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第二部 宰相閣下の謹慎事情

508 妄執の果て(3)

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「かっ……勝手にすれば良いでしょう‼」

 エレメア側室夫人の叫び声に、一瞬、トリーフォン君の後継就任を諦めたのかと思ったけれど、どうやら逆みたいだった。

「トリーフォンが、この子だけが、ずっとこの村で、シェーヴォラにもランフランにも行かず、くだらない遊びにも耽らないで、ここまできたのよ!次の族長は、この子以外にはあり得ないの!さっさと帰って!」

 夫人の言い方からすると、姉妹は時々街に出て遊興に耽ったりしていたと言う事だろうか。

「エレメア!」

 相手が側室夫人と言えど、さすが義兄。
 マカールの鋭い叱責の声に、夫人は柳眉を逆立てるかの様に、睨み返すだけだった。

義兄にい様は、私の味方をして下さいませんのね⁉︎行きますよ、トリーフォン。これ以上、貴方が聞く様な建設的な話はありません!」

 いや、感情論で非建設的なのは貴女です…なんてことは、きっと夫人以外の全員が思っていただろう。

 トリーフォン君は無表情なために、こちらからは感情を読みきれなかった。

「……申し訳ない」

 扉がけたたましい音を立てて閉じられたタイミングで、マカールがこちらに深々と頭を下げた。

 イーゴス族長も、言葉こそ発しないものの、表情は沈痛なものであるかの様に見えた。

「いえいえ、私がちょっと興奮しすぎてしまいました。イユノヴァ氏は村にいらした時間より、王都のシルバーギャラリーの親方の下で研鑽を積まれていた時間の方が長い。ぜひ彼の事を知っていただきたいと、熱くなってしまいました」

「……なるほど」

 答えたマカールの表情は、冴えないままだ。
 この人はこの人で、立ち位置が分からないな……。

「イユノヴァ殿は……この村に戻って来るおつもりがある、と?」

 感情のない視線を受けたラディズ青年が、ビクリと身体を跳ねさせた。
 が、サラさんに隣から脇腹を突かれて、慌てて姿勢を正していた。

「ぼ、僕は……」

 イーゴス族長とマカール以外の皆が、子供の初めての発表会を見守るくらいの勢いでガン見している。
 
 ちゃんと喋れよ――と言う、そちらの圧の方が何だか強い様な気もした。

「僕は、すごく昔に、村を見捨ててしまった人間。けど、イラクシ族の誇り、失っていない。いつかその事を、誰か分かってくれれば良い。それで、銀細工を、作り続けてきた」

 ちょっと抑揚がおかしい気もするけど、ちゃんと通じているのだから、充分頑張っていると思う。

「すみません。長く王都にいる。だから言葉の多くを、忘れた……」

「あ、ああ、そうか。そういうことか」

 マカールだけでなく、イーゴス族長の方も、目の動きを見る限りは、怪しんでいないみたいだった。

「街道封鎖、王宮は、怒ってます。一族のために、このままは、よくない。だけど、王都で店を持つ僕の話なら、聞いてくれると、ジーノ、言った」

「ええ、言いました」

 カタコトなラディズ青年のフォローに、ジーノ青年が素早く入る。

「今のイラクシ族は、王都王宮からは不審に思われています。トリーフォン君よりも、彼が一度上に立つ方が、兵の派遣などと言う、取り返しのつかない事態になる可能性は少なくなる」

 バリエンダール宰相の養子、と言う表情で、より重々しく語って見せる。

「一度……?」

「どうしてもと仰るなら、トリーフォン君の成人までの期間限定と報告しても良いですよ。今回の事態に対して、責任を負わない者が出てくるのが一番困ります」

「ぼ、僕」

 そこで、あとひと押しとばかりに、ラディズ青年がカタコトのまま自分を指さした。

「銀細工、どこでも作れる。僕は、サラさえ一緒なら、戻って来ても、良い」

「サラ……?」

 ラディズ青年にイラクシ語を教えたのは、ここまでだ。
 あとは周囲がフォローしなくちゃならない。

 マカールが「サラ」と言う名前に反応して、視線を向けたことで、今度はサラさんが軽く片手を上げた。

「何度か食料品なんかを売りに来ているから、顔は分かったんじゃないかな。行商人のサラだよ、マカールさん」

「ああ……確か、サレステーデの……と言うか、君は彼の……」

「ふふ。これでも将来の話はしあう仲だよ」

 ニコニコと微笑わらうサラさんに、隣でラディズ青年が顔を赤らめている。
 いや、どっちが乙女かって話ですよ、ホントに!

が持つ顧客と、私の伝手を、ユングベリ商会に間に入って貰って、販路を広げたらどうかと、ギルドのシレアン氏に言われてね」

 勝手な愛称で更に恋人同士の雰囲気を強調している。

カラハティトナカイに頼りすぎない未来。ただ黙って親の地盤を受け継ぐよりも、よほどいいと思いませんか」

「……次の族長たりうる実績、か」

 どうやらシレアンさん、サラさん、ジーノ青年の見事な連携の甲斐もあって、明らかにマカールと族長は、やや気圧されていた。

「すみません。少し族長が疲れてきているようです……。私も、エレメアを少し宥めないといけない。別室で、話の続きをお願いしてもよろしいか」

 多分、族長の表情からそう受け取ったんだろうけど、こちらとしても否と言える空気はなかった。

「――申し訳ない」

 私たちは、急き立てられるようにして、族長の眠る部屋を後にした。

 元の集会場で待つよう言われて、来た道を引き返さざるを得なくなったのも、致し方のないところだろう。

 もしかしたら、宥めるどころかもっと物騒な相談をしている可能性もある。

(とりあえず動きがあるかどうか、様子を見てみる……?)

 物理的な問題でも何でも、動いてくれさえすれば、尻尾は格段につかみやすくなる。
 多分、このまま放っておいても、勝手に動いてくるだろうな――との思いも、同時に存在していた。

 背中越し、扉にお茶のカップがぶつかったかの様な音が聞こえてきたのは……夫人が部屋の向こうから投げたからだろうか。

 まあ、私があれこれ指示せずとも〝鷹の眼〟なり誰なりが、探っている様な気もしたけど。

「世の母親って――」

 そんなにも、トリーフォン君を上に立たせたいんだろうか。

 まともな母親に恵まれていない、私やシーグ、エドヴァルドらからすれば、あの取り乱しようは、よく分からない感情の最たるものだ。

「あの夫人が、トリーフォン君を何としてでも上に立たせたいと思っているのなら、しばらくは彼女の動きを注視すべきかと」

 ジーノ青年の言葉に、反論出来る人間は、今はいなかった。
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