聖女の姉ですが、宰相閣下は無能な妹より私がお好きなようですよ?

渡邊 香梨

文字の大きさ
上 下
438 / 803
第二部 宰相閣下の謹慎事情

483 狐火灯る夜(後)

しおりを挟む
 始まりは、うっすらと白い雲の様なもやが、暗闇の空に見え始めた事だった。
 
 始まるのか?と呟いたエドヴァルドの声に応えるかの様に、少しずつその白い靄は大きくなっていき、範囲が広がり、そしてゆらゆらと揺れ始める。

「……ですね」

 うっかり口を開けたまま見ない様に注意しながら、空を見上げていると、その白い帯の範囲が、横の広がりから下の広がりへと更に範囲を広げて、色も白以外の色が少しずつその存在を主張しはじめた。

 やっぱり、間違いなくオーロラだった。
 虹とは形状も色彩も全く異なっている。

 光のカーテン、とはよく言ったものだと思う。

 やがて緑色の光のカーテンが湖の上の空に広がり、よく見ればその中に一部、黄色や濃い赤い光が垣間見える――そんな景色が、視界を覆い尽くした。

「わぁ……」

 それ以外に言い様がない。
 エドヴァルドでさえ、無言のまま目を瞠って、空を見上げている。

 しかもまだ、冬に入る前で湖面も凍結していなければ、雪に覆われてもいない。
 空に広がる景色はそのまま、湖面にも反映されていた。

「確かに『死ぬまでに一度は見ないと後悔する景色』かも……」

 カメラがないのはつくづく惜しい。
 ただ、レンズばかり見ていてリアルな景色が疎かになるのも本末転倒なので、これはこれで良いのかも知れない。

 瞳のシャッター、心のフィルム。

 高校生の頃、修学旅行で一緒だった添乗員のお姉さんが、カメラばかり構えている子にそんな事を言って、目の前の景色をもっと味わうよう言っていたのを思い出した。

 まさか異世界に来て、見る事になるとは思わなかったけど、教えてくれたサラさんには感謝だ。

 揺れ動く〝光のカーテン〟と逆さに映る湖面をそうして眺めていると、私の呟きを聞き咎めたらしいエドヴァルドの声が、頭上から聞こえてきた。

「やはり貴女のいた世界ばしょでも見られる景色と同じなのか……?」

「ああ、はい。オーロラ、なんて呼ばれてました。古い言葉で『夜明けの光』を意味しています。近い色の光が見える事もあるからだとか」

 ローマ神話の曙の女神と言われたところで、宗教的概念の薄いこちらの世界では、説明が大変そうだと思い、適度に嚙み砕いた説明をした。

「国によって、言い伝えは色々とあったみたいですよ?それこそ、この世を去って、死者の住まう国へ向かう時に現れる、光に照らされた道だ――なんて話も。サレステーデで『一緒に見ると幸せになれる』なんて言われている方が、全然ステキですよね」

「確かに……それも良いな」

「エドヴァルド様?」

「一緒に景色を眺めて、幸せに暮らして、最後はこの景色を思い出しながら死者の住まう国へ渡る――貴方のいた世界と、こちらの世界とを繋いでいるようで、両方の考え方を取り入れるのも良いんじゃないか?」

「それは……」

 話をしている間も、今度は緑に紫が少し混ざった様な色のカーテンが、空を活発に揺れ動いている。

「……そうかも知れませんね」

「ならば私は、いずれあの光の向こうで貴女を待つとしようか」

 後ろから私を抱きしめる腕に、やや力が入ったような気がした。

「エドヴァルド様……聞いても良いですか?」

 前腕にそっと手を乗せるようにして聞いてみると、一瞬、ほんの微かな反応があった気がしたけれど、口に出したのは「……ああ」と言うシンプルな一言だった。

「エドヴァルド様は、幸せに『したい』派ですか、それとも『なりたい』派ですか?」

 幸せになれる、と言われても「幸せ」の感じ方は色々とあるだろう。
 素朴な疑問として聞いてみたものの、珍しく、すぐには答えが返ってこなかった。

「えーっと……私、変なことを聞きましたか……?」

「いや……それは、どちらかに決めないといけないものなのか?」

「え?」

 思いがけない返しに、今度は私が返事に詰まってしまった。

「ああ、いや……貴女が、私の隣にいて幸せだと思ってくれれば、それが私にとっての幸福だとも言えるんだが……それは、今の分類でくくれるものなのか、と」

「……え」

 何だろう。今、ものすごく解釈に困る事を聞かされた気がする。

 単純に、私の幸せが自分の幸せだと言ったわけではない。
 あくまで「エドヴァルドの側で」私が幸せでいられる事が、自分の幸せだと言ったのだ。

 どちらかと言えば、幸せに「したい」方に入るのかも知れないけれど、幸せに「なりたい」としても、自分の手で相手を幸せにすると言う大前提がそこに横たわる。

 ――なるほど、確かにくくれない。

 そしてそもそも、サレステーデに伝わる伝承に則って、このオーロラならぬ〝狐火トゥレット〟が広がる空の下で、と、エドヴァルドは言ったのだ。

「……っ」

 思考が半周くらい余分に周ってから、ようやく私はその事に気が付いた。

(うわあぁぁぁ‼︎)

 さりげない、本当にさりげない、再度の求婚プロポーズだと。

「まあ…気が付いてくれただけ、良しとするべきだろうな」

 腕の中で、わたわたと身動ぎしだした私に気付いてか、見上げて表情を確かめなくとも、声で、苦笑いを浮かべているのが分かった。

「レイナ。貴女のを望む私が、貴女の幸せを望まない道理がないと思わないか?」

「そ…れは……」

「まして、こうやって〝狐火トゥレット〟を共に見ている。必ず見られるとは限らない景色なのだろう?この景色が背中を押してくれていると――思っては、くれまいか」

 再び見上げた夜空の先には――光のカーテン。
 緑、黄色、オレンジ、紫…と、今は鮮やかな色が夜空に散っている。

「私を選んでくれ、レイナ。――愛している」
「え…らぶ……?」

 後ろから抱きすくめられた腕に、力がこめられる。

「私は貴女を選んだ。だからこそ貴女にも私を選んでほしい。サレステーデの馬鹿王子は問題外としても、バリエンダールに来て、貴女はから目を付けられている。そもそもアンジェス国内ででも、貴女は色々な家から注目を浴びている。むしろ私の方が不安なんだ」

 ――不安。

 想像もしていなかった事を言われて、私は言葉に詰まってしまった。

 この世界に頼るよすがのない、私こそが不安だと思っていたのに。

「レイナ。どうか死ぬまで――私の、隣に」
「エドヴァルド様……」

 どう答えるべきなのかが分からずに困惑する私の耳元で、クスリと微笑わらう声が聞こえた。

「まあ……返事は〝アンブローシュ〟でと言ってあったものな。どうも貴女の顔を見ると、色々と言いたくなったり、してしまって、いけない」

「……っ」

「そう、固くならないでくれ。今はせっかく〝狐火トゥレット〟を見ているのだから、これ以上は何もしない」

 ホッとしかかったのは、一瞬の事。
 ただ、と囁く様な声がすぐに続けられた。

「後で、どこかの宰相くちづけ令息への牽制のあとは付けるから――そのつもりで」

「ふえっ⁉」

 後って、いつ⁉
 き、聞かなかったコトにしても良いですか――⁉
しおりを挟む
685 忘れじの膝枕 とも連動! 
書籍刊行記念 書き下ろし番外編小説「森のピクニック」は下記ページ バックナンバー2022年6月欄に掲載中!

2巻刊行記念「オムレツ狂騒曲」は2023年4月のバックナンバーに、3巻刊行記念「星の影響-コクリュシュ-」は2024年3月のバックナンバーに掲載中です!

そして4巻刊行記念「月と白い鳥」はコミックス第1巻と連動!
https://www.regina-books.com/extra 

今回から見方が変わりました。何か一話、アルファポリス作品をレンタル頂くことで全てご覧いただけますので宜しくお願いしますm(_ _)m
感想 1,407

あなたにおすすめの小説

誰にも信じてもらえなかった公爵令嬢は、もう誰も信じません。

salt
恋愛
王都で罪を犯した悪役令嬢との婚姻を結んだ、東の辺境伯地ディオグーン領を治める、フェイドリンド辺境伯子息、アルバスの懺悔と後悔の記録。 6000文字くらいで摂取するお手軽絶望バッドエンドです。 *なろう・pixivにも掲載しています。

【完】お義母様そんなに嫁がお嫌いですか?でも安心してください、もう会う事はありませんから

咲貴
恋愛
見初められ伯爵夫人となった元子爵令嬢のアニカは、夫のフィリベルトの義母に嫌われており、嫌がらせを受ける日々。 そんな中、義父の誕生日を祝うため、とびきりのプレゼントを用意する。 しかし、義母と二人きりになった時、事件は起こった……。

山に捨てられた令嬢! 私のスキルは結界なのに、王都がどうなっても、もう知りません!

甘い秋空
恋愛
婚約を破棄されて、山に捨てられました! 私のスキルは結界なので、私を王都の外に出せば、王都は結界が無くなりますよ? もう、どうなっても知りませんから! え? 助けに来たのは・・・

初耳なのですが…、本当ですか?

あおくん
恋愛
侯爵令嬢の次女として、父親の仕事を手伝ったり、邸の管理をしたりと忙しくしているアニーに公爵家から婚約の申し込みが来た! でも実際に公爵家に訪れると、異世界から来たという少女が婚約者の隣に立っていて…。

婚約破棄 ~家名を名乗らなかっただけ

青の雀
恋愛
シルヴィアは、隣国での留学を終え5年ぶりに生まれ故郷の祖国へ帰ってきた。 今夜、王宮で開かれる自身の婚約披露パーティに出席するためである。 婚約者とは、一度も会っていない親同士が決めた婚約である。 その婚約者と会うなり「家名を名乗らない平民女とは、婚約破棄だ。」と言い渡されてしまう。 実は、シルヴィアは王女殿下であったのだ。

結婚30年、契約満了したので離婚しませんか?

おもちのかたまり
恋愛
恋愛・小説 11位になりました! 皆様ありがとうございます。 「私、旦那様とお付き合いも甘いやり取りもしたことが無いから…ごめんなさい、ちょっと他人事なのかも。もちろん、貴方達の事は心から愛しているし、命より大事よ。」 眉根を下げて笑う母様に、一発じゃあ足りないなこれは。と確信した。幸い僕も姉さん達も祝福持ちだ。父様のような力極振りではないけれど、三対一なら勝ち目はある。 「じゃあ母様は、父様が嫌で離婚するわけではないんですか?」 ケーキを幸せそうに頬張っている母様は、僕の言葉にきょとん。と目を見開いて。…もしかすると、母様にとって父様は、関心を向ける程の相手ではないのかもしれない。嫌な予感に、今日一番の寒気がする。 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 20年前に攻略対象だった父親と、悪役令嬢の取り巻きだった母親の現在のお話。 ハッピーエンド・バットエンド・メリーバットエンド・女性軽視・女性蔑視 上記に当てはまりますので、苦手な方、ご不快に感じる方はお気を付けください。

国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします。

樋口紗夕
恋愛
公爵令嬢ヘレーネは王立魔法学園の卒業パーティーで第三王子ジークベルトから婚約破棄を宣言される。 ジークベルトの真実の愛の相手、男爵令嬢ルーシアへの嫌がらせが原因だ。 国外追放を言い渡したジークベルトに、ヘレーネは眉一つ動かさずに答えた。 「国外追放ですか? 承りました。では、すぐに国外にテレポートします」

白い結婚三年目。つまり離縁できるまで、あと七日ですわ旦那様。

あさぎかな@電子書籍二作目発売中
恋愛
異世界に転生したフランカは公爵夫人として暮らしてきたが、前世から叶えたい夢があった。パティシエールになる。その夢を叶えようと夫である王国財務総括大臣ドミニクに相談するも答えはノー。夫婦らしい交流も、信頼もない中、三年の月日が近づき──フランカは賭に出る。白い結婚三年目で離縁できる条件を満たしていると迫り、夢を叶えられないのなら離縁すると宣言。そこから公爵家一同でフランカに考え直すように動き、ドミニクと話し合いの機会を得るのだがこの夫、山のように隠し事はあった。  無言で睨む夫だが、心の中は──。 【詰んだああああああああああ! もうチェックメイトじゃないか!? 情状酌量の余地はないと!? ああ、どうにかして侍女の準備を阻まなければ! いやそれでは根本的な解決にならない! だいたいなぜ後妻? そんな者はいないのに……。ど、どどどどどうしよう。いなくなるって聞いただけで悲しい。死にたい……うう】 4万文字ぐらいの中編になります。 ※小説なろう、エブリスタに記載してます

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。