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第二部 宰相閣下の謹慎事情

481 狐火灯る夜(前)

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 結局、薔薇の香水やローズティーの話をするタイミングがないまま夕食がお開きになってしまったので、私は与えられた部屋でレシピを書いて、明日侍女の誰かに渡そうと、軌道修正をした。

「それは、商会で取り扱わないんですか」

 私の荷物を部屋の隅に置いてくれたりしながら、シーグが聞いて来る。

 シーグも侍女が本分ではないし、私も至れり尽くせり世話をされる事になれていない側の人間なので、シーグと同室だと言われたところで、むしろ程よい空間がそこで出来上がっていた。

「ああ、うん。あの花バラの由来とかを聞いてしまうとね、商売にはしない方が良いと思うよ。どちらかと言うと、思い出を長く残せる方向で、おせっかいを焼いた様なものだし」

「思い出を長く……」

「一季咲きにしろ、返り咲きにしろ、咲かない時期って、どうしてもあるじゃない?せっかくなら、その空白の時間を埋められるような何かがあっても良いんじゃないかなと思って」

「………」

 私の言葉に、ふと、シーグの表情が揺らいだ気がした。

「イオタ?」
「あの」

 ちょうど同じタイミングで言葉が被ってしまったけど、私が促すと、書きかけのレシピを覗き込むようにしながら、おずおずと尋ねてきた。

「これ……白い花では出来ない……でしょうか……」

「え、白?えーっと、さっき庭で見た花の白色版ってコト?全然違う白い花とかじゃなくて?」

「あっ、多分、同じ……ちょっと花弁の数とか微妙に違うところはあるけど……香りとか、棘がちょっとあるところとか……」

 そもそもがギーレン在住のシーグと、異世界出身の私とで、花の名前が一致しないのは当たり前だ。

 だけど今聞いた限りだと、白薔薇と思って間違いない気はする。

「ああ、うん。品種が違うだけで種類が一緒だって言うなら、出来ると思うよ?ただもちろん、出来上がりの色とか香りとかは、ここの花と当然差が出ると思うけど、逆に言うとそれが独自性を主張するワケで」

 とは言え何色の薔薇だろうと、私も都内でアフタヌーンティーを楽しんだ時に飲んだ事があるだけで、それ以上の事は、まだそこまで詳しくない。

 やってみないと分からない、と正直に言ったところ、何故だか急にそわそわとしだした。

「え、もしかして作ってみたい、とか?」

 シーグの様子を見ながら当てずっぽうで口にしてみたところが、どうやら意外にクリティカルヒットしてしまったらしかった。
 ビクリと、分かりやすいくらいに身体を跳ねあげていた。

「あ……その、亡くなった母が、さっき庭で見た花、と言うかよく似た真っ白な花が好きで。いつも命日には、リックとその花束を買って、お墓に行ってて――」

「――そっか」

 双子の母。
 以前のギーレン王宮副侍女長であり、ベルィフの王弟殿下の子供をひっそりと生んだ女性ひと

「あの庭園の花で作りたい、とかじゃなくて、亡くなられたお母様がお好きだった、白いバラで作ってみたいと、そう言うワケなのね」

 返事の代わりに両手を胸の前で組み合わせながら、シーグはこくこくと頷いていた。

「うーん……そうね、帰る時にギーレンに直帰するんじゃなくて、アンジェスに寄れるのであれば、イデオン公爵邸で試作してみても良いよ?」

「……アンジェスで」

「それは、だって、バリエンダールの王宮の厨房とか借りたところで、どこでレシピの情報洩れるか分からないし。最終的にはイオタがシーカサーリの王立植物園で、作るコトになるんだろうけど、それより私がアンジェスに戻る方が先でしょう?イデオン公爵邸なら、守秘義務は完璧だし。イオタの欲しい白い花がもし手に入らなくても、そこでやり方と完成形だけは覚えて帰れば良いワケだし」

「………」

 テオドル大公どころかエドヴァルドまでいる以上、アンジェスを飛び越して、ギーレンになんて行ける筈がない。

 シーグはしばらく沈思黙考した後「……リックと合流したら、相談したい」とポツリと呟いた。

「ん。そこは任せるよ。二人で納得いくまで話し合ってくれれば。その命日って言うのがまだ先なら、いったん保留にしておいても構わないし」

 当分、この花バラに関わる部分では、レシピ化しての商品販売はしないと答えると、シーグは納得した様に頷いていた。

「さて、と」

 そうして再度レシピを書き出していると、不意に扉が軽くノックされた。

 こう言った時はシーグが即席侍女としての対応をしてくれているので、私はそのまま黙々と書き物を続ける。

「――お嬢様」

 そうしてシーグが声をかけてきたところで、私は初めて書き物の手を止めて、顔を上げた。

「その……どうやら、後片付けの手が足りないらしく、手伝って貰えないかとの事ですので、少し席を外させて頂いても宜しいでしょうか……?」

 後から考えれば、微妙に棒読みで、たどたどしかったんだけれども、この時の私は気が付いていなかった。

「え、そうなの?うん、もちろん、急に押しかけたワケだからそれは構わないし……あ、私も行こうか?洗い物くらいなら手伝えるよ?」

 それは、あれだけ人数増えれば、この邸宅おやしきの使用人達だけでは、追いつかなくても不思議じゃない。

 そう思って腰を浮かしかけた私に、シーグと呼びに来た侍女の双方が、大袈裟なくらいに激しく首と手を横に振っていた。

「いえっ、どうぞユングベリ様はごゆるりとお寛ぎ下さいませ!本来は侍女の方をお借りするのにも心苦しいところなので!」

「う、うん!聞けば私一人で手は足りるらしいので、お嬢様の了承さえ得られれば、それで!そのっ、お嬢様におかれては〝狐火トゥレット〟を見る準備だけ、お任せをしても……?」

 何だか微妙に態度にアヤしさが滲み出ていると思いつつも〝狐火トゥレット〟の準備と言われたところで、意識がそちらへと向いてしまい、それもそうかとそこで納得してしまっていた。

「じゃあ、こっちはこっちで、ベランダにアイアンテーブルと椅子を出して並べておくから、イオタは戻って来る時に、何か温かい飲み物を持って来てくれる?すぐ冷めるかもだけど、ナイよりは良いでしょ」

「あ……はい、分かりました」

 こうしてシーグとフェドート邸の侍女は部屋を退出していき、後には私一人が取り残された。

「……とりあえず、レシピ書き上げて、ベランダに観測の為のセッティングしようかな」

 レシピ自体はほぼ書き終わっていて、アイアンテーブルと椅子も、サブテーブルと言うか、ティーテーブル程度のサイズ感だったので、私はほどなく〝狐火トゥレット〟鑑賞のセッティングまで完了して、とりあえずシーグが戻って来るまではこのまま――と、椅子に腰を下ろした。

「あ、いや、さすがに寒い……?」

 フェドート元公爵も「羽織るものを」と言っていた。

 私は部屋の中に一度戻ろうと、椅子から立ち上がった。

「レイナ」
「⁉」

 聞きなれた――とは言え心臓にはヨロシクナイバリトン声に、弾かれた様に振り返る。

「……エドヴァルド様」

 部屋の中からベランダへと姿を現したのは――シーグではなく、宰相閣下エドヴァルドだった。
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