上 下
317 / 818
第二部 宰相閣下の謹慎事情

【仕立て屋Side】ヘルマンの荊棘(けいきょく)(後)

しおりを挟む
※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

「愚弟をお引き止め下さり有難うございます」

 背筋を伸ばして規則的に歩いて来たのは、間違いなく父母を同じくする実兄、ヘルマン侯爵家三男ロイヴァス・ヘルマンだった。

 店を出すとなった時に、エドヴァルドや何名かの官吏貴族達と共に採寸、仕立てと注文を入れてくれてからこちらは、定期的に手紙で仕立ての依頼が届き、兄上付とした採寸係が確認も兼ねて、王宮内の官吏用住居に届けに行く流れが出来上がっているため、何ヶ月も顔を見ない事も珍しくない。

 が、いつ会っても、細身の体形や気難しそうに眉根を寄せる仕種に至るまで、まるで様子が変わらないのが、この兄でもあった。

 有無を言わさず引き止められ、何の話かと思えば……最初の内はスヴェンテ公爵領内における羊の話から会話が始まり、コレ、俺やレイナ嬢は居る必要があるのか?と思い始めたところで、ロイヴァス兄上は今日の本題とも言える爆弾を、表情も変えずにぶつけてきた。

「場合によっては、我々ヘルマン侯爵家の本家が、宰相閣下と正面から対立しかねません」

 は!?と、うっかり俺の方が先に叫んでしまった。

 そう言えば、侯爵家四男ルーデルス兄上は、侯爵領内で食用の仔羊の飼育から出荷までを取りまとめているとは聞いている。
 複数のレストランを巻き込みながら、上手く自分の居場所を作ったのだと、ほぼ他人事の認識でいた。

 改めて話の流れを頭の中で整理しながら聞けば、どうやらクヴィスト公爵領内で処罰必至の事態が起きていて、その影響を最小限に抑える為に、幾つかの領地内の人や物を回せないかと言う話が出ているらしかった。

 その候補として、ルーデルス兄上が手がけている事業が挙げられているのだと。

(ガッチガチの政治案件じゃねぇか……)

 恐らくは、ほぼ決定に近い話が動いているに違いない。
 領地へは、内示として仄めかす程度の事でしかない筈だ――普通なら。

 だが、ヘルマン侯爵家ウチは……。

 確かにロイヴァス兄上の言う通りに、羊皮紙産業を担う自負が人一倍高い本家が聞けば、たとえ食用の養羊と言えど、既得権益が削られると判断しての揉め事になりかねない気がする。

 ただそれは、今更俺やロイヴァス兄上が間に立って落としどころを探す必要のある話なのか?

「ロイヴァス兄上、今更……っ!」

 気付けば俺の本音は隠し様もなく言葉として吐き出されていたが、兄上の方はいっそ冷ややかなくらいだった。

 知った事かで蹴飛ばせる程、貴族の責務は甘くない。
 表向き勘当されたからと言って、お前も今までヘルマンを名乗ってきたのだろう。

 そう言われてしまえば、返す言葉さえ思い浮かばない。

 なら今、レイナ嬢が王都中心街で立ち上げようとしている店舗の従業員職を斡旋すれば良いのかと、半分捨て鉢な気持ちで聞けば、どうやらそれも「違う」らしい。

 ただ血のつながりを理由に手を貸されるのであれば、そんな手は取りたいとも思わない。

 そう言い切って顔をしかめているレイナ嬢は、もしかすると家族とは、俺と本家ほどの隔たりがあるのかも知れない。

 そう思いはすれど、その後立て続けに語られる「技術指導」「バリエンダールにも商会の支店を」との話を聞けば、彼女はロイヴァス兄上すらとうに飛び越えて、エドヴァルドと並び立とうとしているのだと、嫌でも感じられてしまう。

 彼女もそうやって、自分で自分の居場所を築こうとしているのだと。

 まさか木綿製品を取り扱おうとしているバーレント伯爵領どころか、隣国ギーレンとも伝手を作っているとは、想定外も良いところだけどな⁉

 そんな事を内心で考えていると、俺がルーデルス兄上の事業の話などこれっぽっちも気にかけていない事を悟られたのかも知れない。
 察しの悪い愚弟で申し訳ない、と言う一言と共に、俺の頭にロイヴァス兄上の拳骨が落ちた。

「お前は普段通りに仕事をしていれば良い。ただ、そのうち本家の誰か、あるいはルーデルスが王都に出て来る可能性がある。その事だけ頭の片隅に入れておけ。いざ、が来ても驚きは少なくて済む」

 じゃあ、どうしろってんだよ⁉と言いかけたところに先手を打つように、兄上はそれだけを口にした。

 ――本家の誰かが王都に出て来る。

 政治案件となれば、それも有り得るのかも知れない。

 ギーレンのエドベリ王子の歓迎式典があった時には、当たり前だが父侯爵は〝ヘルマン・アテリエ〟には見向きもしなかったし、俺の方から宿を訪ねて行く事もしなかった。

 ロイヴァス兄上とて、式典準備を口実に、似たようなものだった筈だ。

 だが次に誰かが王都に出て来るとなれば、兄上どころか俺の方にも呼び出しがかかる可能性は確かにあった。
 下手をすれば、エドヴァルドにとりなしを頼めくらいの事は言ってきかねない。

 考えなしに「会わない」一択を決め込む前に、その時は周囲に相談しろと言う事か。

 俺は自分の中でそう折り合いをつけて、イデオン公爵邸を辞去する事にした。

 本来なら、エドヴァルドにもっと詳しく「解説」をさせるところだが、ロイヴァス兄上が動く気配を見せない以上、まだ何か、俺には聞かせられない話があるんだろう。

 俺は渋々店に帰ると、客の流れが落ち着いた頃に、店長にだけは「いずれ本家の使者が来るかも知れない」とだけ知らせておく事にした。

 そうしておけば、留守中何かあっても、店長が上手く采配してくれるだろう。

「事実上勘当されているにせよ『ヘルマン』の名前がこの店の信用を裏打ちしている事も確かだしなぁ……万一領地が没落の危機に陥ったら、知るか!とはさすがに言えねぇよな……」

 恐らく本家は、この店があっという間に立ち行かなくなって、泣きついて来ると思って放置していたに違いないが、向こうから積極的に潰しに来なかった程度には、情はあったのかも知れない。

 …聞いて確かめる気もないが。

 俺がうっかり「没落の危機」とか言ったせいか、店長がちょっと目を見開いているので、俺は慌てて片手を振った。

「ああ、違う違う。現実としてそんな話が出てるワケじゃない。ただ、国の方でいくつか事業再編の話が出ているらしくて、本家がそこに組み込まれるかもってだけなんだ。店自体には影響はない……筈だ」

 エドヴァルドとレイナ嬢を見ていると、何故かどうしても断言出来なかったが。

「ま、何を求められようと、俺はこの店でデザインをしつづけるだけだけどな」

 権謀術数を駆使するのは、得意なヤツがやって欲しい。

 それが宜しいと思います、と店長も微笑わらった。
 ――多分に苦笑交じりだったが。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

竜人の王である夫に運命の番が見つかったので離婚されました。結局再婚いたしますが。

重田いの
恋愛
竜人族は少子化に焦っていた。彼らは卵で産まれるのだが、その卵はなかなか孵化しないのだ。 少子化を食い止める鍵はたったひとつ! 運命の番様である! 番様と番うと、竜人族であっても卵ではなく子供が産まれる。悲劇を回避できるのだ……。 そして今日、王妃ファニアミリアの夫、王レヴニールに運命の番が見つかった。 離婚された王妃が、結局元サヤ再婚するまでのすったもんだのお話。 翼と角としっぽが生えてるタイプの竜人なので苦手な方はお気をつけて~。

初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と叫んだら長年の婚約者だった新妻に「気持ち悪い」と言われた上に父にも予想外の事を言われた男とその浮気女の話

ラララキヲ
恋愛
 長年の婚約者を欺いて平民女と浮気していた侯爵家長男。3年後の白い結婚での離婚を浮気女に約束して、新妻の寝室へと向かう。  初夜に「俺がお前を抱く事は無い!」と愛する夫から宣言された無様な女を嘲笑う為だけに。  しかし寝室に居た妻は……  希望通りの白い結婚と愛人との未来輝く生活の筈が……全てを周りに知られていた上に自分の父親である侯爵家当主から言われた言葉は──  一人の女性を蹴落として掴んだ彼らの未来は……── <【ざまぁ編】【イリーナ編】【コザック第二の人生編(ザマァ有)】となりました> ◇テンプレ浮気クソ男女。 ◇軽い触れ合い表現があるのでR15に ◇ふんわり世界観。ゆるふわ設定。 ◇ご都合展開。矛盾は察して下さい… ◇なろうにも上げてます。 ※HOTランキング入り(1位)!?[恋愛::3位]ありがとうございます!恐縮です!期待に添えればよいのですがッ!!(;><)

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

【完結】初めて嫁ぎ先に行ってみたら、私と同名の妻と嫡男がいました。さて、どうしましょうか?

との
恋愛
「なんかさぁ、おかしな噂聞いたんだけど」 結婚式の時から一度もあった事のない私の夫には、最近子供が産まれたらしい。 夫のストマック辺境伯から領地には来るなと言われていたアナベルだが、流石に放っておくわけにもいかず訪ねてみると、 えっ? アナベルって奥様がここに住んでる。 どう言う事? しかも私が毎月支援していたお金はどこに? ーーーーーー 完結、予約投稿済みです。 R15は、今回も念の為

〖完結〗その子は私の子ではありません。どうぞ、平民の愛人とお幸せに。

藍川みいな
恋愛
愛する人と結婚した…はずだった…… 結婚式を終えて帰る途中、見知らぬ男達に襲われた。 ジュラン様を庇い、顔に傷痕が残ってしまった私を、彼は醜いと言い放った。それだけではなく、彼の子を身篭った愛人を連れて来て、彼女が産む子を私達の子として育てると言い出した。 愛していた彼の本性を知った私は、復讐する決意をする。決してあなたの思い通りになんてさせない。 *設定ゆるゆるの、架空の世界のお話です。 *全16話で完結になります。 *番外編、追加しました。

王子を身籠りました

青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。 王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。 再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。