上 下
447 / 818
第二部 宰相閣下の謹慎事情

470 その鳥は寒波の襲来を告げる(後)

しおりを挟む
 頭の中が真っ白になった私は、とりあえず目の前で、ふくら雀みたいになっているリファちゃんの背中を撫でてみた。

「だ…大丈夫だよ、リファちゃん?落ち着いて――」
「ぴぃ……」

 リファちゃんが、そんな私の手に身体をこすりつけてきた。
 えっと…?落ち着かなきゃいけないのはお互い様?そ、そっか。

「レイナ」

 ――どうやら後ろから抱きすくめられているのは、夢でも気のせいでもないみたいです。

「エドヴァルド様……?」
「ああ」
「ど、どうやってここに……」

 動揺している私をよそに、ちょっと離れたところから、トーカレヴァが痙攣ひきった表情のまま物凄い小声で必死に「リファ。リーファ」と、何度かリファちゃんを呼んでいた。

 しかもその隣でシーグが、どこからか捕獲してきたらしい、虫が何匹か入った箱をこっちに向けている。

「ぴぃぃっ」
「あ、リファちゃん⁉」

 …案の定、リファちゃんはシーグに向かって一直線に飛んで行った。

「え、捨てられた?私、リファちゃんに捨てられちゃった?」
「そんなワケないでしょう!」

 相変わらずの小声ながら、トーカレヴァがこちらに向けて口を動かしている。

「小型にせよ〝転移扉〟が出現した魔力にあてられて、驚いただけですから!後で虫をやれば、すぐに機嫌直りますから!」

 そう言い置いた後は「すみません、閣下!邪魔者は退散しますので!」と、シーグを急き立てて邸宅やしきの方に下がって行ってしまった。

「ああ、リファちゃん……」
「……レイナ?」
「!」

 そして、行ってしまったリファちゃんに気を取られ、エドヴァルドの声や周囲の気温がさっきより冷えている事に、気付くのが遅れてしまった。

「……はい」
こと、ここに至るまでの事情が知りたいのだが?」

 耳元で囁かれた声に私が身体をのけ反らせそうになっているのを押さえようと、後ろから抱きしめているエドヴァルドの腕に力が入る。

「大公殿下や他の皆はどこに?何故、すぐにユレルミ族の拠点の村に戻ろうとしていなかった?」
「……っ」

 どう答えれば良いのか、頭の中で上手くまとめられずに言い淀んでいると、それをどう捉えたのかエドヴァルドは、くるりと私の身体を自分の方へ向けさせると、両手で私の左右の頬をそれぞれ挟んだ。

「――私がどれほど貴女の身を案じていたと思う」
「エドヴァルド様……」

陛下フィルバートを説き伏せて、バリエンダール王宮まで来てみれば、北方遊牧民達との話し合いに、貴女までもが出向いたと言う。バリエンダールの当代聖女に頭を下げて、貴女が向かったと言うユレルミ族の拠点まで〝転移扉〟を開いて貰えば、今度はテオドル大公の居場所が分かって、そこに迎えに行ったと言われる。これで不安に思うなと言う方がどうかしている」

「……っ」

「挙句、王宮では宰相に貴女はこの国に残して、王女殿下との縁組を検討する気はないかだの、ユレルミ族の拠点では、その息子が、あまりの狭量は本人の為にならないだのと――」

 返す言葉もございません。
 と言うか、フォサーティ宰相、エドヴァルドにミルテ王女薦めた⁉
 息子ジーノ息子ジーノで、エドヴァルドを牽制した⁉

 何やってんですか、フォサーティ父子おやこ

「あ、あの、エドヴァルド様……」

「分かっている。そもそも貴女は無自覚で他人ひとを味方に引き込む傾向がある。そこに貴女の意思は微塵もなかっただろう。王宮では王太子も止めに入っていたしな」

 あ、うん。それはそうだろうと思う。
 バルキン公爵よりは余程無茶ぶりではないにせよ、エドヴァルドの年齢はミルテ王女のほぼ倍だ。

 しかも「冷徹」だの「鉄壁」だのの前評判や、既に婚約者がいるとの話が伝わっていれば、わざわざ波風を立てる気にもならないだろう。

 そうでなくとも王太子、かなりのシスコンな筈だし、私も――いくらミルテ王女が良い子だったとしても、さすがにそんな話は、ちょっと許容しづらい。

「まあ王太子は、部屋中凍り付いた結果、顔色を変えて止めていたフシはあるがな。王太子の執務室止まりだったのは、キアラ宰相夫人に敬意を払った結果だと、威圧もしておいたしな」

「……魔道具壊れちゃったんですか」

 あまりに事態が突き抜けすぎて、気付けば私も間の抜けた質問を返していた。

 確か「氷柱事件」の後、エドヴァルドの魔力暴走を止めるべく、魔道具で実験をするとかなんとか言っていた筈なのに。

 そう思って聞いた後のエドヴァルドの答えは、恐ろしくあっさりとしたものだった。

「初めからバリエンダールへは持ち込んでいない。貴女の帰国が遅れると聞いた時に一度壊しているが、その後は陛下フィルバートが、バリエンダール王宮が凍り付く分には、面白いから再装着不要と、を許可していたからな」

 陛下――っ‼
 面白いから、で他国の王宮氷漬けを推奨しないで――‼

「もちろん初めから魔力を暴走させるつもりはなかった。宰相や息子が、愚かな事を言わなければ良かっただけの話だ」

「え……もしかして、ユレルミ族の拠点――ユッカス村も、どこか凍ったりしたんですか?」

「………」

 何でそこだけ無言⁉

「レイナ、話はバリエンダール王宮に戻ってからだ。陛下フィルバートから簡易型転移装置を一往復分だけ貸与されて来ている。片道はユレルミ族の拠点から此処に来るのに使ってしまったが、あと一回、直接アンジェスに戻る事は可能だ。ただテオドル大公が使者としての返信を未だ受け取っていない以上は、戻るならバリエンダール王宮であり、そこから正式な〝転移扉〟で戻るのが筋だろうからな」

 今すぐテオドル大公を呼んで、バリエンダール王宮まで戻る――的な話をされた私は、ちょっと慌てた。

「ああっ、あの!今すぐ戻るのは、ちょっと……」
「何か不都合が?」

 感情の読み取れない声で、エドヴァルドが私の顔を覗き込んで来る。
 ち、近い…っ!

 近すぎるエドヴァルドとの距離に、触れられている頬が赤く、熱くなっていくのを自覚しつつも、私は言わない訳にはいかなかった。

 何しろ、オーロラ観賞がかかってる。
 せめて今夜だけでもチャレンジしたい――!

「あのっ……晴れた夜に、この地域とサレステーデでしか見られない景色があるって聞いて……」

「レイナ……」

「今夜だけ!今夜だけで良いんです!多分、私の居た国でもあった自然現象で、死ぬまでに一度は見るべきって言われていて……こっちでも、見ると幸せになれるって言い伝えがあるとか…特に夫婦とか恋人同士とか――」

 まだ日も暮れていない中で、求婚プロポーズへの返事を飛び越して、とても子作りだの将来の子供だのと言った話を口に出来る筈がなかった。

 見ると幸せになれる、もあながち間違ってはいない筈だし、今の私に言えるのはそれが限界だ。

「……見ると幸せに……」
「わがまま……ですか?」

 かなり端折ってしまったけど、だけど私の話でも、エドヴァルドは充分に怯んでいた。

 何とか近すぎる美形顔に耐えながら、更に手持ちの情報を晒す。

「元々テオドル大公が滞在していらした湖畔の邸宅おやしきは、アンジェスの先代宰相閣下と結婚する筈だった姫の、お兄様の邸宅おやしきだそうで、今夜はそこで泊めていただいて、その景色が見られるか、一晩だけ待ってみようと……」

「……トーレン殿下の?」

「そうなんです。それで、テオドル大公とユリア夫人も一緒に見た事があるとかで……っ」

 今ちょうど、人数が増えた分の夕食の材料を何とか、かさましさせるべく皆で外で採取しているところだったと説明したところで、エドヴァルドが微かに眉根を寄せた。

 心臓がロップイヤーうさぎ並みに音を立てているけど、さすがにここで視線は逸らせない。

 頑張って、じっとエドヴァルドを見ていたら、やがて「……一晩」と、ポツリと呟いた。

「エドヴァルド様……?」
「その景色を見る事が出来ても出来なくても、一晩以上の猶予はないが、いいな?」
「!」

「どのみち大公殿下からも話を聞かないとならないしな。その姫の兄とやらに、我々の滞在についても頭を下げるよりほかないだろう」

「あのっ、私、私がお願いしますから……んっ⁉」

 これは私のわがままだから――そう言いかけた私の言葉は、エドヴァルドの唇で、塞がれた。

「……私が、貴女ひとりに頭を下げさせる事を潔しとするとでも?」
「……っ」

 一緒に見るのだろう――?

 耳元で問われた私は、激しく首を縦に振る事しか出来なかった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

竜人の王である夫に運命の番が見つかったので離婚されました。結局再婚いたしますが。

重田いの
恋愛
竜人族は少子化に焦っていた。彼らは卵で産まれるのだが、その卵はなかなか孵化しないのだ。 少子化を食い止める鍵はたったひとつ! 運命の番様である! 番様と番うと、竜人族であっても卵ではなく子供が産まれる。悲劇を回避できるのだ……。 そして今日、王妃ファニアミリアの夫、王レヴニールに運命の番が見つかった。 離婚された王妃が、結局元サヤ再婚するまでのすったもんだのお話。 翼と角としっぽが生えてるタイプの竜人なので苦手な方はお気をつけて~。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。