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第二部 宰相閣下の謹慎事情

488 異世界で見る〝御神渡り〟

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「やあ、レイナ!フォサーティ卿が血相変えて飛び出して行ったから、何事かと思っていたけど、キミが戻って来た知らせだったんだね。さしずめ〝転移扉〟を使ったと言ったところかい?」

 男装の麗人サラチェーニ・バレス侯爵令嬢のこの口調には、若干耐性が出来たかなとは思うけど、どうやらエドヴァルドは、昨日ここに来た時には、彼女と直接会ってはいなかったらしく、とっさに理解が及ばなかったのか、談話室に足を踏み入れた後も、無言になっていた。

「そんなところよ、サラ。体調はもう良いの?無理してない?」

 そして更に、私が親しげに答えた事で、軽く目を見開いている。

「ああ、貰った薬がよく効いたみたいで、一晩寝たら大分マシになったよ。念のため、もう一日は休んでいた方が良いとは言われているけどね」

「そっか、ひとまずは安心だね。あっ、そうそう!サラのおかげで昨夜は〝狐火トゥレット〟が見られたよ。教えてくれて有難う、感動した!」

「そうか、それは良かった!私としても薦めた甲斐があったよ。レイナがそれで幸せになってくれれば、私としては言うコトはないかな!」

 嬉しそうに笑っていたサラさんだったけど、そこで周囲の空気に気が付いたのか、エドヴァルド、テオドル大公、誰とでも取れる様に、その場で上着を軽く摘まんでの、簡易的な〝カーテシー〟を披露した。

 それを見たラディズ・ロサーナ公爵令息も、慌ててその隣で〝ボウアンドスクレープ〟の礼をとった。

 バリエンダール王都商業ギルド所属のシレアンさんは、軽く胸に手を当てて一礼しただけだ。

 ここは身分的な話から言っても、他国人である点から言っても、私が紹介するのは筋が違う様な……と思っていると、やはり同じ事を思っていたらしいジーノ青年が、間に入る様にして、口を開いた。

「テオドル大公殿下、イデオン宰相閣下。右からサラチェーニ・バレス侯爵令嬢、ラディズ・ロサーナ公爵令息、バリエンダール王都商業ギルド所属のシレアン・メルクリオ部門長です。ご想像の通り、バレス嬢の父親が、サレステーデの当代宰相です」

 エドヴァルドとテオドル大公は少しの間だけ顔を見合わせていたけれど、今回、表立ってバリエンダールに来ているのはテオドル大公だ、と言うていであくまで通す事にしたみたいだった。

 ただ「やんごとない身分のご老人」と認識していたのが、隣国の大公殿下と知ったシレアンさんだけは、若干顔色を悪くしている。

「うむ。礼を解いてくれて構わんよ。儂もこのイデオン宰相もアンジェスの人間ゆえ、あまりこの場で身分がどうと騒ぎ立てるつもりはないのでな。それに、バレス嬢は昨夜体調が悪かったのであろう?遠慮せず腰を下ろすがい」

「有難うございます。それでは、お言葉に甘えさせて頂きたく――」

 そう言ったサラさんが、腰を下ろしかけたところで、恐らくは堪えきれなかったんだろう。
 くしゅん!っと、こればかりは年頃の女性らしい、可愛らしいくしゃみが聞こえた。

 慌てるラディズ青年を横目に、私はこの館付きの誰かに羽織るモノを持ってきて貰おうと、キョロキョロと辺りを見回した。

「ああ、うん、サラじゃなくても、ここ異様に寒いよね?昨日はここまで酷くなかったし……寒波?異常気象?」

 その瞬間、談話室にいた何名かが、そこかしこに視線を反らした。
 …見れば明らかに、エドヴァルドやジーノ青年もに含まれている。

「お嬢さん、これ」

 私が状況を聞こうと口を開きかけた、まさに絶妙なタイミングで〝鷹の眼〟グザヴィエが、いつのまに館の中から調達してきたのか、動物の毛皮らしいブランケットを、すっと差し出してきた。

「え?あーっと……ありがと。ロサーナ公爵令息に渡してあげて?私がサラにかけてあげるよりは、そっちの方が良いだろうし」

 承知しました、と足を踏み出す絶妙なタイミングで、グザヴィエが周囲には聞こえない程の声で一言呟いた。

 窓の外をご覧になると良いですよ、と。

「―――」

 窓の外は館の裏手。
 ヘルガ湖畔よりは遥かに小さいにしろ、確か湖が見えていた筈だ。

 言われた通りに、私は視線を動かして、談話室の窓の外を注視した。

「………え」

 私の声と挙動不審に気付いたテオドル大公も、同じ様に視線を窓へと向ける。

「……凍っとるな。しかも湖面が全部」
「……はい。と言うか、真ん中辺りがせり上がって、堤みたいになってます」

 何年か前にテレビのニュースで見た記憶のある、信州方面の、全面結氷した湖で見られる神秘的な自然現象「御神渡り」そっくりだ。

「どうしたら、ああなるのかね」

「ええっと……湖面が全面氷結した後、夜の寒さで湖面が収縮して生じた割れ目が、日が昇ってからの気温上昇で今度は氷が膨張する為に、その割れ目の左右の氷が持ち上がってしまう、とか何とか聞いたコトはありますけど……」

 放射冷却だ、収縮亀裂だと聞いた気もするけれど、むしろその土地では「神事」として取り扱われる為に、そこまで詳しくは報道されていなかった筈だ。
 と、言うか。

「ああ、すまん。言いたいコトは分かった。問題はそこではなかったな」

 唖然としている私の心境を察したかの様に、テオドル大公も「すまん」と片手を上げていた。

「多分、湖だけが凍ってるなんて、そんなコトは有り得ないですよね?」
「うむ。この館のこれほどの寒さを思えば、周囲皆、似たり寄ったりであろうな」

 私とテオドル大公が、ゆっくりと窓から視線を剥がせば、その先にいたジーノ青年とエドヴァルドは――無言でそれぞれが、片手で額を覆っていた。

 聞けばこのカゼッリ族長の館から、その時点ではまだ三族長が揃っていた集会場の方へと移動する途中で、騒ぎは起きたらしい。

「ええ、まあ……私が言い過ぎてしまった事は認めます」

「……制御装置を置いてきたと言うのもあるが、屋外だった分、抑える事もしていなかったな」

 外に出て、全容を見るのも怖いと思っていると、ラディズ青年からブランケットをかけて貰ったサラさんが、この場を和ませようとするかの様に「まあまあ、レイナ」と微笑わらっていた。

「フォサーティ卿に関しては、もう既に彼の伯父上と伯母上から、こっぴどく叱られているんだよ。出発するのに、馬を走らせづらいだろう!ってね。ああ、馬やカラハティ達には何の影響もなかったようだから、そこは安心してくれて良いよ。確かに目の当たりにすれば、驚く以外に何も出来ないよね」

 あれで〝扉の守護者ゲートキーパー〟には及ばない魔力だって言うんだから驚きだ、とサラさんは言い、それには周囲も頷いていた。

「まあでも、聞けばレイナの事で何かを言われて、箍が外れたらしいし……もしかして、一緒に〝狐火トゥレット〟を見たのかな?」

「……っ」

 興味津々、と言った表情のサラさんに、とっさに私は表情の選択に困ってしまった。

 それは合っている。もちろん、間違ってない。
 だけど外が一部「氷の世界」になっていると聞かされて、どう反応して良いのかが分からなかったのだ。

(いっそ亀裂の形から吉凶を占うとか、次年度の豊作を祈願する神事が行われているとか、神秘的な話でごまかしておくべきか……)

 私は、しばし真面目に悩む羽目になった。
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