょうし」

「……っ」

 トリーフォンの言う事は、その点だけを取り上げるなら、ある意味正しいのかも知れない。

 私もエドヴァルドも、親には恵まれていない。
 だからだろう。トリーフォンが言わんとしている事にも、すぐに気が付いてしまった。

 確かに、気が付かない方が幸せだと言えた。

「ほら、あちらのお客人はもう気が付いていらっしゃる。これまで少なからず、親のエゴの犠牲になってこられたんでしょうね」

 トリーフォンは、クスクスと笑い声を上げるのを、もはや隠すつもりもないらしかった。

 エドヴァルドは、無言のままイーゴス族長の方に視線を投げている。

「ああ、一度コレを飲んで貰おうと思って、起きて貰ったんですけどね……元々、寝たり起きたりを繰り返す日々なので、今はまた眠ってしまったみたいですね」

 その視線に気付いたトリーフォンも、エドヴァルドの視線の意味は分かっているとばかりに、口元を僅かに歪めていた。

「ふふ……その通り、今は目が覚めない方が幸せだと思いますよ」
「と言う事は、やはり父子おやこ関係は訳か」

 絶句しているのは、ジーノ青年と三族長たちだったかも知れない。

 エドヴァルドの問いかけに、肝心のトリーフォンは、慌てる素振りも否定する素振りも見せなかった。

「ただ言っておきますけど、が、僕の血の真実を知っているのかどうかは、僕は知りませんよ?最初に倒れたのは本当に偶然でしたし、それまでの父の態度におかしなところはありませんでしたからね」

 そもそもイーゴス族長が倒れるまでは、トリーフォン自身、族長の子だと信じて疑ってもいなかったのだと言う。

「ただその直後くらいから、母の様子がおかしくなった――いや、その言い方もおかしいかな。僕を族長にしようと言う声をそれまで以上に、マカール伯父上を補佐にと言う声を周囲が引くくらい声高に、言うようになったんですよ。その結果、義姉あねたちの闘争心が無駄に煽られてしまった」

 正室夫人が既に亡くなっているのを良い事に、エレメア側室夫人は、正室の娘である姉妹をあからさまに差別して、虐げていたらしかった。

 らしい、と言うのはトリーフォン自身は周囲の噂から耳にするだけで、実際の場に出くわした事が一度もなかったからだそうだ。

「そこで手を組めばまだ、母上一人なら追い落とすチャンスはあったかも知れないのに、それぞれが逆方向を向いて街道封鎖に走りましたからね。母上じゃなくとも、後を継ぐのには向いてないと思いましたよ」

 仲が良い者たちの寄せ集めで、村は運営出来ない。
 最悪自分が悪役になってでも、運営をする程の覚悟が必要。

 姉妹どちらともが、それが出来なかったのだ。

「トリーフォン、族長が実父でないと言うなら……もしや本当の父親と言うのは……」

「――もうすぐ、母を寝かしつけて、ここへ来るんじゃないですか?あ、言っておきますけど、僕自身、真実を母との口から聞いた事はありません。良い機会だから、今日、この場で聞いてみるのもアリかも知れませんね」

 どこか突き放した様な口調で、トリーフォン君が微笑わらう。

 トリーフォン!と、廊下の奥から聞こえて来た声に、トリーフォンは優雅な笑みを口元に残したままだった。
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