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第二部 宰相閣下の謹慎事情

345 ヘルマンさんがやって来た(兄編)

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※1日複数話更新です。お気を付け下さい。

「いや、その…エドヴァルド、この前のコトでおまえが怒っていたのはよく分かった。それはすまなかった。改めて詫びる。次のドレスもなるべく良い素材を集めてくる。だからだな――」

 職人としての天才、日常生活自由人…みたいなヘルマンさんが、ここまで顔を痙攣ひきつらせているのも、ちょっと珍しい。

「ヘルマンさん、お兄さんの事苦手なんですか……?」

 インテリ臭が全身に漂っているようなロイヴァス・ヘルマン長官を思い浮かべつつ、私がエドヴァルドを見上げると「そうだな…」と、彼もそれを肯定した。

「侯爵家の名に恥じぬ行いを、と言うのが当主始め長兄から三男あたりまでは身にも口癖にも染みついている感じではあるな。実際、それを体現してきてもいる。ただ三男ロイヴァスだけは、その行動が家業の方を向いておらず『家を継がずとも出来る事』ではあるから、きちんと向き合えば、まだ理解は出来る筈なんだが……まあ、それ以上は私がとやかく言える事でもないしな」

 ヘルマンさんがデザイナーとなって王都に店を出すだけでもひと悶着あったそうで、挙句、本家とは勘当同然、今となってはほぼ関わっていないと言うからには、確かに家族にも本人にも、思うところはありそうだ。

 結局本家も三番目の兄も、根本のところには「侯爵家の名に恥じぬ行いをせよ」と言うのがあれば、どちらに対しても忌避したい思いの方が先だっているのかも知れない。

 王宮における「ヘルマン長官」としての威厳ある衣装を仕立てているのだから、完全に断絶している訳でもない筈だけど――兄弟だからこその、外からは推し量れない側面だってあるだろう。

 少なくとも私には「仲良くした方が良い」なんて言えない。

 複雑な思いで私が黙り込んでいる間にも、両手を合わせて「適当に誤魔化しておいてくれ」とペコペコ頭を下げるヘルマンさんに「諦めろ」と、エドヴァルドが説得?をしていた。

「旦那様、ロイヴァス・ヘルマン様が馬車でお越しです。入口の門を通られたそうですので、もう玄関ホールへお越しかと」

 ヘルマンさんが、ううとかああとか頭を抱えているうちに、カツカツと規則的な音がこちらへと近付いて来た。

「お時間を頂いてしまい申し訳ありません、宰相閣下。また、愚弟をお引き止め下さり有難うございます」

 げっ、とか呻いているヘルマンさんを、兄長官ロイヴァスは華麗にスルーしていた。
 もう慣れていると言わんばかりの表情だった。

「いや。ちょうど今、服の受け取りが終わった所だ。フェリクスにも店がある。関係のある部分だけ先に聞こう」

 特にヘルマンさんを庇う意図はなかったと思うけど、ヘルマンさんの方は、助かるとばかりに大きく首を縦に何度も振っていた。

 後で聞いたところによると、大抵、日頃の生活態度やなんかへのお説教が入るそうで、それはヘルマンさんも及び腰になろうと言うものだった。

 私なんかは「実はイイお兄ちゃんなんじゃ…」と思うんだけど。あまりに日常的だと多少は仕方がないのかも知れない。

「……そうですね、我々も王宮に早めに戻った方が良いでしょうしね。私もここに来るまでに、事前情報はある程度仕入れてきましたので、早速本題に入らせて頂きましょうか」

 兄長官ロイヴァスも、今日は兄としてのお説教は諦めたのか、息を一つついて「団欒の間ホワイエ」の中ほどへとやって来た。

「閣下、スヴェンテ公爵領が抱える養羊家の内、食用の仔羊に関しての権利、ノウハウを全てクヴィスト公爵領内の乳牛飼育区域に委譲する話が出たとか」

「ああ。まだ、計画段階で、感触を探るようスヴェンテ老公には話がいった筈だが……?」

 ヘルマンさんの方は、何の話だと言わんばかりだけれど、兄長官ロイヴァスの方は僅かに顔を歪めていた。

「クヴィスト公爵領内に今ある乳牛関連の権利は、全てイデオン公爵領内のキヴェカス伯爵家に移ると言う事ですか」

「いや、まだこの話はキヴェカス家も何も知らん。それもこれから感触を探るところだ」

「ええ。ですがクヴィスト公爵家は今回の騒動で反論の余地がありませんし、キヴェカス家は長年のしこりに決着がつく形になる。乳牛を取り上げる代わりの養羊、試行錯誤は罰の内なんですね?」

「食用としては生後一年未満、羊皮紙としてはそれ以上の方が向いているのだと聞いた。スヴェンテ公爵領内は羊皮紙が一大産業だろうから、交渉の余地はあるかもと言う話になったんだ」

 淡々とエドヴァルドがそこまでを説明したところで、そう無理難題を言っている訳ではないと悟ったのか、長官は片手で額を覆うと、微かな息をついた。

「その様子だと、食用の養羊家の説得が難しいと言う事か」

「そうですね……場合によっては、我々ヘルマン侯爵家の本家が、宰相閣下と正面から対立しかねません」

 は⁉︎と声を上げたのはヘルマンさんで、エドヴァルドは片眉を動かしただけだった。

「食用の仔羊を育てる養羊家は、領内においても絶対数が少ない。どうやらそれを保護しつつ、王都内の高級レストランを中心に販路を作ったのが、私のすぐ下の弟――そしてフェリクスの兄、ルーデルス・ヘルマンのようでして。私やフェリクスと母親は違いますが、一応はヘルマン侯爵家の四男ですよ」

「ほう……」

「え、ルーデルス兄上が……?いや、その前に一体何の話を……」

 兄貴ではなく兄上と呼ぶのは、侯爵家六男としての名残りだろうか。
 そんなヘルマンさんを見る兄長官ロイヴァスの目は、僅かにすがめられていた。

「長兄次兄以外の男子は貴本的に、家を出て自活の道を探る必要がある。お前みたいにいきなり市井に下りたのは極論にしても、ルーデルスも己の活路を食用仔羊の養羊に見出そうとしていたらしい。特にレストラン〝スピヴァーラ〟の経営者であるテミセヴァ侯爵家のネレム殿とかなり交流を深めているそうだ」

 なるほど…と、呟いたエドヴァルドも、口元に手をあてて少し考える仕種を見せた。

「単なる権利の委譲では、その後また自活の術を探すのかと、反発を受ける恐れがあると言う事か……」

「弟が手がけている事を思えば、今更王宮の私の下での下働きや、フェリクスの店舗での雇用とかも、方向性が違いすぎて選択肢には入れられないでしょう。出来れば本家への連絡は、その辺りを詰めてからでお願い出来ませんか。スヴェンテ老公爵が私に連絡をしてきたのも、恐らく私に本家との間に立てと言う事なんでしょう」

 確かにこれを私に置き換えて見れば、折角自活できる術を見つけたのに、高値で買い上げられたところで、いつかお金は尽きる。
 代替えにはならないと、そう思う筈だ。

「ロイヴァス兄上、今更……っ!」

 余程、領地の実家に対して思うところがあるのか、ヘルマンさんは激昂しかかっている。

 だけど兄の方は、さすが王宮勤めが長いだけあって、冷静だった。

「知った事かで蹴飛ばせる程、貴族の責務は甘くないぞフェリクス。たとえ顔も見たくないからと言って、実家ごと潰れて欲しいのか?それが寝覚めが悪いと思うならば、ヘルマンの名を背負う義務は果たせ。いざとなれば、ルーデルス達を抱えられるか考えろ。表向き勘当されたからと言って、お前も今までヘルマンを名乗ってきたのだからな」

「……っ!」

 ヘルマンさんはしばらく、切れそうなくらいに唇を強く噛み締めていた。
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