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第二部 宰相閣下の謹慎事情

421 銀狼殿下の決断

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「……先代陛下は、で亡くなられた。その事は諸外国皆が承知している」

 いっそ冷淡な程に、ミラン王太子は淡々と話をしていた。

「そして国内にしろ国外にしろ、ちょっと探れば『捨てられた愛妾が逆上して刺殺した』と言う、さも表沙汰にしづらい様な理由が証言として出て来る――あの国王ならさもありなん、と誰もそれ以上は追及しなかった」

 我が父さえも。

「……っ」

 最後の一言は言葉にならず、唇だけがそう動いていた。

「当時のバルキン公爵家当主は、まだ先代の時代だった。ミルテとの縁談を潰す代わりに『死んだと思われていた王子』を送ってやると言ったら、喜んで引き受けてくれた。王女の降嫁より、王になれるかも知れない人間の後ろ楯の方が、それは魅力的だろうからな」

「先代……だから今のバルキン公爵は、ビリエルの素性を知らなかったんですね」

「その辺りは、私は知らん。すぐに正体を明かさず、裏家業を続けさせていたあたり、先代公爵にも何かしら、思うところはあったんだろうがな。気になるなら、そちらであの男に聞けば良いだろう。サレステーデに戻ってからどんなやりとりをしたのか、と。…捕らえてあるのだろう?」

 こちらに探りを入れようとでもするかの様なミラン王太子の視線に、私も「そうします」と答えた――答えるしかなかった、と言うのが正しいのかも知れない。

 実際に牢にいるのだから、ハッタリと思われる謂れもない訳で。

「……やれ、その様子では現在いまのサレステーデは、宰相しか機能していないと言うのは紛れもない事実のようだな」

 そんな私を見て何かしら思うところがあったのか、ミラン王太子は机の上で重ねていた手を解いて、ため息と共に椅子の背もたれに身体を預けた。

「サレステーデの宰相は、もうかなりの高齢だ。下手をするとテオ殿に近いくらいではないかな。確か息子を早くに失くしてしまい、年老いてから出来た娘しかおらず、後を継げる婿がねを探していた筈だ。外交の酒の席で、誰かいないかと尋ねられた事もあったな」

「殿下。そう言えばサレステーデ宰相の娘と言うのは、なかなかの行動派で、あちらこちらの国をご自身で見て回っているとかではありませんでしたか。確かその為だけに商業ギルドで行商人の登録もしたとか――」

 その瞬間、フォサーティ宰相含めミラン王太子やらジーノ青年の目までがこちらを向いたので、私は首を激しく横に振った。

「まさかっ!?サレステーデの宰相サマの娘とか、そんな身分は持っていませんから、私‼って言うか、それ絶対、第三王子の毒牙にかからない為に、宰相が外に出したんですって!」

 ギルドカードの作成はともかく、本当に各国を巡っているのかどうかは、分からない。
 第三王子の目の届かないところで保護していただけの可能性だってあるだろうに。

「ああ…いや、まあアンジェスでテオ殿の庇護下にあると言う事なら、サレステーデと縁があるのもおかしな話ではあるが……あまりに符号が一致したものだからつい、な」

「たまたま行商の途中でテオドル大公殿下が保護したと言う可能性も考えられなくはないが……もっとも、それであればアンジェスの書記官としてなど同行はさせないだろうしな」

 話をしている途中で、ミラン王太子もフォサーティ宰相も、自分でも私と同じ可能性に思い至ったんだろう。
 どうやら、サレステーデの宰相の娘=私説はすぐに取り下げてくれたようだった。

 ただ、ギルドカードを持って本当にあちこち旅をしていると言うなら、いずれサレステーデにレイフ殿下が赴いて、ユングベリ商会として店舗も置くとして、その娘さんの存在は意外に大きいんじゃないかと思った。

 機会があれば……ちょっと話をしてみても良いかも知れない。

「いずれにせよ今、サレステーデの内政が破綻しかかっているとなれば、その娘と言うのも一度は国へ戻るだろう。存外早いうちに、話をする機会はあるかも知れんな」

「殿下、では……」

「ああ。ヘリスト・サレステーデが、本人にしろ子にしろ実権を握ってくれれば、今後の国政を優位に進められると思っていたが、アンジェス国を巻き込んだ挙句に自滅しかかっているのであれば、こちらも相応の動きを取らざるを得ないだろう。いらぬ欲をかいて、北方遊牧民族の全てにアンジェス国への恭順を示されでもしたら、今度はこちらも傾いてくるからな。元より父であるメダルド国王陛下は、北方問題の穏便な解決を望んでいた。ここはフィルバート陛下の提案を呑むのが是と、陛下に奏上するより他ないだろう」

 もしかしたら、年齢や周囲の状況を鑑みて、自分自身が王位に返り咲く事が難しいと見て、第三王子を徹底的に愚かに躾けて、傀儡とする事を考えていたかも知れない。

 そのあたり、第三王子を臣籍降下処分にした宰相と、何かしらの攻防はあったのかも知れないが、その辺りは、今、ここにいる面子では確かめようもない話だった。

「ですが殿下、北方遊牧民族達の一斉離反を気にされているだけであれば、あるいは――」

 そう言ったフォサーティ宰相の視線は、確かに机の上のブローチに向いている。

 ミラン王太子の方はそれを一瞥したものの「よせよせ」と、片手を振った。

「テオ殿が目をかける理由を考えろ、宰相。加えて言っておくが、今、アンジェスで妻を持たぬ公爵は一人だけ。それもトーレン殿下の後継者と周知されている男だ。その囲いを出るのでなければ、私とてそこは頷けんぞ。フィルバート陛下に刺客を差し向けられても文句の言えん事態になるからな」

「「……っ」」

 さすがミラン王太子は、自身や妹の縁組にも関わるだろうからと、周辺諸国の公爵位や直系でない王族の情報を、ある程度は持っているんだろう。

 フォサーティ宰相やジーノ青年は、他国のソレまでは把握していなかったのか、ハッとした様に目を瞠っていた。

「繰り返すが、本人が頷いたなら、私が手を貸す事もやぶさかではない。ただ、無意味にケンカを売らんでくれ。私が言いたいのは、それだけだ」

 口を閉ざした宰相父子に代わるように「さて」と、ミラン王太子は再びこちらへと向き直った。

そのブローチに余計な意味は持たすまいよ。それは私が保証をしよう。ただ、ユングベリ商会の店舗と販路は早急に確立させて貰いたい。そう言う意味では、それを使ってくれて良い。間違いなくその方が話が早い」

 どうやらミラン王太子も、ローテーブルに置かれたままだったブローチの存在は、視界と意識の隅にあったらしかった。 
 このままでは私が受け取らないかも知れないと、気が付いたんだろう。

「そもそもユングベリ商会は、レイフ殿下がサレステーデに赴かれる事を見越して、殿下が受け入れられやすい土壌づくりの一環として、北部地域と友好関係を築こうとしたのだろう?であれば、今からバリエンダール王家が商会の進出を遮る事は、むしろ悪手になる。貴国の陛下か宰相か、いずれの采配かは知らぬが、気付いた時には自治領化を首肯する以外に他の策が取れぬとはな。私もまだまだだな」

 ユングベリ商会は、既に王都商業ギルド上層部に認知され、更に海産物市場でもその名を認知された。

 多分にジーノ青年の存在も影響していたとは言え、既に商会の存在を「なかったこと」には出来ないところまできていると、悟ったに違いなかった。

「レイナ・ユングベリ嬢。今は通行手形とでも思って、それを借り受けておいてくれ。どう使うも自由。返す返さないも自由だがな」

「通行手形……」

 ミラン王太子の名で、余計なしがらみが絡みつかない事を保証すると言うのであれば――こちらも、いったんは目の前のブローチを「預かる」形で妥協しなくてはならないのかも知れなかった。
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