上 下
339 / 818
第二部 宰相閣下の謹慎事情

369 そのお茶会はチェリーづくし

しおりを挟む
※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

「……けっこん」

 驚き過ぎて、脳内で単語が漢字にすら変換されなかった。

(ええと、ついこの前まではワタシは学生で……オトナの階段すら上ってもいなくて……ええっと……)

 そのうえ「愛している」とか、純日本人にはすぐさま腹落ちしない言葉も聞こえた様な……って!

「ええっっ⁉」

 一瞬どころか何瞬も沈黙した後で、私はひどく調子の外れた声をあげてしまった。

「…何故、そこで驚くんだ」

 エドヴァルドが微かに眉根を寄せている。

「言った筈だ。――私に堕ちろ、と。そして私は貴女を選んだ、とも。、貴女はそれを受け入れてくれたのではなかったか?」

「……っ」

 エドヴァルドの両手が私の両の頬を包み込んだ。

 近い!とも言えず、ハクハクと口が開いてしまう。

「だが貴女と私との間には年齢の差もあるし、こちらで言うところの、王都学園の様な教育機関に入学したばかりだったと言うなら、いきなり結婚と言われても、戸惑ってしまうのは仕方がないと思っている」

 だから今すぐの返事でなくて良い――と、エドヴァルドは言った。

「どのみち高位貴族の結婚となると、今日明日に出来る事ではない。どう手続きをかそうと、一年近くはかかるだろう。だから身分と覚悟が足りないだけなら、その間に私が何とでもする。貴女はただ、この先も私と、私の隣を歩いてくれるかどうかだけを考えて、その答えを聞かせて欲しい」

 身分が釣り合わない、公爵夫人になる覚悟なんてない……そんな言い訳なら、聞く気はない。

 口にしがちな拒絶の理由を、何も言わないうちから切り捨てた上に、その眼差しがこちらをじっと射抜いていた。

「何故、今…と思うか?簡単な事だ。貴女をバリエンダールで他の男に取られたりしない為だ」

「⁉」

「今、結婚の申し込みをしておけば、たとえ離れていようと、貴女は私の事を考えるしかなくなるだろう。たとえ他の男が貴女を口説こうと、それどころではなくなるだろう?私は貴女の目を、他の男に向けさせるつもりは一切ない。――だからだ」

 海の向こうでも、私の事だけを考えていろ。

 そんな事を言われて、動揺しない人間がどこにいるだろう。

「それと」

 まだ何か⁉と、言いたくても頭と言葉が追い付かず――私は呆然とエドヴァルドを見つめたままだった。

「貴女がバリエンダールから帰って来る次の日に〝アンブローシュ〟を予約しておく」

「!」

「返事はその時に聞かせて欲しい」

 いいか?と、耳元で囁かれた私は、最後にはもう、高速で首を縦に振る事しか出来なかった。

 理解が早くて何よりだ、と微笑わらうエドヴァルドの唇が、一瞬だけ私の唇をかすめた。

「⁉」

「…さて、ガゼボに行こうか。茶菓子の準備をしてくれている使用人達が戸惑っている」

 誰の所為せいですか――!

 なんてコトを言える筈もないので、私は真っ赤になったまま、黙って俯きながら、差し出されたエスコートの手をとるしかなかった。

 そして案の定、ガゼボでお茶の用意をしてくれていたスヴェンテ公爵邸の侍女の皆様方の目は、生温かいやらキラキラ輝いているやら、それはもう空間そのものが混沌カオスと化していた。

 話の内容が聞こえる距離にはなかったにせよ、ようやく今日の客が、エスコートと共に現れたと思ってからのアレコレがバッチリ見えていたとなると……もう、ただひたすらに私がいたたまれなかった。

 どうやら過去にはお忍びの高位貴族が、この庭園のガゼボで短い逢瀬を楽しむと言った様な事もあったらしい。

 これを機にこの庭園にも再び多くの人が訪れてくれたら嬉しい――と、この場を統括していた、年配の侍女長が、目の端に僅かに涙を光らせながら、そう言った。

 今日の事もきっと、この庭園の歴史の1ページになります…などと言われて、心の底から見なかった事にして欲しいと思った。誰も聞いてくれなかったけど。

 さすが公爵邸の侍女一同、そうこうしている内に、あっと言う間にお茶の用意が整えられた。

「先に口を開かせて頂くご無礼をお許し下さい。大旦那様は、ハルヴァラ伯爵令息とご歓談の後にお見えになるとの事ですので、私ごときが誠に申し訳ございませんが、こちらのご説明をさせていただきたいと存じます。スヴェンテ公爵家統括侍女長をしております、ハナ・ユディタにございます」

「ユディタ……?と言う事は――」

「早くに亡くなってしまいましたが、先代ユディタ侯ジヴォイはわたくしの夫にございました。今は縁あって、大旦那様に仕えさせていただいております」

 後でエドヴァルドに聞いたところによると、スヴェンテ公爵領の傘下にユディタ侯爵家と言う家があり、先代侯爵ジヴォイは、カミル・スヴェンテの処遇を巡っての、スヴェンテ老公爵とエドヴァルドとの「裏取引」に、少なからず関わりがあった貴族の一人と言う事らしかった。

「そうか……だから老公は夫人代理として、安心してこの場を委ねられたと言う事か」

 さっき団欒の間ホワイエで、スヴェンテ老公爵の奥様に会わなかったのは、どうやら近頃体調が不安定で、ミカ君とは夫人の部屋で話をしたいと言う事になっていたからだそうだ。

 こちらのガゼボへは、夫人は体調を見ながら、夫と共に来るかどうか判断をするとの事らしかった。

「まぁ…老公爵も夫人も、気苦労が絶えない方々だからな……」

 スヴェンテ家が置かれている現状からすると、無理からぬ事だろうと、エドヴァルドもとりたてて不愉快そうな様子は見せていない。

「まあ、これからはクヴィスト家の方が騒がしくなるだろうから、ようやくこの邸宅やしきも落ち着くのではないか」
 
 現侍女長とは言え、元侯爵夫人である女性は、礼儀正しくそれを黙殺した。

 代わりに私とエドヴァルドの前に、食前酒の様なサイズのグラスを置いて、濃いザクロ色の様な液体をそこに注ぎ込んだ。

「今の時期、セラシフェラと言っても何種類も咲き誇っておりまして、こちらはその内の一種類の実を、前のシーズンの内からお酒に付け込んだものになります。それと、別の樹木の実で出来たジャムは、こちらのパンとご一緒に。最後こちらは〝クラフティ〟と申しまして、我がユディタ侯爵領の伝統菓子であると同時に、王都ではこの庭園でのみお出ししており、以前は名物とも言われておりました」

 どうやら、フォルシアン家のチョコレートづくしのお茶会とはまた違った意味で、スヴェンテ家にも名物菓子が存在していたらしい。

 もちろんそれ以外にも、見慣れたお菓子やパンが並んでいるのだけれど、説明がその三つと言う事は、それが今の時期のメインと言う事なんだろう。

 いずれイデオン公爵家でも、そう言った何かは必要なんだろうか。

 ジッとお菓子を眺めている私の表情から何かを察したのか「レイナ」と声を発したエドヴァルドが、首を横に振っていた。

「その、すぐに思考が仕事に逸れていく癖はどうにかした方が良いな。今日は純粋に楽しめと言っているのに」

「す…すいません……」

 基本が社畜思考のエドヴァルドにそれを言われていたら、世話はないかも知れない。

 私は慌てて目の前の、見た目ブラックチェリータルトである〝クラフティ〟に視線をやって、食べてみる事にした。

(え…何これ、外見チェリータルト、中身はチェリー入りカスタードプディング⁉)

「見た目と食感の違いが斬新……!」

 一口食べて目を丸くした私に、ハナ侍女長は僅かに目元を綻ばせた。

「お気に召して頂けましたら、何よりでございます。大旦那様も大奥様もお喜びになるかと存じます」

 わざわざ今日の為に――と、大変さを強調しつつ話の水を向けてみれば、ハナ侍女長はにこやかに「タルト生地を敷いた中にチェリーを並べて、卵、牛乳、生クリーム、砂糖、小麦粉を混ぜた生地で覆って焼き上げただけ」と、さも簡単な事であるかの様に作り方のヒントをくれた。

 ふんふん、と頷く私に――結局、エドヴァルドの拳がコツンと頭の上から落とされた。

「レ・イ・ナ」

「真似はしません、もちろん!ただ他の果物でも出来ないかな…とか、イデオン公爵邸でも似たようなモノ食べられないかな……とか?」

 ちょっと目で訴えてみたけど、冷徹鉄壁宰相サマは、流されてはくれなかった。

 どうせ私には「あざとカワイイ」は出来ませんとも、ええ。

「だから、またここへ来れば良いだろう。セラシフェラを見て、ここでこれを食べる。そこまでを一連の流れにしてしまえば良いだけの事だ」

 望めばいくらでも連れて来てやる。――毎年。

「……っ」

 さっきまでの会話があっという間に脳裡に蘇ってしまい、結局私は顔を赤らめる事しか出来なかった。

 本当に…本当に、答えはバリエンダールから帰って来てからで良いと思っていますか、宰相閣下……?
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

【完結】復讐は計画的に~不貞の子を身籠った彼女と殿下の子を身籠った私

紅位碧子 kurenaiaoko
恋愛
公爵令嬢であるミリアは、スイッチ国王太子であるウィリアムズ殿下と婚約していた。 10年に及ぶ王太子妃教育も終え、学園卒業と同時に結婚予定であったが、卒業パーティーで婚約破棄を言い渡されてしまう。 婚約者の彼の隣にいたのは、同じ公爵令嬢であるマーガレット様。 その場で、マーガレット様との婚約と、マーガレット様が懐妊したことが公表される。 それだけでも驚くミリアだったが、追い討ちをかけるように不貞の疑いまでかけられてしまいーーーー? 【作者よりみなさまへ】 *誤字脱字多数あるかと思います。 *初心者につき表現稚拙ですので温かく見守ってくださいませ *ゆるふわ設定です

婚約破棄 ~家名を名乗らなかっただけ

青の雀
恋愛
シルヴィアは、隣国での留学を終え5年ぶりに生まれ故郷の祖国へ帰ってきた。 今夜、王宮で開かれる自身の婚約披露パーティに出席するためである。 婚約者とは、一度も会っていない親同士が決めた婚約である。 その婚約者と会うなり「家名を名乗らない平民女とは、婚約破棄だ。」と言い渡されてしまう。 実は、シルヴィアは王女殿下であったのだ。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。