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第二部 宰相閣下の謹慎事情

431 おいしい話なんてない

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 馬車は、海産物市場を通り過ぎてすぐの辺りで停まった。

「ここは、私かな」
「?」

 何かと思えば、先に下りたマトヴェイ外交部長が、続いて馬車を下りようとした私に、スッと手を差し出してくれた。

「あ…有難うございます」
「何、馬車の乗り降りだけの事だし、私かテオドル大公であれば、どこかの公爵閣下もお許し下さるだろう」

 そう言って、茶目っ気たっぷりに片眼をとじるマトヴェイ外交部長……やっぱり、渋カッコイイですね。
 お若い頃、さぞやオモテになったのではないでしょうか?

 街中でしっかりとエスコートをしても、貴族階級のお忍びか…と、危険を自ら振り撒いて歩くようなものなので、馬車の乗り降りだけにすべきだと言う、暗黙の了解的な振る舞いがそこにはあった。

「わ……」

 馬車から下りて、外の景色が視界に入った瞬間、私は思わず感嘆の声を洩らしてしまっていた。

 三角屋根の木造建築物が複数立ち並び、赤、白、黒、褐色、黄…など、様々に塗装をされているのが、驚く程にカラフルだ。

「商会事務所、商業店舗や倉庫、宿泊や食事処なんかで60軒くらいは立ち並んでいると思う。事務所や倉庫が一番多いか?バリエンダールの商業の中心地と言っても良いかも知れない。一軒一軒がそれほど大きくないから、王都商業ギルドや職人ギルドがここに入るのには不向きなんだが」

 歩きながら説明をしてくれるシレアンさんに、私はふと浮かんだ疑問をぶつけてみた。

「…それはそれで、その家出息子さんはよくお店出せましたね?」

 事務所関係が多いと言う事は、言わばマンハッタンのビジネス街的な感覚で良いんだろうか。
 家賃もそうだけど、北方遊牧民族と言う事で謂れなき中傷を受ける事だってありそうなのに。

 そんな私にシレアンさんは「正直、運が良かったところもある」と、苦笑いを浮かべた。

「端的に言えば、家出少年がギルドの働き手募集に応募。本人の腕が想像以上に良く、少しずつ作品を置かせて貰えるようになり、最終的には店ごと引き継いだと――まあ、そんな感じだ」

 ものすごくざっくりですね、と私も苦笑いを返したけど、それはそれで分かりやすい、立身出世ストーリーだとも言えた。
 結果的に、全てを自分の腕でねじ伏せたと言う事だ。
 
 それは今更、王都からは離れたくないかも知れない。

 大通り沿いの、三角屋根の建物同士の間には、床までもが木製で板張りされた細い路地が迷路のように張り巡らされていて、そこにも小規模の店舗あるいは倉庫が幾つも並んでいるのが見えた。

「……ここだ。まあ、海沿い正面じゃなく、逆の山手方向を向いてはいるが、路地店に比べれば、まだ人の目には止まりやすい筈だ」

 シレアンさん曰く、海沿い正面の建物の方が、景色も好まれ、集客にも有利とされていて、賃貸料も割高らしい。

 店の前には、何かの象形文字の様な模様が彫り込まれた、丸型のドアプレートが下げられていた。

「色々と北部地域の花や動物なんかをモチーフにしているようですから、イラクシ族を示す模様かと」

 私がドアプレートをじっと見ていた事に気付いたバルトリが、いつの間にか近くにいて、そう教えてくれた。
 バルトリのネーミ族と、微妙に模様が違うらしい。

「ギルドならともかく、さすがに一度に店に入る人数としては多すぎる。少し絞っては貰えまいか」

 店に入る前、シレアンさんにそう言われた私は、ちょっとだけ考えて、バルトリ、リック(シーグは調査に出た)、マトヴェイ外交部長とベルセリウス将軍に、中に入って貰う事にした。

 当然、将軍はどこをどう見ても護衛。
 後の三人は商会従業員と言うていだ。

 将軍が外にいたら、護衛以前に営業妨害だと言う事らしい。
 相変わらず、上司に遠慮がないなウルリック副長。

 ただ、実戦が絡むと、この関係は逆転…と言うか、ちゃんと地位に則したモノになるらしい。
 副長曰く、軍事以外の部分があまりに抜けているし、本人も分かっていて直す気がないのだ、と。

「まあ、おかしな連中を中に入れさせるつもりはありませんけど、万一取りこぼしがあった際には、遠慮なく将軍を楯にして下さい。ちょっとやそっとじゃ壊れませんからね、この楯」

 うむ、任せろ!とか言っているあたり、確かに将軍の度量は大きいと思う。

「――イユノヴァさん」

 ある程度の人数に絞れたと判断したところで、シレアンさんがお店の扉を開いた。

「こんにちは、商業ギルドのシレアンです。この前話していた、店舗共有の件で伺ったのですが」

「……あ」

 一応、初対面の印象も大事かと、シレアンさんに続いてお店に入ってみたところ、もの凄く不安げな、震えた声が聞こえてきた。

 中にはテーブルを挟んで二人、男性がいた。

「……何だ、客か?ああ、じゃあ、いいから署名だけしろよ。名前くらい書けるだろう?」
「いえ、まだ中身を――」
「グダグダとうるせぇなぁ。こっちは破格の条件で買い取ってやるっつってんだろ?書面読めねぇのか⁉︎」

 ――何やら物騒な会話が飛び交っている気がする。

「バルトリ、ちょっとあの書類きてー」
「……は」

 言うが早いか、書類は既に私の手に握らされていた。
 いや、早いよ⁉︎

、ちょっとその人押さえといて?」
「は、俺⁉︎」

 イオタだけ偽名なのもな…と考えた結果、ここに来る前、リックには「シグマ」と仮の名前を付けておく事にした。
 イオタみたいに、どっちも連星だと言ったら「…しょうがねぇな」と、そっぽを向いたリック君、ツンデレなんだね。

 は?なんて悪態をつきながらも、手はちゃんと、柄の悪かった方の肩をテーブルに押さえつけていた。

 私の隣にいたマトヴェイ外交部長は「何か問題でも?」と、私の行動を特に不審に思う事なく横から書類を覗き込んでくる。

「……意外性のない、見たまんまの地上げ屋の買収書面ですね、これ」
「じあげ、とは?」

「えーっと… 用地を買収した後一括して転売する人あるいは会社、手数料を取るのに加えて、安く買って相場で売却、つまりはその利益も取っちゃおうって言う悪徳業者の呼称です」

 もちろん、悪徳じゃない地上げ屋も中にはいるそうだが、世間一般のイメージは、反社組織とつるむ悪徳業者であり、今、取り押さえられている男は、見た目にもインテリヤクザだった。

「シレアンさん、やっぱり揉めてるじゃないですかー」

 私が、敢えてわざとらしくシレアンさんに小首を傾げて見せたところ――彼の顔色が、変わった。

「いや、そんな筈は……!イユノヴァさん、いったいこれは……⁉︎」

 私達の視線の先、今にも倒れそうな顔色の青年が、無言で身体を震わせていた。
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