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第二部 宰相閣下の謹慎事情

374 大店の若旦那

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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

「こ…これはこれは、まさか若旦那自らとは!何か問題でもあっただろうか?此方こちらは支払いを滞らせるような事もなかったかとは思うが」

 若旦那?

 私の頭の中のチート翻訳機能は、私の知識の中で一番、状況に相応しい単語に変換されている筈だ。

 そうすると――30代半ばに見えるこの青年、ラヴォリ商会の商会長の息子と言う事になるのだろうか。

「いえいえ、こちらこそ!いきなり正面に回れと家令補佐に言われて、何事かと思いましたよ!」

 一見、屈託のない笑い声を上げたものの、青年はすぐさま表情を引き締めて「――と、言うのは建前で」と、僅かに口角を上げた。

 商人と言う事で貴族ではないにせよ、貴族の邸宅に出入り可能な最低限の衣服には身を包んでいる。

 宝石や金糸銀糸で仕立ててある訳ではないにせよ、生地は傍目に分かる高級シルクだ。

 そんな上着の内ポケットから、青年は袋入りの何かを取り出して、綴じてあった紐を解いた。

「――あ」

 袋の中から転がり出てきたのは、レンズだ。
 私がマノン女史から受け取ったソレと、同じ。

「我々ラヴォリ商会と取引のない商人で、の女史からこのレンズを預けられる者は、これまでいなかったのですよ。これまでは、系列ではなくとも、過去の取引はあって、情報の共有が可能な者ばかりだった。これは見過ごせない!と、今、我が商会の中は上を下への大騒ぎ。この件でバリエンダールに渡航中の商会長にまで、ギルド経由で連絡が飛んでいます」

「「………」」

 エドヴァルドとスヴェンテ老公爵の目が、それぞれに私の方へと向いている。

 青年の方は、恐らく意図的にこの空気を無視して話し続けていた。

「商人にとって、情報の早い遅いは死活問題ですよ。そしてまあ、仕入れ量から今日の茶会の想像はつきました――ああ、使用人の皆さんは誰も情報を漏らしていませんから、ご安心を。何人かで手分けをして、レストランや他家にも、在庫確認を兼ねて探りを入れていたんですよ。これからの商会なら、いずれ我が商会と接触をするために、商会の商業圏に現れるんじゃないかと思いましてね。私が、たまたまを引いたに過ぎません」

 口実がないのはお互い様、ラヴォリ商会側もきっかけを探るべく、王都内に従業員をっていたと言うワケか。

 はぁ…と、思わず感心した呟きを洩らした私に、青年は「これは失礼」と、胸元に片手をやって、一礼した。

「ラヴォリ商会、商会長代理カールフェルドと申します。ユングベリ商会のレイナ嬢でお間違えございませんか?」

 嫌味のない、儀礼を遵守した礼に、私も慌てて簡易的な〝カーテシー〟を返した。

「丁寧なご挨拶、痛み入ります。仰る通り、私がユングベリ商会商会長レイナと申します。ご推察の通り、先程スヴェンテ老公爵様に、次にラヴォリ商会のどなたかが食料品の納入に来られた際には、繋ぎをとって下さらないかとお願いをしておりました」

「それはそれは。やはりマノン女史に認められる方となると、動きも早い。如何ですか、この先は我が商会の事務所に場を移して、話を致しませんか。もちろん、もご一緒で構いませんので」

 カールフェルド青年が苦笑いだったところを見ると、私の背後から無言の威嚇が飛んだに違いない。

 恐る恐る振り返った私が、視線で「断った方が良いのか」と問いかけてみたところ、エドヴァルドは苦虫を噛み潰したかの様な表情を見せながらも、ゆっくりと首を縦に振った。

「今日却下したところで、後日また話は出るだろう。しかもその際、私が同行出来るとは限らない。それなら今日、一緒に行ってしまった方が余程良い」

「分かりました。……では、ラヴォリ商会長代理」

「それだと、商会長である父と紛らわしい事になりますから、カールで構いませんよ」

「…では改めて宜しくお願いします、カール商会長代理。そちらの商会に伺わせて頂きます」

 これ以上、スヴェンテ家で話をする事ではないと言うのは、こちらも向こうも共通した認識を持っていたので、スヴェンテ老公爵には今日の御礼を改めて伝えて、邸宅おやしきからは辞去させて貰った。

*        *         *

 見るからに高位貴族の装いであるエドヴァルドを見ても、商業ギルドとは違い、慣れた人間が多いのか、ドン引きしている従業員は、表面上は見受けられなかった。

「到着したところでお気付きだったかも知れませんが、我が商会は〝ツェツィ・オンペル〟とそれほど離れてはおりませんでね。誰かが下見に来た、どうやら契約したらしいとの話は、そもそも間髪入れずにこちらにも届いた訳なんですよ」

 ニコニコと微笑わらいながらも、サラッと商会が持つ情報網の一端をこちらへと知らしめている。

 三階建ての建物全てが商会の事務所だそうで、かつ、小アパート規模の建物の中では、複数の人間が忙しなく中を行き交っている。

 案内されたのは2階の奥、商会長室と思しき部屋だった。

「さて、商人の時間も、宰相閣下のお時間と同程度には貴重なモノとの自負がございますので、早速話をさせて頂いても?」

「それは構わないが、その前に『ユングベリ商会』は私の道楽ではなく、我がイデオン公爵領発展の為に必要と判断して、出資を決めた商会だ。そこを勘違いしないよう、予め申し伝えておく」

 話し始めようとした商会長代理カールフェルドに、エドヴァルドがそう釘を刺してくれた。

 これでこの先、会話の主導権は私が持つと言ってくれたようなものだ。

 カールフェルドは一瞬だけ目を瞠ったものの、貴族階級に比べるとまだ偏見が少ないのか「そうですか」と、あっさり頷いていた。

「では、ユングベリ商会長」

 私は、カールフェルドに倣って、名前の方で良いと言うべきなのかと思ったものの、隣に座るエドヴァルドを取り巻く空気から、それはとても言い出せなかった。

「ああ、何も傘下に入れとか、手数料を考慮しろとか、そんな話をしたいのではありませんから、どうぞご心配なく。一強の販路は産業の発展を阻みかねない。単なる横並びも談合の温床であり、同じ事が言える。自由競争、大いに結構。ただ消費者に皺寄せがいかないよう、お互いにどう言う商売をしたいのか、把握をしておこうと言うだけです。無茶な商売をしないよう、相互監督の上、ギルドへの報告義務を互いに負うと言う事です。一店舗のみの個人商店であれば、商業ギルドの覆面調査で充分に手が届くでしょうが、複数店舗を持つとなれば、目が届かない場合も出てきますからね。まあ、暗黙の了解的慣習とでも」

「なるほど、私が〝ツェツィ・オンペル〟だけの買取再開業であれば、商業ギルドに完全に委ねておくところ、どうやら複数地域にまたがっての商売を考えているらしいとなれば、各市場で衝突をしない為の情報共有は必須と言う事ですよね?」

「そうですね。万一生産者の方が良からぬ事を企んだとしても、それでお互いがすぐに分かりますからね。リーリャギルド長からも、得た情報の隠匿はしないと言う事を条件に、ある程度の裁量権は貰っています。商会長である父と、ギルド長とがそれだけの信頼関係を、短くはない期間を費やして築き上げたのですよ」

 きっかけが、酒場での飲み比べだったと言う話は、後日リーリャギルド長から聞いたものの、この時は純粋に「なるほど」と、感動して納得していたのだった。
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