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第二部 宰相閣下の謹慎事情

429 講師派遣制度

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「すまなかった。覆面調査部内での会議が少し長引いてしまって……」

 私が、備え付けの紹介カードに記入を始めて幾ばくも無い内に、ガラス製品ギャラリーにシレアンさんが現れた。

「なるほど。今日の案内人はゲールさんだったのか。ならば紹介が早いのも納得だ」

 シレアンさんは、私がもう、目ぼしい工房をピックアップして、紹介カードまで書いている事にちょっと驚いていたけど、ギャラリーの中に管理人ゲールさんがいるのを認めて、微かに頷いていた。

「それで、どこへ紹介カードを?」

「えーっと…カファロ工房?ですね。あのカット技術は純粋に凄いと思いました。あれを活かせる液体入れと、あと、蓋付きの透明な器も併せて欲しいので、それも一緒にお願い出来るかは交渉次第になると思うんですけど」

「もう、具体的な使用用途があるのか……そして、カファロ工房か。うん、あの工房と提携出来れば、今から紹介する物件もちょうど良いかも知れないな」

「そうなんですか?」

「ああ。先代はバリエンダール人の親方だったが、弟子だった、北方遊牧民族ニニツ族の血を持つ兄妹が跡を継いだ工房だ。ニニツ族は、ネーミ族から派生した民族だと聞くな」

 そうなの?と、私がバルトリの方を向くと、当のバルトリは緩々と首を横に振った。

「俺は、まだ物の分別も怪しかった子供時代にバリエンダールを離れてしまっていますから、そこまで詳しくはないですよ。そもそも直系一族でもありませんし」

「ネーミ族は、北部地域の中でも行動範囲がかなり中央寄りの部族でね。過去の迫害の歴史において、最初に目をつけられて、最初であるが故にもっとも過酷な扱いを受けた部族でもある。散り散りになっているのもやむを得ないところはあるんだ。ニニツ族のその兄妹も、先代の親方が、保護して育てての、今がある」

 ギルド内でも指折りの、北方遊牧民族の事情に通じた職員と言われるだけあって、シレアンさんの説明は、バルトリさえも知らない詳細なものだった。

「だがまあ、先代親方と言う後ろ楯を亡くして、新規取引先の開拓なんかは頭打ちになっているところがある。先代親方の作品の手入れの方が、もしかしたら仕事の割合としては多いかも知れない。多分、行けば、門前払いされる事はない筈だ」

 二つ返事で引き受けるなどと、都合の良い話までは言えない。
 だからせいぜい、どんな商品を作って、どうしたいのか、熱意を語ってやってくれ。

 シレアンさんは、そんな風に言って、微笑わらった。

「ちなみに、この『紹介カード』が、商会の信用保証みたいなものだとは、さっき聞いたんですけど――」

 ギルドから工房にコレを送った後はどう言う流れになるのかと、思ったところを見透かされたのか、ゲールさんに確認するまでもなく、シレアンさんがそのまま説明してくれた。

「そうだな…『いずれそちらの工房に伺いますよ』って言う挨拶状の様なものか?中身を読んで、会う気はないとなったら、その場でカードは配達人に突き返されるから、無駄足を踏む事もないと言う訳だ」

「存外、厳しいシビアですね」

「商人にしろ職人にしろ、時間と言うものは一般市民よりも有限で貴重だ。それでも諦めきれなければ、また送れば良い。稀にそれを誠意あるいは熱意と取って、新たなカードは受け取ったと言う工房もある」

 それも一種の駆け引きだろう、とシレアンさんは軽く肩を竦めていた。

「それで、今日、もうそれを出すか?」

「そうですね。本店の仕事もあるので、明日午後にはアンジェスに戻りますけど、近いうちにまた来ると思いますし、カードのご挨拶だけでも先に出しておきます」

「ふむ…じゃあ、その間に工房側から何か言ってくる様な事があれば、こちらのギルドからアンジェスに手紙を送れば良いか」

「お願い出来れば有難いですね…って、そうだ!昨日お話してた『企画書』をお渡ししておきますね」

 私は、忘れないうちに…と、ジーノ・フォサーティ宰相令息が代理で作成をしてくれた『ユングベリ商会店舗設立企画書』を、シレアンさんに手渡した。

 ナザリオギルド長は、昨日の会話だけで頭の中にインプットされたとの事なので、正しくこれはシレアンさん用だ。

 昨日の会話を思い起こしつつ「ああ、ガラス瓶はここに…」なんて呟いて、企画書を眺めていたシレアンさんだったけど、私が「これを書いたのはフォサーティ卿だ」と言ったところで、目を丸くしていた。

「ジーノ君が、これを……⁉彼も大概に忙しいだろうに……」

 どうやら茶会での出来事や、宰相家の拘束に関しては、話は王宮の外へは洩れていないみたいだった。
 
 もちろん、いつまでも隠し通しておけるものでもないだろうけど、処分の内容と目処がつくまでは、王宮側も話を伏せておこうとしているのかも知れない。

「私はギルド長ほど頭は回らないから、これは助かる。商会長の不在中に何か問われる様な事があれば、これを元に答えさせて貰うとしよう。ではとりあえず、その手紙を出して、それから候補物件に案内しようか」

 多分、あの最年少ギルド長を基準にしちゃいけない気がする…とは思いつつも、まあ受け取り方は人それぞれかと、私は「はい」と口元を綻ばせるだけに留めておいた。

「あ、ちなみにその企画書の『守秘義務』なんかはどのように……」

「ああ、ひょっとして『特許権』の話か?」

「はい。北方遊牧民族のこれまでの事情なんかを考えたら、何もしないでいると、アイデアも製法も根こそぎ良からぬ勢力に奪われそうな気もして……」

 ガラス製品ギャラリーのゲールさんに会釈をしつつ、職人ギルドから商業ギルドへと移動する途中で、私は気になっていた事をシレアンさんに聞いた。

「一応ギーレンでは、取引先の植物園に権利を渡して、定期的な素材の取引をウチとして貰う方が、長い目で見れば有利だろうと思って、そうしましたし、アンジェスでは、商会で権利を持つか、ギーレンのように領主に権利を渡すか、しています。まだ北方遊牧民族と王家、貴族との関係性を正確なところまでは把握してませんから、ここではどう言う形にするのが良いか、アドバイス頂こうかと……」

「………」

 前を歩いていたシレアンさんが、一瞬、肩越しに驚愕の視線をこちらに向けてきた。

「……そうやって聞くと、ウチのギルド長が『先々、ベルィフにも店を』と言っていたのは、さもありなんなのか」

「シレアンさん?」

「いや…販路の広さが想像以上で驚いただけだ。そうだな……正直なところ、北方遊牧民族と言っても、大小合わせると誰も正確な数を把握していないんじゃないかと言われている。幾つか特許権案件が出て来たとして、その権利を特定の民族に渡すとなると、それはそれで揉める未来が見える」

「ネーミ、ユレルミ、ハタラ、イラクシ…なんかの代表的なところに渡しても、ですか?」

「元から閉鎖的な部族や、まだ王都に完全な信頼を置いていない部族もある。あるいはジーノ君なら、いずれ彼らの頂点に君臨しそうな気もするが、彼の場合はこの国の次期宰相になる可能性の方が高い。恐らく全ての遊牧民族をまとめきる事は難しいだろう」

 だから、企画書に書き起こした様な事は、全てユングベリ商会が権利をもって、適正価格で取引を行うのが一番良いと、シレアンさんは言った。

「ああ、この企画書そのものは『ギルド長案件』として、軌道に乗るまでは特別な場所に保管しておくから心配しないでくれ。もとより北方遊牧民族絡みの案件は、例外なくそうなっているんだ。国王陛下の融和政策にも影響してくる事だからな」

 そして、その「特別な場所」はギルド長とシレアンさんしか把握をしていないとの事で、基本的には安心出来ると考えて良さそうだった。

 ――ただ。

「……当然、アンジェス国とはやり方違いますよね……」

 私が恐る恐る訪ねてみると、淡い期待を打ち砕くように、ひどくあっさりと「そうだな」と言葉が返って来た。

「レシピを管理して、使用料を設定したり、違反した場合の罰則を取り決めたりと言った大枠では変わらないと思うが、まあ当然、国の法律と言うものがある訳だしな。必要なら、商業ギルドのカウンターで商法の本の貸し出しは行っているし、数が多かったり規模が大きかったりする場合は、ギルドから担当者を講師として有料派遣する場合もある。とりあえず、物件の下見を優先させては貰うが、戻って来たら、本か講師か手配するか?」

「えっ、例えばそれがアンジェス国でも来て下さるんですか?」

「派遣料、交通費、食費…要は必要経費を全て負担出来ると言うのであれば、基本、国をまたがっても派遣はしている。それはそれで、出世したいギルド職員にとっては、大きな加点の対象になるから、全員とは言わないが手を上げる人間は複数いる筈だ」

「へえ……!じゃあ戻って来るまでに、本か講師か、ちょっと考えてみます」

「承知した」

(今ならもいるし、キヴェカス卿の事務所に講師として行って貰う方が、話が早いかな……?)

 レイナ嬢、悪い表情かおになってますよ――などと囁いてきたウルリック副長の声は、敢えて聞かなかった事にした。
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