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第二部 宰相閣下の謹慎事情

372 タルトが繋ぐ想い(後)

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 リオル・スヴェンテ少年は、まだやはり4歳と言う事もあって、バーバラ夫人の部屋で集まって話をしている途中から、コックリコックリと舟を漕ぎ始めてしまい、皆がガゼボに移動するのを機に、そのまま寝かせてきたとの事だった。

「色々すまんな。咎めだてせんでやってくれると有難い」

貴殿あなたがすべき事は、貴殿がこれまでに知るスヴェンテ本家の誰とも比較をしない事だ。いずれ、リオルにはリオルの個性が出てこよう。過ちを犯すようなら正すべきだが、貴殿の「理想」と言う名の海には溺れさせるな。未来の五公爵会議は、己の意見を持たぬ卑屈な当主は必要としない」

 先代当主が犯した罪を語り継ぐ必要は、確かにあるだろう。
 
 五公爵は、あくまで王の為政を支える存在。
 自分達に都合の良い王子に肩入れをして、立場の強化を図るなどと、あってはならない事だった。

 だが、贖罪を免罪符に、ただ卑屈に己の中に閉じこもってしまうようでは、公爵領を運営する事など出来はしない。

 押さえつけるのではなく、導け。

 エドヴァルドは、倍以上年の離れた老公爵に対しても、遠慮をしなかった。

「……そうか。儂はリオルに厳し過ぎると言う事か?」

 一瞬の瞑目の後で空を仰ぐスヴェンテ老公に、エドヴァルドは「いや」と、首を横に振った。

「必要な事だとは理解している。だが、かなり萎縮している様にも見える。加減は難しいだろうが、もう少しリオルの個性を見極めてやるべきだろう」

 萎縮している、と言うエドヴァルドの言葉は、確かに私も腑に落ちた。

 先代の二の舞にはしたくない、と言う思いが先行するあまりの事かも知れないけど、あのままでは、老公爵が身罷みまかった後、彼が一人で立てない不安は残る気がする。

「……イデオン公」

 見上げていた視線を、ちらりとミカ君に向けた後で、スヴェンテ老公爵はエドヴァルドの方へと向き直っていた。

「公式行事や定例報告でまたミカ殿が来る事があれば、リオルの話し相手になってやって貰う事は叶うだろうか。今はまだ、王都在住の貴族達の子息で、近い年齢の子がおらぬ。学園に通うようになれば状況も変わろうが、それでも、儂と先々代ハルヴァラ伯爵との様な友誼が成り立てばと、思うておるのだ」

 懇願とも言えるスヴェンテ老公爵の言葉に、エドヴァルドは即答をせず、わずかに眉根を寄せていた。

「……やはり、まだ早いか」

 エドヴァルドの無言を、スヴェンテ老公爵は拒否の表れと受け取ったようだった。

 私とミカ君も、エドヴァルドの答えが気になって、何も話せずにジッと見つめる恰好になっている。

「今…と言われれば、やはりまだ早いだろうな」
「そうか……」

 悄然と俯くスヴェンテ老公爵に、エドヴァルドは再度「あくまで『今』を基準にすれば、だ」と、やんわり首を横に振った。

「クヴィスト家が代替わりをして、乳牛と養羊の話に上手い落としどころが見つかれば、いくら頭の固い貴族連中がいようと、時代は変わりつつあると認識をするだろう。それからならば、王都のスヴェンテ家とイデオン家との間で交流が再開されたとて、その一環だと周囲からは認識をされる筈だ」

 来年の定例報告あたりならば、大手を振って行き来が出来るようになっている可能性がある――。

 その言葉に、スヴェンテ老公爵だけでなく、私やミカ君も思わず顔を上げた。

「あ……ぼ、僕、来年、母上と来ます!その頃にはもう、支障がないと言う話だったら、定例報告の後にこの庭園にも寄らせて頂きますから、そ、その時に…また話が出来れば……」

「――だ、そうだ。まあ、それまでに乳牛と養羊の話を取りまとめる事が大前提になるだろうが、来年のこの時期、ハルヴァラ伯爵領からの定例報告が為される日付が分かった時点で先触れを出そう。その時はまた、この庭園でこの菓子を振る舞ってやってくれれば良い」

 それを何年も繰り返していけば、学園に入学する頃にはある程度の友誼は成り立っている筈――。

 そう言ったエドヴァルドの声には、スヴェンテ老公爵を煽るかの様な響きが混じりあっている気がした。

 ただ、スヴェンテ老公爵の方はそんな認識はないようで「そうか…」と、自分の中で理解を深める様に、頷いている。 

「代替わりをしたクヴィスト家の新たな事業としての養羊業と、けじめをつける意味での乳牛に関わる権利の放棄を行えば、世間の目はそちらへと向いて、スヴェンテ家こちらからは遠ざかる、か……」

「もちろん私とて、キヴェカス伯爵家と話し合わねばならないだろうが、そちらもヘルマン侯爵家とは一度席を設けるべきだろう。いくらフェリクスやロイヴァスが我が手の内にあろうと、彼らとて完全には本家を無視出来ないだろうからな」

 丸投げは困る。
 ミカ君との交流を続けたいなら、相応の働きを。

 そんな主張が、エドヴァルドからは見え隠れしていた。

 スヴェンテ老公爵は、何度も、納得した様に頷いている。

「そうだな…うむ、委細承知した。それとイデオン公、先ほど少し気になったのだが…妻が使用している歩行補助の器具に関して、改良がどうとか言っていなかったか?あれは、わが邸宅やしきに出入りをしているラヴォリ商会の者が、職人ギルドと組んで開発をしている器具で、開発費用の支援と引き換えに初号機を借り受けている物だ。もしユングベリ商会でも同様の事を考えていたのなら、ラヴォリ商会に断りは入れた方が良いと思うがな」

「―――」

 何気ない老公爵の言葉に、私とエドヴァルドは思わず顔を見合わせていた。

「……スヴェンテ老公」

 そして頷き合った後で、エドヴァルドが私の代わりに答えてくれた。

「今度その商人が定期の納品に来た際、イデオン公爵邸に立ち寄るよう伝えて貰えるか?内容は今言った通りに、歩行補助器具の改良に関して、一度話がしたい――と」

「やはり気のせいではなかったか」

「ああ、誤解されては困るのだが、ラヴォリ商会が持つ市場に今から喧嘩を売るつもりはない。依頼したい事があっての『手土産』とでも捉えて貰った方がよかろうよ。仲立ちを頼めるか?こちらはラヴォリ商会と直接の取引をしていないんだ」

「まあ、定期的な社交の集まりがあれば、一度に大量の品が必要になる事も多いから、嫌でも取引はしただろうが、イデオン家はそうではないものな。スヴェンテ家は、ここ何年かを控えているだけで、いつでも再開出来るよう、契約はそのままになっている。今すぐとはいかぬだろうが、声がけは出来るだろう」

 今のラヴォリ商会は、販路が大きいだけに、庶民向けの少量製品よりも、一度にそれなりの量を必要とする高位貴族や店舗業務用としての取引の割合が高いらしい。

 もう何十年も夜会一つ開かずに、エドヴァルド一人分しか高級食材を消費していなかったイデオン家は、ラヴォリ商会とはこれまで縁一つなかったのが実状らしかった。

「どのみち彼女はテオドル大公とバリエンダールへ行かねばならない。今すぐでなくとも構わない。そこは任せる」

「ああ…そうであったな。ではざっくりと、次にラヴォリ商会の者が常備食材の在庫確認に来た時、としておこう。何日とは決まっておらんが、そう遠くない内には必ずやって来る訳だしな」

「承知した。では、そう言う事で――」

「ああ、すまない。お茶がすっかり冷めてしまったな。すぐに新しく淹れ直させよう」

 スヴェンテ老公爵はそう言って、侍女に向かって片手を上げた。
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